新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺―   作:里奈方路灯

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ジャック・ザ・リッパー

 岡本光輝の想像していた可能性、最悪の状況。その想像は、当たってしまっていた。

 クリスに襲いかかるニュー・ジャックを、二本の木刀で叩き飛ばす。俺の目には視える。コイツの中には幽霊、切り裂き魔「ジャック」が入っている。

 

 かつてロンドンを震撼させた猟奇連続殺人犯、切り裂き魔ジャック。ジャックは捕まる事なく、犯行はいつしか行われなくなりその事件は闇に閉ざされた。内蔵の切り取り方が鮮やかだったことから、ジャックには解剖学の知識があるとされた。

 もう100年以上前の事件だ。本人が生きているわけも無く、今回の事件はその模倣犯によるものとされた。

 

 違う。今回の事件は、「ジャック」本人によるものだ。

 

 倒れたジャックに光輝は追い打ちをかける。一瞬の油断も許されない。でなければ、こちらが死ぬ。最悪、殺してでも無力化するしかない。全力の追い打ち。

 

 しかし、ジャックは直ぐに起き上がる。本来の男の力では無い、その動き。素早く繰り出された、ナイフによる一閃。

 光輝はそれを超視力で視やる。速い、とても速い突き。光輝は気付く。

 

 避けれない。

 

 ムサシの身体フィードバックと超視力をもってしても、避けれぬ一撃。ならば防ぐしかない。が、速い。間に合うか?いや、間に合わせるしかない。

 

 光輝は右手の木刀で防御をする。止めるのではなく、弾く。それはとても止めれる威力ではなく、弾いて進行方向を逸らしてやるしか他ない。

 

 同時に精一杯体をよじる。肩をナイフが掠り、出血をする。死ぬよりは安い。が、同時に右手の受けた衝撃が脳内に伝達された。

 

 木刀が、ナイフを受けた部分から真っ二つに折れている。

 

 光輝は青ざめた。目の前の存在の異形さに。が、なりふり構ってはいられない。左手の木刀をジャックに振る。

 ジャックは木刀を避ける気は無く、より近づき膝を光輝の腹部にねじ込んできた。内蔵への、的確なダメージ。光輝は呻くが、止まっている暇はない。力の弱くなった左手をジャックにそのまま振り抜き肩へダメージを与え、後方に下がり息を整える。間一髪の攻防、走馬灯も目を見開く1秒程の出来事。

 

 クリスの傍に立つ光輝。あれだけで既に光輝は多くの集中力と体力を使っていた。ふと、地面に拳銃が落ちているのに気がつき、直ぐに拾い上げる。

 

「クリス、お前のか?弾は何発だ?」

 

 焦る光輝。最低限必要な情報を聞き出す。

 

「わ、私のよ!弾は5発、ダブルアクション!」

 

「オーケイ、下がってろ!」

 

 光輝は右手に木刀、左手を拳銃に切り替え間髪入れず発砲をする。超視力を使い動きを抑え、捉えたジャックに向かった弾はしかし、避けられた。

 

 目の前の存在、ジャック。奴は最早、ニュー・ジャックでは無い。

 

 ニュー・ジャックには最初意識があった。奴は自覚があるにしろ無いにしろ、その身に「ジャック」を憑依させていた。伝説の殺人鬼を宿したその身体は、異能こそ持てどまだ人の領域だった。だが、今は違う。

 

 意識を失ったニュー・ジャックは、今その意識の代わりに「ジャック」が入っている。それは最早、悪夢だ。完全に魂が結合し、全力を出せる伝説の殺人鬼が今目の前に降り立っている。

 

 目の前の奴は、正真正銘本物の「ジャック・ザ・リッパー」だ。

 

「クソが!」

 

 二発、弾をさらに撃つ。当たらない、残り二発。ジャックが迫っている。

 

 クリスは脚を震えさせながらも、後ろに下がっていた。自信は完全に砕かれ、戦意喪失。

 やるしかない。光輝がここで、「ジャック・ザ・リッパー」をねじ伏せるしかない。

 

 奴の必殺の間合い、ナイフがこの身に届く距離。そうなったら負けだ。奴の一突きで光輝の命は簡単に奪われるだろう。光輝はジャックと刺し違えてやるほど自分の命をぞんざいに思っていない。

 だから、光輝が一番有利な間合いで戦う。それは木刀の先端がギリギリ届く距離。それが一番安全で、一番威力の出る距離だ。人間が棒を振り抜いた時、一番加速する箇所はその先端だ。それを、ぶち当てる必殺のタイミングを伺う。

 同時に、左手に用意した残り弾薬二発の拳銃。撃鉄は既に起こしてある。だが、相手が速い。当たる確証は無い。が、拳銃を持っているという事実が敵への牽制になる。「二天一流」で、敵の攻撃を捌きつつ機を狙うしかなかった。

 

 ジャックの突きは、的確だ。常に必殺となる箇所を的確に付いてくる。だから、受けれない。隙を与えた瞬間、負けが決まる。

 

 幸いは、ジャックの一番速い部分が腕だけ、というところだった。脚は速いとはいえ、反応できぬ速度では無い。脚と腕が最高の速度を出せたのなら、光輝は既に死んでいる。ジャックの能力は、「腕の超強化」といったところか。

 

 魂が完全に結合してその全力を出せるジャックに対して、光輝とムサシは半分の結合しかしてない。意識があるから。ならば、光輝も無理矢理意識を飛ばしてムサシと魂を完全に結合すればいいのではないかといえば、そうではない。

 魂を完全に結合するには、波長が「完全」に合っていなくてはならない。光輝は背後霊のムサシを、感情のコントロールで半ば無理矢理憑依させているに過ぎない。本来なら光輝とムサシの波長は少ししか合わないのだ。この状況を生み出した最大の要因は、ニュー・ジャックとジャック本人の波長が完全に合っていたという事だ。その状況を予測していなかったわけではないが、ジャックは強すぎる。

 

 光輝は戦慄する。防戦一方だ。このままでは体力が無くなって、死ぬ。ふざけるな、なんでこんな所で。

 

 功を焦った光輝は拳銃を放った。残り一発。その破れかぶれにも近き銃弾は奇跡的にもナイフを持った右腕に当たった。ジャックはナイフを落とさないが、その右腕は痛みで直ぐには動くまい。

 

 やった!行ける!

 

 イチかバチかの賭けに勝った光輝。歓喜せずにいられない。しかし、直ぐに切り替える。倒すなら今だ。踏み込み、確実に当たる距離で木刀を縦に振る。唐竹割りだ。当たれば、ひとたまりもないだろう。これで、潰れろ!

 

 光輝の願い。それは虚しく、ジャックはあろう事か引かずに突き進んできた。木刀の根元がジャックに当たるが、致命的な一撃にはならない。

 

 馬鹿か俺は。振るのが遅すぎる。さっきもそうやって回避されたじゃないか。拳銃を撃ってから直ぐに振れば勝っていただろ。何をやっているんだ。

 

 光輝の判断ミス。ジャックは自由に動く左手で、光輝の鳩尾(みぞおち)を高速で突いた。光輝は息を吐く。呼吸ができない。ムサシのフィードバックがある肉体は貫かれこそしなかったが、多大なダメージを受ける。

 

 解剖学とはそのまま、格闘技に繋がる。人体構造を知り尽くしていれば、人体の弱点など思うがままだ。ジャックには解剖学の知識があるとされた。最初の膝蹴りも的確であることから、ジャックは格闘技にも精通してると言える。

 

 人体急所を突かれた光輝。脚を崩さずにはいられない。ジャックは直ぐに無事な左手にナイフを持ち変える。その左手が、動かされるのが視える。駄目だ、後ろに下がらなければ。必死に転がる光輝。だが、ジャックの腕は止まらない。馬鹿な、死ぬ?俺が?

 

 思考停止の0.2秒。光輝はここに来てさらなるミスを犯す。その0.2秒があれば、急所はギリギリ反らせるだろう。敵の狙う箇所と、超視力と、ムサシのフィードバック。全てを把握して瞬時に対応すれば間に合うかもしれない。しかし、思考停止。気づけば光輝は逃げるしかなかった。だが、ジャックは飛び跳ねる。それが決定打と言わんばかりの、跳躍。走るよりも、小さな距離を詰めるには速かった。

 

 嘘だ、負けるのか、考えろ、悩むな!動け!なんでもいい!体を動かせよ岡本光輝ィ!

 

 脳内が複雑にこんがらがる光輝。が、そこで違和感。ジャックは届かない。跳躍をしたが、光輝には未だ届いてない。本来なら届く距離なのにだ。

 

「座標を指定した重力制御、ジャックは今、無重力!お願い、早く決めて!もう持たないの!」

 

 気が付けば、クリスの声。クリス・ド・レイはここ一番で自分の出来うる能力の使い方に全力を注いでいた。

 

 本来、女性は男性に比べて空間把握能力が乏しい。飛行機のパイロットに女性より男性が多いのもその為だ。

 クリス・ド・レイは複雑な能力の使い方をしてこなかった。なぜなら、向いていないからだ。向いていないことを努力するより、得意なことを努力する方が遥かに効率が良い。それが、若くしてクリスを強者たらしめた要因の一つだった。

 

 だが、クリスは恐怖でジャックに近づけない。遠くから光輝とジャックの死闘を見届けるしか出来なかった。強者である為の弊害。しかし、それまでのクリスならの話だ。

 

 クリスは思った。岡本光輝を、助けたいと。目の前の勇敢な少年の力になりたいと。クリスは試行錯誤していた、その条件。

 

 それは、ジャックの脚が地面から離れたとき。その時に重力を軽くして、一瞬でも動きが止まれば。

 

 クリスは重力制御にて物を重くするより、物を軽くする方が得意だ。そして、ジャックの脚が地面から離れたとき。ジャックは体のコントロールを失う。空間把握が苦手なクリスには、それを長く続けられない。だが、一瞬でも止めてしまえば--!

 

「っ、やるぞムサシィ!」

 

『合点承知!』

 

 光輝は空中のジャックの左手に銃を撃つ。最後の一発だ。不意の事態に動けないジャックの左手を銃弾が撃ち抜き、左手からナイフが離された。直後、ジャックは地上に降り立つ。

 

 光輝は弾を撃ちきった拳銃を捨て、木刀を両手に握る。

 

 ジャックはなお立ち向かう。両腕はボロボロだが、まだ脚がある。その殺意だけは、賞賛に値した。

 

 ……だが、反吐が出る。

 

「沈めよ!『剛の一太刀!』」

 

 光輝は遠慮なく全力で木刀を振り抜く。ジャックの肩に当たったそれは、鎖骨を砕き、身体に重大なダメージを与え、ジャックを地面にねじ伏せた。

 

 今度こそ、ジャックは動かない。が、まだ終わっていない。仕上げがある。

 

「ジャック・ザ・リッパー!俺にはお前が視える!」

 

 光輝は名を呼ぶ、伝説の殺人鬼の名前を。

 

 すると、ニュー・ジャックだった男の肉体から幽霊が出てきた。それは白衣に身を包んだ、白髪の女。

 

『私が視えるヤツなんて初めてあったわ。変わってんのね、アンタ』

 

「単刀直入に言うぜ、俺と契約しろ」

 

 光輝の大胆な宣言。光輝はジャックをその身に取り込もうとしていた。ジャックは、バカ笑いをする。

 

『アッハハハ、最高、最っ高よアンタ!気でも狂ってんじゃないの?』

 

「お前に言われたくはないな」

 

 どっちもどっちだ。狂った者と、狂った者を取り込もうとする者。そのどちらも、気が狂っている。

 

『いいわよ、楽しそうだしその話に乗ってあげる。せいぜい、私に飲まれないようにしなさいよ。……それじゃ』

 

 そう言って「ジャック・ザ・リッパー」……ロンドンの伝説の猟奇殺人鬼は光輝の身の中に姿を消した。これで、ロンドンに二度とジャックが現れる事はないだろう。だが、同時に光輝はこれまで以上に「感情のコントロール」に気をつけなければいけない。その身には、悪魔が宿ったのだから。

 

「ふう……終わったぞクリス……」

 

 死闘の果ての、遂に決着。光輝は、クリスの方を見やる。すると、クリスは光輝に走ってきてその身に抱きつく。すでにフラフラだった光輝は、濡れた地面に尻餅をついた。

 

「お、おい……クリス?」

 

「……ごめんなさい、私が弱いばかりに、貴方を危険な目に……」

 

 クリスは光輝の胸に顔を押し付けていた。その表情は見えない。

 

「いや、最後の重力制御がなければ危なかった。助かったぞ……クリス?」

 

 気が付けば、クリスは肩を震わせている。息も荒かった。

 

「怖かった……光輝が死ぬのが怖くて、でも私、体が動かなくて……ごめんなさい」

 

 クリスは泣いていた。劣等感からか、不甲斐なさからだろうか。

 

 どうしていいか分からない光輝は、クリスの頭に手を置く。

 

「あの状況じゃ仕方がない。俺だって怖かったさ。なあ、クリス……お前は強かったよ」

 

「それでも、貴方のようには……」

 

「……」

 

「……」

 

 お互いに続く無言。どんな言葉をかければいいのか分からなかった。ただ、光輝はそのままで居た。クリスの震えが収まるまでは――

 

――ニュー・ジャックの一件が収まり、一日と少し。光輝はジャックを取り込む場面も見られていたため、言い訳のしようもなくクリスにその能力の実態を明かしていた。光輝は自分の能力を他人に知られたくはなかったため、クリスには口止めをした。結果、今回の事件はクリスが全部解決したこととなり、それはニュースにもなった。新聞の見出しは「黒魔女、ニュー・ジャックを撃退!!」。

 

 勿論クリスも色々面倒が付きまとうだろう。父親の書斎から盗んだ拳銃の弾薬も全て使い切り、無謀にも近い事をしたんだ。どれだけ怒られるか知らない。が、これでクリスは知ったはずだ。自分の器というものを。

 

 空港のチェックインカウンターにて自分の番を待つ。光輝のクラスは最後の方だ。色々あったが、ようやくロンドンから日本に帰る事ができる。

 

 光輝がチェックインカウンターを通ろうとした時だ。後ろから声が掛けられた。

 

「光輝っ!」

 

 知った声に光輝は振り向く。そこにはクリスが居た。周りは騒然とする。新聞でもテレビでも見たロンドンの英雄、「黒魔女」がそこに居たから。

 

「ありがとう、光輝……っ!いつかまた、ロンドンに来てくれませんか?精一杯で出迎えます!」

 

 クリスとは友好関係を築けたようだ。だが、それは悲しい事にもなる。

 

「……もう懲り懲りだ、二度と来ないよ。それに俺はイクシーズに行く。二度と会うことは無いだろうな」

 

 イクシーズに入れば外に出るのは難しくなる。出来ないことはないといえ、そんなめんどくさい事をわざわざやる必要はない。しかし、これは理由付けだ。光輝がクリスとの関係を断つための。

 

「俺さ、本当はお前に憧れたんだ。強く在れる、お前の姿にな。お前なら、まだ先に進める。……じゃあな」

 

 光輝はそのままチェックインカウンターを通り過ぎクリスの目前から消えていった。別れはできる限りあっさりした方がいい。でないと、後を引く。

 

「光輝、私は貴方を忘れません。そしていつか……」

 

 過ぎ去った光輝を、クリスは見送った。そして、ある想いをする。強くなんてない、私はまだ弱い。いつかもっと強くなって、必ず貴方の隣に――

 

――光輝は飛行機の中で窓の外を視る。遥か下に、ロンドンの街が視える。

 

 今思えば、忙しい7日間だった。楽しかったかと言われればそうでもないが、その手にした収穫は大きい。光輝は手を握る。

 

 しかし、飛行機とは偉大だ。雄大な青空と一つになれる。この心地よさは他の何にも代え難い。これは利点かもしれないな。

 

 光輝はそんなことを思いつつ、ロンドンでの出来事を消し去ろうとするかのようにまどろみの中に意識を落としていった。


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