新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺―   作:里奈方路灯

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離反3

 岡本光輝は自分を失うのが嫌だった。この世界から切り離されてしまうのが嫌だった。

 

 つまり、死ぬこと。それは、とても怖かった。

 

 昔は、こんなよくも分からないことを悩むような性格じゃなかったと思う。もっと呑気で、気軽で、素直に生きることができたと思う。いつからこんなに(ひねく)れた、(こじ)れた、()()がったような性格になってしまったか。その時期は覚えている。

 

 今から二年前、父親が自殺した時からだ。大雨の中、父は海に身を投げた。

 

 父は明るくて、笑顔で、皆から愛されていたとは思う。そんな父がなぜ自殺したか、思い当たる節はあった。

 

 なんの変哲もない夜、光輝は寝ている途中でトイレに行きたくなって起きた。既に夜深く、父も母も寝ていた。暗いリビングを電気で照らし、ある一枚の紙を見てしまった。

 

 テーブルに放られた、うつ病の診断書。もし今でもあの時に戻れたのなら、と考える事はある。けど、それは過ぎ去ってしまった事で。

 

 それから1週間もして間もなく、父は自殺した。篠突く雨が降り注ぐ秋の夜の中。あれから秋雨の夜は碌な事が無い。まるで、あの父の過去を連想させるかのように。いつも、胸騒ぎがする。

 

 父はきっと頑張りすぎたんだろう。周囲から期待され、信頼され、尊敬され。だから頑張らざるを得なかったのだろう。だから死んでしまったのだろう。父は殺されたのだ。周囲と、自分に。

 

 そして、俺は嫌になった。周囲の期待も、信頼も、尊敬なんてもってのほかだ。俺は俺の物だ、他の誰の物でもない。他人の為に死んでやるなんて、以ての外で。生きるということが、全てであると。だから自分で周りを切り離して、薄皮一枚だけ残して世界の端っこにとどまっていて。そうすれば、わずかな楽しみでいい。この世界で、幸せを享受することができる。

 

 それで正しいと、あれから今まで信じ込んできた--

 

--岡本光輝は動揺する。自分をこんなに求めてくれる人が居る。それは本来、喜ばしいことなのだろう。けれど、光輝にとってはそれが苦痛だった。

 

「……っ、やめてくれ、俺はお前に話すことなんて何も無い」

 

 自分の心を曝け出すというのは、相手に心臓を差し出すのと同じだ。魂をわし掴みにされ、自由に動けなくなる。そうなれば、自分は終わりだ。光輝は、そう思っていた。

 

 けれど、今この場面では、本当にそれが正しいのか理解らなくなって。

 

「嘘ですよ……光輝、凄く辛そうな顔してます」

 

 まるで家族を労わるような、悲しそうなクリスの瞳。やめてくれ、そんな目で俺を見ないでくれ。

 

「俺は辛くて結構だ……生きてりゃ辛いこともあるだろ」

 

 当然だ、それが生きるという事だ。辛いことを耐えて、だから楽しいこともあって。だから、それで良くて。

 光輝は切り捨てようとした。けれどクリスは、諦めない。

 

「話せば辛くなくなるかもしれません」

 

「くどいッ、そんなもん要らないんだ!」

 

 光輝は本心を明かしたくない。それは、どうしても。自分の本心は、自分の表面よりももっと最低だという意識があるからだ。

 

「光輝、私を本心で求めた事があるって、ジャックが言ってました。私、光輝の為ならなんでも出来ます。悩んでいるのなら、いくらでもぶつけてください。私は、光輝の求めた通りにします」

 

 何を言っているんだ、コイツは。そんなもの、求めていない。俺のためにお前が差し出されるなんて、そんな言葉で、俺がお前を奪うとでも思っているのか。

 

「だったら知ってるはずだ!俺じゃお前と釣り合わないんだ!俺が嫌なんだ!俺が最低だから、お前とは付き合えないんだ!求めたくないんだ!」

 

「……どうして、光輝、凄い人ですよ。私を助けてくれた時だって、王座の時だって。他人の為に頑張れるなんて、誰でも出来ることじゃないんです……!」

 

「……ッ!」

 

 光輝は過去を回想する。そうだ、あの時から、俺の歯車は狂ったんだ。

 

「あの時助けてもらって、私、そんな光輝に憧れたんです!だから……」

 

 あの時を思えば思うほど、自分を憎みたくなる。

 

「……もっと自分に自信を持ってください……貴方は、貴方が思っているよりももっと、凄い人です……」

 

 違う。俺は俺の為に動いた結果、自分の首を絞めたのだ。単なる自業自得だ。

 

「っ……あの時からだ、あの時選択を間違わなければ、俺は苦しまずに済んだんだ!クリス、お前を俺が助けたから!」

 

 それは、なんだかんだと言い訳を付けて、重ねて、自分が悪いと御託を並べて。結局は、責任転嫁でしかない。クリスを助けたからだという、責任転嫁。

 

「……」

 

「あの時、俺がお前を気にかけなければ!あれからだよ、俺が義なんて物に拘ってんのは!」

 

 それはなんとも最低な言葉だと、自分で理解している。あそこでクリスを助けなければ、クリスは死んでいただろう。この言葉は、紐解けば「クリスが死ねば、俺は苦しまずに済んだ」と。そう言っているのだ。

 

「クソ、どうしてこんな事にッ!」

 

 光輝は自暴自棄だった。この場でクリス・ド・レイを、切り捨てる気でいた。そして、いつもの日々に戻って、そして生きていけばそれでいいと。早く、俺を解放してくれ。そう思った。

 

 しかし、クリスはその言葉に怒りなどしなかった。

 

「……ごめんなさい」

 

 吐き出されたそれは、謝罪の言葉だった。

 

「私があの時、出しゃばらなければ、光輝は苦しまずに済んだのに……本当に、ごめんなさい」

 

 クリスは光輝を受け止める。否定される気で居た光輝は、まさかの肯定に困惑する。

 

「……っ」

 

 その言葉を聞いて、光輝は今更に気付いた。クリスに向かって、凄く酷いことを言ったのだと。それでもクリスは、悪いのは自分だと言って。理解した光輝は、憤りの行き場など失って。ただ、自分の行いを、とても愚かだと思った。

 

「……ごめん」

 

 それだけ言って、光輝は家を飛び出した。

 

「あっ……」

 

 クリスは追えなかった。光輝を、自分が苦しめているのだと思ってしまって。


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