新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺― 作:里奈方路灯
「光輝と一緒に居られないなんて、寂しすぎます!」
玄関で目をうるうるとさせてそんな殺生な、と訴えるクリス。
「いや、また昼過ぎには帰ってくるから……」
光輝はクリスに対してそんな大げさな、と答える。
今日もまた、光輝は学校に行かねばならない。なぜなら、登校日だから。
何も今日じゃなくてもいい。夜に、黒咲夜千代と対面した……というか、喧嘩をした後だ。あの時はただただイラついていたが、冷静に考え直すと黒咲とは同じクラスだ。嫌でも顔を合わせることになる。気まずい。
まあ、お互い話をしなければいいだけだ。光輝は夜千代の素性を詳しく知ってるわけでもないし、何か秘密はあるだろうがそれを他人に言うつもりも無い。逆に、夜千代が光輝に何か秘密があるのも知っているのだ。
似たような状況。そして対面の取り決めもあるので、光輝は他人に絶対に言わない。
あの夜、結局家に帰ってきてからはそのまま寝た。起きてからも、結局奢ってもらったCDを聞いてない。そんな気分にはなれなかった。内心、今日学校には行きたくない。
「というわけで、行ってくるわ。外に出てもいいけど迷子になるなよ」
「はい、いってらっしゃいませ」
しかし、行かなければならない。もうすぐ1年は校外学習でキャンプがある。今日は、その班の振り分けがあるのだ。今回もまた余り物になるだろうけどな。
この手の班分けで、光輝は基本余り物で組んでいる。他人と仲が良くないからだ。1年1組で仲がいいと言えるのは、せいぜい龍神王座ぐらいだろうか。しかし、龍神は他の女子から引っ張りだこだ。期待は一切出来ない。
ああ、頭が痛い。そんな事を思いながら、光輝は学校に向かっていった--
--なんでだ。なんでこうも、不幸というのは重なるのだろうか。
人間、追い詰められたときというのはどうしても嫌なことに敏感になるものだ。
こんな話がある。人生、生きていく中で良い事と悪い事、両方ともしっかりカウントしていくと実は良い事の方が多くて、悪いことっていうのはそのインパクトが強く、人間はそれで「私は不幸」だ、と思い込んでしまうそうな。だから実際は、人生は良い事のほうが多いのだと。
そんなこと知るか。とりあえず今の俺は不幸だ、とアホみたいな希望論を抜かしたそいつに言ってやりたい。
岡本光輝は学校からの帰り道、非常に重たい足を動かしていた。確かに、学校に行って良い事はあったんだろう。後藤らと馬鹿な話で盛り上がって。それはそれだけで楽しいのだ。それは、良い事だ。
が、それとこれとは話は別だ。
「なんでまたアイツの家に行かなくちゃいけねーんだよ……」
結論を言おう。岡本光輝は今日もまた、黒咲夜千代の家に行かなければいけなかった。
黒咲は、今日、風邪で学校を休んだそうだ。その為に今日もまたプリントを渡しに行かなきゃいけないし、決まりごとの説明もあった。
本当は他の奴に行って欲しかった。黒咲には「私に近づくな」と言われている。しかも、脅しではあるが「殺す」とも言われている。だから行きたくない。誰が好き好んで嫌われている奴の所に行くものか。
だが、ボランティア部の先生がウチのクラスの担任に話をしたのか「岡本光輝は黒咲夜千代の家から近いし家を知っている」事を知っていたらしく、光輝が行くことになってしまった。流石に先生に黒咲さんと喧嘩をしたので行きたくありませんとは言えない。
くそ、不幸だ。つかアイツ、あんなに夜元気だったのに絶対仮病だろ。
「おい、ムサシ。端から魂結合だ。殺されちゃかなわん」
『承知よ』
夜千代の住むアパートの近くまでたどり着き、光輝はムサシと魂結合を行う。どうせ夜千代に秘密があるってのは知られているんだ。なら、遠慮なく予防線は貼っておこう。向こうが「殺す」をどれだけ本気で言っていたのか分からないが、用心するに越したことは無し。
アパートの階段を上がり、3階の夜千代の住む号室まで。少し息を飲む。まずい、心臓の鼓動が速くなる。言っておくが、決して「恋」とか「愛」じゃない。認めたくないが、俺はあいつに「恐怖」している。「緊張」しているのだ。
クソッ、本当に嫌だぜ……
光輝は覚悟を決めた。それは、「押す」覚悟。インターホンを、押す覚悟。夜千代に会ってああだこうだと話をする覚悟なんて定まっちゃいない。だが、その一歩を踏み込まなければ永遠に先に進めない。そいう確信があった。
勢いよく、インターホンを鳴らす。呼び鈴が夜千代の住む号室の中に響き渡るのが聞こえる。
……出ない。
もう一回、インターホンを押す。出ない。居ないのだろうか?いや、それは困る。プリントだけじゃない。大事な話もあるのだ。当然のごとく、光輝は黒咲の電話番号を知らない。話すとなれば、もう一回、ここに来なければいけない。
いや、嫌だよ?
光輝は恐怖してここに来ている。そんなものは何回も味わいたくないものだ。あろう事か情けない、「男が女にビビって会いたがらない」という状況だ。光輝は自分の中でその事実を押し込みつつ、先に進むしかない。
「……っつ、いねーのか?」
光輝はふと、ドアノブに手をかける。そのドアはガチャリ、と音をさせて開いてしまった。
鍵が掛かっていない。居るのか?
光輝は玄関を覗き込む。靴がある。そこから、真っ直ぐに通路を抜けて狭い部屋が視える。そこには布団が。盛り上がっているようだ。
居る。黒咲は寝ている。
「黒咲ー。居るよなー。先生からの伝言があるぞー。あがるぞー。」
ここまで来て引き戻すのも割に合わない。黒咲から何か言われた時の為に、理由を先に伝わりやすいように言っておく。そうすれば、俺は悪くない。
靴を脱ぎ、玄関を上がる。一歩、一歩と慎重に通路を歩く。すぐにして、狭い部屋の中へ。間取りは1Kのようだ。
部屋にはテレビとちゃぶ台とコンポ、他に特にない。6畳の和室。黒咲は、布団で寝ていた。その額は、うっすら赤い。
「本気で風邪か……おい、黒咲」
光輝は黒咲を呼ぶ。返事は無い。すう、すうと寝息を立てているだけ。
光輝は迷う。どうするべきか。安易に至ったその結果は、「医者」に任せるだった。
「ジャック」
『人使いが荒いねえ、アンタも』
光輝はムサシとの魂結合を解き、ジャックと魂結合をする。最悪、ジャックならいきなり襲われても「神の手」で対応できる。それに、ジャックの身体能力フィードバックはムサシほどではないが優秀だ。なんとかなるだろう。
そんな風に考えていたが、あろうことかジャックはいきなり、黒咲の額に手を乗せた。
「なッ……」
『ふうん、38度辺りね。高熱だ』
光輝は驚く。いきなりそんな事をしてしまっては、黒咲が怒るだろう。いや、寝ている。間に合うか?
「……え、じーちゃん……?」
黒咲は苦しそうに瞼をうっすらと開ける。寝ぼけているようだ。ほら、起きてしまった。どうすんだよ、ジャック!
「俺だ、岡本光輝だ。お前が学校に来ないからまた俺がプリント渡しに行けってさ。なんで倒れてんだよお前」
光輝は必死に言い訳をする。どうか、黒咲に怒られませんように、お願いします神様。
『とりあえず状態を見るぞ。布団が邪魔だ』
だが、医学の神様は残酷だった。
なッ……!ジャックの奴、布団を引っペがしやがった!
そこに現れるのは、黒いシャツに白のショーツの姿。無防備な、その肢体。まずい、この状況は非常にまずい。
「……え?」
黒咲はまだ寝ぼけているようだ。その間に、ジャックはシャツの中に手を潜り込ませた。
おい、お前--ッ!
『触診を始めるぞ。……ふーん』
「う……っ、ん」
「神の手」を通じて触れる、黒咲の腹部。程よく脂肪と筋肉が付きしなやかなその感触は、きめ細かな肌と相まって、非常に触っていて心地の良いものだ。……いや、まずいって。
『ありゃりゃ、消化器官が駄目だねこれは……なあ、岡本光輝。変なところに血液集めるなよ。指先が狂う』
お前は何を言っているんだ。ビークール、俺は冷静だぜ。
それは、自分に言い聞かせる言葉。でないと、平静を保てない。というか、まずい。黒咲に殺される。「神の手」は少しずつ腹部から上に向かっていき、硬いものの下に指を潜り込ませ鳩尾を触る。
……って、ちょっと待て。今の硬いものって、も、もしかして、ブ……
「ど、どこ触って……ひゃあぁぁっ」
だんだんと黒咲の意識もはっきりしてきたのか、言葉がしっかりとしてきた。いや、だからまずいってこの状況。
しかし、ジャックは指を動かすのをやめない。幾つかの事を確認したのか、ようやくジャックは手をシャツから引き抜いた。
『ふむ。ストレス性の胃腸炎だね。これじゃ栄養補給できないわ』
冷静に診断をするジャック。いや、目の前の黒咲さん、凄い怒ってらっしゃるんですけど。
目の端にうっすらと涙を浮かべながら、赤い顔で光輝を睨みつける黒咲。多分その赤らみは、熱によるものだけじゃない。
「お、お前、ふざけ、やがって……」
やはり体調がすぐれないのだろう。まだ起き上がれないようで、ただ強がりで必死に喋っているようだ。
そんな様子をよそに、ジャックは脳内で語る。
『人間というのは素敵な生き物でね、脳内に幾つもの薬物を隠し持っている。プラシーボ効果って聞いた事はあるだろう?』
プラシーボ効果。聞いたことがある。思い込みにより、体の調子が良くなる症例。医学に詳しくない光輝でもそれは知っていた。
『理解が早くてよろしい。喜怒哀楽によって人の体は健康にも不調にもなりうる。今回は典型的なストレス性だ。これなら話が早い、今から治療を行う』
光輝は疑問に思う。ジャックには、そんな事が出来るのか。
『私を誰だと思っている。「神の手」を持つ天才外科医、ジャックだ。私が今から行おうとしている事がわかるかい?』
……分からない。人間の体を健康にする方法とは?光輝の疑問。ジャックは事細かに説明していく。それはまるで、医学の先生のように。
『人体の基礎は脳と心臓だ。この二つで人間の体は動いているようなものさ。体を回復させる手っ取り早い方法ってのは、それらを弄ってやることだ。しかし、直接触れることはできない』
脳と心臓。それもそうだ、脳は頭蓋骨に、心臓は胸骨に大事に覆われている。それらを触ることは出来ない。ならどうするというのだ?
考えるうちに、光輝の「神の手」が黒咲の腹部から下へと向かっていく。途中で直視してしまう、腰周りを大事に覆っている下着。その白い至宝が、また俺に情熱をもたらす……いかん、今は冷静に、だ。
『答え合わせだ。第二の心臓「足」を使う』
光輝の「神の手」が黒咲の足裏をなぞる。その次の瞬間、一点を「神の手」が強く指圧した。
「……っ、つうぅぅぅ……!」
苦痛に呻きを漏らす黒咲。その反応から、それがとても痛いものだとわかる。
『足裏を指圧する事により、心臓と脳に働けと命令を送る。プラスの薬物を促せ、てね。つまり、強制的にプラシーボ効果を起こすわけだな』
説明をしながらも、足裏の指圧をやめない、その度に、黒咲は小さな悲鳴を上げる。うん、どんどん俺の立場が危うくなっている気がするのだが気のせいか?
『そうしてやれば、身体はたちまち回復に向かう。まあ、私にかかれば人体など六方一色のルービックキューブのようなものよ……よし、こんなものだろう』
黒咲の足を、「神の手」が離す。黒咲は肩で息をしている。シャツと下着だけで布団の上で息を荒くしている姿は……うん。いや、やったのは俺なんだが。正確にはジャック。
黒咲は何拍かしてからその体をガバッと起こすと、座っている光輝に対して握りこぶしを振り抜いた。光輝はそれを超視力で避け、腕を「神の手」で掴む。
「テメエ……何のつもりだ!?」
顔を真っ赤にして怒り心頭に発する黒咲。その素早い動きから、体の調子は良くなったのが分かる。流石はジャック、医者として非常に有能だったようだ。
「落ち着けよ、俺はお前を治療してやったんだぜ?殴られる謂れはないな」
光輝のそれは詭弁もいいとこだ。事実そうであったとして、勝手に家に上がり込んだ挙句に熱で抵抗できない年頃の少女の体を弄りまわしたのだから。
だが待ってくれ、俺は悪くない。だって「神の手」を動かしていたのは殆どジャックなんだ。
『おや、ストップを出さなかった思春期の少年は誰だろう』
……返す言葉もない。
しかし、ジャックを信用していたのは事実だ。結果、黒咲の体調は良くなった。
「私に近づくなって対面で決まったろ」
「言うことをなんでも聞くって話だが幾つも聞くとは言ってないだろ。だから俺はお前との出来事を忘れた事にした。他になんかあったか?いいや、俺たちの間には何も無かった。そうだろ?」
「……舌の回る奴だ。どこまでも弄れてんな、お前……」
「はっ、お前に言われたかないね」
そもそもが一方的な喧嘩の決め事に過ぎない。それを光輝も黒咲も理解している。
黒咲は手を振り払うと、布団で自分の体を包(くる)み床にドカっと座った。まあ、当たり前か。さすがにその姿は見る方としてもこう、辛いものがある。
「……お前、魔法でも使えるのか?さっきまで体が凄くだるかったのに、今はとても楽だ」
「礼は言わなくていいぞ。要求はあるからな」
「……はぁ!?」
黒咲は顔をしかめる。光輝はジャックにストップを出さなかった一つの理由。それは、黒咲の体を治したかったのもある。それには理由があった。
「黒咲夜千代。お前に言わなきゃいけない事がある」
「……言ってみろよ」
静寂が訪れるその時間。光輝は、真面目にその言葉を放った。
「来週の校外学習のキャンプ、俺とお前が同じ「消灯係」に選ばれた。だから、お前はそれまでに体調を万全にしろ」
「……っ、はあぁ!!?」
いや、そんな大げさに驚くなよ。俺だって嫌なんだからさ。