ニヤリと笑うアリス。それきり彼女は目を閉じて動かなくなった。その場の誰もがアクションを起こせずに固まっていた。唯一その空気を創り出したリリィだけが冷静に場を観察しているようだった。
今私の感情を表すならば、歓喜ではなく戸惑いや驚愕だった。リリィが戻ってきたことは嬉しいが、何故このタイミングで?何故サタンが倒せてないのに?という疑問が先に頭に浮かんだ。そんな私に気付いたのか、リリィは微笑みかけて口を開いた。
「レミリアお姉さま、心配かけてすいません」
「・・・貴女、リリィ?」
「と、言いますと?」
ぎこちない口の動きで言葉を発する妹に違和感を感じ、思わず問いかける。するとリリィは少し驚いたように目を見開き、その次に見せた笑顔は少し悪戯っぽかった。
「伊達に家族じゃないね、結構似せたつもりだったんだけど」
「じゃあ、貴女はリリィじゃないの?」
「いいや、私もリリィだよ」
まるで意味不明な言葉のやり取り、しかし私は彼女の意図するところがよくわかった。今までの人格ではない、もう抑えるべきものがない役割の済んだ『彼女』はいなくなったのだと理解できた。彼女が呪縛から解放された証なのだろうか、私にはわからないが彼女の笑顔が見れるだけで満足だった。だが今はそんな感傷に浸っている余裕はない。
フランの方を向くと彼女も緩んでいた表情を引き締め敵の方を向く。この場の敵意を一身に受けるヤツは――――――。
「久しぶりだな我が憑代、貴様と顔を合わせたことは・・・まあ、あるわけがないか。私が出ていこうとするたびによくもまあ上手く封じ込めてくれたものだ。貴様の中にいるせいで私も自由に動けなかったぞ」
ギリッと口の中で牙が軋む。勝手に侵食しておきながらなんという言いようだ、もう少しで怒りに任せて攻撃を仕掛けるところだった。しかしリリィはその言葉を気に留めるでもなく、ただただ無表情にサタンを見つめていた。
「初めましてって挨拶、知ってる?」
「随分と冷たいじゃないか、少し前までは二心同体だっただろう?」
「私は御免だったけどね」
迂闊に攻撃を仕掛けてはならない。ヤツの挑発に乗ってはならない。フランも私も必死に耐えながら決して言葉に耳を傾けまいとする。
しかしそこで違和感に気付いた。リリィには片翼しかないはずだった、それが何故か生えていないはずの背中に3枚の翼が見えた。それは吸血鬼のそれとはまったく異なる、魔力の塊のように感じられた。
「で、いつまで時間稼ぎをするつもりだ?」
最初から分かっていたようにヤツがアリスの方を指差す。先ほど美鈴に目で合図しアリスの治療に当たってもらっていたが、それはもう済んだようだ。瞬時に状況を把握できるほど自分が落ち着いているのに少し驚きながらも、ほぼ無感情に長年の敵を見つめていた。
「それとも援軍を待っているのか?」
ヤツがちらりと私の後ろを向く。私が感じていた気配は気のせいではなかったらしい、振り返るといくつか見慣れた顔が並んでいる。まさかいるとも思っていなかったような人物の顔も見える。
「咲夜・・・それに松前?」
「天魔様の命により参上致しました。それと死ぬ前に有能な部下は回収しろとの命も」
咲夜の隣には天魔の右腕、烏天狗の松前が立っていた。松前の言葉に文は唇を尖らせてそっぽを向いた。見た目はボロボロだが、それぞれ思ったより余裕があるようだ。信頼できる仲間を持てたおかげで私はこうして落ち着いて決戦に臨める。
「たったの二人で良かったのか?」
「と、言うと?」
「援軍の話だ。てっきりこの土地からかき集めるものだと思っていたのだがなぁ」
「心配には及ばないよ、私一人で十分だから」
「・・・なに?」
その場が騒然とする。侮られたサタンは怒りを露わにしている。今更だが随分と立派な体を貰ったものだ、それはアリスの人形に宿った姿だろう。計画通りではあるがある説では悪魔の王とされる者の貫録は凄まじいものである。しかし私も無策で突っ込むほど馬鹿ではない。
「私一人と言うと語弊があるけどね。それでも表に出るのは私一人」
「はったりならやめておけ、恥をかくのは思うところではなかろう?」
「この翼を見ても同じことが言える?」
滑稽だとばかりに笑いをこらえるサタン。しかし私の言葉で初めて気付いたかのように翼のあるはずのない方を見、そしてヤツの表情は固まった。その表情を見て私の不安は拭い去られた。
「やっぱり、切り札は最後まで隠しておくもんだね」
「ルシファー!魔界神の狗め、牙を抜かれた駄犬に成り下がったか!」
「それは負け犬の遠吠えとして受け取っていいのかな?」
歯軋りが響く。しかしすぐに表情を変え、余裕の笑みを取り戻した。あくまで自分の力に自信があるのだろう、いくら悪魔の力を借りたといえど自分に敵うはずなどない。そんな内心が受け取られる顔だ。
「さて、始めようか。貴女の降臨と失墜を祝って!」
「ほざけ!」
刹那。魔力は高まり周囲の草木や石を砕き、力の奔流が辺りを包み込む。そして悪魔の力と悪魔の力がぶつかり合った。
「アリス!アリス!」
「うっ・・・咲夜?」
「早くこっちに!巻き込まれるわよ!」
目を覚ました瞬間感じる悍ましい程の二つの魔力。そのどちらもどこか感じたことがあるようで違和感を覚えた。しかし今は咲夜の言う通り巻き込まれないようにこの場を離れるのが最適のようだ。
「ぐっ・・・体が軋むわね・・・」
「ぼさっとしない!」
横から聞こえたのはパチュリーの声だ。魔力で風を起こしてくれているのだろう、飛行が楽になった。そうしてしばらく上まで飛んでから改めて下の状況を把握しようと見降ろす。そして一番初めに目に入った物はリリィにあるはずのないもう片方の翼だった。そして私はその翼に見覚えがあった。
「あ、あれは!」
「アリス、何か知っているのなら今のうちに教えてくれると助かるのだけれど」
あの3枚の翼は私の知っているものと全く同じものではないとしてもソレに酷似したものだった。私の知っている神様、或いは創造神とも呼べる存在。私の故郷で唯一創造する力を持っていたいわば生みの親。しかしリリィから感じられる力はそれとは程遠く、魔界の悪魔の力に似ている。尤もそれをさらに濃くしたような普通の悪魔では決して出し得ないような力だが。
これで全て繋がった。どうしてここまで一目見た時から私があの子に関わろうとしたのか、魔法使いらしくないと思いながらも一切躊躇なく接することが出来たのか、それはリリィからあの人と同じ気配を感じ取ったからだ。神でありながらも良いように魔界の住人に言いくるめられたりお人好しだったり、そんなあの人が困っていると直感したからなのだろう。たとえそれが無自覚であったとしても、魔界人にインプットされた物であっても、結果私はリリィのために動いた。懐かしいあの人の匂いがしたから。
「ちょっとアリス、何か言いなさいよ」
「・・・ううん、ただ自分の中の疑問が一つ解決しただけ」
「そう、関係ないならいいわ」
パチュリーはあまり余裕がないのかすぐに私の言葉を流した。私もパチュリーの目線を追って現実に意識を引き戻す。下では今もリリィが激戦を繰り広げている。一歩もサタンに引けを取らないのは悪魔の力だけでなく彼女の単純な戦闘能力によるものでもあるのだろう。トリッキーな動きの戦いをさせれば彼女の右に出る者はいないほどだ。
「いくら吸血鬼とは言え流石に動きが滑らかすぎる・・・彼女の能力の一つ?」
「おそらくね」
私はパチュリーの呟きに応える。リリィから聞いた積の種類による効果の例を思い出す。
傲慢は『上限解放』。行動範囲やリミッター、術によって制限された動きの緩和などが一例。
憤怒は『反射・抵抗』。相手の攻撃をそのまま返したり無意識的な反撃システムを構築することができる。
そしてもう一つは暴食。彼女からは詳しく聞かされていないが切り札なのだそうだ。
「ふぅん、随分と仲が良かったのね。嫉妬しちゃうわ」
「魔力は回復したの?今日はよく喋るのね」
「最近は消費を抑えてたのよ、もしもの時のために」
思えば彼女はリリィの暴走に結界を貼っていたのだから、彼女の最近の症状については詳しかったはずだ。なるほど、このような事態も想定していたというわけか。
リリィは上手くサタンの攻撃を躱しながら細かい攻撃で体力を奪う作戦のようだ。細かい攻撃と言っても悪魔の力を得たリリィの力はその一つ一つが確実なダメージを与えているように見える。それでもサタンの攻撃は躱し切れず、その分は再生力で補っている。一言で言えば”ゴリ押し”だ。
「リリィ・・・」
少し遠くでレミリアが拳を握りしめる。妹の戦いに手を出せないことがわかっていて思いが張り詰めているのか、悔しいのか、難しい表情で見降ろしている。私も同じような思いで視線を向ける。
「貴様、何を待っている?」
「どういう意味?」
「とぼけるな!」
たかが憑代に。たかが悪魔の力を借りただけの劣等種に互角の戦いを強いられる。そういう風を装ってきた。それは奴がまだ何かを隠していたからだ。ルシフェルの加護、それは天使と悪魔の二面性を持つ物だ。迂闊に踏み込んではいけない、此方が不利である状況に見せかけて相手の手札を全て見てやろうという魂胆だ。
「何を隠している?」
「貴方の方こそ」
こちらが力を温存していることはばれているらしい。だが今重要なのはそこではない、奴の隠しているものの正体だ。
「やっぱり同格の悪魔だと警戒しちゃう?」
「挑発に乗せようとしても無駄だ、貴様の力ではどのみち私には敵わない」
「そう」
しかしそれきり口を閉じる。ならばそのまま屠るまで。力を出し切らずにチャンスを逃したと悔いながら死ぬがいい。
「っ!?スピードが・・・」
「遅い!」
予想を上回るスピードだったのだろう。驚愕の表情を横目に頭から地面にたたきつける。そして再生する間もなく魔弾を打ちつける。
「念入りに殺しておかねばな」
再び手を翳す、その不安要素を消し潰すために。が、ヤツが埋まったはずのクレーターから一閃、黒翼の一枚が肩に刺さる。その翼は次第に形を変えて、黒い煙で奴と繋がっていく。
「捉えたよ」
その表情はボロボロでありながらも、勝ちを確信した表情。再生力に魔力を回すことをやめたようだった。
「こ、この力はッ・・・!」
この力は、この悪魔の力は。
「なんてことはない、私が力を借りた悪魔は一人じゃないのさ」
『暴食』の象徴とされる悪魔。その名は――――。
「『ケルベロス』、貴様の肩にくらいついている形の名前だ。そしてそれを象る私がベルゼブブ」
「貴様・・・体を・・・!」
「乗っ取りはしない。危うく貴様の甘い契約内容に騙されるところだったんでな、借りを返そうというわけだ」
「何故だ!なぜどいつも悪魔らしく振る舞わない!いつから言うことを聞くような愚者に成り下がった!」
「愚者は貴様だ、サタン。悪魔の契約の穴をつくまでは良かったが、契約違反まで犯すとはな。未練がましく契約者の子孫にまで憑りついたのが間違いだ」
「・・・ッ貴様、まさか」
「ああ、魔界神にお前を売ることで私達は魔界神に赦しを得られるわけだ。もちろん存在の有無を問われてはいない」
魔界神が私の企みに気付いていたのは計算外だった。なんということだ、このためにわざわざ憑代の契約を重くしたというのか。そして存在の有無を問わないということは消滅していても構わないということだ。
「なるほど、貴様の力で私を深淵に放り込んでしまおうというわけか」
「そういうことだ。その役割は宿主に任せることになっているがな」
そう言い残すとベルゼブブは消えていった。憑代に意識を返したのだろう、力が緩んでいない辺りそのまま力を宿させたのだろうか。悪魔の、それも二体の力を宿しながら人格も身体も正常に保っていられるこの吸血鬼は、やはり特異だったのか。
「そういうわけ。じゃあ―――――」
「『