新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺―   作:里奈方路灯

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第五章 血の雨化粧にその身を染めて
生き行く者たちの戦歌


「あー、雨か……季節も変わり目だもんな」

 

 ぽつぽつと朝から降る雨に、岡本光輝は沈む心を隠しきれずにはいられない。

 ただでさえ今日から夏休みが終わって学校が始まるというのに、始まりから雨ではとてもじゃないが気分がすぐれない。

 

「いいじゃないですか。私、雨って好きですよ」

 

 家の玄関から出たところで、クリスがそう言った。

 

「なんでよ」

 

 澄んだ空が好きな光輝にとっては、雨なんて鬱憤以外の何物でも無い。雨なんて天候、要らないとさえ思える。

 

「だって、目的の場所まで傘という二人の世界の中で一緒に居られるなんて……幸せだと、思いませんか?」

 

「相合傘はしないからな」

 

 すたすた、とアパートの廊下を歩いていく光輝。クリスには別途で傘を持たせてある。学校までの案内の為に後ろは付かせてやるが、一緒の傘で登校などできやしない。

 だって、そんなことでもしてみろ。ただでさえ綺麗なクリスだ。それもSレートの特待留学生。そんな彼女と岡本光輝という最弱(Eレート)が一緒に居たらその時点で噂になるに違いない。

 

 故に、光輝はここで念を押しておく。

 

「いいか、クリス。学校では俺にできるだけ近づくな、声を掛けるな。俺は厄介事が嫌いなんだ」

 

「はい、分かりました。光輝がそうおっしゃるのなら」

 

 なんと、意外と聞き分けの良いクリス。それもそうか、家の中と外では場所が違う。誰も見られてない場所ではイチャつけても、外ではそうもいかないか。

 聞き分けがいいなら、それでいい。他に文句はない。まあ、あまり信用はしていないが。

 

「そうか、それじゃあ行くぞ。(はぐ)れるなよ」

 

「はい、付いていきます」

 

 それにしても、今日からクリスが一緒の学校か。なんか不思議な感覚だが、まあ直ぐに慣れるだろう。なんせ、一緒の家で住んでいるんだから--

 

--家から駅に着き、そこから電車で学校がある地区まで。その中である人物と出会い、一緒の駅で降りた。

 が、しかし。光輝はそこである事に気付く。

 

「夜千代……お前、もしかして傘無いのか?」

 

「うっせーな……コンビニで盗まれたんだよ、悪いか」

 

 黒咲夜千代。光輝の家の意外と近くに住んでいる、同じ学年で同じクラスの生徒。いつも不機嫌そうな顔をしているが、今日は一段と増して不機嫌そうだ。

 どうやら、傘を盗まれたらしい。なんと間抜けなことか。

 

「……入ってけよ。学校まで濡れるのもしんどいだろ」

 

「……ありがとな」

 

 駅から出て学校までの距離、夜千代を自分の傘に入れる事にした光輝。異常に人嫌いな夜千代は嫌がる素振(そぶ)りを見せず、光輝の差した傘に入る。

 流石にこの距離を濡れたままってのは嫌だろうな。光輝だって、流石に傘を持っていないときに誰かの傘に入れてもらえるのなら喜んで入る。彼女もそうだろう。

 

「あっ、夜千代狡いです!いいなー、私も傘を忘れれば良かったなー」

 

「お前は馬鹿か」

 

 光輝と一緒の家から出てきたのに光輝がそれを指摘しないわけがない。クリスはお馬鹿さんか。いや、頭は特待留学生だから確かに良いはずなんだけどな。

 

「……私、やっぱ出るわ。そういやこれ変態の傘だった。いつ貞操を失うか分からん」

 

 無表情で、光輝の顔を見やる夜千代。そう言えば、夜千代はクリスが光輝の家にホームステイしてることを知っていたんだった。

 

「待て。だから誤解だっつーの。俺は何もしてねーって!」

 

「してないしてない言う奴ほど何かしてるんだよ」

 

「光輝は何もしていませんよ。それこそ、殿方であるか疑うくらいに。だって、ベッドの中で抱きしめても何もしてきませんの」

 

「……ごめん、私邪魔だったよな。すまん、走って学校向かうわ」

 

「だぁーかぁーらっ、何もねぇっつってんだろ!いい加減にしろよお前ら!」

 

 本気で身を引こうとする夜千代の肩を掴み、強引に傘の中に押し込む。だからクリスよ、余計な事を言わないでくれ。いや、実際にあった出来事ではあるんだが、言っていいこととわるいことがあるでしょ?ねぇ、クリスさん。

 まあ、そんなこんなで。なんとか無事に学校の校門をくぐった訳で。ああ、今日から新学期が始まる。もう頭を抱えたい。

 憂鬱な気分を胸に、光輝は先へ進む覚悟をした--

 

--「コッウちゃーん!」

 

「ぐぇっ」

 

 教室から出ようとしたら、いきなり首に抱きついてくる後藤征四郎。やめろ、俺にそっちの趣味はない。

 

 無理矢理引っペがしても、尚後藤は上機嫌だ。新学期に増して雨とかいう憂鬱の中で何がそんなに楽しい。

 

「始まったぜ、新学期!なあ、ワクワクしないかよ?」

 

「いや、別に」

 

 特に目新しい物も無いのに、ワクワクする要素があるのだろうか。一学期も二学期も校舎は一緒だ。顔ぶれも一緒。新入生として気分を浮かれさせるのは分かるが、お前はそうじゃないだろ。何をそんなにワクワクするのか。

 

「いや、なんつーの?フィーリング?あるじゃん、そう言うの。考えるより感じろってさ」

 

「すまん分からん」

 

 後藤の言っている意味が分からない。何を感じろというのか。

 

「まあ、それはさておき。クリスって一組になったんだろ?コーちゃんと同じクラスじゃん。どうしたの?」

 

「ああ、それなら」

 

 クイ、と光輝は自分が出てきた一年一組のクラスを指す。その中では、ある席を中心に人だかりの渦が。

 

「ねえねえ、クリスさんってSレートなんでしょ?ステータスは?」

 

「前新聞で見たよー!ロンドンの英雄、クリス・ド・レイ!かっこいーなー!」

 

「ねえねえ、彼氏とかやっぱ、もう居たり?」

 

「好きな女の子とか居るの?」

 

 とかいう、質問攻めに。ええ、わたくしめは手も足も出ませんとさ。だから、教室から抜け出してきた。

 って、ちょっと待てオイ。最後だけなんかおかしくないか?

 

「うっはー。すげーなー!あれが特待留学生!他のクラスの奴もいんじゃん!」

 

「流石にあの人ごみは面倒だからな。俺は教室から出てきた。後は知らん」

 

 クリスの存在が校内に知れ渡ったのは、始業式の事だ。始まりの挨拶の後に、教師から紹介された、その素性。

 ロンドンからの特待留学生、クリス・ド・レイ。Sレートの少女。

 勿論、校内が騒ぎにならない訳がなかった。一年でSレートなんて、この学校には瀧シエル以外に居ない。レートを上げるには、能力測定で頑張るか、五大祭で結果を残すか、だろうか。その中で、五大祭で結果を残すということは一年生にはとても難しい。なにしろ、実戦経験が足りないのだから。

 だからこそ、一年生のSレートというのは注目を集める。ロンドンではどんなテストがあったのかは知らないが、Sレートというのは伊達ではない筈だ。それだけ、凄い存在なのだ。

 

 と、光輝と後藤が廊下で(たむろ)していると、教室から女子生徒が出てきた。長い黒髪に、今は普段とは違って学校指定のセーラー服を身に纏った目を引くボディライン、優雅な佇まいに綺麗にも程があるその顔。ロンドンの英雄、クリス・ド・レイだ。

 

「ん?おう。どうしたよクリス」

 

 その綺麗な顔は、少しだけ訝しげな面影を浮かべて。

 

「光輝が居ないので出てきました。なんで来てくれないんですか?」

 

「いや、行く必要も無いだろうに」

 

 だって、いつも家で顔を合わせているんだ。わざわざ席に行ってクリスと話をする必要もないだろうに。それも、ただでさえうっとおしい人ごみの中で。

 

「私が他の男の人と話していても何も感じないというのですか!」

 

「……いや、クリスの勝手だろそれは」

 

 クリスが光輝を好こうが好かまいが、他の男と話すのはクリスの勝手だろうに。光輝は別に、なんとも思わない。

 

 しかし、その時点で光輝は失態に気付く。

 

「……岡本とレイさんって、どういう関係だ?名前呼びだぞ……」

 

「え?だれあの人。クリスさんとお知り合い?」

 

 不味い。Eレートで、かつクラスで常に目立たない俺がまさか教室のすぐ外でSレートの特待留学生と会話してるなんて。

 周りからしたら、不思議に思えて仕方ないのだろう。くそ、ここはどうやって言い訳しようか。

 

 クリス、お前、余計なことは絶対に喋るなよ……!

 

 光輝はクリスに対して、アイコンタクトでメッセージを送る。クリスはウィンクで、そのアイコンタクトに答えた。

 ちゃんと意味が伝わっていればいいが……。

 

「光輝とは、以前ロンドンで会ったんですよ。彼が修学旅行で来てる時に、ですね。同じ異能者として知り合ったんですが、まさかこちらに来て会えるとは思いませんでした」

 

 殆ど嘘もなく、実際に会ったことをほぼ正確に述べるクリス。さすがだ、完璧だ。その回答なら文句も出まい。違和感も一切無い。少しだけ、偽りを含むが。それは、クリスは光輝を追ってきたという事。会うために、イクシーズに来たのだ。

 嘘をつくには、本物の出来事を織り交ぜて。そうすれば、言葉に自然と真実味が帯びてくる。そうだ、それでいい。

 

「いいなー、俺もロンドンに行ってればなー」

 

「馬鹿だな、偶然でもまず会えんだろ。相手は黒魔女だぞ」

 

 おう、それでいい。このままなら、クリスと俺の仲がやたらといい理由付けになる。後はこの状態を維持していけば、それで問題ない。

 少しでも関わりがあれば、人間関係は自然と出来ていくものだ。そのきっかけがあればいい。よし、完璧なプランだ……!

 

「しかも驚くことなかれ!なんとクリスは、コーちゃんの家にホームステイしているのだ!」

 

 瞬間、周りが凍り付く音。いや、正確には音など無かった。ただ、形容するのならその表現が限りなく正しいという訳で。

 ビキッ、と周りが完全に凍る。一瞬の無言。そして直ぐに、ビシッ、と氷にヒビが入る。砕け散る一歩手前。

 

「コーちゃんの家は部屋が少ないから、おんなじ部屋で暮らしているらしいぞ!」」

 

 そして、バリンッ、と音を立てて固まった空気は完全に砕け散った。

 

『ええぇぇぇーーーーー!!?』

 

 ……終わったな、俺の静かな高校生活。後藤征四郎、許すまじ--

 

--黒咲夜千代は、ギャラリーが五月蝿い教室の外に出て自販機で買った微糖の缶コーヒーを飲んでいた。

 

 場所は校舎の4階、屋上へと続く階段の手前。この学校は屋上が解放されていない。なぜなら、危ないから。生徒の逢引の場所になっても困るし、自殺者が出ても困る。だから、解放されていない。

 

 そして、だからこそ、ここには誰も来ない。閉ざされたドアの前で、心を閉ざした少女は満足げに一刻(ひととき)を楽しんでいた。

 

「……なんの用だよ」

 

「いや、何が楽しくて此処に居るのかなって」

 

「何も楽しくないから此処に居るんだよ」

 

「なるほど。その状況は良いね」

 

 そう、ここには誰も来ない。ただ、変人を除いては。

 

 クイッ、と缶コーヒーを傾け頂く夜千代と、その隣に座る瀧シエル。一体なんの因果があってこうなっているのか、夜千代には全く見当もついていない。

 

「いいのかい?岡本クンと一緒に居なくて」

 

「別に。教室は五月蝿いからな。アイツと二人きりならまだしも、ああも人が多いと嫌になる」

 

「なるほど。それは確かに」

 

 夜千代は光輝と二人きりなら安心できる。彼は静かで、必要以上に踏み込んでこない。その距離感は、とても心地の良いものだ。夜千代も、決して不必要に踏み込むことはしない。

 だが、それは静かな場所で、だ。人が五月蝿すぎては、とてもじゃないが嫌だ。夜千代は、他人が嫌いだ。なぜなら、人間とは邪悪の塊のような生き物だから。自分がこんなに邪悪で出来ているのに、他の人間が邪悪でないわけがない。

 

 だから夜千代は一人を好む。だから夜千代は暗闇の少年、光輝を好む。彼ほど分かりやすい人間は居ないからだ。

 

「ところで、一つ提案が」

 

 人差し指を立て、夜千代に声をかける瀧。

 

「んだよ」

 

 めんどくさそうにその方向を見る夜千代。

 

「折角だ、屋上で対面しないか?今は絶好の雨日和。君も好きだろう?こういう天気」

 

「……まあ、糞みたいな雨、嫌いじゃないが」

 

 夜千代はコーヒーを最後の一滴まで飲み込むと、腰を下ろしていた階段から立ち上がりその場を離れるように下る。

 

「やらねぇよ。面倒くさいのは嫌いでね」

 

 夜千代は戦闘狂ではない。意味の無い対面を好まないし、してやる義理もない。しかも相手はSレートの瀧シエル。なぜ、負けると分かっている対面をやる必要があろうか。

 

「ふうん……そっか。しょうがないかな」

 

 瀧は惜しみそうに去っていく背中を見つめた。


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