新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺―   作:里奈方路灯

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第六章 満月の夜のパーティー、吹きすさぶ奇術の疾風
ジャックとクリス


 九月のある日、週末の土曜日。折角の休みだというのに、外で空も眺めず、読書をするわけでも音楽を聴くわけでも無く、岡本光輝はベッドの上で横になっていた。それには理由がある。

 

 なぜなら、体が動かないからであった。

 

「うおおおお、やばい、体中の至る所が悲鳴を上げている……」

 

『まあ当然の結果だろう、お前さんの体はそんな頑丈に出来ちゃいない。あれだけ限界を超えてよくその程度ですんだよ』

 

「はは、ムサシのフィードバックのお陰だな……」

 

 昨日の龍神との戦いで、体を余すことなく駆使した代償だ。光輝の体は、激しい疲労と筋肉痛に見舞われていた。少しでも動かそうものなら体が拒絶反応を起こす。しかし、その代償に見合った報酬は得ることが出来た。そこにはなんの後悔もない。

 

 そして、今の光輝には「ムサシ」ではなく「ジャック」が魂結合を行っていた。その理由は、ジャックが意図的に体の修復を脳から全身の各部へ通達し促進させるという人間とは思えぬ離れ業が出来たからだ。これは能力によるものではない、ジャックの特技のようなものだ。流石は天才外科医。猟奇殺人鬼ではあったといえ、その才能は確かなものだった。そして、光輝は今ジャックの特技の効力を受けている。体の修復も、明日には終わっているだろう。これはジャック談だ。

 

 まあ、とにかく今日一日安静という事は変わらないんだけどな。それに、仮に動こうとしてもそれは不可能だ。

 

「光輝、お粥が出来ましたよー。私自慢のおいしーいお粥ですよー」

 

 台所から耐熱のスープ皿に出来立て熱々のお粥を盛って運んでくるクリス。仕事で母が居らず、クリスが料理を作ってくれたのだ。

 

「おう、ありがとう。さんきゅー、置いといてくれ」

 

「いえ、光輝は体を動かすのが辛いでしょう。私がふーふーして食べさせてあげます」

 

「……まあ、頼む」

 

 ロンドンからの留学生にて光輝の家にホームステイしているクリス・ド・レイが付きっきりで看病していてくれたからだ。

 彼女は光輝に好意を抱いている、らしい。なので、光輝が無理をしようとするとクリスが許してくれないのだった。

 

「ふー、ふー……はい、あーん」

 

 今更この年でまさかお粥をふーふー、あーんして貰うことになるとは一切思わなかった光輝だが、彼女の好意をここは甘んじて受け入れる事にしよう。毒が入っているわけでもなく、そして……うん、美味いのだ。程よく、決して嫌にならない薄味の優しいお粥。怪我をしている時には丁度良かった。

 クリスは料理が上手だった。日本人の舌に合う料理の技術を教育されたらしく、その味付けは本来出身国の違う光輝の舌にジャストミートしていた。努力もあるが、才能もあるのだろう。流石は黒魔女、ロンドンの英雄か。

 

「すまないな、わざわざこんなことまでしてもらって。別に外に遊びに行ってもいいんだぞ?つまらないだろう」

 

「いえ、私にとっては光輝と一分一秒でも長く一緒に過ごす事が幸せですので。他の優先順位などありません」

 

「はは……」

 

 まあ、彼女がそうまで言うのならばしょうがないのだが……もどかしい。

 光輝はまだ、クリスの想いに答えられずにいた。クリスは光輝を好きだと言ってくれた。しかし、光輝はまだ友達で、と返した。それには理由がある。それは、光輝自身がクリスと釣り合わないからと思う故であった。

 

 クリスはそれでいいのかもしれない。しかし、光輝はそれが嫌だった。誰かの負担になるのが情けなくて嫌だった。それはエゴイズムであるが、光輝が自分を認めるために確かな大切なもの。だから、光輝は答えられない。今のまま気持ちを受け取ってしまうと自分に嘘を付くことになる。それは自分の中でも、クリスに申し訳が立たないのだった。

 

 はは、いっそ俺より良い奴がクリスの前に現れてくれたらな……なんて。

 

『本当にいいのかい、それで』

 

 脳内で聞こえるジャックの言葉。まるで光輝を疑うような言葉だ。

 

 いいもなにも、このままじゃクリスが浮かばれないだろう。いつまでもこんな最低な奴の元に居るよりよっぽどいいさ。

 

 卑屈な考え、光輝の十八番。世界を黒の色眼鏡で捉え、自分の姿を映し出す。--ほら、こんなにも黒いじゃないか。

 

『まあ、それもアリか。いいだろう、ちょっと失礼』

 

 ジャックが言い終えた次の瞬間、グンッ、と光輝の意識が内側に引っ張られるような感触。何をもってして内側、と感じたのかは分からない。ただ、例えるならそのような感触だった。

 

「ふうん、行けるものだね。なあ、岡本光輝」

 

「え、どうしたんですか?」

 

『ッ、な!?』

 

 光輝が脳内で叫ぶ。口に言葉として出せない。代わりに口から出されたのは、別の人間の言葉。いや、正確には幽霊か。

 

「やあ、久しぶりだな、黒魔女。で、良かったかな?」

 

「えっ……え?」

 

 まさか、とは思うが間違い無い。他に考えようもなく。今、光輝の体には「ジャック」の意識が入っていた。

 

『おい、どういう事だ!?』

 

 光輝とジャックは魂結合をしていた。それは完璧でないもので、それは今もその通りの筈だ。現に、光輝とジャックの意識は統合せず別れている。ならなぜ、ジャックが俺の体の意識を奪っている!?

 有りうるとするのならそれは意識の交代。確かに、ジャックと光輝は似た波長を持っていた。しかし、まさか譲渡が可能とは……いや、正確には強奪か。光輝はジャックに意識を渡そうなどと思っちゃいない。当然だ、殺人鬼に体など明け渡せるハズがなかった。

 

 思い返す。そう言えば、夜千代の体を診察した時も体は自分の意思とは関係無く動いていた。まずい、魂結合のリスクを見誤っていたか……?

 

 悩む光輝をよそに、ジャックはベッドに横たわっていたはずの光輝の体を起こし、自立させた。本来なら体全体がまともに動かない状態を、だ。

 

「私だ、「ジャック」だよ。今、岡本光輝の体を借りて出張中だ」

 

「……ッ!」

 

 瞬時、クリスは持っていたお粥をちゃぶ台の上に置き、後ろに下がって黒い靄を纏う。クリスの能力、「重力制御」だ。

 

 クリスは知っている、光輝の中に殺人鬼「ジャック」が入っていたことを。故に飲み込みが早い。

 

「今更なんのつもりかしら?」

 

「まあ、そう身構えるな。私が出てきたのは他でも無い、岡本光輝の体の治療のためだよ」

 

「……話を聞きましょう」

 

 存外、素直なクリス。光輝の為を思うと、仕方なく頷くしかなかった。

 

「よろしい。いいかい、私は体の調子をコントロールする事が出来る。それは魂結合として心の内側に居るよりも外側、つまり実際に意識として体を動かせる時の方がより精度がいい」

 

 ジャックは今、肉体に軽度な「リミッター解除」を行っていた。体の痛覚を麻痺させ、体を無理矢理動かす方法だ。アドレナリンと併用したこれは手術、はたまた戦闘で大いに役立ち、ジャックの過去の栄光と犯罪を可能にしてきた物でもある。

 

「それで、どうしたのかしら。安静にしていた方が良くなくて?」

 

「いや、折角動く体を久々に手に入れたんだ。してみたい事もあるだろう。リハビリだよ」

 

「え--ちょ、ちょっと?」

 

 そしてジャックはクリスに近づく。クリスの目の前にあるのは光輝の体だ、下手に能力対象にするわけにもいかない。最後の防衛戦は貼るため、気持ち程度の重力制御を纏わせてはいるが、今はその効果はまるで無いに等しい。ジャックはクリスのその手をそっと握り、クリスを背後の壁に優しく押し付けた。

 

「きゃっ、な、何を……」

 

 抵抗をしないクリス。ジャックの見た目、というより肉体が光輝の物であることもあり、動けない。光輝にこうされてるかと思うと、気持ちに危機感ではなく昂ぶりを感じた。

 

「何、普段岡本光輝という少年が感じている劣情を実践してみたいだけだ。なにしろ、魂結合というのは本人と感情を共有するに近い者だからね、今彼と私の感情は少なからずリンクしている。そして今私が行おうとしている事は岡本光輝がしてみたいことに他ならない」

 

『ま、待て!俺はそんな事は一切思って……』

 

 嘘を言え。君はクリスと恋仲になるのを拒んではいるが、男としての劣情は隠しきれていない。君は本当ならクリスに触れたい、クリスと交わりたい、そう思ったことがあるはずだ。違うかね?

 

『い、いいや違うね!』

 

 頑なに否定をする光輝。何処までも強情で弄れた少年だよ。しかし、肉体は正直だ。

 

 ジャックの意識が入った光輝の肉体は不思議な事に、体の血流が良くなり心拍数が上がっている。興奮状態、肉体の活性化が行われていた。

 

「岡本光輝は常に自分の感情に嘘を付いている。本当なら行動したくてしょうがないのに、自分を騙して生きている。それはアンタの為だよ、黒魔女」

 

「私の、為……?」

 

 ジャックは困惑するクリスに話を続ける。

 

「彼はアンタの好意を悪くないと、むしろ良いとすら思っている。しかし答えられない。岡本光輝自身が自分に自信がないから、アンタと釣り合わないと思っているから保留しているのさ。負い目を感じてる。つまらない事で苦しんでるんだよ、彼は」

 

『何を勝手に……!それ以上喋んな!』

 

 いつまでも煮え切らない君の態度を、魂を共有する私が看過出来なくなっただけさ。昨日のフルマイナスで、君と魂結合を幾度となく重ねて理解したんだよ。君はいい加減、感情を明らかにすべきだと。

 

 憤る光輝と、淡々と述べるジャック。

 

「そんな、光輝が、だって、光輝は素敵な人で、負い目なんてどこにも……」

 

 しどろもどろと言葉を重ねるクリス。まだ理解が追いついてないらしい。

 

「それはアンタの意見だろう、これは岡本光輝本人の意見だ。アンタがどう言おうと彼に届かない。だから……」

 

 ジャックは壁に押し付けたクリスの脇腹を、服越しに手で下からなぞっていく。その行動に、クリスは声を漏らす。

 

「んっ、な、何を……」

 

「私が行動を起こす。感情を暴走させれば彼も気付くだろう、自分の感情に」

 

『おい、ふざけんな!ジャック、おいコラ糞医者!ヤブ!体返せ!闇医者!ヤクザ医師!』

 

 脳内で罵詈雑言を訴える光輝をジャックは無視して、その手でクリスの体に触れていく。

 

「彼はアンタに誘惑される度にその体に触れたいと思っていた。今動いているこの手は、彼の本心だ」

 

 ジャックの手がクリスの体を撫で上げ、脇腹から脇へ。服の上からでも判る女性特有の体の柔らかをその手に感じ、光輝の体の心拍数は上がっていく。勿論、それはクリスもだ。顔が赤くなっていく。

 

「ちょっ、ちょっと、やめっ……」

 

 言葉では返すが、体は動かない。なされるがままだ。

 

「拒まないんだね。いや、拒めないのか。これが岡本光輝の体だからかい?それとも……」

 

「や、やめなさいっ!」

 

 ジャックは体を触るのを一度やめると、壁で後ろに逃げ場の無いクリスの体をさらに固定するため、足をクリスの股の間に差し込む。ただでさえ赤い顔が、さらに紅潮していく。

 

「彼のしたいこと、だからかい?」

 

「……これ以上は、駄目、光輝で、ないと……」

 

 必死の抵抗。クリスは迫るジャックの顔から目を逸らし、合わせない。今見てしまったら、完全に肯定することになる。目の前にあるのは、光輝の体、そして奥底の心。いつもの彼ではない。それを否定出来はせず、しかし肯定したくない。クリスは、いつもの光輝とそういう事がしたい。彼が口で、本心を喋ってくれる事を望んで。

 

 しかし、ジャックはそこで止まらない。クリスの体に体重を預け、耳元でこう囁いた。

 

(わり)い、クリス。俺、ここまで来たら止めらんねーわ」

 

「……っ!?」

 

 そこでまさかの選択。ジャックは光輝の口調を真似だした。クリスは頭で分かっている。今の光輝は、いつもの光輝ではない。そこに彼の当たり前は無く、例え意思が合っても、受け入れてはいけないのだ。

 

 けれど、分かっているのだけれど、体が動かない。萎縮し、心臓の鼓動が止まらない。触れ合っている光輝の体の鼓動も伝わっている。その言葉は、光輝の声による言葉で。それだけで脳髄が痺れそうになる。

 

 憧れていた。光輝にこうしてもらうことを、待ち焦がれていた。いつだってクリスはアピールしてきた、光輝を振り向かせるためのパフォーマンス。光輝はいつも苦笑して、受け入れてくれなかった。

 

 今、この時。クリスの心は大きく傾いている。そのまま流されてしまえ、と。折角のチャンスなんだ、相手はジャックとはいえその奥底は光輝の本心、意識だ。ならば何も嫌なことは無く、恥ずかしくも嬉しい。

 

 動けないクリスの体をジャックはソフトタッチしていく。(かいな)(ほお)(てのひら)大腿(だいたい)。異能力「神の手」によるその手運びは鮮やかでいて、して決定打を与えない。あくまで優しい愛撫。もどかしくて、達せなくて。

 

「なあ、クリス。そろそろいいか?俺、もう我慢できないんだ……」

 

 ジャックによる、(うなじ)への口付け。その感触は唇が触れるだけでなく、舌でれろり、と舐められることによりとてつもない衝撃となりクリスの脳を揺さぶった。

 

「~~っ!?」

 

 遂に立っていられなくなったクリスはその場にへたり込む。股に差し込まれていた足はそのままクリスの体重に押され、床に二人は倒れこむ。クリスは壁に背を付けたまま足を投げ出し、ジャックはそれに覆いかぶさるように、投げ出された足の股には変わらず膝が差し込まれ、クリスは先程よりも身動きが取れない。

 

「ちょ、ちょっと、待ってくださっ、心の準備がっ……!」

 

「大丈夫だ、直ぐに終わるさ。……始めてか?」

 

「--っ」

 

 ジャックは超視力によりその表情を逃さない。

 

「大丈夫、痛いのは最初だけだ。優しくするから」

 

「あ、あの……」

 

 クリスの最終選択肢、イエスか、ノーか。

 

「……はい、優しく、お願いします……」

 

 答えはイエスだった。

 

 さあ、岡本光輝。後は君のしたいがようにするがいいさ。

 

 瞬間、グンッと引っ張られるような衝撃を受け、光輝とジャックの意識が入れ替わる。

 

「っ、と……」

 

 気が付けば、光輝の眼前。すぐそこにはクリスの顔が。目と鼻の先、少し顔を前に出せば唇と唇が触れ合ってしまう距離。

 

 光輝の左手はクリスの肩に。長い黒髪を潜って襟から差し込まれた指先が、クリスの脰を撫でていた。

 

 光輝の右手にはクリスの大腿が。捲れたスカートの内側に潜り込んだそれは、クリスの柔肌と直に密着し、柔らかく、程よく肉のついた、そして弾力のある太股に指を沈ませて。その少し先は、言うまでもなく。

 

「--」

 

 瞬間、ボンッと音を立てて光輝はその場に崩れ落ちた。顔は真っ赤で、ピクリともしない。

 

「光輝っ、大丈夫ですか!光輝!?」

 

 それから丸一日、岡本光輝は起きなかったという。そして起きた光輝は、二度とジャックに体の所有権を渡してやらないことを決めたそうな。


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