新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺― 作:里奈方路灯
「イシンノソーンフォザブルォーキンハーリット」
歌を歌いながらご機嫌にコンロの上に置かれた鍋を見つめるリサ・ジャクリーン先生。まさかの白衣の上から白とピンクのチェック柄のエプロンを着けるその様は、何処か奇っ怪でありながら彼女の元来の美しさをお茶目さというスパイスで相乗させるという不思議な現象に陥っていた。
夏真っ盛りだというのに長袖の白衣、腰まで届く長い白髪、その下にノースリーブセーターに黄土色のロングズボン、更にはブーツまで履くという冷え性か何かという状態でありつつも、此処「保健室」の中ではガンガンにクーラーが冷えてたのでギリギリまともに見える。外で見たら暑っくるしい事この上無い。
そう、岡本光輝は保健室の先生に誘われて
テーブルを前にして備え付けの安っぽいイスに座る。プラスチックと金属で出来た、座り心地もへったくれも無い表面がザラザラしたイスだ。学校だから仕方ないか。
リサは炊飯器から二つの大きめの皿に湯気が立つ程のほかほかの白米を盛ると、鍋から取り出したそれ……銀色のパウチ「レトルトカレー」の封を切り豪快に盛り付ける。
「イーッツマーイラーイッ……待たせたね。保健室特製・ジパングカレーだ」
そして仕上げに。皿の端っこに扇状に切った「
特製カレー……ね。レトルトカレーがですか。いや、ご馳走だせていただくんだから、文句は言えないか。
「カップ麺だのレトルトだの……人類は進化したね。此処数年で飛躍的にだ。漬物は開けるだけ、冷凍食品だって美味い。誰がどう作っても美味いのだ。ちなみに私は料理が出来ない」
瞼を閉じながら感慨深そうに天井を仰ぐリサ。あ、そうですか。さいですか。
「ありがとうございます。頂きます」
「ああ、頂こう」
テーブルの向かい側にリサが座り、二人でスプーンを持つ。早速一口目を頂いた。
レトルトカレー……。やはりルーで作ったそれらと比べると確かに味は落ちる。落ちるのだが。これが
神の作りしアーティファクト。食文化が実に偉大かが分かる。人類が健やかに暮らす上で欠かせないものが三つある……「衣」「食」「住」がそれに当たる。その内の一つである「食」は、勿論の事人類の促進を促すため必要不可欠だ。
生き急ぎ
沢庵も食べる。ザクザクした食感に心地よい酸味と甘みが日本人の舌に合わせられたレトルトカレーと相まって予想以上に美味い。これは美味い。論外とか言ってごめんよ、沢庵。「ジパングカレー」、あながち間違いじゃないようだ。
「美味いですね」
「自分でも驚きだ。沢庵とカレー、予想以上に合うね」
……ぶっつけ本番かよ。まあいいや。美味けりゃなんでも。
「御馳走様でした」
「お粗末さま」
予想外に噛み合ったジパングカレーなる聖地バラナシのサドゥーも
「なあ、岡本光輝よ。一ついいか」
「あ、はい。なんでしょうか」
リサが光輝に問いかける。一体なんだろう。
「「この世界」が正しいと思うかね」
「……はい?」
岡本光輝はその言葉に疑問を抱いた。一体なんだろう。この世界が正しい?そりゃ俺は常にこの世界に不満を抱いているが。
リサは立ち上がると、市販の瓶詰めインスタントコーヒーを作り始めた。お湯を沸かしている。
「なるほど。分かった」
いや、まだ何も答えていない。光輝の中で謎が更に深まる。
「私たちが此処に来て何日立つか教えてやろう。30日だよ。30日の間、私たちは何でもないような「日常」をただ過ごしてきた」
彼女が何を言いたいか分からない。30日?……一体何の事だ。リサは沸騰したお湯を珈琲粉の入ったマグカップに注いだ。立ち上がる湯気をリサは嗅ぐ。
「幸せだよ。私達は幸せだ。私が今此処に在る事、こうして美味い飯を食って美味い珈琲を入れて、そして安らかに眠り次の朝が来れば――また「同じ一日」が始まる。其処には決して「新たな一日」は無い」
「あの、どういう……」
光輝は問いかけた。いよいよ以て分からない。彼女が何を言いたいか。今の光輝には理解出来ない。
「見兼ねたのだよ、この私が。君という存在が腐っていくのをだ」
珈琲を口に含んだリサは、あろう事か――光輝の胸ぐらをその手で掴み、近くのベッドへと投げ倒し、そのまま光輝の口を自らの口で塞いだ。
「~~ッッ!!?~~~~ッッッ!!!」
光輝は抗議しようとしたが、リサは予想以上に力が強い。引き離せない。リサの胸を握りこぶしでドンドンと叩く、力が入りきらない。リサの口から苦く、濃い物が流れ込んでくる。「コーヒー」だ。大分強く作ってある。ゴクリ、とついそれを飲んでしまった。うげぇ、苦い。
「ぷはっ……食後は眠くなる。君は嫌いだったからね、無理やり飲ませて貰ったよ。眠気覚ましのコーヒーを」
「ッッげはぁッ!!おいっ、アンタっ!!一体何して……」
「眠りの王子様へ目覚めのキスとでも言えば格好は良いか。まあそんな事はどうでもいいんだ。これを借りるぞ」
「あっ、おいッ」
リサはベッドの上に横たわる光輝から、抱えるようにして無理やり「脚」の自由を奪った。上履きと靴下を脱がす。
「復習の時間だよ、岡本光輝。第二の心臓は何処にある?」
次の瞬間、岡本光輝の身体に激痛が走った。リサが光輝の足裏を「指圧」したのだ。
『答え合わせだ。第二の心臓「足」を使う』
「あづづづッッッ!……、えっ、足?」
「そう、足だ。ちなみにこの痛みは「脳」がそう訴えろと発している信号による物だ。……次に。人間の身体を司る大事な基礎の部分は「心臓」ともう一つ、何処だと思う?ヒントは胸骨と頭蓋骨だ」
リサはその手を止めない。光輝の足裏をグッ、グッと押していく。それを押される度に、光輝の脳内で何かが沸き上がってくる。
「んなもんッ……、「脳みそ」に決まってんだろ……ッ!」
「そう。その通りだよ。ここからは新しい授業だ……トレパネーションを知っているかい?」
光輝は歯を食いしばって必至に痛みを堪えながらも、リサに答えていく。段々とコイツに腹が立ってきた。
「し……知るかよッ!」
「そうか。簡単な話だよ。「脳」という中枢に無理矢理アクセスして人間の限界を引き出す方法さ。一般的には頭蓋骨に穴を開けるんだがね……流石にそういう機材が無い。私の技術なら機材が無くても安全に出来そうではあるが」
おいおい、恐ろしい事を言うなよ!
光輝は恐怖を覚えながらも、今はただリサに身体を預けるしかない。とてもじゃないが痛みでまともに動ける状況ではなかった。
「先ほど頭部を触診させて貰った。流石に頭蓋越しには無理でね、更なる答えを「神の手」で作り出してやった。私のトレパネーションは「足裏」を使う。これほど「脳」に密接に語りかける器官、無駄にする訳にはいかなくてね……!」
さっき、俺の頭をこねくり回してた時か。一体なんだと思ったが、そういう事だったのか。
グッ、グッと足のツボを指圧するリサ、次から次へと脳へ訴える刺激。ついぞ、こいつへの怒りが爆発しそうだった。いつも勝手に色々しやがって。よく助けてくれるから我慢はしてたが、やはりコイツはヤクザ医師だ。ふざけんじゃねぇぞ。
「ッつ、いい加減離しやがれ、「ジャック・ザ・リッパー」!!」
口から出た言葉。何の不思議も無かった。リサはその手を離した。そして直ぐに、光輝の思考が
「……って、あれ?俺は……」
「ようやく、君が知っている筈の私の名を口にしたね」
ジャック・ザ・リッパー。ロンドンを震撼させた猟奇殺人鬼。遥か昔にその大罪人は死んでおり、現代に現れた「ニュー・ジャック」はジャック・ザ・リッパーの亡霊であった。
そう、死んでいるのだ。亡霊なんだ。だとしたら、何故。
何故目の前に、彼女が。
そもそも、暁月の下に居た岡本光輝は何処へ行ったのだというのだ。此処は何処だというのだ。
――あの時、暁は一体何をした!?
「そう、疑う事こそが君の本懐だよ。世界を疑え、岡本光輝。君の未来は「