新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺― 作:里奈方路灯
「よう」
「……来たのか」
夕方を過ぎて、午後八時。病室にて、二人の人物が顔を合わせた。
場所はイクシーズの、とある病院。岡本光輝と黒咲夜千代、室内にはその二人以外に誰も居なかった。
「怪我はどうだ?」
「もう治った。科学の発展は凄いな、あんだけ傷ついた体が三日もすりゃ全快だ」
夜千代は病室に備え付けられたベッドの上に座ったまま病衣のズボンの裾を捲る。脚に受けた弾丸は摘出され、傷口は殆ど塞がっていた。まだ僅かな痕(あと)は残るものの、これもあと数日すれば無くなるだろう。外ではこうも簡単に行かないが、イクシーズ内となれば話は別だ。イクシーズの科学は外の五年先を行く。
キャンプ初日、テログループ「シェイド」によるイクシーズの生徒たちへの襲撃から三日経った。あの後夜千代は直ぐにイクシーズ内の病院に搬送され、シェイドのメンバーは身柄を拘束されイクシーズに送られた。
瀧シエルが居たからこそ事態が無事に収束したものの、瀧が居なければ状況は危うかっただろう。テログループは精鋭ぞろいだったと聞く。だが、夜千代はあの時瀧に応援を出していなかった。それにも関わらず、瀧の対応は早かった。
「瀧に連絡をしたのはお前か」
「ああ。お前があまりにも遅いんで何かあるんじゃないかってな」
「はは……そうか、待たせて悪かったな」
岡本光輝の選択に夜千代は、救われていた。テログループは予想よりも強力な部隊だった。夜千代が戦った青年、ミカエル・アーサー単体の戦力を体験してもそれが分かる。
「……私な、瀧に助けを出そうとしなかったんだ」
あの時の夜千代は、頭に血が上っていた。枝垂梅に瀧シエルの名前を出されたときに、悔しい想いをした。
「人として……本当に最悪だ。自分が活躍したいって、アイツより優秀だって証明したくて、私でもできるんだって思い込んで……あの結果だ。馬鹿だよ」
しかし、夜千代の力だけではテログループを押さえ込むことは出来なかった。自分の勝手な憤りで他の人達を危険にさらして、あまつさえ岡本光輝に助けて貰った。なんと無様なことか。
夜千代は自分が嫌になる。身の程を弁えず、愚かで、弱い。天才なんて自分で言っちゃいるが、あくまでそうありたいという願望にすぎない。実際は、どこにでもいるゴロツキだ。喧嘩っぱやくて、根暗で、愛想のない。こんな人間、生きている価値などあるだろうか。
「笑えよ……私は最悪だ」
自分を蔑んでくれと懇願する夜千代。しかし、光輝の返答は違った物だった。
「なあ……言わせてもらうが、俺はお前に負けたとき凄い悔しかった。お前にイラついた。次の日弱っているお前を見てこう思ったんだ。「ここでお前を助ければ俺に優位性が生まれる」ってさ」
「……」
夜千代も光輝も目を合わせない。互いに後ろめたい。本音は、綺麗事だけじゃ語れない。今の光輝のそれは、まごう事なき心からの言葉だ。
「キャンプの時だって、お前に負けたくねーって、そんな事ばかり考えてさ。ホントは瀧に全部任せてもよかったんだ。そっちの方が俺は安全だからな。だがな、嫌だったんだ。俺がお前を助けたいって。俺を負かしたお前を、俺が助けたいって。そうする事で自分の負の感情を消しされる気がした。だから協力したんだ。あんなのは正でも義でもなんでもねー」
「それって……」
「意地だ。ただそれだけだ」
光輝はわかっている。自分たちがいかに愚かかということを。しかし、それを飲み込んでなお、貫いた。それは我儘だ。若気の至りにすぎない。けれど、そうしたかった。衝動。己を突き動かす、大きな原動力。
「周りから見たらそりゃ間違ってるだろうよ。けど、自分の中では絶対間違ってねー。自分が決めたと思ったら、やるしかないだろ。じゃなきゃ、脆い俺たちの心なんざいとも簡単に崩れ去る。だから、それでいい。どんだけちっぽくても、つまんなくても、プライドはプライドだ」
「そうか……はは……」
私たちは間違っている。けれど、間違っていない。矛盾じゃない、観点の違いだ。なんて、ちっぽけなエゴにすぎない。詭弁だ。でも、夜千代は光輝の言うことを納得する。そうだ、それでいい。いいじゃないか。正しいだの悪いだのでしか動けないのは機械だ。自分がどう思って、どう動くか。それが選べるのが人なんだ。完全無血の機械より、愚かでも血の通った人間の方がいいじゃないか。
夜千代は自分の体に元気が出てきたのを感じる。
「「
「いや、知らないな。俺はもうあんときの事は忘れた」
「都合の良い頭だな。……まあいいや。知らないなら構わない。私もお前の能力は「超視力」ってだけしか知らないしな」
「よく
夜千代と光輝は右手どうしでタッチをする。お互い、それぞれの正体に薄々気付いている。しかし、知らない振りをする。だって、そのほうが楽だから。
人間、楽をするのは大事だ。休まなければ、頑張ることも出来ない。知らない方がいい事もある。いらない事を知ってしまっては、余計な気遣いをするだけだ。
だらしない黒咲夜千代は、だらしない岡本光輝という人間性を意外と好んでいた――
――管理所から出た学生服の岡本光輝と黒咲夜千代は、改めてイクシーズの夏祭りというのを実感した。
「うはぁ、こんだけ人が居るとか……病み上がりでこんなの見回らなきゃいけないのかよ」
「らしいぞ。ああ、もう帰りたい……」
夜千代が病院を退院して直ぐに、そのイベントは待ち構えていた。お盆真っ只中に開催された、イクシーズの夏祭り。
周りを見て、どこもかしこも人・人・人。イクシーズ内の人間だけではこうはならない。それはそうだ。イクシーズの外から、国内からも国外からも人が集まるのだから。一年の中でも非常に大きなイベントだった。
その中を、光輝と夜千代は巡回をしなくちゃならない。といっても、区間は決まっている。他の区間は、また別の人たちが巡回する。こういうお祭りでは揉め事が絶えない。それらをやんわりと解決するのが、巡回役の仕事だ。
「人ごみは嫌いだ、暑苦しいし五月蝿いしいい事ない」
「あー、私もそう思うわ。本当に」
「まあ、行くか」
かといって、やらないわけにはいかない。一度決まってしまった事だ。二人は、面倒くさそうにしながらも歩き出す。
「あ、ちょっと待ってな自販機で珈琲買うわ」
「おう」
「ほれ」
「あ……いいのか?ありがと」
「構わん」
夜千代は自販機で微糖の缶コーヒーを二つ買うと、光輝に投げてよこした。光輝はコーヒーがあまり好きではないが、せっかく頂いたものだから飲まない訳にはいかない。カシュッ、と音を立てて栓を開け、一口いただく。……あれ、意外とうまい。
「ほー……結構うまいじゃん、これ」
コーヒー特有の苦味は確かにあるが、甘くて飲みやすい。あまり不快感はない。むしろ、この苦味が甘さとマッチして……美味しい。
「結構いけるだろ、「プレボ」。最近好みの銘柄なんだ。あ、ブラックのコーヒーは糞な。あれは何がうまいのかわからん」
「同感だよ」
缶コーヒーで一息ついて、二人は歩き出す。人ごみをかき分けるように歩く二人だが、ちょくちょく互いがどこに居るのか分からなくなるくらい人が多い。
「メンドクセーなー……しゃーないか」
「おい……ちょっと!」
「あ?」
夜千代ははぐれそうになるのを鬱陶しく感じて、その手で岡本光輝の手を握った。こうすれば、絶対にはぐれないだろうと。
しかし、光輝はその行為にドキリ、とした。夜千代は女性だ。光輝は男性。男同士で手をつなぐというのは嫌だが、かといって男女で手をつなぐという行為は嫌というよりは、気恥ずかしいというか、意識しない訳が無い。
そんな光輝の考えを思ってか、恐らく深く考えずにその手を握った夜千代は、段々と顔を赤らめる。
「……っ、これは別にそういう意味じゃねえぞ!はぐれたら面倒だから繋いだだけだ、損得で言やぁこっちのが断然得だからこうしただけだ!私は別にお前なんぞ全く意識してねぇからな!」
「ははっ、そんな事言って、実は意識してんじゃないのか?」
「お前、それ本心かよ」
「……すまん、ちげーわ」
「……」
「……」
急に無言になり、歩く二人。むしろ、言葉を失った現状の方がさっきよりよっぽど小っ恥ずかしい。けれど、一度握ってしまったものはしょうがない。
夜千代は光輝の手をしっかりと握り、光輝もまた夜千代の手をしっかりと握った。その手は、しっかりと、血も心も魂も通った感情を持つ人間の、温もりを宿した手だ。夜千代は光輝の存在をそこに確かに感じている。
語り合うというのはこんなにも面白くて。
張り合うというのはこんなにも楽しくて。
気が合うというのはこんなにも嬉しくて。
触れ合うというのはこんなにも暖かくて。
人生には辛いことも嫌なことも悲しいこともある。それでも人が前を向いて歩けるのは、独りじゃないからなのだろう。支え合う、なんて器用な事は、夜千代は出来るなんて思っちゃいない。けれど、一人より二人で居たほうが、心を強く持てる。
夜千代のその目に視えた世界は今、これまでの濁ったものじゃなく、光り輝いて視えていた。
過去がどれだけ暗かろうと、黒咲夜千代の今はとりあえず楽しい。