紅い月が浮かぶ夜空の下、二人の人間と二匹の吸血鬼が激闘を繰り広げていた。その下には屋根に大きな穴の開いた巨大な館がある。
一人、蝶のように飛び回る人間がいた。彼女の名は博麗霊夢、華麗に弾幕を躱し空中を自由自在に駆ける姿は人間とは思えない。小さな隙を狙って札や針を投げつけている。
一人、箒に跨って螺旋状に飛び回る人間がいた。彼女の名は霧雨魔理沙、魔法使いの彼女はその手に持つミニ八卦炉から星形の弾幕を撃ち出し、大きな立ち回りをしながら攻撃を回避している。
一匹、蝙蝠のような翼を羽ばたかせ宙を舞う吸血鬼がいた。彼女の名はレミリア・スカーレット、スカーレット家の長女にして足元にある館の主であり、この異変の主犯ということになっている。実際に霧を出しているのは彼女の妹だが、館の主である彼女が主犯ということに間違いはない。
一匹、隣の姉とはとは異なる形の翼を持つ吸血鬼がいた。彼女の名はフランドール・スカーレット、スカーレット家の次女でにして万物を破壊する能力を持つ、悪魔の妹である。
そして、館の一番上に位置する時計塔の頂上に、色とりどりの光が飛び交う夜空を眺める一つの影があった。背中に見える片翼は風に吹かれて揺れている。緋色の瞳に映るのは見慣れた二人の顔と、それに対峙する人間の姿だった。どのように映っているのかは彼女自身しか知り得ない。
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私は今までお姉さまの言う通りにしてきた。別に、狂信的だったとか洗脳されていたとか、そんなものではない。喧嘩はよくするし、意見が合わないことだってこの495年間でたくさんあった。
それでも、お姉さまがいたから私はここまで来れた。私一人じゃリリィのことも何もかも諦めていたかもしれない。それはお姉さまも同じだったと思う。
妹を思う気持ちは同じ。それがもう何百年も前に交わしたお姉さまとの意思確認だった。それから今のこの瞬間までお姉さまを疑ったことなんてないと言い切れる。
私が『あたし』になったのはいつだったか覚えてない。それでも今まで天真爛漫で無邪気な『あたし』を続けられたのは、案外本当の自分だったからかもしれない。
お姉さまの前では私でいられた。お姉さまが支えてくれたから『あたし』が居られた。そしてリリィの笑顔が見たかったから私も『あたし』もここまで来れた。館の皆も、同じだ。初めてお姉さまと一緒に戦って最初に感じたのは、感謝だった。
リリィは今どうしているだろうか。狂気に呑まれてはいないだろうか。あの子は強くて弱いから、無理して私達の戦いを見に来ているのかもしれない。
私だったらきっと狂気なんて背負って生きることは出来ない。自分の能力もよく理解してるし、もし私がリリィの立場だったらと考えるだけで身震いしてしまう。
お姉さまも館の皆も、全部全部壊してそれで終わりだったかもしれない。そんなの私には耐えられない。だからこそ、一刻も早くリリィを狂気から救い出してあげたいのだ。そのための495年間だったし、これからの時間もずっとだ。
レーヴァテインを握りしめる手の力が強くなる。これもリリィから貰った大切な贈り物の一つだ。
弾幕を避け続けていると、お姉さまと背中合わせになった。お姉さまは私にしか聞こえない声量で話しかけた。
「ふふっ楽しいわね、フラン」
「うん、こんなに飛び回るのは久しぶり」
お姉さまは何を考えているのかな。私にはわからないが、きっと今はこの戦いを純粋に楽しんでいるのだろう。私もそれは同じだ。
弾幕を躱し続ける私達に痺れを切らし、魔法使いがスペルカードを宣言した。
「ちょこまか動きやがって!食らえ、『スターダストレヴァリエ』!」
「ちょ、魔理沙!早まんじゃないわよ!」
巫女の方が静止の声を掛けるが魔法使いは止まらない。私はお姉さまを庇うように前に立つと、スペルカードを切った。
「禁弾『スターボウブレイク』」
七色の弾幕が私の前に壁のように張られ、前進する。魔法使いの弾幕を防ぎながら、数で勝る私の弾幕は巫女と魔法使いの方に飛んでいく。
「なあ霊夢、あれずるくないか?」
「あんたも増やせば?」
しかし会話をしながらでも二人は避けていく。相殺されている分が多いので全く効果がなくなっているのかもしれない。
既に私は『クランベリートラップ』と『カゴメカゴメ』を突破されている。お姉さまは『スターオブダビデ』を使っただけなので私は少し控えた方がいい。
しばらくすると
「夢符『封魔陣』!」
無数の針が放たれ、それらが霊力によって結びつく。こっちの方がよっぽど抜け道のないずるい技じゃないか。
しかしお姉さまは私の陰から出てくると同じようにスペルを宣言した。
「神罰『幼きデーモンロード』」
レーザーと大小の魔弾が巫女と魔法使いを襲う。慌てて避けるが二人は分断された。
「直接弾幕に当てないなんて、随分と回避に自信があるのね」
「優秀だもの、私もフランも」
相殺分もあって巫女の弾幕は細かいが故にかなり避けやすくなっていた。一発一発の力が少ないのだろう。
更にお姉さまは分断され孤立した魔法使い目掛けて手をかざした。スペルを途中で切って別の宣言をする。
「神槍『スピア・ザ・グングニル』」
一瞬何が起こったかもわからなかった。私の可動速度を遥かに上回る槍状の弾幕が魔法使いの方へと放たれたのだ。一度でも被弾すれば墜落は免れない。
しかしその槍は巫女のスペルによる弾幕に当たり、軌道が逸れたため魔法使いには当たらなかった。
「ふぅん、なかなか運が強いわね」
「悪運だけはな!」
体勢を立て直した魔法使いは再び弾幕を貼り直した。これで私達の残りスペルカードは一つとなった。グングニルを放った後にお姉さまがボソッと「作り方を間違えたわね」と言ったのは聞き逃さなかった。どうして一発だけのスペルにしたのか私も聞きたい。
「仕方ないわね、とっておきを見せてあげる」
お姉さまはそう言うと懐から紅いカードを取り出した。ラストワードだ。
「『紅色の幻想郷』」
私達を取り巻くように渦巻き状の大弾幕が放たれる。波が伝わるように大弾幕の後を小弾幕が漂う。
私も最後のスペルカードを切ることにした。単純な弾幕の雨だがそれ故に攻略法が限られている。シンプルなヤツほど強い、と図書館の本にも書いてあった。
「QED『495年の波紋』」
炸裂弾、それがリリィからの評価だった。これを避けきるには相当な目と経験と、何よりも勘が必要だ。そして二つ目の攻略法、私のスペル耐久を減らすには攻撃と回避を一定時間同時に行わなければならない。お姉さまのスペルと同時に進行しているので更なる困難を極めるだろう。
「ぶち破るわよ、魔理沙!」
「あ?・・・ああ、そういうことね」
巫女の言葉に一瞬怪訝な顔をした魔法使いだったが、すぐに納得した表情になった。一体何をするつもりなのだろうか。
「行くぜ!魔符『ミルキーウェイ!』」
魔法使いを中心に星形の弾幕が広がるように放たれる。魔法使いは弾幕を貼りながら私達の弾幕と相殺してこっちに近づいてきた。だがこれで巫女はまず落ちただろう。そうなると良くはないのだが、まあここで落ちるようならその程度だったということだ。
しかし次の瞬間、眼前まで迫った魔法使いの陰から紅白の巫女服が見えた。
「なんだと!?」
「いつの間に!?」
私達が驚愕の声をあげる中巫女と魔法使いは私達を見据えて不敵な笑みを浮かべていた。
「よっしゃあ!射程距離内だ、行け霊夢!」
「霊符『夢想封印』!!」
巫女のスペル宣言と同時に七色の光が私達を包み込んだ。ご丁寧に有難そうな、如何にも妖気退治の攻撃だ。
落ちることに抵抗はない。私とお姉さま、そしてリリィしか知らないことだろうが、この戦いは八百長だったのだ。八雲紫から負けるように言われていたのだから。尤も、この二人ならばそんな確約が無くとも私達を打倒しただろう。それだけの力をこの人間達は持っている。
きっとお姉さまの最後の呟きは二人には聞こえなかっただろう。私ですら聞き逃してしまいそうなほど小さい声だった。しかしその呟きには、確かな力が込められていた。
―――――――――――――――『勝った』。
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夜空の下、大きな屋根の上に仰向けになっている影が二つ。そしてその屋根に降り立つ影が一つ。
「お疲れ様でした、二人とも」
「あらリリィ、見てたの?」
「はい、最初から」
恥ずかしいところを見せちゃったわね、とレミリアが笑いながら言う。しかしリリィは首を横に振った。
「あの二人はお姉さま達をちゃんと倒しました。今頃紫は私のことを笑っているのでしょうね」
「そうね、性格の悪いあの女のことだもの」
別に負けてやる必要もなかったが、完敗だった。それがレミリアとフランドールの感想だった。きっと八雲紫はこうなるとわかっていたのだろう。
「お姉さまもこうなることがわかってたの?」
「別に私の能力は未来予知じゃないのよ。予知夢ってところかしらね」
フランドールの質問にレミリアは応えなかった。仮にわかっていたとしても回避する必要のないことだったのだろう。
「お姉さま・・・」
「ええ、フラン。私達はちゃんと
フランドールがどこか不安そうに話しかけ、レミリアが答えた。その言葉を理解できるのはこの場にいる全員であり、この場にいる全員と館の住人のみだ。
「それにね、変わったのはリリィの運命だけじゃないわ」
「どういうことですか?」
「運命っていうのは常に他人のとセットなのよ。あなたの運命は常にあなたの周りの運命と共にあるわ」
レミリアの言葉が意味するのは紅魔館全体の変化、ということだ。レミリアは今後異変を起こさないことを約束されたが、それは問題ではなかった。むしろより多くの運命を手に入れられたことを考えれば、プラスの方が大きかったのだろう。
今まで八雲紫によって外との断絶を強いられていた紅魔館は、この異変の後結界を解かれることとなっていた。尤も力のある者は結界を無視して紅魔館に入っていたのだが。
「・・・私は、私を信じますよ」
「ええ、もちろん私もフランも信じてるわ」
リリィのその言葉に込められた意味を理解できたのもまた、その場にいる者だけだった。
「まずは屋根の修理からね。あの白黒、やってくれるじゃない」
苦笑しながら呟くと、レミリアは起き上がった。続いてフランドールも起き上がって伸びをする。
「じゃあ私はみんなを労いに行ってきます」
「待ちなさい」
踵を返したリリィは、レミリアの方に振り返った。
「館の当主がサボるわけにはいかないでしょ。三人で行きましょう?」
「・・・ふふっ、そうですね」
「あたしはもう寝たいなー」
「だーめ」
フランドールは項垂れたが、その顔は笑っていた。そして三人は屋根の上から飛び降りた。
赤い月が照らす夜、三つの陰が手をつないで綺麗な影絵を作っていた。
紅魔郷編、もうちょっと続きます