闇組織の一角をたった三人で壊滅させることに成功した三人は夾竹桃が目を覚ましたと聞き病院へと向かう。道中雨をしのぐ為に入った商店街で修一は夾竹桃の誕生日について思い出していた。
shuichi side〜児童保護施設内〜
夕日が曇天に再び覆われた空を見ながら、俺は買ってきたようかんを一口食べる。ほんのりと甘く独特の食感が懐かしく感じられた。
保護者のいなくなったこの場所は前回来た時のように子供達の楽しそうな声が聞こえるわけではなく、ただしんと静まり寂しい印象を受ける。風に揺れるブランコが哀愁を漂わせた。
「………」
緑茶の入った湯飲みを持ち、もう一つの湯のみにカチンと合わせる。
あの時小林さんが座っていた前に置いた湯のみ。それを手にする人はもういない。
「あんたの過去であの子達が傷つくことはなくなったよ。…だからさ、あいつのこと許してやってくれるよな?」
俺は小林さんの湯のみを持ち、一口飲んだ後、バッと公園に虹のように振りかける。
小林へのせめてもの手向けとして…届いてくれればいいが。
代わり映えもしない曇天の空を見ながら、そんなことを思っていると…
後ろから、人の気配を感じた。
「………お?…お前確たしか…」
「………岡崎修一。お前に聞きたいことがある」
そこには
洒落た帽子を被った銀髪の女が立っていた。
ーーーーー
〜病室〜
「きょーちゃん?起きてるー??」
「失礼するぞ」
雨の降る空を見ていると、病室に理子とジャンヌが入ってきた。下のコンビニで買ってきたらしいお菓子をもうすでに開けて食べている。相変わらずね。
「起きてるわ」
「怪我の調子はどう?」
「これくらい大丈夫よ。足に撃たれた矢もかすっただけだったみたいだし」
「そうか、大怪我でなくて安心したぞ」
理子とジャンヌはそれぞれ安心したような顔で近くの座椅子に座る。
「あの子達の新しい保護施設はもう登録終わったよ。これでもう、この事件で路頭に迷うことはないはず」
「それと児童保護施設を襲ったヤクザには制裁を加えた。こちらになにかしてくることもないだろう」
「………。」
ジャンヌがこの事件に関わっていたことは今初めて知ったが、理子が教えたのだろう。ジャンヌなら可能だと思うが……まあおそらくは…。
「きょ、きょーちゃん!小林が殺されたのは別にきょーちゃんの所為じゃないよ!悪いのは殺した鏡高組だからね!」
「理子の言う通りだ。もしあのセーラを夾竹桃が抑えていなければ子供達も危険だった可能性がある。あまり自分を責めるな」
無言だった私を見て2人は私が小林を守れなかったことを後悔していると思ったのだろう。2人が慌ててフォローしてくれる。
私はそんなことで後悔するような人間じゃないと、2人は分かっていたはずだけど。
「なに慌ててるの?私は別になんとも思ってないわ。小林は前の贖罪で殺されただけ。自業自得よ」
私は本当に思ったことを言った。間違っていない。
「あ、そ、そーなの?ならいいんだけどね」
本当に慌てていたらしい理子が安心したように息をはいた。
…まったく、あの男と関わってからの理子はちょっと普通の人の反応になってきてるわね…。まああの男といたらわからない話ではないか。
「あ、そうそう!それとね、子供達もきょーちゃんに会いたいって言ってたよ。あの子達からこっちに来るのは難しそうだけど、退院したら行ってあげて!」
理子が空気を変えるようにテンションを上げて言ってくる。それは、理子が手続き等を半日ほどで終わらせてくれたあの子たちのことだった。
「………。」
素直に、理子の提案は嬉しく感じた。あの子達にまた会えるなら会いたいと思う。
そう、思う。
だけど…
「………やめておくわ」
「え、ど、どうして?」
私は、もうあの子達には会わない。そう決めた。
会ってはいけない。
そう、思った。
「会いたくないからよ。もともと面倒に思っていたもの。これであの子達と離れられるならむしろ幸運に思うわ」
「……ふーん」
「まあ、夾竹桃ならそれが普通か…」
理子もジャンヌも『イ・ウー』時代の私を知っている。
残虐で、非道で、相手の不幸など考えず、ただ自分だけのために行動する私を。
その私を知っていて、あの子達と触れ合った時間を知らない二人なら私の言葉に疑問すら感じないだろう。
私でも岡崎と理子の関係を知らない場合に「岡崎はただの手駒だったから捨てていい」と言われればその程度の人間だと信じるだろう。それと同じ。
「だから、もういいのよ」
そう、これでいい。
あの子達に不幸を与えた私。
それを自分自身が与えるとわかっている今。
あの子達にとって私は唯一、恨むことのできる存在。
最低で、最悪で、近づきたくないと思える存在。
力を持っていながら、あの子達の大切な人を護れない私のことをそう思ってもおかしくないと思う。
だから私はもう、あの子達と会わないほうがいい。
これ以上あの子達に関わらないほうがいい。
いくら私が心から謝りたいと思っても、それで幸福な世界にいる人とは分かり合ってはいけない。
関わってはいけない。これ以上幸福な世界の子達に不幸を与えないように。
それが私の考えで、
私なりの答えだ。
「よっ」
その時理子が携帯を取り出し耳に当てた。…ここ、通話禁止の場所なんだけど?
「あーもすもす、りこしゃんです。今どこいるの〜?…え?なんで?
………まあ、そう言うならそれでいいけど。あ、それよりさ、きょーちゃんがあの子達に会いたくないーって。…だから、あとよろ!」
理子はそう言うと、私に携帯を渡してくる。
「んじゃ、りこりんはまたお菓子買いに行ってくるだす!1時間くらい選んでくるから、携帯預かっといて!ほーら!ジャンヌも行くよ!」
「ん?私は別にお菓子はいらないぞ?」
「いーから!はやーく!」
「?」
そして、疑問符を浮かべるジャンヌを押して病室から飛び出していった。電話越しの相手と2人きりにされてしまったようだ。
…まあ、相手はなんとなくわかるけど
こういう時、理子が頼りにする相手なんて1人しかいない。
「…もしもし?」
『馬鹿かよお前』
「切るわ」
『待て待て』
耳に当てて一秒。切ろうかと本気で思った。この男であることは予想できていたが、最初の一言は流石に予想外だ。
「私にいきなり馬鹿なんていい度胸じゃない、岡崎」
『でも本当にそーだろ。なにがあの子達に会わないだ、アホか』
馬鹿にアホと、初めて言われた言葉に少し驚き、少し言葉が詰まった。
ただ、いくらあの場所のことを知っている岡崎だからって、私の考えは変わらない。もう私は答えを出している。
「…元々あの子達はただ邪魔な存在だったじゃない。それが丁度切り捨てられるのよ?むしろラッキーじゃない?」
『だーかーら俺はお前に馬鹿だって言ってんだ』
岡崎は変わらないトーンで私を罵る。流石にここまで何度も言われると腹が立つ。
「さっきから黙って聞いてれば馬鹿馬鹿って、調子に乗らないでくれる?」
『だってお前、明らかに嘘ついてるじゃねーか』
「………っ」
岡崎の言葉に、心臓が1度跳ねたように感じた。
まるで私の考えていることが筒抜けになってしまっているように感じてしまう。
「…嘘なんてついてないわよ」
そう、嘘なんて、ついてない。私は私らしく、答えを出した。
「あの子達は本当にただの邪魔な存在で…」
最初から思っていた。ちよ達にアイスをあげたときから、邪魔で…
「あの子たちの親が死んだって、別に私には関係ない」
小林が死んだことで、私にはなんのデメリットもない。あの児童保護施設には新しい毒も、原稿のネタもない。死んだところでどうこう言う問題じゃない。私には、関係なくて…
「………。私はあの子達のことなんてなんとも思って…」
本当になんとも思ってなんか…
『だから、いい加減自分に嘘つくのやめろっての。分かってるから、そんなこと』
………。岡崎は私の言葉を遮りそんなことを言う。は?わかってる?私を??
「………私を勝手に理解しないでくれるかしら。そもそもどこを嘘ついたっていうのよ?」
『全部だ全部』
「………そんなこと……」
『あるだろうが。お前本当は
「………っ!」
私は思わず携帯を強く握りしめてしまう。それほど、岡崎の言葉は胸に突き刺さる。
『自分の普段の姿から想像もできないくらいあいつらに会いに行きたいんだろうが。
またあいつらとバカみたいに笑って、バカみたいにはしゃいで、おままごととか、泥だらけになって山作ったりとか、絵を描いたりするとか、お前らしくないことをいっぱいしたいって本気で思ってんだろうが。
いい加減『イ・ウー』の魔宮の蠍じゃなく普通のお節介お姉ちゃん夾竹桃として、俺の前だけでもいいから本音言えよ!』
岡崎の言葉が
私の中で
あの子たちとの、楽しかった数日を、あの濃かった数日の時間すべてをフラッシュバックさせ、私の答えを壊してしまった。
≪
『桃子おねーちゃん!いっしょにあそぼー!』
≫
「………楽しかった」
≪
『なー、ももこねぇ!この象はどうだ!?』
『かなり微妙よ。やり直しなさい』
『えー!?採点厳しいって!』
『ももこおねーちゃん、これはー?』
『GJよ。完璧だわ、ちよ』
『えへへー♬』
『あ、おい!差別だぞ!』
≫
「楽しかったわ、楽しかったわよ……。あなたの言う通り、本当はすぐにでも会いに行きたい。またあの子たちと、おままごととか、お絵描きするとか、私らしくないことをまだまだいっぱいしたいって思ってる」
ほろほろと目から涙が流れてきているのに気づいた。『イ・ウー』の私では考えられないことだ。そう思っても涙を止めることができない…。
「それから、あの子たちに……『小林を護れなくて、ごめんなさい』って一言、謝りたい……。
あの子たちの大切な、お父さんを、守れなくて、ごめんなさいって……」
そう、岡崎の言ったことはすべて正しかった。私は外見を取り繕って、『イ・ウー』の私として見栄を張っていた。だけど本当は、あの子たちと別れるのが辛かった。辛い、けど……
「でも、だからこそ駄目よ。会ってはダメ。私があの子たちにこれ以上関わるのは、絶対にダメなの。
私はあの子たちが知らないほうがいい世界に住んでいるのだから、これ以上一緒にいるといつかあの子たちに迷惑がかかる。だからもう……」
私は、思っていることすべてを彼に伝えた。私が一番心配しているのはここだ。私の考えの通りなら、あの子たちにこれ以上関わると必ず不幸を与えてしまう。それだけは本気で止めないといけない。例えそれが、あの子たちから離れることになったとしても……
『ったく。変なとこで自分の考え変えてんじゃねーよ。
「………っ!」
彼の言葉がまた、深く胸に響いた。こうも人の言葉に揺れるなんて始めだ。どうしようもなく胸が波打つ。
私はいま、自分で彼に行ったことをそのまま返されてる。彼を励まそうとして、彼のために言った言葉が私自身に返ってきた。
…そう、よね。
本当の私は、残虐でも非道でもなくて、
ただ、自分の欲求を満たしたいだけの……
『だからまあ、会いたいなら会いに行けばいいじゃんか。変に難しく考えすぎんな。…っとついた。一旦切るぞ』
「え?あ、ちょ…」
突然ブツッと通話が切られた。最初は思わず驚いてしまったが冷静に考えて、
どこに行っていたかは分からないが、この病院についたのだろう。
それから約5分後……
「どーよ調子は?」
なぜかニコニコと笑っている岡崎が病室に入ってきた。……理由はおそらく、私の本音が聞けたからだろう。……言わなきゃよかったかしら?
……もちろん嘘よ。
「まあ、悪くないわ」
「そっか」
「……ね、岡崎」
「なんだ?」
私は、彼がここに来るまでに考えていたことを言葉にする。まあ、こいつのことだから言わなかったら言わなかったで「お前の言いたいことわかってる」とかまた言い出しそうだけど。
でも、これだけは言葉にしたいから
「……退院したら、あの子たちに、会いに行ってみようと思うの……一緒にどう?」
「乗った!」
もう、難しく考えることは辞める。そして、自分のしたいことをしてみようと、私は思った。
ーーーーー
「腹減ったな。あと喉乾いた」
「ヤクルトならあるわよ。飲む?」
あれからしばらく、行く日程などを決めていると急に岡崎が自分のおなかをさすった。
「おお、くれくれ!」
昼の食事の時に出てきたヤクルトは確かタンスの中に入れておいたはず…
「…あ」
「どした?もしかして理子に飲まれてた?」
「いや、これ渡すの忘れていたわ」
ヤクルトをしまった棚の中に、プレゼント用に包まれた紙が少し破けてしまっているマグカップを見つけた。かずきへのプレゼント用に買ったあのマグカップだ。私がセーラに負けて気を失った場所に落としたままだと思っていたのだが、拾って入れておいてくれたらしい。
「ああそれか。…改めて考えてさ、やっぱ男にそれはないかもな」
「…確かに」
プレゼントで男の子に可愛いマグカップってのも変な話か
…でも仕方ないでしょ。私が渡すことなんて初めてだし、もらったことすらないのだから。
そんなことを考えていると、急に岡崎がなにか思い出したような顔をすると、わたわたと手を動き始める。…?
「…そういや夾竹桃さ。なんかチラッと言ってたけど、お前自分の誕生日知らないの?」
「…?ええ、知らないわ。物心ついた頃には保護施設にいたし。その時から1人だったから別になんとも思ってなかったわよ」
「つまり、ぼっちだったと」
「………。」
当たってるけど、岡崎に言われたらイラッとするわね。あなただって1人が多いじゃない。なんなの?それをわざわざ言いたかったの?
「………うっし」
「?」
岡崎はなぜか気合いを入れるような素振りをすると、立ち上がり両手を広げた。
そして
「んじゃーさ、
「………は?」
突然、とんでもないことを言ってきた。…いや……は?
「前会った時から思ってたんだよ!無いんならもう作ってしまうしかねーだろ。はい決定!今日がお前の誕生日!いえーい!」
身振り手振りを大げさにしながらまるで理子のように勢い任せにそんなことを言う。…いや、本当に待ってほしい。
「一体どこをどうしたらそういう話になるのよ?そんな馬鹿な話を勝手に…」
「うっさい!いいから聞きんしゃい!」
岡崎は私の話を聞かず、椅子の上に立って私を指さした。
「いいか夾竹桃!今ここで誕生日を決めたってことはつまり
「……。」
そんな無茶苦茶な…。そんな今勢いで誕生日を決めたぐらいで変わるなら苦労しないわ。というか強引すぎてついていけない。そんなあっさり決めるものでもないでしょう。無理矢理すぎて軽く笑ってしまいそうになる。
だけど、
「だからよ
さっきみたいに、もう1人でいろいろ考え込むな。幸せな人間らしく、俺にも相談しろよ」
「………っ」
岡崎の言いたかったことがなにか、わかってしまった。
彼は、私にも普通の生活ができると言いたいんだ。
…こんな私でも、幸福な世界で生きていいと、胸を張ってあの子たちに会いに行ってもいいと、そう、言いたいんだ。
でもそれは出来ない。散々考えて、悩んで、それでも過去は消えないのだから。私がそちら側に行くことなんてできない。
はず、なのに…
「…あなたって、バカよね。そんな、誕生日を決めただけで、私の過去が、過ちが、消えるわけ、ないじゃない…」
内心、期待してしまっている私がいて、言葉が途切れ途切れになる。
もしかしたら…
もしかしたら…
「別に消すことねーだろ。過去の過ちがあってのお前だろ。だったらお前らしく生きるならそれを受け止めるべきだ。でもそれでお前が幸せになってはいけないなんてことには絶対にならないって」
「………」
……過去を消すことはない、か。
過去を消そうとする行為が、その行動が幸福な世界から自分で遠ざけていっていたと岡崎は考えてるのね。だから私は同じことを繰り返していたと。
そう、かもしれない。
…そう思うと、自然と心が軽くなったように感じた。
「…いいの?………私が、散々人に不幸を与えて、苦しめた私が、『幸福な世界』に、生きてもいいの?」
「だからそれが難しく考えてるんだってのに。んなこと言われても上手く俺が答え切れるわけねーだろ。
でも、それが理由でお前が肩身狭く生きる必要なんてないってのはわかる。だからさ…」
「誕生日、おめっとさん」
曇天の曇り空が晴れ、夕焼けのきれいな日差しが、病室を、私を包み込んだ。開けていた窓からサァァ……と風が吹く。
岡崎が私にそう言いながら渡してきたのは、あの日、私があの子達と出会うキッカケになった、あの…
一本の、『Happy Virthday』と黒のマーカーで持ち手の部分に書かれた筆だった。
「前に壊したやつ無くしちまってさ、よくわかんなかったから感覚で買ってきたわ。安もんだから気使うなよ?」
「………」
私はただ黙って手の上にある筆を見ている。正直、第三者から見たら嫌なプレゼントだろう。
書いてある単語は相変わらず間違ってるし、
マーカーで書くとかセンスないし、
筆の色も好みじゃないし、
筆の毛も全然好みじゃない
安いものなんて欲しくないし
そもそも壊したのは岡崎自身じゃないの
そんな風に思ってしまうだろう…
でも
「………あ、あり、がとう………!」
このときの私は、本当の笑顔で岡崎を見ることができていたと思う。
それほどまでに、私の心は喜んでいた。まるで子供心が蘇ったように、声も高くなってしまう。
こんなに嬉しい贈り物は、生まれて初めてかもしれない。
本当に、本当に嬉しい。
私らしくなく心が踊った。たった一本の筆が、手に持つ筆がとても重く感じる。初めてのプレゼント。
私への
この『証拠』がとても嬉しかった。
(……理子が、岡崎を信頼する理由、少しわかったかもしれないわ)
私は内心で、そう言ってくれる人を探していたのかもしれない。
まあ、岡崎だとは思いもしなかったけど…でも
悪くない。
「おう、気にすんな」
初めてもらったプレゼントは、小さくても、とても大きく感じられるほどに、私の心を打った。
ーーーーー
「これ、いつ買ってたの?この前?」
「まあさっきちろっとな。あ、そうそう実はよ。その筆の『はっぴーばーすでー』の前にさ『夾竹桃』って書きたかったんだけどよー。漢字分かんなくて書けなくてさ。きょうちくとうってどー書くの?」
「あなた、本当に高校生?」
「真面目なサイカイ高校生だっての。つーか普通の高校生も普通わかんねーよ」
「…はぁ、こうよ」
私は近くのメモ用紙に書く。…本当に馬鹿ね岡崎って。
「ふーん『夾竹桃』か。…改めて考えると夾竹桃って変な名前だよな。どこまでが苗字でどっから名前なん?」
「あなたそれ本気で言ってるの?夾竹桃は『イ・ウー』でのハンドルネームみたいなもので、本名は別に決まってるじゃない」
「え、そーだったん?んじゃあ本名はなんて言うの?」
「………」
「………どした?」
どうしてだろう。面と向かって岡崎に言うのが…
その、少しだけ恥ずかしい。ただ名前を言うだけなのに…どうして?
「…鈴木…もも、こ」
「あ?鈴木、なんて?」
「だから鈴木…桃…よ」
「鈴木
岡崎は嬉しそうに頷きなんども桃、桃と呼んでいる。…いや待って。
「は?ちょ、ちょっと待ちなさい私は桃じゃなくて桃子…」
「んじゃあこれから夾竹桃じゃなくて桃な!よろしく桃!」
「いや、だから違うって…」
「桃ってなんかいいな。呼びやすいしわかりやすいし」
「……そう、ならもうそれでいいわ」
岡崎は私の呼び方をもう『桃』で決定したようだ。…誤解してるのだけど…
不思議と悪い気もしない。むしろ、呼ばれた時ちょっとだけふわっとした感覚になった。よくわからないけど、嬉しいに近い感覚かしらね。呼び方が変わるだけでこんな気持ちになるなんて、知らなかった。
呼び方、か…。
「………しゅ」
試しに呼んでみようとしたが、最初の一文字で止まってしまった。これじゃ、ただアヒル口の私を見せただけじゃないの……。
「しゅ?」
「………しゅ…ぃ……」
二度目のトライも失敗。なぜか顔が熱い。口元がひくひくと動くだけで声を出せない。…どうして…
「あ?なんだって?」
「………岡崎……」
…こんなに難しかったかしら。その…面と向かって人の名前を呼ぶって。こんなこと、初めてだわ。
「なに?」
「その………あなたって理子からなんて呼ばれているかしら?」
「あ?…しゅーちゃんか、修一?」
「そうよね。神崎・H・アリアからは?」
「修一だな。それがどうした?」
「…いや、別に」
岡崎は全く意味がわからないと言った感じで首を傾げている。
そう、よね。あの2人が呼べて、私が呼べないなんてことはないはずよ。
できるわよ。呼べるわよそれくらい。馬鹿にしないで。
…。
でもこのままじゃ呼ぶなんて無理よね…。
じゃあ
「その…あなた、私に呼ばれたい呼び方とかあるかしら?」
「…は?」
「だから、呼び方よ。この筆のお礼にこれから貴方が私に呼ばれたい呼び方で呼んであげるわ。…岡崎でいいならそれでいいし、その、他の呼び方でもいいわよ?」
「あー呼び方ねぇ…俺あんまし気にしたことないからなあ」
これなら岡崎自身から言って欲しいと言われたという大義名分ができる。これでなら今の私にだって呼べるはず…
「じゃあ『先輩』」
「は?」
キラキラした目でそう言ってくる岡崎に私は思わず素で返してしまった。いま、なんて……?
「だから『先輩』だって。せ・ん・ぱ・い!考えてみろって、桃みたいなお姉さんっぽくて頭良くて美人でスラッとしてる正直格上の相手からだよ、『せんぱい♡』なんて呼ばれるんだぞ!俺死ねるわ…!それに俺年下の後輩持つの夢だったし、廊下とかで「せんあぱーい♡」とか声かけられたいしそれに…」
「……。」
…本気のアホねこいつ。なんでそれにしたのよ。内容がほんとにくだらない、先輩♡なんて馬鹿みたいに私が呼ぶわけないでしょ?
…それに私本当は貴方より年上なのよ?お姉さんっぽいんじゃなくて、お姉さんなの。むしろあなたが私を先輩と呼ぶ方が普通なのに。
まだ先輩と私に呼ばれたい理由を長々と話す彼。そもそも、そんな脳内妄想、女子の前で話すことじゃないと思うけど…
「………くすっ」
なぜか、笑ってしまった。なんというか岡崎らしいかなと思ってしまい、こいつならそれが普通よねとも思ってしまった。そう呼んで欲しいと、あなたがそう望むのなら…
「そう、わかった。これからもよろしく、『先輩』」
「やった!よろしゅー、後輩『桃』!」
そうして、私と彼の本当の呼び名が決まった。悪くないわね、こういうのも。
ーーーーー
それから先輩は『やっべ、人待たせてるんだった!あ、ジャンヌが戻ってきたら俺の家来てちょって言っといて!』と言って出て行った。全く騒がしい男よね先輩。…最初からだったわね。
まだ先輩と話して45分しか経っていないことに驚く。ずいぶん長い45分だったわね…。
私は窓の外のきれいな夕焼けを見ながらこの胸のぽかぽかしたような感覚を味わっていた。
これは体験したことのない感覚だ。なんなのかしら……これ?
「……いや、まあわかってるんだけどね」
恋愛作品や、愛読本を読んでいるときに感じたことがあるこの感覚に、もう嘘つくのはやめよう。これ以上否定しても無駄ね。
《
『こんなこと、昔の私なら誰にも言う気なんて起きない。誰かと楽しく時を過ごしたり、誰かが仲良くしているのにちょっかいを出したり、誰かを本気で励ましたり・・そんなこと、考えられない。考えられないのに、気づかないうちに言ってしまっている。
それに対して全く嫌な気分ではなく
むしろ・・・?
》
「気のせいじゃなかったってことよね。私が、あんな変態先輩に、ねえ……。正直、認めたくはないけど……」
言葉ではそういうものの目の前の机に置いている鏡から見える私の顔が少し笑っている気がした。
悪くない、そう思った。
ーーーーーーーー
~男子学生寮~
『おーっす、悪かったな待たせ…てぇ!?』
『おかえりなさい』
『…おい、こりゃどーゆー状況だよ…!なんでちょっと離れただけで俺の家がこんなグチャグチャになってんだ!』
『あなたが好きにしていいって言ったから、部屋の掃除してた』
『それでどーしてこーなる!悪化してんだろうが!』
『…それより、冷蔵庫にブロッコリーがない。どーなってるの?』
『知るかよ!あーもう!こんな部屋にジャンヌ呼べるかっての!片付けるぞ!手伝え』
『…めんどい』
『ぶっ飛ばすぞこの野郎!!』
修一優しくしすぎたかな…なんて思う銀pでございます。
今回の話でようやくヒロイン全員の話が終わりました〜やったー!正直考え深いものです。まあ最終章前にこうなるのもおかしな話ですがね。
誕生日プレゼントは、「生まれてきてくれてありがとう」という気持ちが込められてるらしいです。まあ、修一くんがそこまで考えて渡してきたとは思えないですけどね笑
さて、夾竹桃の表情、感情をまるっと変えた誕生日イベントでしたがいかがでしたでしょうか?夾竹桃にはどういうイベントがあれば、ああいう感情になるかと考えた結果こうなりました。『イ・ウー』にあの年齢で入る人は皆、自分以外を上手く信じきれるような人ではないとかなと思い、信じれるような人を作りたいなと思った結果です。
筆に関しては6章の1話、2話をご覧いただければと思います。
今回の6章の初めでは夾竹桃の今までの悩みを、そして今回の回で自分なりの答えを出します。まあその答えを修一はすぐに否定しましたが、彼女なりのあの答え、実際間違ってはいないと私は思うんです。人を想って自分の行動を制限する。それも立派な人間のやり方のような気もしますし…まあ人それぞれの考え方の違いととってもらえればいいかなと思います。
では、エピローグその2でまたよろしくお願いしますね!
ではでは〜