館が紅い霧に覆われてから一時間、おそらく幻想郷の大部分に紅霧が広がっていることだろう。
玉座の間に集まった私を含む紅魔館の住人は、主にして私の姉であるレミリア・スカーレットの周りに集まっていた。レミリアお姉さまはワイングラスを片手に目を閉じて静かに佇んでいる。誰もが彼女の一挙一動に注目していた。
やがてレミリアお姉さまは静かに口を開いた。
「パチュリー、魔法の方は?」
「問題なく起動してるわ」
現在幻想郷に充満しているはずの紅霧は吸血鬼の特性とパチュリーの魔法を組み合わせて作られている。では何故魔法関係の出来事に私が携わっていないのかというと、
「リリィ、調子は悪くない?」
「はい、まだまだいけますよ」
紅霧が私の体から出ているからだ。私一人で負担するつもりだったのだが、無理をしすぎるなと全員に反対されたためパチュリーに安定性を高める魔法をかけてもらっている。おかげで全く無理をせずに霧を広げることだけに専念できる。
レミリアお姉さまは私達の方をそれぞれ見ると、満足そうに口の端を吊り上げた。
「パーティの準備は整ったわ!今夜の宴の主役は私達!運命の導くままに踊り明かしましょう!」
レミリアお嬢様は立ち上がって凛とした声で宴、もとい異変の開始を宣言した。
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「夏って暑いよな」
「そうね」
決して綺麗とは言えない古びた神社の縁側で一人の少女が呟く。少女は長い金髪を三つ編みで縛っている、白黒の服を着ていた。頭には白いリボンのついた大きな黒いとんがり帽子を被っている。
だるそうに返事をしたもう一人の少女もまた奇抜な格好をしている。紅白のいかにも巫女といった衣装に、頭には赤い大きなリボン、袖は無く肩と腋が露出している。
「ところが今年の夏はどういうわけか寒い訳だ」
「そうね」
金髪の少女は大げさな身振り手振りで演技をしているが巫女らしき少女は興味を示さない。
「なあ霊夢、これは異変だぜ?せっかく霧雨魔理沙さんが来てるんだから解決に出向くのが筋ってもんだろ?」
金髪の少女、魔理沙はやれやれというように肩を竦めた。しかし巫女の霊夢と呼ばれた少女は特に気に留めることもなく虚空を見つめてボーっとしている。
「はぁ・・・なんだって博麗の巫女さんの腰はこんなに重いんだか」
「面倒なんだもの、仕方ないじゃない」
「そんな私的な理由で職務放棄する奴がいるかよ」
「ここに」
呆れた様子の魔理沙は頭に手を当てて縁側から立ち上がった。
「私は一人でも行くぞ」
「そう」
魔理沙は暫く霊夢を見つけている。すると突然霊夢が立ち上がったので魔理沙はびくりと肩を震わせた。
「どうしたんだよ、驚かせやがって」
「今行くのが一番いい気がするの」
「はぁ、それはまたなんで?」
「勘よ」
「さいで」
根拠のない霊夢の言葉に魔理沙は適当に返した。長い付き合いからいつものことだというように流しているようだった。
「初めての異変解決は緊張するかい?」
「あんたもでしょうが」
「私はわくわくが止まらないぜ」
相変わらず気だるげな霊夢に対して魔理沙は不敵な笑みで待ちきれんというような表情を浮かべていた。
「あんたって私より自由なんじゃない?」
「そうか?そうと決まれば作戦会議だぜ!」
会話が成立しているのかどうか怪しい二人は神社を飛び立って森の方へと向かっていった。
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私はこの紅魔館の門番を任されてから十年ほどになるのだろうか、もしかしたらもうちょっと長くやっていたかもしれない。メイド長をやっていた時間の方が長かったがどうもこちらの方が性に合っているように思える。
いつもは退屈で寝てしまうこの仕事だが今日は目が冴えている。というよりは頭が冴えているのか、気分が高揚しているのかもしれない。
きっとこの異変は私達にとって重要なものになるのだろう、だからこそお嬢様が引き受けたに違いない。それは紅魔館のためであり、そしてなによりリリィ様のために・・・。
お嬢様はリリィ様を狂気から解放することを何よりも優先に考える。逆に脅威となり得るものは館のモノの全力を以て排除する。だから人間が攻めてくるというこの異変は避けるだろうと私は考えていたのだ。
だがお嬢様は私の予想とは反対に早めに承諾した。何を考えているのかは運命の見える彼女にしかわからないことだ。私はただ命令を実行するだけだ。
そういえばリリィ様はどうしてるだろうか。道中のトラップを作ると張り切っていたが、殺しに行くタイプのやばい罠だったらどうしよう。いや、流石にお嬢様の顔に泥を塗るような真似はしないだろう。次々に色んなことが頭に浮かんできてなかなかまとまらない。
そういえば最近は風見幽香のところによく通っている。お嬢様も胃を押さえていたが、最初の頃は私なんて卒倒しそうになっていたくらいだ。アレと対等に関わりあうなんてやはり私とは格が違う妖怪なのだと改めて思い知らされた。私も精進しなければ。
「美鈴、緊張してるんですか?」
突然声を掛けられてびくりと肩を震わせる。振り返るとリリィ様が私の目線まで浮かんでいた。
「すいません、驚かせましたか」
「大丈夫ですよ、全然」
いつもなら近づいてくる気配を察知できるのに今回は失敗してしまった。リリィ様のことだから気を消すような術を身に着けたのかもしれない。
「本当ですか?なんかいつもと違う感じがします」
「え、私がですか?」
「はい、何かふわふわしているような・・・うまくいえませんけど」
リリィ様が口ごもる。ふわふわしている、とは浮かれているということだろうか。平常心を保っていたつもりだったが自分で思っている以上に浮ついているらしい。
「私は部屋の点検に戻ります、見守ることは出来ませんが頑張ってください」
「はい!ご期待に添えるように頑張ります!」
「ふふっ、そんなに気張らなくてもいいんですよ。肩の力を抜いてリラックスリラックスです」
可笑しそうに微笑んだリリィ様は振り返るとふわふわと館の中へ戻っていった。私は再び門の外へと向きを変えて精神の統一のてめ瞑想を始めた。
リリィ様と別れてから15分くらい経った頃だろうか、それは突然やって来た。
上空にとてつもなく大きな気配を感じはじかれたように空を見上げると、そこには巨大な力の塊が球状になって浮かんでいた。その下には紅白の服を着た少女が見える、あれが博麗の巫女だろうか。だとしたらなんと恐ろしい力を持った人間だろうか。
「チッ!いきなりですか!」
私は思わず悪態をついてしまった。すぐさま巨大な力の塊に対処する手立てを考える。そしてはじき出した結論はこちらも同じように力をぶつけることだった。
「はあぁぁぁぁぁぁ!!!」
掛け声とともに気を極限まで高めて放出する。一発でスタミナが切れるほどではないが初撃から重たいのを放ってしまった。
しかし私は上に対処するためそちらに注意が完全にそちらへ向いてしまった。そしてもう一つ膨らんでいる気配に気づくのが遅れてしまった。
「本命はこっちだぜ!」
既に攻撃態勢へと入っている白黒の金髪少女が何か木製のものをこちらへ向けている。次の瞬間にはその道具から膨大な魔力が私に向けて発射された。いくら頑丈な妖怪とはいえこれだけの魔力を受ければ一気に削られる。
「ッ!」
慌ててその場から飛び退こうとするがこの距離では直撃を免れることは出来ない。私は防御の体制へと入ってなるべくダメージを減らすように気を集中させた。
あまりの眩しさに目を瞑って衝撃に耐える。このままでは戦闘に支障が出るのでこれからの立ち回りを頭の中で巡らせる。私としては不本意だが逃げ回りながら一人を集中的に狙っていくしかないだろう。不意打ちとはいえ私の油断が招いた結果だ、心の中でリリィ様に詫びる。
(申し訳ありません、せっかくの忠告を無為にしてしまい・・・―――――)
しかし私にその魔力のビームが届くことはなかった。代わりに私にしか聞こえないような音量で少し前から声が聞こえた。
「まだまだ肩の力が抜けてません、リラックスリラックスですよ」
眩しさのため目を開けることは出来なかったが、私の脳裏には優しく微笑むリリィ様の顔が浮かんでいた。戻ったふりをして私が心配でずっと見ていたのだろうか、まったく何百年経っても敵わないお方だ。
だが今ので頭の中がクリアになった。自分でも驚くほどに集中力が湧いてくる。
「いい感じです、後は任せましたよ」
ふわり、という音が似合うほど滑らかにリリィ様の気配が消えた。その気配が名残惜しくて、暫く私は衝撃によって起こった風の中に佇んでいた。
「霊夢!よくわからんが防がれた!」
「見りゃわかるわよ!気を抜くんじゃないわよ!」
二人の少女の声で意識を現実に引き戻す。白黒の方は魔理沙、紅白の方は霊夢というらしい。
「ようこそ紅魔館においでくださいました、門番の紅美鈴と申します」
深々とお辞儀をして挨拶をする。目の前の少女達は戸惑っているように感じた。
「ご丁寧にどうもだぜ、歓迎してくれるなら通してくれると助かるな」
「生憎この門を通る力のない者は館に入る資格がありませんので」
「ま、知ってたけどな」
戦闘準備万端といった様子の魔理沙に対して霊夢は門を飛び越えていこうと跳躍した。霊夢は既に後方にいる魔理沙に向かって大声で叫ぶ。
「そっちは任せるわよ!」
「おうよ!」
しかし私は霊夢を追うことをしなかった。敵に背を向けるのは己の敗北を意味するからだ。
「なんだ、追わないのか?」
「二兎を追う者は一兎を得ず、ですよ」
「難しい言葉を知ってるんだな」
魔理沙のあからさまな挑発にも涼しげに返す。本当は追いたいところだが門を潜られていないので良しとしよう。
「私を倒せない者がこの館から生きて帰ることなんて出来ませんから」
「ほぉ~、言うじゃないか」
「ここは通しませんよ、門番のプライドにかけて」
気合いを入れ気を高め直すと周りに風が巻き起こる。それを見た魔理沙の方も不敵な笑みを浮かべ箒に跨る。
「弾幕ごっこには慣れていないので、お手柔らかに」
「そうか、なら本気で行かせてもらうぜ」
魔理沙は言葉が終わるとともに星を象った弾幕を放ってきた。操作性は低いがスピードとパワーのある魔力弾だ。どうやら彼女は魔法使いらしい。
パチュリー様がインドアな魔法使いなのとリリィ様が研究室に籠りきりだったので魔法使いはアクティブな生き物だと思っていなかった。目の前の活発な少女はそのイメージを吹き飛ばしてしまうほど快活な笑みと煌びやかな弾幕を放ってくる。
しかし範囲は見た目ほど広くなく、直線的な弾幕だ。これなら気配を読みながら相手に攻撃をすることも容易だろうと推測する。
「うまく避けるもんだな!」
「避けやすいので!」
「はっ!言うじゃないか!」
今度は挑発で返す。しかし魔理沙の方は怒ることもなく依然楽しそうに飛び回りながら多方向から弾幕を放ってくる。
私は破裂型の弾幕から打って変わって無尽蔵に飛び回るように弾幕をばら撒いた。規則的な弾幕から不規則な弾幕へ。テンポを変えることによって相手のペースを乱す作戦だ。
しかし魔理沙は焦るわけでもなくしっかりと弾幕の軌道を読んで綺麗に躱す。その動きには私も感嘆するほどだった。これ以上は仕方がないのでスペルカードを切ることにする。
「華符『セラギネラ9』」
私がスペルを宣言すると同時に周りに小弾幕が大量に表れる。その弾幕たちは破裂したように周りに飛び散ると二段階になり、真っ直ぐに飛んで行って相手を妨害するものと相手を直接狙うものに分かれる。
「うおっと!」
流石の魔理沙もこれには体勢を崩し回避に専念する。しかしスペルカードには制限時間があるので攻め続けるしかない。魔理沙は必死に回避しスペルカードを切りぬけてみせる、どうやら時間切れまで飛び回るつもりのようだ。
「当たらないぜ!」
「小癪な!」
結局魔理沙には時間切れまで逃げ回られてしまった。仕方がないので2枚目のスペルカードを切る。
「彩符『彩光乱舞』」
スペル宣言と共に七色の弾幕を縦横無尽に打ち出す。無茶苦茶に撃っているように見えて相手に向けた弾幕が中に混じっている。私の目の前すらも七色に埋まって魔理沙を覆い尽くす。この弾幕からは逃げられまい、私は勝利を確信した。
しかし突如横から気配を感じて弾かれたようにそちらの方を向く。すると箒に跨った魔理沙が私の目の前にいた。
「油断大敵だぜ!魔符『スターダストレヴァリエ』!」
とてつもないスピードの星形の弾幕に私は成す術もなく吹き飛ばされた。意識が朦朧とする中必死に起き上がろうとするがうまく体が動かない。
「お前まだ意識あんのかよ、すげえな」
「ぐぅ・・・・・ぁ・・・・・・」
視界が揺れる。意識が途切れ途切れになって口も上手く動かない。踵を返して門へと歩く魔理沙に手を伸ばすが、その手は決して届くことはなくただただ遠のいていく魔理沙を見つめることしかできなかった。
「よく頑張りました、ゆっくり休んでください」
意識を手放す寸前に、優しく頭を撫でる手の感触と耳元で囁く少女の声が聞こえた。
遅くなってしまい申し訳ない・・・