湖のほとりに突如現れた巨大な紅い館『紅魔館』。
現在その館の外では激しい戦闘が繰り広げられていた。いや、戦闘というと少し語弊があるかもしれない。それは最早、虐殺と言った方が正しいだろう。
庭は千切れた羽や肉塊がそこら中に散らばって血の池を作っていた。その大きな池の中に一人佇む緑髪の女性――風見幽香は正門の前で倒れている赤髪の女性、紅美鈴を一瞥した。
美鈴は力を振り絞って立とうとするがそれは叶わず崩れ落ちる。それを3回繰り返してやっとのことで立ち上がった。
美鈴と幽香の間には圧倒的なまでの力の差があった。そう、それは単純な力の差だ。美鈴の武術を以てしても受け流せないほどの力だった。
幽香はゆっくりと美鈴に近づいて右手に持つ傘を振るった。美鈴にはそれがひどくスローモーションに見えたが体が言うことを聞かずに避けることができない。美鈴は成す術もなく門に叩きつけられ呆気なく崩れ去る。
しかし美鈴はすぐに地面に手をついて立ち上がる。その様子に感心したような口調で幽香は口を開く。
「諦めが悪い奴は好きよ、弱い者虐めもね」
「このも・・・は・・・とお、さ・・・・・・」
息切れしながらもどうにか言葉を紡ごうとする美鈴、しかしそれは途切れ途切れで相手に伝わることはない。
「でもそろそろ飽きちゃったわ、この中ならもうちょっと楽しめるのかしら?」
幽香はそう言って傘の先を美鈴に向けた。やがて膨大な妖力が傘の先に収束していく。
美鈴は歯を食いしばって避ける態勢に入るが先程のようにうまく動かない。
(お嬢様、申し訳ありません・・・命令は遂行できそうにないです・・・)
主からの生還するという命令が絶望的に思えた美鈴は思うように動かない口を閉じて心の中で謝る。それが伝わらないと知っていても律儀な彼女は謝っていた。
諦めを悟ったのか幽香は興冷めした様な眼差しで美鈴を見つめている。
「まあ待ちなよ幽香」
突如発せられた声に幽香と美鈴はその方向を見る。
そこには一人の少女が浮かんでいた。金髪を赤色のリボンで結んだ少女だった。しかしそのリボンは見る見る黒くなっていき、やがて腐ったようにぐずぐずになって宙を舞った。
「めーりん、数日振りね」
「る・・・・あさん・・・」
「あーきつそうだね、いいよ喋らなくて」
金髪の少女――ルーミアは何でもないように美鈴の方を見て無理に喋ろうとする美鈴を手で制した。
面白くなさそうなのは幽香だ、邪魔が入って不機嫌なのだろう。
「あら、その封印自分で解けたの?」
「うん、別に外す必要がなかっただけだから」
二人は顔見知りのように会話をするが実際はほとんど交流がなかった。
「それで、一体どういうつもり?」
「そこのめーりんは私の友達なの、数日前からだけど」
「で?」
「友達が虐められてるのを黙ってみてるのはどうかなって」
幽香は目を細めた。ルーミアは相変わらず笑みを浮かべているがどこか薄ら寒いものへと変わっている。
「封印が解けたから調子に乗ってるのかしら?私は封印は出来ないし消し飛ばすことくらいしかできないけど」
「花の大妖怪ともあろう風見幽香がしがないの宵闇妖怪に恐れをなして逃げ出した、なんて面白いと思わない?」
お互いへの挑発。どちらも笑顔だが空気は険悪になっていく。
「大口叩いたことを後悔するといいわ」
「少しだけ遊んであげる、紫の仕事が終わるまでね」
二人の笑みは穏やかなものから獰猛なソレへと変貌を遂げた。
先に動いたのは幽香だった。傘を振り上げたまま地面を蹴ってルーミアの眼前に迫る。ルーミアはそれを気に留めることもなく目の前に現れた幽香に蹴りを繰り出した。
幽香の傘がルーミアの蹴りよりも早く振り下ろされるがルーミアはそれを黒い物体を作って受けとめる。無防備な幽香の腹部にルーミアの蹴りが入り後方へと吹っ飛ばされた。
「うん、いい感じに動くわ」
手を握ったり開いたりして感触を確かめるルーミアはちらりと土煙を上げる塀を一瞥した。そこに幽香の姿は既にない。
直後ルーミアの体は文字通り真っ二つになった。彼女の後ろには傘を振り下ろした幽香が立っている。しかしルーミアは半身だけゆっくり振り向いて痛みのなさそうな顔で幽香に語りかける。
「私は闇の妖怪よ?物理攻撃じゃ暖簾に腕押し」
「いいのよ、スカッとするから」
「そう」
短い会話の後陰に溶け込むようにルーミアの体が地面へと引き込まれていく。幽香はそれを追うこともせず黙って観ている。
やがて幽香の陰が波打つように形を変えていく。幽香はゆっくり振り向くと傘の先を自らの陰に向けた。
「光線なら消えるかしら?」
「そうね、でもそれは届かないわ」
幽香の傘から極太の光線が放たれる。ルーミアの体は渦状になって光線を全て飲み込んだ。
「ご馳走様」
「もっとあげるわよ?」
ルーミアにも許容質量が存在する。一回の光線で飽和状態となったのでルーミアは一旦移動した。
「お腹いっぱいよ。これからは食後の運動」
「そう、動かないサンドバックの方が良かったわ」
戦いの合間に毒を吐きあう両者。ルーミアが美鈴の方をちらりと見ると力尽きて門に倒れ掛かっていた。
「随分そこの門番を気に掛けるのね」
「久しぶりの友達だからねー」
ルーミアの周りに黒い球体が浮かび上がる。幽香はその一つに向かって妖力を放出して相殺した。しかし他の球体は止まることなく幽香へと迫っていく。
幽香は一度下がって焦らずに一つ一つ球体を消滅させていくがすべて撃ち落し終わった時にはルーミアの姿はなかった。そこら中の陰を見てみるが異常を感じる者は一つもない。
次の瞬間幽香の右腕が
「服に陰が出来てるわよ?」
「今度から戦う時は服を脱ごうかしら」
右腕を失っても幽香から余裕は消えない。まるで日常茶飯事のかのように振る舞っている。
「その傘、何でできてるの?食べられないんだけど」
「さあ?わたしにもよくわからないわ。後で『食べられません』って書いておくわね」
ルーミアは恨めしげに尋ねるが幽香はやはり余裕の表情で飄々としている。右手に持っていた傘はいつの間にか左手に持ちかえられていた。
また陰に沈み込もうとしたルーミアは何も変化が起きずに驚愕した。初めて表情を変えたルーミアに幽香はルーミアの足元を指差した。ルーミアは慌てて足元を見るとそこには深紅の花のツタが絡まっている。
「な、なにこれ」
「それは彼岸花っていうの。美味しくないわよ?」
幽香の言葉がまるで暗喩していたかのように彼岸花は闇に侵食されずにその赤い花びらを揺らしている。
「それは文字通り彼岸の方の力に由来した花なの。少なくとも此岸の力で妨害することは出来ないわ」
「じゃあどうして貴女が使えるのかしら」
ルーミアの質問に幽香は何でもない事のように答える。
「あら、
「・・・・・・」
ルーミアは絶句していた。
能力というものは本来自分の認識によって力を伸ばすことができる。ルーミアが『食べられる』と思ったものは基本闇の侵食を免れることはない。それは幽香にとっても同じで幽香が自分の認識している、もしくは知っている花ならば操ることができるということだ。その花は幽香の範囲内にあり、他者の妨害を受けることは少ない。
『侵食』に重きを置くルーミアの能力はそれすらも侵すことができるが、幽香はそれに対して制約を掛けて対抗していることをルーミアは知らない。その制約は『彼岸花』以外はルーミアの侵食に対抗することは出来ないという幽香自身の認識だ。しかし他を低く見ることによってある一点を高めるという幽香の自己暗示に近い策は、精神世界で生きる妖怪にとって絶大な効果をもたらす。
幽香の策は自前のものではない。それはある生意気な妖精を見て考え付いたものだった。
自らを『最強』と認識するその妖精は、その自己暗示によって通常の妖精では得られないほどの力を得ている。
もちろんその”ほんの僅か”に力をつけた妖精は一瞬で粉微塵にして『一回休み』にしてやった幽香だったが、その在り方には関心を抱いていた。だからこそいつもなら記憶から抹消されるはずの存在もこの場で策を思いつくまでに至ったのだった。
そしてこの彼岸花は本来数多存在する花の一種類に過ぎないが、幽香の説明によってルーミアにもそういうものだ、という認識が植えつけられたため、両者の中で『彼岸の力を纏う花』となって存在することになった。
幻想が幻想として存在する妖怪はこうして能力や色々な力を身につける。もちろんほとんどの妖怪は無意識にこれを行うので、ルーミアにとって幽香は『彼岸の力にすら手の届く大妖怪』に見えている。
「つくづく規格外の化け物ね、数百年前もあなたに消された時は治るのに三日かかったのよ?」
「完全に抹消しても闇と畏れをもとに一から存在を構成できるっていったじゃない」
しかしそういうルーミアも”規格外の化け物”の一人である。彼女の認識で操れる『闇』の範囲は陰だけではない、もっといろいろなところに潜む見えざるモノだ。
「じゃあ続きを始めましょうか」
「そうね、この花を解いてくれたら嬉しいのだけれど」
ルーミアのお願いは当然聞き入れられるはずもなく幽香から放たれた光線はルーミアを容易く飲み込んだ。
幽香はルーミアが消滅したことを確認したがその場から動かなかった。
「随分再生が早くなったものね」
「何百年も溜めこんだ闇を半分も使っちゃった、集め直しね」
何もない空間へ話しかける幽香。そこにやがて黒い霧のようなものが密集して一人の少女を象った。
規格外の二人がぶつかったところで数時間で決着がつくことなどあり得ない。幻想郷の管理者と酒呑童子が戦った時など一週間経っても決着がつかなかったという。
「まだまだ夜明けには早いわ、もっと楽しみましょう?」
「そうね、その通りだわ」
ルーミアに同調する幽香。花妖怪と闇妖怪の
『大量虐殺も遊びなのよ――――』
幽香はいつしか自分の言った言葉を思い出す。紅魔館の庭には死屍累々となって吸血鬼やその他の妖怪が山を作っていたが、それも幽香の遊びの一つに過ぎない。例え腕が無くなろうが、それこそ死んでしまっても幽香にとっては遊びでしかない。長く生きる大妖怪にとっては日常も非日常もいつどこで起こることも遊戯でしかないのだ。
故に彼女は笑う。遊びは楽しくなければ意味がないのだ、すぐ壊れてしまう玩具など面白くもない。
故に彼女は笑う。目の前の少女は久しぶりに楽しい遊びを提供してくれている。存在自体が闇なので歯ごたえはないが殺し甲斐はある。
まるで一人の無邪気な少女のように遊びに興じることが出来る喜びを感じて、彼女は笑う。
もう少し吸血鬼異変が続きます。