鎮守府の床屋   作:おかぴ1129

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12.忘れていたこと

 俺は、大切なことを忘れていた。

 

 ここにいる面子は、素晴らしい人たちだ。提督さんは部下思いの優しい人だ。時々調子に乗って余計なことを口走っては、自身の相方に折檻されるのが玉に瑕だが、それもまた提督さんの魅力と言える。

 

 艦娘たちもいい子だ。隼鷹は飲んだくれだが愛する提督さんのことを本当に大切に思っているのが見て取れるし、ビス子は子供っぽいけど、よく言えば純真。加古は度し難いねぼすけさんだが、みんなの中では割と常識人だ。川内も、夜戦夜戦とにぎやかなところを除けば、優しくて明るい魅力的な女の子だし、北上は自身の姉を大切に思っているのがこちらにも伝わってくる。やたらと俺と球磨をくっつけたがるのはどうかとは思うが。

 

 球磨に関しては色々と思うところもあるけれど……あの肝試しの時、ただ一人真剣に戦闘の準備を行っていたのが印象的だった。他の奴らが怖がったり夜戦でハッスルしてた中、球磨はたった一人、俺を守るために戦闘に備えていた。あの、背中から聞こえた球磨が単装砲を構える音が……背中から伝わる球磨の体温が、俺にとってどれだけ心強かったことか、あいつは知らないだろう。

 

 この鎮守府での生活は、本当に楽しくて充実していた。店を開けば、面白いやつらが客としてやってくる。閉店後はそいつらと飯を食い、風呂から上がれば酒を飲み、笑顔で一日が終わる……充実していた。笑顔に溢れた、素晴らしい日々だった。

 

 だから俺は、今が戦時中だということを忘れていた。この鎮守府が激戦区で、度重なる戦闘に疲弊した、ボロボロの軍事施設であることを忘れていた。

 

 片鱗は見えていた。時々大怪我をして任務から帰還する艦娘のみんな……昔話としてみんなの口から語られる、戦死したかつての仲間たち……そして稀に遭遇する、かつてこの鎮守府に所属していた艦娘たちの幻……笑顔に溢れ充実した楽しい毎日の端々に、かすかにだが確実に、ありえないほどに身近に存在している『死』の現実が、チラチラと見え隠れしていた。

 

 初めて球磨が哨戒任務に出たと聞かされた時は、今までとは比べ物にならないほど近くに存在していた『死』という言葉を意識せざるを得なかった。だが、ここにいるみんなとの楽しくて充実した生活が、いつの間にか俺の意識からその現実を遠ざけていた。怪我をして帰ってきた球磨が、『入渠』と称して風呂に入り、全快している光景を何度も何度も見て、いつの間にか俺の意識の中から『死』が消えていた。

 

 俺は、『死』を今日まで忘れていた。意識的に目を逸らしていたのではない。本当に忘れていた。普通に……今日寝て明日起きれば、またみんなの笑顔に囲まれた新しい一日が始まるものだと思っていた。

 

 あの秋祭からしばらく経った今日、遠征任務に出ていた暁ちゃんが轟沈した。暁ちゃんは死んだ。

 

 前編終わり。

 


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