新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺―   作:里奈方路灯

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龍神王座の苦悩

「行け」

 

 お互いの誇りをぶつけ合った、シュヴィアタの少女イワコフ・ナナイと、龍血種の少女龍神王座。その力は相殺され、お互いが後方に勢いで下がる。

 まだだ、次が来る。私はまだ、負けるわけにはいかない。私には取り戻さなきゃいけない誇りがある。父親の残した、大事な誇りがあるんだ!

 

 歯を食いしばって龍神は次の攻撃に向けて踏み込もうとしたが、ナナイはその場に棒立ちし龍神にそう言った。「行け」、と。

 

 龍神は止まった。なぜか、彼女--イワコフ・ナナイから戦意を感じられなくなった。龍神も臨戦態勢を解く。一体、何が起きているのか。

 

「貴方の心の覚悟を受け取った。貴方には貴方の中の正義がある。私はそれを邪魔したくない」

 

「……」

 

 龍神は戸惑う。この少女の心の奥底が読み取れない。彼女が、正義の味方なのだと、そんなような事は分かる。多分、彼女は自分のやっていることの素性を知っている。龍神王座が、イクシーズのヤクザの事務所を襲撃していることを。

 それを知って、尚この少女は私を見逃そうとしている。なぜだ。自分でも、こんなことは間違っているとわかっているんだ。それなのに、なぜ。

 

 ナナイは強く言う。それはまるで自分に言い聞かせるように。

 

「行けと言った!私は貴方の邪魔をしたくないんだ。今ならまだ、知らなかったで済ませられる!」

 

「……ありがとう」

 

 ナナイと名乗った少女は、強かった。恐らく、私を止めるための力を持っているのだろう。それなのに、私を野放しにした。なぜだろうか。

 龍神はその場から去る。ナナイは、私を見逃してくれる。ならば、甘えないわけにはいかない。

 私は間違っている。彼女は正しいのだろう。それなのに、なぜ。同情か?分からない。けれど分かることが一つあった。それは認めたくない事実。心の中で密かに感じていた事実。生きて行く中で、意識しないよう、それでもひしひしと、感じていた事実。

 

 私は、弱い。たった1人の、正義に勝てぬほど、弱い--

 

--龍神王座は貴族の子供として生まれた。いや、正確には、生まれたはずだった。

 王として世に座す者、故に「王座」。強く在れと想いを込められて生まれた私。生まれて物心付いた頃には、母親は居なかった。当時はそれが普通だと思っていたし、厳しくも優しい父が居たので何不自由は無かった。周りの子には、母親が居た。けれど、それはそういう物なんだと、あまり不思議には思わなかった。父が居れば、それで良かった。

 

 ある日からだろうか。父親がとても、優しくなった。常に上機嫌とでもいうのだろうか。それはとても嬉しかったし、いいことだと思った。思慮など持たぬ年齢で、それは喜ばしくしかなかったのだ。いつも私に構ってくれたし、休みの日はずっと遊んでいてくれていた。

 

 けれど、今ならその意味が分かる。父は、仕事を辞めていたのだ。無職だったのだ。

 

 どうやら、私の母親だった人が死んだらしい。私にはその意味が、よく分からなかった。知らない人が死んだ、ただそれだけだ。悲しくなんかなかったし、涙は出なかった。私に別れは訪れなかったから。

 けれど、父親は泣き狂ったみたいだ。既に別れた女性に対して。私の目に付かない所で、無残に泣いた。たまに、父親の書斎を通りかかった時に聞こえてきた、普段の優しくて厳しい父親からは到底想像できないような声。王座はその意味を分からなかった。

 

 いつしかして、父親は、酒に溺れるようになった。酔っ払った父親を見るのは、何故か好きになれなかった。なぜだろう、普段の父親とは違う雰囲気だったからだろうか。それはいつもの父親とは違うような気がして、別人に見えて仕方がなかった。

 

 そんな日が何年も続いたある日。王座も、物事がある程度分かるようになってきた時だった。それは、突然に訪れた。いや、それはいつ起きても仕方が無かったのだろう。

 

 父親が交通事故で死んだ。車に跳ねられて。原因は深夜の信号無視、父親は酒に酔って赤信号を渡ったそうだ。

 悲しかった。泣いた。その意味は分かった。父親には二度と、会えぬのだと。大きく泣いた。喉が枯れるまで泣いた。まるで自分の世界が無くなってしまったかのように泣いた。それだけ、父親が好きだった。愛していた。信じていた。それが、永遠のものなんだって。

 だからこそ、それが戻ってこないものなんだって分かって、絶望をした。諦めたかった。生きるという事柄を全部破棄して、死んでしまいたかった。取り乱して、喚いて、気が遠くなるほど、泣いた。

 

 私は恨んでいる。今、この時でも、過去からずっと。父親を死に追いやった、母親を。その顔は分からない。姿形を知らない。私がその存在を見る前に死んだのだから。生きているのだったら恨まない。なぜなら、もしそうだった場合。父は死んでいないからだ。全ては母親が死んだからだ。

 

 少し日が過ぎて、親の居ない私は親戚の家に引き取られることになる。その家は()しくも、私の恨んだ女と結婚した男の家だったらしい。その家には、私より一歳年下の、私と同じ母親の子が居た。名前はシエル。自信家で少し引っ込み思案の、掴みどころが難しい少女。

 つまり、私の母親は私を生んだ後、直ぐにこの家の男と子供を作ったというわけだ。考えるだけで頭が煮え立つ。なんという悪魔。阿呆の限りを尽くした女だろうか。そんなくだらない事のせいで、私の父親は死んだのだ--

 

--龍神は夜遅くの帰り路を辿り、自分の帰るべき場所へ付く。私の母親だった女の、最後の夫の家。

 

「ただいま」

 

 習慣のように玄関のドアを開け、そう言った。基本的には、いつも家に帰るのはシエルと一緒だった。シエルと一緒に行動をし、たまに危ういシエルを窘め、一緒に笑い、一緒に家に帰る。そのために、家のドアを開けたときはつい、ただいまと言ってしまう。

 しかし、ここ最近シエルとは一緒に行動していない。今の私にはするべき事があるからだ。シエルには言ってない。他の誰に言っても理解してくれないだろうし、どうせシエルもそうだろう。結局の所、これは私の中だけで意味を為す物だ。他の誰にも分かりゃしない。

 

 玄関を開けてすぐに、靴を脱ごうとする。しかし、気が付けばシエルが廊下の向こうから駆け寄ってきた。ドアの開閉の音を聞いたのだろうか。

 

「おかえり、お姉ちゃん。今日も遅かったね」

 

「ああ。少しな」

 

 何が、とは言わない。そう言えば、シエルは踏み込んでこない。いつもそうだ。直前の所までは歩み寄ってくる。しかし、私に気遣っての事だろう。その本筋までは聞かない。

 

「ね……なんか最近、あった?元気が無さそうだけど」

 

 どうやら心配をしてくれるらしい。先程、ナナイとの戦いで自分の無力さを分かってしまった為か、今の私はいつもより暗く見えるようだ。

 

「いや、何も無いよ。強いて言うならお腹が減った」

 

「あ!今日ね、刈谷(かりや)さんお手製のクリームシチューなんだって。お姉ちゃんが帰ってくるまで私も待ってたんだよ。ほら、食べに行こう!」

 

 刈谷さん。瀧家のお抱え家政婦さんだ。母親が居ず父親の忙しいこの家庭で、私たちの面倒を見てくれる良いおばさんだ。

 

「そうだな、待たせてすまない。行こうか」

 

 シエルは悪くない。彼女の父親も。二人がいい人なのは分かっている。頭では分かっている。

 けれど、心の中では、どうしても嫌な考えが浮かぶ。シエルの私との仲は表面上だけなんじゃないか、父親は私の母親だった女を奪ったのではないか、と。

 

 くっ、はは。もし人の心の中を読める人物が居たらそいつは私をこう評価するんだろうな。「最低な人類」と。

 

 けれど、そんな考えも、これから私が()くべき道も、決して後悔はしないだろう。そうだ、その通りなんだ王座。お前には何も無いじゃないか。この家族関係がもし上辺だけのものだったら。私の日常が偽りで出来ているのだったら。

 今はいいさ、それで楽しい。けれどそうじゃない日が来たら私は私を許せない。後悔する筈だ。「なぜあの時、ああしなかったのだろうか」と。そこには誇りを失った私の姿があるはずだ。

 

 誇りを失ったまま生き続けるぐらいなら、死んだほうがマシだ。

 

 龍神王座は命を無駄にする事など(もっ)ての(ほか)に御免だった。だからこそ、誇りを取り戻さなければいけない。彼女が彼女として生きた証を手に入れるために。

 父親の持っていた「龍玉(りゅうぎょく)」。イクシーズのヤクザの誰かが持っているはずなんだ。それを取り戻してこそ、私の人生に意味が持てる。逝った筈の、父との繋がりを!


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