新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺―   作:里奈方路灯

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影の行方2

「良かったな、レイン……いや、雨京」

 

 六畳の何も無い部屋で、二人の男女は畳に腰を下ろしていた。短めに乱雑に切りそろえた、所々若白髪混じりの黒髪の男は足を崩していたが、ぱさついた手入れの行き渡っていない長い金髪の女はかしこまって正座をしていた。

 二人は何をするでもなく、とりあえず休憩をしていた。

 

「は、はい……そうですね、アーサー……あ、いえっ……浅野」

 

「折角だ、深之介でいい」

 

「はっ、はい……深之介」

 

「ああ」

 

 深之介と雨京。元々テログループに所属していた二人は、奇跡的にその罪を不問にされイクシーズでの居住権を得た。二人共が異能者なので、その点では問題がなかった。

 しかし、例外中の例外でもある。シェイドの中には他にも異能者は居た。それこそ、リーダーのロイ・アルカード。リーダーである彼が、こう言った。「ミカエル・アーサーとレイン・ヨークシティの二名が捕虜だ」と。

 テログループのリーダーの供述、それを警察が素直に信じたとは考え難い。だが、ロイが深之介を庇ったのは事実だし、それを警察が飲んだのも事実だ。イクシーズの意向は知らないが、深之介は、この好機を逃すわけにはいかなかった。なぜなら、今隣に居る女性、賢島雨京を助けたかったからだ。

 

 同情ではない。深之介は自分の境遇を呪ったことなど一度たりとも無い。自分の出生をあるべき物だと受け入れ、悲痛な出来事を受け流し、偶発な運命の出会いを神との邂逅としてその月日を積み重ねた。自分を正しいと思っていたし、それが罪であることも知っていた。だから、自分と彼女を重ねちゃいない。

 

 しかし、彼女はその道を歩むべきではないと思った。出会った直後は彼女を有能であるとし、道具として使ったが、その彼女は深之介を想ってくれた。そんな優しい彼女に、負い目を感じていたのかもしれない。

 

 だから、助けたかったのだ。

 

「……すまないな」

 

「え?」

 

 深之介は未だに正座している雨京に謝った。目線を下に向け、申し訳なさそうな表情をしている。

 

 今二人が居るのは、イクシーズ市街から少し離れた、住宅街の外れにあるアパート。黒咲枝垂梅から紹介された物件だった。外見は周りの住宅よりもかなり古びているが、屋根のある宿にずっと住めるというだけで彼らにはありがたい。家賃は最初の月はサービスされ、生活費も枝垂梅いくらか頂いてしまった。今二人が着ている市販のシャツやズボンも、枝垂梅がくれた者だ。

 

 現状は、とても良好だ。しかし、それは深之介にとっての事だ。彼女は、雨京はどう思っているだろうか。彼女が家族を失ったのは二年前だ。それまでは、普通の生活を送っていただろう。そんな彼女がテログループに入り、巻き込まれ、ここでの生活を余儀なくされている。

 はたして、それで彼女は良かったのだろうか。あの時、家族を失った彼女を引き取らずにもしそのまま逃がしていれば。彼女は別の道を歩めたのではないだろうか。自責の念で自分が一杯になる。

 

「……よく、わからないですけど」

 

 しかし、雨京は正座のままちょこちょこと深之介への距離を詰め横並びになり、深之介の左肩にその頭を乗せ身を寄せた。

 

「私、両親が死んで、一人になって。何も出来なくて、心細かったんです。それに、シェイドの人達にも乱暴されかけて……けど、深之介は私を助けてくれました。道具として、頼ってくれました。私が成功したら、私を褒めてくれました」

 

「……」

 

 雨京は、目を閉じて思い出を語るように話した。横目で見やるその顔は、決して辛そうではなく、どちらかと言えば、嬉しそうだった。

 

「私、深之介が好きです。強くて、優しくて。深之介がこれまで悪いことをしてきたんだなって、なんとなく分かってます。けれどそれは生きるために必要で、だったらそれは正しいことだと思います。だから、私は深之介を嫌いになれません。生きるために頑張れる人って、凄くカッコいいと思うんです」

 

「……そうか。ありがとう、その言葉で、救われたよ」

 

 深之介は、その言葉を聞いて、安心した。自分が間違っているのだと、心のどこかで疑っていた。自分が生きていていいのかと、奥底で問うていた。ロイを盲信することによりそれを見えないようにしていたが、不安だったのだ。

 

 しかし、雨京はそれを正しいと、言ってくれた。それが、とても嬉しかった。自分を認めてくれる人間なんて、この世界にロイだけだと思っていたから。だから、それが、とても嬉しかったのだ。

 

「あの……私、深之介の傍に居ていいんでしょうか……?深之介が嫌だと言うのなら、私は一人で生きていこうと思います。私、学もありませんし、戦うこともできません。フラグメンツにも、私の名前は入っていないんですよね。私、迷惑じゃありませんか?」

 

 逆に、不安そうな顔で深之介の顔を覗き込んでくる雨京。その表情はとても儚くて、寂しげで、しかし――深之介にはその顔がとても、愛おしく感じた。

 

 次の瞬間、深之介は雨京の体をその腕で抱きよせた。

 

「――っ、えっ、あのっ?」

 

「……俺には、お前しか居ない。信じられるものが、もう、お前しか居ない。だから、そんな事を言わないでくれ」

 

 深之介は、彼女以外に信じられるものを失った。両親は他界した。ロイは深之介の為に牢屋に入った。この世界を一人で歩けるほど、深之介の心は強くない。一人では、生きていけなかった。

 

 けれど、雨京が居るのなら。自分を想ってくれる、雨京が居るのなら。深之介はまた、歩き出せる。過ちをやり直し、真っ当な道を歩いていける気がした。

 

「お前が、大切だ。だからむしろ、お願いだ。ずっと、俺の傍に居てくれ。雨京」

 

「っ……はい」

 

 目を閉じて、雨京は体を深之介に預けた。二人の間には、目に見えぬ信頼の想いが繋がっている。お互いが、お互いを必要としていた。

 静かなその部屋で、しばらく二人はその身を寄せ合っていた――

 

――日も暮れる間際、深之介と雨京は家の周りを見て回っていた。辺りには住宅街だけあって、本当に家が並んでいる程度で、大きな建物などは市街地まで行かないと無いらしい。とりあえずは迷子にならない程度にしなければいけないので、今日は遠出はやめておこう。

 

 ふと、家の近くに人が多く出入りする建物があった。表の看板にはスーパーと書いてある。深之介はあまり入った事がない建物だが、なんとなくは知っている。食料品や生活用品を販売している店だ。

 

「……そうだ、食料を買わなくてはな」

 

「そうですね」

 

 幸い、枝垂梅に紹介してもらったアパートには冷蔵庫と炊飯器があった。深之介は炊飯器を使ったことはないが、雨京が知っているだろう。とりあえずは白米と、後は野菜でも買って帰ろうか。

 

 二人で、明るい店内に入る。建物内の脇にあるカゴを一つ、手に取った。流石に深之介も知っている。これに、買うものを入れてレジで会計を済ませるのだ。ああ、問題ない。

 

 まずは、入ってすぐの野菜コーナーを見て回る。ひんやりとした空気に包まれ、夏ではあるが涼しげだ。ズラリと並んでいる野菜を見ていくが、その中でも気になるのはトマトだ。トマトは栄養が豊富で、体に良い。畑を見つけては、取って食べた記憶が蘇る。

 

 が、その値段を見て深之介は驚愕した。

 

「何……っ!?」

 

「え、どうしたんですか?」

 

 こんなに小さいのに……高い。

 他の野菜と見比べても、その小さく赤い野菜は、値段が高く設定されているように見える。確かに栄養が豊富なのは知っている。味もいい。しかし、こんなに高いものだったとは。

 深之介は、枝垂梅に貰った小柄の財布とその金額を見る。……少し、心もとないな。

 仕方がないので、キャベツをふた玉、カゴに入れた。キャベツは素晴らしいな。こんなに安くて、量もあって、美味しいなんて。とりあえず、まとまったお金が入るまでは野菜はこれで凌ごう。

 

「雨京……キャベツは好きか?」

 

「……そうですね、どちかと言えば、好きです」

 

 何かに気付いた雨京は、疑問の表情から一転、笑顔になった。

 

 仕方ない。トマトは、いずれ買おう。雨京に申し訳なく思いつつ、そう決めた深之介だった。

 

 辺りを見渡していくと、本当にいろんなものが置いてあるのが分かる。飲料に、調味料に、香辛料、酒類や駄菓子まで。酒は、以前ロイに飲ませてもらったことがある。あれは、うまい。あれも、金が入ったら買おうかな。

 

「やあ、いらっしゃい。見ない顔ですけど、もしかして枝垂梅師匠のお知り合いですか?」

 

「……ああ」

 

 ふと、後ろからかけられた声。「枝垂梅」の名前が出ただけで何者かが分かる。素直に切り分けた髪の、好青年。こいつも、関係者か。

 

「ああ、警戒しないでよ。僕はこのスーパーの主任を任されている土井って言うんだ。一応、ね。それと」

 

 朗らかに喋る土井。そっと、深之介の耳元に顔を近づけて、小声で喋った。

 

「話は聞いてるよ。僕はコード・サウスだ。よろしく、深之介くん」

 

 そして直ぐに、顔を遠ざけ何もなかったかのように振舞う。なるほど、今感じた雰囲気で分かった。彼も暗部機関の一人だ、只者では無さそうだ。

 

「ああ。よろしく、土井さん」

 

「よ、よろしくお願いします」

 

「あ、そうだ。君たち、ここに来たばっかで色々と不便でしょ?食べ物とか困ってるよね?よし、僕が奮発してあげよう!」

 

 そう言うと、土井は深之介と雨京を連れてある場所を目指した。そこにあったのは、多くの種類が並んだパンのコーナーだった――

 

――二人はそれぞれ二つずつ、手にパンパンのレジ袋を持って帰り路を歩いた。レジ袋の中にはふた玉のキャベツと、ほかは縦長のパンに甘いクリームが挟まれたようなものや、パンにウインナーを挟んだ後にマヨネーズをかけたようなものなどの、所謂菓子パンと惣菜パンで一杯だった。全部、土井がお金を出してくれた。

 

 土井が買ってくれるならトマトも入れておくべきだったな、とは思いつつ土井に感謝する。パンの賞味期限は三日~四日程とはいえ、これなら食費は浮く。種類も豊富で、大いに助かる。

 

「あはは……よ、よかったですね」

 

「ああ」

 

 少し苦笑いの雨京。確かに何も全部パンじゃなくてもいいんじゃないかとは確かに思うが、それでも好意は好意だ。素直に受け取らねばならない。

 

 アパートに着き、階段を上り自分たちの部屋がある3階を目指す。その3階の廊下で、ある人物に出会った。短い黒髪の、黒いTシャツに短パンの少女。

 

 あの時、キャンプ場を襲撃した時に戦った仮面の少女。コード・ファウストだ。

 

「……あ、どうも」

 

 コード・ファウストはぺこり、と会釈をする。合わせて、深之介と雨京も頭を下げた。どう対応するべきか、迷う。

 

「今日、引っ越してきた浅野深之介と、こっちは賢島雨京だ。よろしく頼む」

 

「よ、よろしくお願いします」

 

 カチコチに緊張している雨京。それはそうだ。俺達は、彼女らを襲ったのだ。彼女は、どう出るのか?

 

 しかし、思ったよりもその少女の対応はあっさりしていた。

 

「ま、話はじーちゃんから聞いてるよ。私は黒咲夜千代だ。あの時の事なら、気にすんな。私は割り切れる人間だ。お前らも、そうしとけ。今日からイクシーズの住人なんだからな。それじゃ」

 

「あ……」

 

 それだけ言うと、夜千代は深之介が住む部屋から二つ隣の部屋に入っていった。あそこが、あの少女の家なのか。

 それをどう捉えるべきか。知り合いが近くに住んでいるとも考えられるし、監視が付いているとも言える。そもそも、彼女は本心でどう思っているのか。

 

 しかし、考えても仕方ない。荷物をずっと持っているのもなんなので、二人は自分たちの部屋に戻ることにした。

 キャベツを備え付けの冷蔵庫に入れ、後は菓子パンや惣菜パンを取り出す。改めて見ても、いろんな種類がある。

 

「そろそろ、夕飯にするか」

 

「あ、私これ食べてみたいです」

 

 雨京が手にとったのは、パンにマーガリンと小倉あんが挟んである菓子パンだった。深之介も一つ、手に取る。ツナマヨが乗っている惣菜パンだった。

 

「いただきまーす」

 

「いただきます」

 

 ペリ、封を開け、パクり、と二人してパンにかぶりついた。

 

「あ、すごいです、これ。マーガリンと小倉って、合うんですね……美味しいです」

 

「なるほど、これは……うまいな」

 

 二人のシェイドに居たの食生活は、缶詰だったり、ご飯だったり、外食だったり、色々だった。しかし、この手の食べ物は食べた事が無かった。

 

 まさか、あの値段で、こんなに美味しいとは。しかも、パンであるためお腹も膨れる。土井が絶賛するのも分かった気がする。

 

 ふと、雨京の動きが止まっていることに気付いた。雨京は、その瞳から、ぽろぽろと涙を流している。

 

「……私、今、凄く幸せです。こんな日常が、また来るなんて。こんなに幸せで、いいんでしょうか。いつか無くなったりしませんか」

 

 そっと、深之介はその頭に手を置き、雨京を撫でてやった。

 

「大丈夫だ。絶対に、大丈夫だ」

 

 深之介は、言い聞かせるようにそう言った。それは自分にも向けたのかもしれない。

 これから先はどうなるのか分からない。けれど、今この時は、確かにあるのだ。それがいつか奪われてしまうかもなんて、二度と考えないように。俺達は今、幸せなんだと。


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