――あなたはあなた。
――どことかだれとか。
――どうだっていいじゃない。
世界救済。
人理奪還。
歴史修正。
言葉はいくつも飾れるが、目指す場所はただ一つ。
されどその一つに辿り着くには多くの難関が立ちはだかる。
やらなければならないと背負っても、踏み出す足のなんと遅いことか。
早く早くと念じるたびに体はさらに重くなる。
焦る必要はないと頭で考えても、体は前へ行きたがる。
――よくない兆候だ。
そう冷静に考える自分もいれば。
――もっとやれることがあるはずだ。
と、叫ぶ自分も確かにいる。
思考と行動、理性と本能がせめぎ合う。
――はぁ。
深く息を吐き出し、気分を静める。
一度考えをまとめよう。
やりたいことと、やらなければならないこと。
自分という存在を見つめなおし、自分の意思をを確固たるものとしよう。
そう、自分とは、己とは――
「あぁ、安珍様、今日も素敵ですわ♡」
「世界はローマであり、全てはローマへと通ず。そなたもまたローマである」
「君こそクリスティーヌ、私の歌姫」
――自分とは、己とは、うごごご……
「やめてください!先輩がゲシュタルト崩壊を起こしています!」
「先輩、大丈夫ですか?」
うん、落ち着いた。
もう大丈夫だ。
まさかカルデアの談話室で己を見失う事態になるとは思わなかったよ。
「一番驚いたのは私です……談話室にお茶を飲みに来たら先輩がお三方に囲まれて頭を抱えていたんですから」
傍から見たらホラーだよね。
ところでマシュ、自分ってなんだろうな。
「まだ混乱してますね先輩。冷静になってください。先輩は先輩です――」
「ああ、クリスティーヌ、クリスティーヌ。美しいその形。今を生きるクリスティーヌ。君の声は我が愛の声。歌え歌え高らかに。共にあろう、クリスティーヌ……」
そうだ、俺はクリスティーヌだった。
男だけどクリスティーヌ。
いや、マイルームでワンタッチ女体化できるしクリスティーヌだよ、すっごいクリスティーヌだよ俺。
どうして俺はクリスティーヌなの?ああ、オペラ、貴方はどうしてオペラなの?
「オペラさん!先輩に精神汚染をしないでください!先輩もそれシェイクスピアさんの持ちネタです!」
――はっ!?
あやうくクリスティーヌになるところだった。
ありがとう、マシュ。
「はい、どういたしまして。それで、どうしてこんな事態になったのですか?」
うん、ちょっとばかり今後の方針というか指針というか。
とにかく一度自分を見つめなおそうと思ってな。
一人で考えても答えが出なかったから、談話室にいる誰かに相談に乗ってもらおうと思った――結果がこれだ。
「相談相手間違えてますよ先輩……」
いや、でもロムルスとかすごい頼りになりそうじゃないか?
「それは、たしかに。ローマの始祖であるロムルス陛下には、どんな悩み事も解決してくれそうな威厳を感じられます」
だろう?だから聞いてみたんだ。
――己とはなにかを。
「全てはローマから始まり、ローマへと還る。そなたもまた
ローマ。
「はい、ローマですね……って先輩!」
どうしたんだ
なにを
「ローマ便利ですね!?じゃなくてしっかりしてください!」
「精神汚染よりひどいことになってますよ!?――うぅ、仕方ありません。多少、痛いかもしれませんが緊急事態です……
マシュも染まってるじゃないか――
手加減はされたであろう、しかし霞むような拳は的確に顎を捉え足がふらつく。
とはいえ、マシュの指導的一撃は確かに俺の意識をローマから浮上させた。
ありがとう、と言葉を出そうとしたが、ふらつく足は立て直せず後ろへと倒れ――抱き留められた。
「大丈夫ですか?ますたぁ」
――清姫。
抱き留めてくれたのはお淑やかに微笑む着物の少女、清姫だった。
彼女は俺よりも頭一つ分は小さな体躯だったが、抱き留めた姿勢にブレはなく、流石はサーヴァントと言わざるを得ない。
「もう、乱暴な方ですね」
「も、申し訳ありません……」
清姫は俺を抱きかかえたままマシュを穏やかに咎める。
――そういわないでくれ、清姫。マシュは俺を助けてくれたのだから。
そういいつつ、態勢を立て直し、清姫から離れようとするが――離れない。離れられない。
「まぁ、さすがは私のますたぁ。寛容なところも素敵♡」
こちらへ可愛らしく微笑む清姫。
その笑顔は春の陽気を想わせる優しいモノ。
――だが俺の服を掴む剛力は冬の厳しさよりも強い。
放してくれないか、と清姫の腕の中で動くもその手は外れない。
「あんっ、そのように弄らないでくださいまし。いえ、わたくしとしても望むところなのですが、さすがに初夜を人前というのはいささか……」
――なに言ってるのこの子。
「何言ってるんですか、清姫さん!」
「まぁ、まだいらしたの?マシュさん、この漢字読めます?」
『空気』と書かれたメモを着物の袖から取り出してひらひらと見せつける清姫。
一番その漢字を読めていないのは清姫だと思う。
「くうき、です!先輩を放してください!」
マシュも律儀に答えないで。
というか多分意味をわかっていない。
そんな益体もないことを考えている俺を挟んで清姫とマシュによる言い争いが止まらない。
場が俺を残してなんだかよくわからない方向にヒートアップしていく。
自分を見つめなおすという啓蒙活動が何故こんなことになったのか。
「ますたぁご自身のことでしたら、この清姫、お答えすることができますわ」
マシュとの言い争いを一旦止め、清姫が俺にそう囁く。
マシュも清姫の言葉が気になるのか静かに答えを聞く姿勢のようだ。
――それで、自分とは一体なんだと思う?
「簡単です。ますたぁは――――――わたくしの旦那様です♡」
「違います!」
――違う、という俺の言葉はマシュの叫びに上書きされた。
どうやらこの言い争いはまだ続くようだ。
………………
…………
……
しばし時を経て、喧噪は止み、談話室では皆がお茶をすする静かな音が染み渡る。
自分とは――そう小さく口の中で反芻したつもりだったが、皆の耳に届いたのか、皆の目がこちらへ向く。
「先輩、その、お悩みはまだ晴れませんか?」
代表してマシュがためらいがちに聞いてきた。
そうだな、悩みは晴れない。
けれど一つわかったことがある。
ひとまず、自分がどう振る舞うかを。
そう言うと、ロムルスは頷き、マシュと清姫は笑顔に、オペラの眼差しはどこか優しさを帯びた。
皆、聞いてくれ。
騒がしくも楽しい皆との一時に俺が得た決意を。
皆が俺を真剣に見つめる。
俺に対しての信頼を感じる。
その信頼に応えねばなるまい。
俺はこれから――
――クリスティーヌ・安珍・オブ・ザ・ローマとして頑張るよ。
「精神汚染治ってませんよ先輩――!!」
楽しい時というのはすぐに去るものだ。
結局、なんの答えも得ることはなかったが、あの騒がしさは悩みという重圧を綺麗に吹き飛ばしてくれた。
マシュ達の談話室の片づけは自分たちがするから、俺には休んでほしい、というありがたい言葉に従い、マイルームへと続く廊下を歩く。
随分と笑ったものだ。
今日はきっといい夢を見れる。
そんなことをぼんやりと考えながら歩く。
そういえば。
――
「――マスター!」
どこか聞き覚えのある可愛い声が俺を呼んだ。
聞こえた呼び声に振り向けば、黒い洋装のかわいらしい少女が息を切らしながら走ってくる。
「もう、マスターったら約束の時間はとうにすぎてるのよ?」
傍で立ち止まった人形のような可愛らしい少女は、いくらか怒りのこもった瞳で俺を見上げた。
はて、約束。
なにかこの少女と約束をしたのだろうか。
「まぁ、ひどいわ!」
信じられないモノを見たと言わんばかりに目を大きく見開き、そしてすぐに頬を膨らませ不満を表す少女。
その姿に罪悪感を覚え、頭を捻るも約束は思い浮かばない。
「むー……約束したわ。今日はわたしと一緒にお茶会をしてくれるって!」
――お茶会。
その言葉に、霧に覆われていた思考が鮮明になるような感覚が走る。
そうだ、俺は確かにお茶会の約束をしていた、はずだ。
なぜ忘れていたのだろう?
大事な約束だったのに。
などと自問自答している場合ではない。
まずは少女に謝らないと。
腰を屈め目線を合わせて、すまない、思い出したと言うも少女の機嫌は治らない。
「許してなんかあげないわ。マスターったら忘れるなんてひどいんですもの!」
ぷんぷんという擬音が聞こえそうなほど頬を膨らませている。
謝罪の言葉だけでは足らないようだ。
ならばさらに押すのみである。
音でたりないのなら物を足せばよい。
――俺の分のお菓子もプレゼントするから許してくれ、と。
「――ケーキじゃないと許さないわ」
もちろん、ケーキは君の物だ。
必要ならチョコだってつけちゃうぞ。
「素敵!ケーキにチョコレート、クッキーだっておいしいわ!マスター、なにしてるの早く行きましょう!」
先ほどまでの膨れっ面が嘘のように、輝く様な笑顔で俺の手を引いてくる。
「お茶はなにがいいかしら。素直に紅茶?ハーブティーもおすすめよ?それともコーヒーがお望み?」
ここはあえてココアだな。
「まぁ!ミルクにお砂糖、生クリームもたっぷりと、素敵だわ!」
砂糖の海で溺れてしまいそうだ。
「うふふ――あ、そうだ。そういえばさっき……
それはもちろん――――――――――今日のお菓子のメニューさ。
「えぇ、えぇ!それは重要だわ!お菓子のことを気にしない日なんてないものね!」
あぁ、楽しみだ。
少女と二人、手を繋いで草原へ。
太陽は高く、風は穏やかに。
今日も明日も明後日も。
お茶会はきっと終わらない。
ギャグが好きです
――ヤンデレは大好きです。