新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺―   作:里奈方路灯

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柳の木の下の待人

 黒咲夜千代は時々ある夢を見る。

 

 朝になったら自分でも覚えていない。けれど夢の中で、その場面に遭遇したとき。「ああ、私は何回もこれを見たことがあるんだ」と思い出すことが出来る。思い出せることと覚えていることとはまた違う。

 

 なんとなく、その光景に嫌悪感を覚える。本当になんとなくだ。自分でもよく分かっていない。けれど、その情景が浮かんだ時。「ああ、私はこの光景を二度と見たくないんだ」と思ってしまうのだ。夢は決して当人の見たい物だけを映すわけではない。

 

 長く続く道だ。その両脇には幾本もの桜の木が。ゆったりと、緩やかに下に降りていく「桜坂(さくらざか)」。その坂を、私は多分父と思える人物と、多分母と思える人物と楽しそうに歩んでいく。自分で見ておいて楽しそうだというのも変な話だが、そうとしか言いようが無い。その場に居る私はまだ幼くて、無邪気な少女のように笑っているのだ。

 

 黒咲夜千代は時々この夢を見た。

 

 きっと忘れてはいけない事なんだろう。父も母も顔が朧気(おぼろげ)なのに、その桜の風景はいつでもはっきりと脳内に瞼に鮮烈に焼きついているのだ。

 

 そして、いつもそこでその夢は終わってしまう。唐突にだ。まるでそこから先を、見せたくないかのように、思い出してはいけないように――

 

――静かな草原だ。空は青い。その青い空の中には、太陽でも無く月でもなく何故か青と緑の惑星――そう、あれは「地球」だ。「地球」が、その空に浮かんでいた。

 

 此処はどこだろう。夢の延長線だろうか、黒咲夜千代は寝る前の姿では無く伊勢にやってきた羅紗コートの姿で立っていた。サングラスを外して周りを見渡した。……落ち着く。

 

 不思議な空間だ。凄く空気がおいしく、自然と居心地が良いと感じる。地平線まで続く草原を吹き抜ける風が、まるで私を祝福しているかのようにも感じた。その肌に触れた感覚は、まるでここが夢じゃないと言っているように。

 

「あれ……もし、そこの御方」

 

「ん?」

 

 夜千代は隣を見た。其処には黒い長髪にローブ姿の少女……クリス・ド・レイが居た。さっきまでは居なかった。突然、現れたのだ。

 

「此処はどちらなのでしょう?私、気が付いたら此処に居まして」

 

 なんだ、コイツもそーいう感じか。夜千代は身につけていた帽子を取ってクリスに向き直った。

 

「ああ、私もだクリス・ド・レイ。気が付いたら此処に居たんだよ。此処は夢かね」

 

「あ……ああ、夜千代でしたか。いえ、私さっきまでロンドンに……って、ああ、夢ですか」

 

 クリスは目をぱちくりさせて納得した。なるほど、二人共「自分の夢」から「この場所」にアクセスしてしまったという訳か。だとしたら、この場所は夢であると。

 

 そう考えて、やはり何か違うと思った。妙にリアリティがある。そう、「妙に」だ。五感が捉えたそれは、この場が「夢」で無いと語っている。六感が訴えていた、この場は「現実」に非常に近い何かだと。でも、それでも此処を現実だと思えないのは……。

 

「あれだよなぁ……」

 

 夜千代が空を見上げると同時に、クリスも空を見上げる。

 

「ですよねぇ……」

 

 空に浮かんだ「地球」。誰がどう見ても何度見ても見続けても教科書に載っていた「地球」だ。あれほど特徴的な水の惑星、そうあるまいて。

 

 其処に地球があるという事は、普通に考えたら此処が地球でないと言うわけで。じゃあなんだ、此処は月か?……月にこんな草原があるものか。

 

「此処はどこだっつーの」

 

 夜千代がそう呟いた瞬間、地平線まで草原だったこの場に、目の前に一本の木が現れた。上から下へと垂れ下がる幾つもの葉っぱ。風に靡くその葉が、その自己性を語っていた。柳の木だ。

 その柳の木の下には、あぐらをかいて座り込んでいる紺色の和服の男が。髪型は……ちょんまげ。あれは、ちょんまげだろう。その横には大刀と小刀、二つの鞘に入った日本刀が置いてある。侍だ。

 

「って……夜千代!お侍さんです!お侍さんですよ!」

 

 クリスは夜千代の腕を引っ張って揺らしながらそう言う。いや、分かってるよ。まあ、お前がそんだけ驚くのもしょうがない。……なんで侍がこんな所に?

 

「ぬ?おぉ、嬢等(じょうら)。こんな辺鄙な所に何用ぞ」

 

 侍は座りながら此方を向いた。粗雑な無精ひげに柔らかくも何処か鋭さを感じる眼付。オフの武人ってところか。

 

「ねっ、喋りましたよ!お侍さん喋りましたよ!」

 

「お前意外とうっとーしーな……こりゃ岡本も疲れる訳だ」

 

「うっと!?」

 

「まーいい」

 

 多分、これはクリス・ド・レイの子供っぽい部分だろう。少女として張り詰めてきた、正義を掲げる者としての心の隙。彼女は自分に妥協をしてこなかったはずだ。それ故の、心の隙だ。齢16歳の少女がいっちょまえの大人張りに全てに余裕を持てるわけがない。大人でも余裕が無いのに、だ。

 彼女のこういう、世の中に対する好奇心……それが彼女の心の拠り所。だからこそ、彼女だ。それはそれでいい。鬱陶しくも、可愛げもある。

 

「お侍さんや。此処はどこでしょうか?」

 

「此処?天国に決まっておろう」

 

「ああ、そうですか、天国ですか」

 

 ……は?天国?

 

「別に幽世(かくりよ)でも浄土(じょうど)でもへぶんでも好きに呼んだら良い。が、儂の知る限りそういう所じゃ。嬢等が来るにはまだ早い。帰るといい。儂は用事があるのでな、此処で待っておるのだ」

 

 侍はそう言って、再び柳の木を向いた。……ダメだ、意味が分からん。とりあえず、とっとと帰るか。道でも聞こう。

 

「あの、どちらに行けば帰れるでしょうか?」

 

「さあ?知らん」

 

 ……おう、なんやコイツ。偉そうにして知らへんのか。へっぽこ侍め、使えやしねぇ。

 

「かくいう儂も此処に来るのは久しぶりでな。なんなら行きたい場所を想像しながら足を踏み出すと良い。好きな場所へと行けるぞ」

 

 行きたい場所って、こんな草原の中で?一体何を想像しろって……

 

「よし、夜千代。腕を」

 

「あっ、オイ」

 

 クリスはそれを聞くと、強引に夜千代の腕を自身の腕に絡めて離さないようにすると、そのまま夜千代を引っ張って一歩を踏み出した。

 

「えいっ」

 

「おわぁッッ!?」

 

「達者での――」

 

 侍が別れの言葉を告げると同時に場所は草原から一転、暗い物置小屋みたいな所に移った。一瞬でだ。照明はオレンジ色のランプで照らされ、周りには机や棚やらにごっちゃごちゃによくわからない物が置いてある。分かる物で精々、緑色や紫色の液体の入った試験管、何語で書いてあるか分からない魔道書、年季の入った中世からありそうな魔女の帽子、荘厳な装飾の入った由緒正しそうな杖、不味そうな焦げた串焼きイモリ……。

 

「おい、これ……お前の趣味だろ!?」

 

 どこからどう考えても此処は「黒魔女クリス」の趣味だ。迂闊に動くなよ、こんな所で何があるかも分からないのに!

 

「あっ、夜千代!ジーマの魔女の林檎がありますよ!飲みたい、飲みたいです!」

 

「いや待て、それ酒だ!瓶詰めの赤い美味そうなジュースに見えるけどそりゃ酒だ!」

 

「ヒッヒッヒ、いらっしゃい……」

 

「のわぁッ!?」

 

 気が付いたら今度は隣にしわくちゃの妖怪のような黒服のおばあちゃんが居た。ここは店か。魔女ショップか。アンタは店主か、もう気が狂いそうだ。

 

 夜千代は早く現実に戻りたいと思いながら、此処を楽しむクリスを諭そうと必至になった。

 

 しかし、あの侍。やけに親しげだったな……。


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