自我、という言葉には人それぞれの解釈がある。自分の意識、自分の意識、自分の残した結果、そのどれも否定するには定義というものが必要になる。そして定義とは世界が決めるものでも支配者が決めるものでもなく自分が決めるものだ。
『私が好きな色ですか?それは・・・
何年前のことだろうか。それとも何百年前のことだろうか。誰に聞かれたかもわからない質問に答えた何でもない一言。それすらも覚えているといえるかわからないが、私は紅色と答えた。お姉さま達が好きな色、それが紅色だ。紅と書くが、読みは赤。レミリアお姉さまがそう言っていた。
『本当に?』
私の好きな色は紅色だったのだろうか。確かに綺麗で心躍るような色であることは間違いない。でも私はその口にした色を表せるかどうかと言われたらどうだろう。私はどの色が紅色だとわかるのだろうか。
思えば私は自分の意思で行動していただろうか。それは誰かにつられて、誰かに頼って動いていなかっただろうか。
『私に任せておきなさい、リリィ』
私が迷いを瞳に浮かべた時、決まってレミリアお姉さまは私に声を掛けてくれた。それだけで私は安心して頼り切っていたのだろう。そして何一つ自分の決断を下さなかった。
お姉さまがいいって言ったから?お姉さまが何とかしてくれるから?そうだ、お前は、私は、何一つ自分で動いたことなんかない。大事な時に結局何もできない臆病者だった。
「信じる?嘘吐き、そんなの嘘よ。だって今まで貴女は、私は自分で何かを成し遂げたことなんてなかったじゃない!私のやって来たことは信じることじゃない!頼って、押し付けて、それで責任を放棄してきただけじゃない!」
傲慢、その名に恥じない身勝手さだ。それも私の一部と知りながらそれを否定せざるを得ない。自己嫌悪とも言える。
「私はもう嫌!そんな自分はもう嫌なの!貴女が・・・私が腐っていくのを見てるだけなんてもう嫌!」
「・・・そうですか」
私の叫びは私に届いただろうか。その呟いた瞳は少し沈んで、どこか嬉しそうに細くなったように見えた。
「なら私達が頑張らないといけませんね。私と貴女と・・・あの子で」
彼女の目の先に映るのは膝を抱え込んで蹲っている、生まれたばかりで外に出ることのできなかった私だった。
「私は裏切りませんよ、私もあの子も・・・貴女もでしょう?」
「これはちょーっと食べたくないかなぁ」
「見栄張った割に臆病なのね」
無縁塚、それは死人の集まる幻想郷の墓場。墓と言っても石がゴロゴロと置いてあるだけだが、墓石のつもりだろうか。
「食べたくない、だよ」
「やっぱり見栄じゃない」
私の隣にいるのは宵闇の妖怪だ。掴みどころのない、話も通じない面倒なヤツ。そんな印象しか抱いていない。私に殺されても死ななかった奴の一人でもある。
「君たちがこれを置いてくれたのかい?出来るだけ速やかに撤去していただきたいものだが」
その時視界の外から声がした。そちらの方に首を向けると鼠を象ったような見た目の少女が立っている。尻尾の先に提げた小物入れには数匹の鼠が詰まっている。
「・・・邪魔をするなら消えなさい」
「そんな怖い顔をしないでくれ。私では君たちに敵わないのを承知でお願いをしているんだ」
力もそこそこ、頭もかなり切れるように見えるが私の足元にすら及ぶとは思えない。こちらはあまり暇ではないので構っていることも出来ない。
「もう一度言うわ、邪魔をするなら消えなさい」
「話が通じないね、まったく。それとも無駄話をしている時間すらないのかい?」
「ええ、どう見えているかわからないけれど」
「それは失礼した。変に被害が出なければいいんだ、私の住処はこの辺にあるのでね」
そう言い残すと鼠は足早に去って行った。この場にいるには危険だと判断したのだろう。この繭を見るだけでそれは一目瞭然だ。
「幽香、もしかして思ったより焦ってる?」
「どうかしらね、今のところ変に動くことが出来ないのはもどかしいけれど」
焦りという感情とはしばらく無縁な生活を送ってきたものだから、この胸の内にある感情がそれに当てはまるのかもわからなくなってしまった。焦り、不安、そう呼ぶのなら存外私はあの少女に良い感情を抱いていたのだろう。
「私も友達が減るのは嫌だからね~」
「・・・貴女は心配?」
「もちろん」
本当に掴みどころがない。こちらの質問に答えているのも嘘か真実か判断することも出来ない。どちらであっても私にとってはどうでもよいのだから。
「私はいつも通りよ。いつも通り、私の思うままに動く」
「そういうスイッチの切り替えが出来るところはすごいと思うなぁ」
褒めているのかからかっているのか、少し考えて結局どうでもよくなった。そう、どうでもいいのだ、私の邪魔をするもの以外は。
今まさに無縁塚に向かおうとする私達に二人の来客が飛んできた。完全に予想外のその二人は、むしろ私達の思考が一転にしか向いていないことを気づかせてくれたとも言える。
「ふぅん・・・コソコソ動いてると思ったらこんな大事だったとはね」
「おいおい、大物揃いだぜ霊夢」
博麗の巫女と黒白の魔法使い、ある意味妖怪の動向に敏感なこの二人のことを忘れるとは。
「霊夢・・・悪いことは言わないわ、引き返しなさい」
「聞くと思ってるの?」
私の計算から完全に外れている、いつもはこんな凡ミスはしないだろうに。藍に言われた通りまだ私の中に迷いが生じているのだろうか。
「まあまあ霊夢、話を聞かないのはお前の悪いところだろ?」
「あんたもでしょうが」
「うっ・・・とにかくワケありなら問答無用で退治ってのは良くないな」
「むっ・・・まあ一理あるわね。いいわ、話だけ聞いてあげる」
しかし魔理沙のおかげで霊夢は少し抑えてくれた。ここで消耗するのは私達にとって得策ではない。ここから先は全てが予想外であると仮定しなければならないからだ。準備のし過ぎはない、用意は周到であるだけ良い。
「ん?こんなにメンツが揃ってるのにリリィがいないとはどういうこった?」
「あら、言われてみればそうね」
魔理沙が発した言葉に霊夢が反応する。それを聞いたレミリアとフランドールが顔を曇らせる。それだけで二人は察しがついたようだ。
「ふぅん、今回はあいつが異変の主犯かしら?」
「違う!」
今までだんまりだったフランドールが声を荒げる。その目には殺意が籠もっている。霊夢の方は特に悪気があったわけではないのだろう、殺気に怯えることなく、しかし少し驚いたように目を見開いた。
「私はリリィを助けに行くの!邪魔をするなら・・・遊びじゃ済ませない」
「オーケーわかった、なんか知らんが今回はお前らも解決者側なんだな?」
これ以上話が拗れる前に魔理沙は両手を上げ戦意がないことを示した。その魔理沙を見てフランドールもまた怒気を抑える。
「ここで消耗してはダメよ、フラン」
「わかってるわよ!」
それでも気持ちが落ち着かないのか、諭す姉に対してフランドールは大声を上げた。他の面々もそろそろ焦りが表に出てきたので、先行した二人を待たずに私達も向うことにしよう。
「猫の手でも今は酷使させてもらうわよ、準備はいい?」
私の言葉にそれぞれが無言で頷いた。
「っ!」
「異常ありね」
目の前の繭にヒビが入る。そのヒビからは期待を裏切らんとばかりに禍々しい瘴気が溢れ出した。隣の幽香は臨戦態勢、心配そうなさっきの言葉とは裏腹に期待を顔に浮かべている。戦闘狂とはこういう種族のことを言うのだろう。
紫に報告に行くか暫く様子を見るか数瞬考え、後者を取る。ここであの風見幽香がくたばるとは思えないが、万が一にも逃げられるのは拙い。ここで早々に決着をつけるのが最善だろう。
そう考えているうちにも中から人型の影が出てくる。それは私達のよく知るリリィ・スカーレットの外見をしていた。
「えっと・・・ごきげんよう?」
リリィの形をしたソレはリリィの声であいさつをした。幽香も私もそれにどう返したら良いか少し迷った。
「リリィには左翼がないの、知ってた?」
「この瘴気の垂れ流しを翼と呼ぶのならね」
リリィの肩からは繭から流れるモノと同じ瘴気が流れていた。否、繭から流れ出る正気を吸収しているようにも見える。
「まあどのみちハッキリしたわ、貴女の目的は?」
「・・・どうやら誤魔化しは利かんようだな」
声色が豹変する。雰囲気もガラリと変わる。それでもそこで怖気づくようなものはここに一人もいない。
「私の目的は、そうだな・・・とりあえず数百年ほど生身での生活を謳歌しようかな?」
「そう、数分で終わって閉まらせてしまって申し訳ないわ」
「ほう?」
幽香は問答無用で妖力の光線を放った。黒白の魔法などそれこそ霞んでしまうような力の奔流。アレ一発で弱小妖怪など跡形もなく証拠も残らず消えてしまうのだからつくづく馬鹿げた妖怪だ。本当に花の妖怪か?
「なかなか痛い歓迎じゃないか。私の復活を讃える者はいないものだと思っていたのだが」
「安心しなさい、歓迎はしていないから」
続いて二発目。立て続けに撃ち放っても表情一つ変えない。私は横から回りこれを防いだ術を見定めておこう、そう思い左に飛び上がった瞬間私の左腕は千切れ飛んだ。足元を見ると地面から手刀を作った真黒な腕が伸びている。
「覗き見は感心しないな」
幽香の二発目を耐え煙の中から再びヤツが姿を現す。幽香の攻撃に耐えながら私の動きに対処できるとは中々思っていたより強いようだ。リリィの体だからか、それともヤツ自身の力なのだろうか。
「折角の歓迎会だ、もっと楽しませておくれよ」
「中々余裕ね」
余裕なのは自分も変わらないだろうに、嫌味のつもりだろうか。しかし幽香の言葉にヤツは口の角度を三日月のように吊り上げる。
「当然だ!然らば畏れよ!然らば讃えよ!我が『背徳者《サタン》』の名の下に!」
ヤツがそう叫んだ瞬間、幽香の腹部から突き出した剣が辺りを鮮血で染めた。
「ちょっと!どこ行くのよ!」
私が憤怒と呼んだ彼女は突然立ち上がるとふらふらとこの真っ白な世界を歩き出した。私と傲慢もまた彼女を追うように走る。
「どうしたのよあの子」
「私にもわかりませんよ!でもあの子が動いたってことは外側でも・・・」
そこまで言って傲慢は口を噤んだ。その表情は焦りを帯びていて鉄仮面の彼女にしては珍しかった。
「鉄仮面はひどくないですか?」
「っ・・・貴女、心を」
「読めませんよ、貴女は私でしょう」
そうは言われても彼女の思考は私には流れて来ない。となると考えられる説はいくつかあるが・・・。
「そう、本体はあの子と貴女ですよ。私は所詮作り物ですから」
いくつかの説のうち一つが的中した。しかしながら私だけ不本意に心の内を知られるのは不愉快だ。
「不愉快って・・・もう一度言いますよ、貴女が私なんですから」
それでも自分の言いたいことがわからないほど鈍い頭もしていない。
私達が走りながら話をしているとそれまでフラフラと進んでいた憤怒がぴたりと止まった。その目の前にあるのは、まさしく
「贈り物だったら最高の嫌がらせですね」
傲慢が一人呟く。
「知っていますよ、これでもパチュリーより本を読んでいる自信はあります」
ふふんと鼻を鳴らす傲慢。そしてこれもまた珍しく不敵な笑みを浮かべた彼女はこういった。
「これはスノードロップですよ。存外・・・いえ、やっぱり
どういうことだ、と私が問いただす前に彼女は人差し指を立て口を開いた。
「スノードロップ、花言葉は―――――」