新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺― 作:里奈方路灯
スーパーでの仕事を終えて夜。好青年という言葉がよく似合うと言われる彼、土井銀河は仕事帰りに家にそのまま帰らず、イクシーズの中央区市街までやってきていた。
普段ならこの時間帯にもなると眠気がやってくるものだが、今日はそうもいかない。心の中に少しばかりの緊張を抱き、人が行き交う夜の街を歩いていた。こういう時、特徴が無いというのは非常に便利だ。誰も、彼を一般人としてしか認識しない。彼が
そして、何処の誰に目をつけられるわけでもなく、ある一件の建物に入っていく。何の変哲もない、二階建ての建物。それはまるで、フラグメンツの本拠地のように一見無個性だった。そこには何の異常も無い。
建物の中を進む土井。閉じられた金属製の分厚そうなドアの前へ立つと、まるで土井を待っていたかのように備え付けの小型モニターに「rock」と表示されたドアが「open」となり、ドアが自動で開いた。本来は、指紋認証型のドアだ。土井は指紋認証機には触れていない。遠隔操作だ。土井がドアを抜けると、また自動で閉まる。
ドアの向こうはまた通路になっており、途中からは下り階段だった。階段を下って、下って、さらに下って。どこまであるのだろうという階段を経て、ついに目的の部屋へ。土井がそのドアの前に立つと、また自動でドアが開く。
「やあ、いらっしゃい」
ドアの向こうには、12畳の畳が敷き詰められた床に、壁際の床の間には昇り龍の巻物にソテツやドラセナ等の観葉植物、並べて飾られた幾つかのマトリョーシカ人形。向かいの壁には200インチ程の大きな電磁型ディスプレイが埋め込まれている。
部屋の四隅には人を象った石像がそれぞれ四つ、反時計回りの方向に別の石像の方向を向けられて設置されている。中央には巨大な円型の大理石のテーブル、テーブルの中央には悪魔のような像が置かれ、それを囲むように配置された複数の円型のソファ。
そして畳の部屋の奥の開けたスペースには黒い玉石の床とそれなりの大きさの噴水が設置されており、その中央の台座には紅く輝く丸い宝石のような物が祀(まつ)られていた。和洋入り乱れ、なんてレベルじゃない、とんでもなくちぐはぐな部屋。一貫性というものが無い。いかにももの好きが作りそうな、不思議な部屋だった。
そして、そのソファに座る人物が一人。赤や橙など、色とりどりの暖色の模様が描かれた和装を身に付け、天然の赤髪を短く切りそろえた、もう50歳にはなるだろうという顔に皺を刻んだ婦人であった。土井を言葉で迎える。
「どうも、
「やあね、
「ありがとうございます」
婦人、
こんな存在と近くで話し合うなど、それはとても恐ろしいからだ。
「どう、最近のあの子達。夏恋ちゃんと天津魔君、うまくやってる?」
「はは……いや、なんともです。お互い正直ではあるんですが、いかんせん素直でなくて……」
凶獄夏恋は、彼女の娘だ。彼女にも親の意識はあるらしく、中々気にかけている様子ではある。二人の関係を見ていて土井が思うのは、煩わしい。そんな感情だった。
「全く、いつになったらくっつくのかしらあの二人は。そんなんじゃおじいちゃんとおばあちゃんになっちゃうわ。君みたいに、好きだったら猛烈にアタックしちゃえばいいのにね。あ、愛しの彼女の容態は悪くないわよ。魂が戻らないこと以外はね」
「ありがとうございます」
「さて、世間話はこのぐらいにして、そろそろ本題に入りましょうか。さ、どうぞ?」
「はい。では……」
土井はゴクリと一息飲み、言うべき語句を今一度脳内で反復させて、言葉にする。幾度となく話してきた相手とは言え、どうしても緊張してしまう。
「龍神王座の一件、あなたにもみ消していただきたい」
数日前から起こっていた事件、赤い髪の少女によるヤクザの事務所の襲撃事件。当初はヤクザ同士の抗争かと思われていたが、ある一人の少女、龍神王座が警察署に自主してきた事により事件の全貌が明らかになった。
どうやら、彼女は「龍玉」という「龍血種」の秘宝を強奪する為に犯行に及んだとのことだ。一見して愚かな行為だが、彼女には彼女の理由があるのだろう。本来なら死者が出ていないとはいえ、
「良いよ。端からそのつもりだし」
「意外とあっさり了承してくれるんですね」
驚くくらいに簡潔な答え。そこまで素直に頷いてくれるとは思わなかった。
「ってか、分かっててこの場所に来てるでしょ?私が了承する事も、今回の事件の真相も」
「……ええ、まあ」
迷った。ここで頷くべきか、否か。しかし、少し考えて肯定。彼女に、凶獄煉禍に本音が筒抜けでないわけがないだろう。なら、彼女の言葉を素直に受け入れるべきだ。彼女の機嫌を損なわない為にも。
「まあ分かってると思うけど、答え合わせしましょうか」
煉禍は語りだす。隠すことなど、何一つなく。
「赤い髪の少女の目撃情報、果たしてそれは一人だったか?答えはノー、龍神王座には共犯者がいた。要するに赤い髪の少女が二人居れば納得。夜の襲撃を簡易にするため電気系統を破壊し目くらまし。ならば、スペシャリストが居たほうがいいね。そうすれば龍血種は持ち前の能力でサクッと無双できちゃう。あいつらね、夜目が効くの。黒い色を好むのも、闇に紛れるため。まるで吸血鬼みたい」
それを話す様は何かを思い出すように。少し楽しそうで。
「ヤクザの事務所が襲われて得をするのは誰でしょうか?答えは対立するヤクザ、はたまた警察。最近は違法薬物や違法武器の検挙が多かったでしょ?一宮星姫の拉致事件でも薬物と違法改造した銃が押収されれました。当然、バックに居るのはそういう組織ですね。ならヤクザの事務所が襲撃されれば、警察が入ることになる。そこで現場検証なんて形で隅々までしらべちゃえばいい。対立するヤクザは向こうが潰れてくれてラッキー。わっお、効率的!」
「……はい」
強引なやり方ではあるが、効果的だろう。そして、そこまで話を理解出来てる彼女。後は答えは一つしかない。
「そしたら警察とヤクザを兼ねる人が一番得する事になる。答えはだれでしょうか?」
「……貴方です」
土井がそう答えると、煉禍の体がバチバチ、と電撃の光に包まれる。次の瞬間にはそこに婦人は居なく、一人の少女が座っていた。赤い髪の少女だ。
彼女の持つ能力、「プラズマ」。あらゆる電気系能力の最上位に位置するとされ、その効果は電撃を放つ、機械に電気を流して動かすなど一般的な方法に加えて、唯一無二の使い方がある。「自分の体に電磁波を流して細胞を書き換える」という物だ。彼女は、自分で自分の見た目をすぐさま変えてしまうことができた。ただし遺伝子レベルで弄れるものではなく、赤い髪や骨格を大きく変えることは出来ない。
「ぴんぽんぴんぽんぴんぽーん!答え、この私。凶獄組組長にして警察官を旦那に持つ、
そう、目の前の彼女「凶獄煉禍」は、ヤクザの組長だ。そして夫が警察であり、娘も警察に所属。彼女自身はさらに「
祀られた、赤い宝石。あれが「龍玉」か。なぜ、彼女があんな物を持っているのか。彼女のした事は許されることなのだろうか。しかし、土井は意見出来ない。彼女はイクシーズにおいて「最高責任者」の実権を持つものだからだ。この街での全ての「5年先を行く電気機械」が彼女の発明であり、彼女に逆らうということは、この街で生きていけなくなることを意味する。
「ほら、私って科学者じゃん。龍血種の力をどんな物か見てみたいって気持ちもあってね。ローシュタインのじじい程じゃないけどさ、好奇心はある訳よ。シュヴィアタの民との戦いを見れたのも大きかったね、ミャフコフスキー君は戦いを見せてくれなくてさー」
「……」
「ってか、私の理由は全部話したんだから、君の理由を聞きたいよね。君が王座ちゃんを庇う理由って何?知り合いってわけじゃないでしょ」
最もだ。彼女の行動には全て、彼女の中での「理由」がある。それがたとえ他者から見て外道の限りでも、全てこの街の平和と進化を願っての為。故に彼女は「
「僕は……」
彼女の本心に比べたら、土井の本心などちっぽけなものなんだろう。周りしか見えていない、大局を見据えることなど出来ない。所詮、一人の人間でしかない。けれど、土井は自分を否定したくなかった。
「未来ある若者が一歩の間違いでそれを失ってしまうのが嫌なだけです。それだけですよ」
「ふうん、君らしい。いいよ、いい答えだ。君たちはその意思を大事にすべきだ」
土井は自分の心を、想いを大事にする。人は一歩間違えるだけで栄光から奈落へ落ちてしまう。土井は二度と、そんな物を見たくない。だから、今日も土井は暗躍する。未だに彼は、目覚めぬ「黒咲桜花」を忘れることは出来ない。目覚めが決して絶望的であっても、それが愚かだと思いつつも。