新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺―   作:里奈方路灯

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屠月の明

 その少年とその少女は見合った。お互いに膠着、緊迫した世界観の中で二人はその状況をただ見合った。

 衣類は寝巻きだ。お互いは今すぐに寝ても仕方がないという格好でその場に立っていた、しかしてその熱はそんな連想をすっ飛ばすかのように燃え上がる。

 

 一人、少年の名は岡本光輝。何の取り柄があると言われれば特に無いが、特段目が良いという強みはあった。その手には「パイプ枕」が鷲掴みにされている。決してパイプの形の枕の事では無く、細かいパイプが内部にギッシリと詰められているが故の「パイプ枕」だ。安定感があって寝つきやすい。オススメだと光輝は自負する。

 

 一人、少女の名は鬼灯暁。取り柄があるとすればそれはすばしっこさ。腕白有り余ってか若さゆえの過ち故か分からぬが、すばしっこい。身軽で、手も足も早い。弱点があるとすればタッパか。中学二年生の女子にしては幾分か控えめの身長……伸び代はこれからだろう。そんな彼女の手にもまた「パイプ枕」。二人は従兄妹だ、好みも良く似る。

 

 場所は一つの畳部屋だ。八畳のその中に三枚のそれ……布団が敷かれている。岡本光輝、鬼灯暁、クリス・ド・レイが眠るためのものだ。地面にはまた、幾つものパイプ枕が転がっている。余程好きなのだろう。

 部屋の隅にはまた一人、クリス・ド・レイ。黒いワンピースの寝巻きを纏って、体育座りで事の行く末を見届ける。此処は「寝室」だった。誰がどう見ても寝室だ。

 

「さ、始めよっかこうくん。終焉のセレナーデを……」

 

「ああ。これは終わりの始まり(ラスト・プロローグ)だ。全てが集結し、そして終わりは輪廻を経てまた始まりを迎える」

 

 ……もうお分かりだろう。始まるのだ。彼らの誇り、意地、執着……特にそういうのは関係ないけど――

 

「ぐはっ!」

 

「がぁッ!」

 

――枕投げである。

 

 両者、初手を食らって仰け反る。しかして、次の瞬間には足元へ手が伸びる。そこにはまた、パイプ枕があった。

 

 そう、床には幾つものパイプ枕が転がっている。なぜなら、枕投げの為に暁が配置したからだ。妥協は許されない、これは本気の枕投げだ。

 

「ぜぇい!なはっ!?」

 

「ぞぉらッ!ぼふっ!?」

 

 お互いにその投げを避けない。二人には異能力「超視力」があるのに、だ。これは岡本光輝だけでなく、その従妹である鬼灯暁にも宿っている能力だ。「親の遺伝」――二人はその先祖から能力を受け継いだ、いわば「同類」に当たる。異常なまでの動体視力、たかだか人の枕投擲を避けるには十分すぎるだろう。しかし、避けない。

 

 そう、なぜ避けないのか……簡単である。投げられた枕を避ければ後ろの襖に当たってしまうから。うっかり壊した日には目も当てられない。受けの美学。これが、枕投げの正解だ。「怒られずに楽しむ」。理屈は完成していた。

 

 外してはいけない投擲合戦。当てるという事を楽しむ。その他になんもルールなんて無い。決まりごともなく、言ってしまえばこれは「子供の遊び」だ。だからこそ、本気で楽しむ。

 

 下らない?ちゃちい?「だから」だよ。遥か太古――俺達がまだ保育園や小学校に通ってた時のことだった。昔はなんでも楽しんだ。ウルトラごっこでどっちがウルトラをやるか揉めたり、どれだけ現実性を目指せるかというおままごとに情熱を注いだりした。石けりだって、白線の上だけを歩いた事だって、果物の香りが付いたボールペンを集めたりだとか。そういうどうでもいい事に本気で取り組んだものだ。……高校生にもなってそんな事はしないだろう。

 

 そう、久しくあった家族と。互いが互いに本気で馬鹿になれる相手と。昔を振り返りつつ、情熱を注ぎ合うためだ。

 

「――視えた!」

 

 枕を光輝に当てて一瞬の隙を作った暁は、瞬時に光輝の元へと向かった。光輝の軸足、左足に対して暁は強烈な「ローキック」を放った。

 

「なッ――」

 

 岡本光輝の空中浮遊。天地がひっくり返り、中空でその姿が逆さまになった。足が天へと放り出されたる。

 

「必殺!」

 

 暁は軽く飛んでその両足をしっかりと掴んだ。握り締めて。そして、まるでホッピングで遊ぶかのようにそのまま――地面へと降り立つように光輝の頭を畳の上に敷かれた布団へと叩きつけた。パイルドライバーだ。

 

「ダルマ落としっ!!」

 

「っ、んのぁあああぁぁぁぁ~~~ッッッ!??」

 

 暁が拘束を離すと同時に光輝は布団の上で頭をのたうち回る。その悲鳴はとても痛そうで――いや、痛い。痛くて当然だ。なんせクッションがあるとは言え、モロの頭からいったのだから。

 

「カンカンカーン!ウィナー、マスク・ド・ダルマーン!」

 

 腕を大きく広げガッツポーズを取る暁。その表情はとても嬉しそうだ。

 

「あ~か~りぃ~!!」

 

「えっ、リバサはやっ!」

 

 その次の瞬間には光輝が暁の体勢を崩し、足を足へと頭部へと、手を胴体へと複雑に相手に絡めるようにして固め技で返した。卍固め(オクトパス・ホールド)だ。

 

「首からいくタイプの技は禁じ手だっていつも言ってるだろ!?頚椎が折れたらどうする!」

 

「あだだだだっ!い、いや、やっぱあーいうのが投げ技の華だしさ……」

 

 反省の色、無し。やることは決まった。

 

「悪い子にはおしおきです」

 

「だっ!だだだ!それ以上締めるとアカンてこうくんっ!」

 

 枕投げからいつの間にかプロレスへ。そんな光景を見てクリス・ド・レイは呟いた。

 

「これが文献にも載ってたジャパニーズ・修学旅行……楽しそう……」

 

 できれば真似をしない方がいいのだが、得てして楽しいことには悪いことが付き物だ。イタズラ心を経てして子供は大人へと成長していく物であるから。……本当に真似しなくていいと、余計なものを見せてしまったと岡本光輝は確信した。彼女の重力制御があれば危険なプロレス技も自由自在だろう――

 

――激しく動いた後は、ぐっすり眠れるもので。プロレスごっこの後に、岡本光輝はばったりと倒れこむように床に就いた。そして刻が過ぎて。

 

「……」

 

 まだ暗い中でその瞼を開けた。横に引っ付いてたクリスを起こさぬように枕元の携帯を確認する。五時前。随分早すぎる時間に目が覚めてしまった。暁は居ない。トイレか腹でも減ったか。

 

 そもそもとして男子一人と女子二人が一緒の部屋で寝ること自体アレだが、もうしょうがないので無視する。何も起きんだろう、多分。何も無けりゃ、タダの役得だ。平常心(ビークール)だぜ、俺。

 

「……まぁ」

 

 そんな幸せな状態の中で、しかして妙に二度寝する気にはなれなかったので、少し空でも眺める事にした。今日の夜は神宮(じんぐう)大篝火(おおかがりび)を見る予定だから夜に早々に眠たくなる事は避けたかったが、軽い気分転換だ。またその内に眠たくなるだろう。そう思って、クリスをそっと引っペがして屋敷の庭に出た。

 

 置いてあったサンダルを適当に履き、ジャっジャっと音の鳴る砂利を歩く。流石に寝巻きでは明朝の風は冷たく、しかしそんな澄んだ空気の(もと)で夜を見上げると其処には満天の星空。イクシーズで見るそれとは比べ物にならない、心躍り昂ぶる世界。「超視力」にかつて見た情景が強烈に叩きつけられる。

 

 此処だ。此処が、俺の故郷だ。

 

「綺麗でしょ本当に、久々に見ると。私はもう見飽きたんだけどね」

 

「……ああ」

 

 その場には先客が居た。鬼灯暁。まだパジャマ姿だ。彼女もまた、この場で空を見ていたようだ。

 

 静寂な幻界(げんかい)の中で暁が空に向かって指を差す。光輝がそれを見やると、それは左弦に限界まで欠けた月の形だ。

 

「あれ。暁月(ぎょうげつ)って言うんだ。広い定義では満月から新月になるまでの欠けていく月をもっぱらそう呼ぶそうだけど、私はあの一番ギリギリなのが好きかな。無くなる直前だ」

 

 その表情は静かだが、視て分かるように笑顔だった。柔らかな笑み。彼女はこれが本当に好きなんだろう。

 

「へえ。俺は月っつーか、何が好きかって言われりゃ……天の川か。冬でも見れるんだよな」

 

 岡本光輝は盛大な空が好きだ。限りない蒼羅(そら)が好きだ。その先には終わりが無いようで、限界など無いと。この世界に不可能なんて無いと訴えるように果てしなく広がっていく。

 

「やっぱこうくんだね、昔から変わらないや。……うん、決めた」

 

 暁は空から光輝へ眼を映す。眼と眼が合った。同じ能力「超視力」――そして恐らく、同じように「霊視」を。彼女もまた、幽霊が視えるんだろう。彼女は視て見せた、「ムサシ」のその姿を。

 

「私ね。日常が大好きなんだ。日々が好き。普通が好き。平凡が好き。大好きなんだ」

 

「いきなりなんだよ」

 

 暁は饒舌になる。何かが彼女を駆り立てたのだろうか。

 

「だから、その日常が壊れるのは嫌いでさ……親戚で、従兄で、家族で。昔はいつも一緒だった……いつも隣に居たこうくんが。一緒に遊んで、一緒にご飯を食べて、一緒に眠って。そして「あの時」からこうくんが居なくなった時、凄く寂しかったんだ。大事な心が引き剥がされたような感覚だった」

 

 岡本光輝はかつてこの地に住んでいた。しかし、訳あってこの地から離れることになった。暁はそれを孤独に感じていた。痛がっていた。

 

「気付いたんだよ。私の中ではね、いつでもこうくんが居て。何でも言い合って、何でも分かり合って。私の隣に居てくれる「岡本光輝」って人物が、とても大切な事に気が付いたの」

 

「なんだよそりゃあ。愛の告白か」

 

 光輝は茶化して返す。要領を得ない。一体なんだってんだ?

 

「うん、そう。私はね、鬼灯暁は。岡本光輝が好き。この世で一番大好き。多分それは変わらない。あの世でもね」

 

「――」

 

――は?

 

 脳みそが一瞬固まった。凝り固まっている。柔軟性を持てない。彼女は何を言っている。

 

「こうくんがお盆に帰ってこなかった時、とても悲しかったの。でも大丈夫、今はこうして此処に居るから。そして帰って来た。すごく嬉しかった。多分、今まで生きてた中で一番嬉しかったよ。こうくんにも幽霊が視えるって分かった時はもっともっと嬉しかった」

 

「おいおい、待てよ。お前は一体何の話をしている?」

 

 光輝は脳内で暁の言葉を理解しきれていない。余りにも突拍子が無さすぎる。

 

「好きって一体」

 

「そういうことだよ。結婚したいとか、そういうこと」

 

 いやいや、待て待て。

 

「俺たちゃ従兄妹だ」

 

「日本では四親等は結婚オッケーだよ。従兄妹は丁度四親等、結婚できるんだっ」

 

「よく調べてらっしゃる……」

 

 頭を抱える光輝。こういう減らず口は誰に似たのか。しかし、とてもじゃないが理解出来ない。

 

「恋なんて一過性のモンだぞ?」

 

「恋はね。愛ならどう?」

 

「おおう……」

 

 そう返すか。返す言葉もない。暁は口説きを止めない。

 

「私はね、変わることが嫌なんだ。先へ進むのが嫌い。怖いから。だから「進化する者達(イクシーズ)」なんて街、絶対に行かない。私が異能者だってのは分かってるけど、絶対に行かない」

 

「……そりゃあ、俺だって家賃が安く無けりゃ行かなかったさ」

 

「ごめん、それは本心じゃないよ。言ってしまえばこうくんは、お父さんが死んだこの場所から離れたかった。だから向こう側に行った。……ごめん、本当にごめん。これを言うのは卑怯だけど、こうくんには私の本心を聞いてもらいたいから」

 

「……いや、いい。自分でも分かってる。そうだよ。逃げた。後悔はしてない」

 

 これは本当だ。岡本光輝はこの土地から逃げた。イクシーズへと。しょうがなかった。粉々になった心を修復させるためには必要だった。

 

「私もそれで良かったと思ってる。こうくん、あの日より絶対に笑顔になったもん。私だけじゃきっと出来なかった。そこだけはあの街を評価してあげる……進化する人達の中に居る気分はどうだった?」

 

「意外と良いと思えたよ。あれはあれでいいもんだ。俺も目標を持てた。あの俺がだ」

 

 三度の飯と同じぐらい日常を好む岡本光輝が自分へ変化を促そうとしている。これも本当だ。

 

「そう。こうくんは凄い人。感受性が高くて、優しくて、器が広いの。まるで「神器(じんぎ)」……神々(こうごう)しき大器(たいき)。それはいいの。私はあの街へ行けない。自分でもダメな人種だって勘付いている。でもそういう人が居るのも事実だって。鬼灯暁――「黎明(フィサリス)」だなんて大層な霊名(いみな)を受け賜っておきながら実のところ私は(うつ)ろうことを(よし)としない。でもしょうが無いんだ。親が付けた名前の道理(とうり)に子が成長するわけじゃない。そこにあるのは願望。人が神様に頼むというお願いだから」

 

 暁は心中の吐露をやめない。光輝はそれを受け止めるように聞いた。

 

「だとするなら、共通点は――あの空の月。「暁月(ぎょうげつ)」。私の名前と同じ「(あかつき)」という字。あの姿はね、とても美しいの。今にもその姿を無くさんとするばかりの形。屠月(ほおずき)(あかり)。もう少しもすれば、月が無くなってしまうという直前。だからいい、それがいい」

 

 彼女は思いつめていたのかもしれない。変われないというがんじがらめの中で、ここまで生きてきたのだろう。ならば光輝は邪魔できない。人の弱さを知っている。人間は弱い。とてつもなく脆い。心があるから。彼女の心が今も尚壊れないでいること、むしろそれを救いだと思ったほうがいいのかもしれない。

 

 暁は欲しがるように手を伸ばした。それは他の誰でも無い岡本光輝へと。

 

「だから、ね。伊勢(ここ)で一緒に暮らそう。もう一度、昔みたいに」

 

「……」

 

「勿論ただじゃないよ。これは一方的なお願いだからね。私も、私の出来る限りでこうくんに尽くすから。それこそ、何でも」

 

 取りあぐねた。光輝はその手を取ろうとした。彼女は光輝の家族だ。光輝が彼女を信じなくて誰が信じようか。

 

 しかし、取れない。彼女の背後に「何かが」視える。それはなんだ。一体なんだというのだ??――

 

「さあ、ここからは私の独壇場。こうくんにも見せてあげる。私達だけの「理想の世界(ユートピア)」を……」

 

――そしてもう、その場には誰も居なかった。空から暁月が、ただ世界の閉じた形を照らしていた。


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