現れたのは、白いマントと青い服を纏った、ショートヘアの快活そうな少女。
スカートの少し上に輝く美しい蒼色の宝石は、彼女が魔法少女であることの何よりの証だった。
少女の姿を目にして、言葉を失っているマミ。
「よく見たら、ジークさんたちに、金色の聖闘士さん? 転校生まで。みんな勢ぞろいしちゃってるじゃないですか?」
「美樹さん。。」
「マミさんも。そんなびっくりしたような顔しちゃって、どうしたんですか? 大丈夫!これからはあたしと一緒に見滝原を魔女から守りましょう!。どーんと、頼っちゃってくださいね!」
「あ。。え。。そうね。。うん、ありがとう、美樹さん。とっても心強いわ」
「じゃ、あたし、さっそくパトロールに行ってきます!。魔女見つけたら連絡しますね! 」
突如吹き荒れた嵐のような喧騒が去り、その場には再びマミたち5人が残された。
皆、一言も発せず黙りこくっている。鉛のように重い空気。
「どうして。。キュウべぇと契約しそうな様子はまだなかったのに。。」
「何があったのかはわからないけれど、彼女はもう契約してしまった。あの子が結末を迎えるまでにはそれほど時間はかからないはず。しっかりとケアしてあげることね」
「暁美さん。。でも、なんとなくだけど、私もそう思うの。。とにかく今は早く鹿目さんのところに行かなくちゃ。キュウべぇは鹿目さんをしつこいくらい頻繁に勧誘してたんだし」
言い終わるや否や、巴マミは、ひどく慌ててその場を去った。
1時間ほど前のこと。
マミたちが病院の結界に向かうのと時を同じくして、一人の少女がその病院のロビーを歩いていた。
美樹さやか。彼女はいつも通り、その病院に入院している幼馴染、上条恭介の見舞いにやってきたのだ。
病室の扉の前に立つと、差し入れとして持ってきたCDを確認し、目を瞑り深呼吸する。なぜだろう。幼馴染のはずなのに、最近になってから顔を合わせるたびに感じる不思議な緊張感。
「やぁ、さやか。今日も来てくれたんだね」
部屋の中では、恭介がベッドからこちらを見つめている。
ベッドの側にはヴァイオリン、そしてさやかがこれまで届けてきた数多くのCDが積みあがっている。
その横には、とても高級そうな果物が置かれている。誰が持ってきているのかはわからないが、以前から恭介の病室でよく見かけるものだ。裕福な人が見舞いに来ているのだろうが、誰なのか敢えて聞いたことはない。いつもと変わるところのない、病室の風景。
ただ、いつもと違うのは、病室の中に青年が二人居ることだ。どこかで会ったことのあるような気がするのだけれど、いったいどこで?
「さやか、今日はお客さんが来てるんだ」
体を起こして二人を紹介しようとする恭介。それをさりげなく制すると、二人のうち背の高いほうの青年がさやかのほうへ向き直る。
「あなたがさやかさんですね? こちらのCD、なかなか興味深い内容のものが多く、どのような方が選ばれているのだろうと気になっていたところなのです。紹介が遅れました。私はジュリアン・ソロと申します。こちらはソレント。。」
「あーーーっ!!! 思い出しました! お二人で世界中を巡って演奏旅行されてるんですよね!ついこの間、この病院のロビーで演奏されてるの、私も聴いていたんです」
喜び、悲しみ、怒り、幸福、不幸、楽しみ、苦しみ。人の世の何もかもを包み込み、洗い流していくかのような美しいフルートの音色を、さやかは今もよく覚えている。恭介のヴァイオリン以外で、さやかがあそこまで心奪われてしまったのは初めてだった。
「貴方もあの場にいらっしゃったんですね。このソレントの演奏をお気に召していただけたのならば、光栄です。あの演奏会がきっかけとなって、私と同じく音楽の道を志す上条さんとお近づきになることができ、今日はここにお邪魔しているのです」
恭介は、さやかの前では明るく落ち着いた振る舞いを見せている。
しかし、長くしかも回復の見込みすら定かでない入院のせいなのか、恭介は病院の関係者には荒んだ態度を取りがちだということは、さやかも耳にしている。
どらかといえば問題の多い患者とみられていた彼が、演奏会が終わった後、担当の看護師に「ソレントたちに会いたい」と頼みこんだのだ。普段の彼からは想像できない謙虚で素直な態度に担当医も看護師も皆驚いたが、彼が希望を取り戻すきっかけになるのではと手を尽くして連絡をとり、見滝原郊外に宿泊しているジュリアンたちもまた快諾してくれたのだ。
ジュリアンとソレントの話は、恭介にとってとてもエキサイティングなものだった。ラスベガスのカジノ、ヨーロッパやアフリカの王宮、パタゴニアや東シベリアの漁村、中国奥地の先住民集落、南極の越冬基地、紛争地帯最前線の塹壕陣地。世界中を渡り歩いてきた二人の演奏旅行は、同じく音楽を志す恭介にとっても血沸き肉躍る冒険譚そのものであった。また、高度に体系化されたソレントの音楽理論もまた、恭介が自分の演奏を見つめなおし、新たな試みへと向かう情熱に再び灯をともすこととなった。
そんな彼の様子をさやかは横から眺めている。退院後に何をしようか、どこへ行こうかと未来への希望を取り戻しかけているように見える恭介の様子は、彼女にとっても何よりうれしいものだった。
一方で、盛り上がる恭介とソレントから置いて行かれているように感じる軽い疎外感。うまく説明できないさまざまな感情が、さやかの中で渦巻いている。
もしかして、退院した恭介は、音楽活動に没頭するあまりさやかから遠く離れた世界に行ってしまうのではないか? 華々しく活動する彼とは別の世界に、取り残されたように佇む自分の姿が見えてしまう。
恭介の幸せを願うほどに不安に包まれ曇っていく自分の心。精一杯の作り笑いでごまかそうとする自分自身の振る舞いもまた、さやかを次第に追い詰めていった。
ふと気が付くと、あたりが暗い。もう日が暮れてしまったのか? いや、そんなはずはない。
我に返ったさやかは、病室が異様な空間へと変わっていることに気が付いた。
ジュリアン・ソロやソレント、そして恭介までが結界の中に閉じ込められている。
恭介は気を失っているようだ。ジュリアンとソレントは、自分たちが取り込まれた異様な空間に気が付いたのか、不安げに周囲を見回している。
この感覚をさやかは知っている。
魔女の結界。
使い魔こそ見当たらないが、結界の奥からは魔女の気配が感じられる。自分たちの存在に気が付いたのか、魔女は少しずつこちらに近づいているようだ。
「マミさんに連絡しなきゃっ!」
急いでマミに電話するさやかだが、いくら待ってもマミは応答しない。
それもそのはず、マミは今、別の魔女と激烈な戦いを繰り広げている真っ最中なのだ。
さやかは、傍に落ちているモップを拾い上げると結界の奥へ向かおうとする。
魔法少女でも聖闘士でも神闘士でもない自分が魔女と戦うなんて、無理に決まっている、それはよくわかっている。
それでも、この中で魔女のことを知っているのは自分だけなのだ。怖さで体中が震えているが、それでもここは自分が行かなければならない。ジュリアン達、そして恭介を守るために。
そんな彼女を制したのは、意外なことにソレントだった。
「ここがどのような場所なのかはわかりませんが、おそらく危険な状況なのでしょう? さやかさん、あなたは恭介さんとポ。。ジュリアンさまを連れて、早くここから離れてください。私が時間を稼ぎますので」
「ソレントさん、ここは魔女の作り出した結界なんです。あたし、ここがどんな場所かも、どうすれば助かるのかもわかってますから、あなたこそみんなを連れて逃げてくださいっ!」
「。。お気持ちは有難いです。ただ。。ほら、足が震えているではありませんか。。ここはひとまず私におまかせを。すぐに後を追いますので」
無理やり心を奮い立たせようとしているさやかと、それを見抜いて彼女たちを退かせようとしているソレント、どちらもなかなか引き下がらない。
その様子を見て、間に入ったのはジュリアンだった。
「さやかさん、大丈夫です。ソレントは優れた演奏家であるだけでなく、私のボディーガードでもあるのです。これまでも、世界のあちこちで危機に陥るたびに彼は私を守り通してくれました。このままではここに居る全員が逃げ遅れてしまいます。どうかここは彼に任せて、私たちは安全なところまで引きましょう」
魔女を知っているのに、どうすれば魔女と戦えるのかわかっているのに、それをできない、させてもらえない自分がもどかしく、そして情けない。
ただ、確かにこのままでは、ジュリアンとソレントだけでなく、恭介まで危険にさらすことになる。
「。。。わかりました。。ソレントさん、すぐ助けに来ますから、絶対に無理しないでくださいね」
そういうとさやかは、恭介を車いすに乗せ、ジュリアンとともに魔女とは反対の方向へと走り出した。
さやかたちが十分に離れたのを確認すると、ソレントはおもむろに結界の奥へと歩き出した。視線の先には、オートバイとハイエナを合わせたような不思議な生き物が待ち構えている。身長3mほどか。大きさはそれほどでもないが、明らかに敵意をむき出しにして、今にも襲い掛からんとうなり声をあげている。
「さて、このような存在に向き合うのは初めてだが、どうしたものか。せめて鱗衣(スケイル)があればよいのだが、ここに呼び寄せる余裕はないし、万が一でもジュリアンさまに見られてしまったら。。」
フルートを手にすると、魔女と向き合うソレント。身構えた彼に魔女が襲い掛かるが、ソレントは冷静にそれをかわす。
魔女の攻撃をいなしつつ、隙を見つけてはフルートで殴りかかる。無駄がなくそれでいて華麗な動きは、とても一介の音楽生のそれとは思えない。しかし、魔女にダメージを与えることはできても、致命傷には至っていないようだ。
魔女もまた、相手が只者ではなさそうなことに気が付いたのか、これまで以上に激しく襲い掛かってくる。
「やはり小宇宙を抑えていてはダメか。ならば、仕方あるまい」
体当たりを仕掛けてきた魔女をかわし、少し距離をとると、ソレントは居住まいを正す。魔女は再び距離を詰めてくるが、ソレントは意に介さずおもむろにフルートを口にした。
一方、さやかたちは結界の出口あたりまでたどり着いていた。追いかけてくる使い魔も居ないようだ。
恭介とジュリアンを結界から解放したら、一刻も早くソレントを助けに行かなければ。。マミの応援さえあれば、この状況をなんとかできるはず。
落ち着きを取り戻し、携帯電話を手にしたさやかは、かすかに聞こえてくる美しい旋律に気がついた。
誰が、どこで奏でているのか? 耳を澄ませて聴いてみると、どうやらそれはフルートの音色のようだ。
結界の遥か奥、魔女の居るほうから、魔女のうなり声とともにそれは聞こえてくる。
なんでこんな時にソレントはフルートを吹いているのだろう?
「このフルート、ソレントさん、なんだよね? でも、こないだの演奏会の時とは違って、なんだかこう、頭を締め付けられるような不安に満ちた激しい旋律。。あの人、こんな演奏も出来るんだ。でもどうしてこんな時に。。」
怪訝そうな顔をする、さやか。電話を仕舞うと、結界の奥を見つめている。
ソレントはいったいどうしたのだろう?
さやかの疑問をよそに、フルートの旋律はさらに激しさを増していく。
「やっぱりあたし、ソレントさんを助けに行く! 待ってて、ソレントさん!」
フルートの旋律がクライマックスを迎えようとしているなか、結界の奥へと再び駆けだした、さやか。
そんな彼女の足が、止まる。
「え。。? いったい何がどうしたっていうのさ。。?」
結界が、消えた。さやかたちの周りだけでなく、魔女が居た最深部のほうまでも。魔女の気配も完全に消えている。
マミやほむらなど見滝原の魔法少女は来ていない。ジークフリートたち神闘士や聖闘士が助けに来たわけでもない。
なのに、なぜ。
「まさか、ソレントさんが?」
「ほら、だから大丈夫だと言ったでしょう? 彼はとても強いのですから」
ジュリアンはさも当たり前のようにそう語るが、ごく普通の音楽生、ただの人間であるはずのソレントが魔女を倒せるとは思えない。一体何が起こったのか。
向こうからは、ソレントが何事もなかったようにこちらへ歩いてくる。
「ソレントさん、無事でよかったです。魔女は。。?」
まだ気を失ったままの恭介をベッドに横たえながら、さやかはソレントと言葉を交わす。
「必死に戦っているうちに、居なくなってしまったようですね。みなさんご無事でなによりです。」
事もなげに答えるソレントだが、結界が次第に歪みつつではなく突如消えたことは、魔女がどこかへ去ったのではなく倒されたことを示していた。
「ソレントさ。。」
「ジュリアンさま、明日の演奏会の準備もありますので、そろそろホテルに戻らなければなりませんね。名残惜しいですが、今日のところはおいとまいたしましょう。さやかさん、先ほどの現象、たいへん興味深いものでしたので、改めてゆっくり話聞かせていただければと思います、恭介さんにもよろしくお伝えください。それでは。。」
何が起きたのか、なおも聞き出そうとするさやかだったが、ソレントはそれをやんわりと遮るかのようにジュリアンを促すと、足早に病室から去っていった。
病室には、恭介とさやかが二人残された。
「ごめん、恭介。。」
さやかは、ベッドに横たわる恭介に静かに語り掛ける。
その声に反応したのか、恭介が意識を取り戻した。
「え? どうしたの、さやか? あれ、ソレントさんたちは?」
「ううん、なんでもないよ。恭介さぁ、久しぶりにいっぱい話したせいか、疲れて眠っちゃってね。ソレントさんたちは、また来るからよろしく、て言って今帰ったところ」
「そうだったんだ。さやか、傍に居てくれてありがとう。確かにちょっと疲れちゃったみたい」
「だよね~。あたしも今日はそろそろ帰ろうかな。この後はゆっくり休んでね。また来るね、恭介」
精一杯の元気を振り絞った笑顔で、さやかは病室を後にした。
病院から出たさやかは、特に目的もなく公園を一人歩いている。
先ほどの魔女の結界で、さやかは、自分が恭介に抱いている感情が「恋」であることを、はっきりと意識していた。
危機に直面して、さやかが真っ先に考えたのは、自分の身よりもなによりも、恭介を守ることだった。
大好きな恭介。出来ることならさやか自身の手で恭介を守りたかった。
でも、そうすることはできなかった。
なぜか? 自分が魔法少女ではないからだ。守るための力を持たないからだ。
キュウべぇと契約するという決断、それをぐずぐずと渋っていたせいで、肝心な時に恭介のために戦えなかった。
もしあの時ソレントがいなければ、自分も恭介もどうなっていたことだろう?
もちろん今も、魔法少女になるのは怖い。
あのマミや神闘士、聖闘士たちでさえ苦戦を強いられた3体の魔女との戦い。もしあそこで戦っていたのが自分だったら、果たして生き残れただろうか。
もし魔女との戦いで命を落とすことになってしまったら、恭介は悲しんでくれるだろうか?
恭介が魔女の結界に囚われるという事態は、今後も発生するかもしれない、いや起こるだろう。
そうなら、今度こそ自分が恭介を守りたい。大切な人を魔女の手から絶対に守り抜きたい。
守れなかった、なんて後悔はしたくない。
心は決まった。
迷いはもう無い。
心にずっとかかっていた靄のようなものが、次第に晴れていく。
「やっと決断してくれたようだね。美樹さやか。さぁ、願いを言ってごらん。ソウルジェムの輝きで君の祈りを照らそうじゃないか」