新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺― 作:里奈方路灯
雨の中向かって歩いてくる二人を見て、ビルの軒先から足を踏み出した。一人……ワタヌキが、ドウタヌキを置いて雨に打たれ行く。
「アンタ……誰だ?」
敵を見ていると云わんばかりに鋭く目を細める彼女に対して、初老の男はにこやかに返す。
「私の名前は
「あっ、私は
「
此方が名乗っていないにも関わらず「ワタヌキ」という名前を知っている穂浪の事など、それがさも当然だというようにどうでもいいというように気にかけず。ワタヌキは目の前の男……「刑部之也」に対して、「誰だ」と問い直した。
「おっ、おい……?待て、一体なんの話だ?」
「そうですね……素直に名乗るなら、
「長い。その百目鬼さんが一体、何の……御用、でしょうか……?」
まるで話に置いて行かれてるドウタヌキをワタヌキは無視する。ただひたすら、目の前の之也という男を注視した。なぜなら……全身の警報が「気を逸らすな」とけたたましく鳴り響いているからだ。
「迎えに来たのですよ。貴女方二人を」
「迎えって」
「断る」
ザー…………事細かく聞かず、之也の言葉をワタヌキは一蹴した。端から聞く気などない。未だ之也は笑む、不思議そうな穂浪、戸惑うドウタヌキ、睨むワタヌキ。
「私らの旦那様は既に決まっている……今更お前如きが割って入る余地など無いと知れ」
「……私達には、貴女方が必要なのですよ。人と妖怪が、再び手を取り合う為に。貴女方の幸せの為にも、この手を差し出したい」
「そいつぁ罷り通らんぜ刑部之也ィ」
ずぉん……ワタヌキと之也を遮るように、雨中の空間に黒い靄が発生する。そして、その中から突如現れたのはスーツ姿の三人の男女。
一人、先ほど言葉を放ったのはウェーブのかかった黒髪の女。一人、無精ひげに巨躯、カーキの背広と薄くなり始めた頭髪の威圧と哀愁を放つ男。一人、切りそろえた清潔感のある黒髪に端整な顔立ちの爽やかな男。
イクシーズが誇る最精鋭、倶利伽羅綾乃と天領牙刀と瀧聖夜。その三人が、雨に取り残された街中で刑部之也の前に立ち塞がった。
「すまぬな……この街の秩序にお前らは要らない。帰ってもらうぞ」
「……あな、おそろしや」
天領牙刀と刑部之也が見合う。瞬間、之也の懐からもまた、黒い靄が溢れ出す。そして瞬く間に之也の隣に二人の男が現れた。
尖った髪に尖った目つき、青いチャイナ服に身を包み腰に白鞘の日本刀を差した若めの男と、まるで「岩」という言葉を人間にでもしたかのような巨躯で堅物、クリーム色のオーダーメイドスーツの男。なぜオーダーメイドかは……サイズからして歴然。「2メートルを超えている」からだ。
妖怪側と人間側。両方が強い雨に打たれる事を厭わず、ただ己の目的を遂行する為にその場に立つ――
――大雨の中、街を駆けるイオリ・ドラクロア。息を吸うたびに口内に雨が入り込む。全身が水に浸かっているいるような感覚。これはイオリの能力「サイレンサー」でもどうしようもない。それでも走るのをやめない。
六感がひり付く。何か、嫌な事が起こっている。一体世界はどうなっている?どうしてこんなに……
「イオリッ!」
バオッ、雨粒を勢いと風圧で跳ね飛ばして目の前の滴るアスファルトに下駄と手を付いて鴉魔アルトが勢い良く着地する。ようやく来たか……!
「おい、どうなっている?一体、何が、何かが起きている!?」
この邪神なら、何か分かるだろうか。イオリは何より第一に、その言葉を最初に発した。かくいうアルト、その言葉が飛んでくるだろうと予測していたのか険しい表情で応答する。
「理解(わか)るか……!嫌な感じだ、何故もっと早く気付けなかったのか……!!この感覚、きっと悪魔もしくは神の類い……」
「『名無きの妖怪』と呼ばれる男が現れたんだよ、イオリ君」
瞬時、イオリとアルトは横を向いた。何時の間に、そこには白髪にスーツのイオリが良く知っている雨の滴る良い男が立っていた。
「ヒフミ……!!」
「さあ、どうする?ぼやぼやしていると君の刀が妖怪横丁へと持っていかれるぞ。また、失うのかい?」
いきなり現れた目の前の男が、謎めいた事を云う。また、失うだと……?
「妖怪横丁?貴様、一体……ええぃっ、それより早く行けばいいんだろう!?イオリ、手を貸せ。三分で着く」
「ああ、構うものか。行くか行かないかなんて問いは無い、答えは出ている」
「僕なら30秒だ」
アルトが差し出した手をイオリが取ろうとすると、男……歌川鶻弌弐弎代が背中から翼を広げた。雨を弾き飛ばし、羽根が舞い、大きく広げられたまるで天使と見紛う程の白い二枚の翼。
その光景、イオリとアルトはその眼を見開いた。白髪に白い翼……一体、この男は?
「……ヒフミ、お前は何者だ?」
静かにその姿を見据えるイオリに、ヒフミはいつも通り爽やかな笑顔で軽く返す。
「君に名乗った通りの男さ。警備会社から統括管理局に委託で来てる「ヨコハマエンタープライズ」の歌川鶻弌弐弎代。それ以上でも、それ以下でも無いよ」――
――「行くぜ、
チャイナ服の男が赤色に光る白鞘から日本刀を居合の要領で振り抜いた。刀身から巨大な九つの光が放たれ、放物線を描いて警察官達へと襲いかかる。
「この場で一番強いのはお前だな。「
天領牙刀は綾乃が闇の中から取り出した一振りの日本刀を受け取ると、それをただ目の前で抜刀した。まるで雨の空間を割るかのような剣撃。迫り来る九つのまばらな光が、雨と混じって霧散する。
あんぐり、チャイナ服の男は目と口を大きくおっぴろげて驚愕した。
嘘だろ……!?鍔鬼から放った俺の切り札の一つをいとも容易く!??
無理も無い。天領牙刀の能力は「
だから、誰も勝てない。そもそも、後ろで瀧聖夜が「
「バアル・ゼブル」
雨を吸ってふやけたボサボサの髪に、だらしない無精ひげ。よれたネクタイ。こんな男、イクシーズ警察の中で丹羽天津魔ぐらいしか居ないだろう。右手に破壊が渦巻いた槌を握り締め、それを刑部之也へと躊躇なく振り下ろす。
ガァァァァァン!!!空気と水分が弾け飛ぶ。之也の横に立っていた岩の様な男が、両手でその破壊槌を止めていた。
えっ……?ヴァティカン一つ吹っ飛ぶぐらいの一撃だぞ!???
「地獄の釜と同じぐらい
破壊槌が役割を終えると消滅し、天津魔はズザザッと音を立てて雨の敷かれたアスファルトに革靴を滑らせ着地する。
確実に、今の不意打ちで仕留めるつもりだった人間側。まさかの目論見外れ、しかし今回の目的は討伐、或いは防衛……。相手の手の内が読みきれない。どこまで実力を出して安全に勝てる?下手な手を打つわけにはいかない。相手が相手だ……。
「そろそろ良い?」
ふと、之也の隣に立つ少女、穂浪が之也に問いかける。
「はい、お願いしましょう」
之也が傘をたたむ。雨ざらしの中、二人が無防備に雨に打たれだす。穂浪は一度、瞳を閉じて――
「『
――その言葉と共に、世界の時間が停止した。二人以外、之也と穂浪を置き去りにして雨の中の全てが切り取られた空間に取り残される……身動ぎ一つ無い。雨粒も、小さな聖域に守られた警察官達も、チャイナ服の男と岩のような男ですら動きが止まっていた。
否、動く者が他にもあった。
「……何をした?」
「えっ、一体……?何なんだこれは!?」
後ろで戦闘を見ていた、ドウタヌキとワタヌキ。この二人は、雨の中に取り残されなかった。
「私が降らせた雨は、崇高な神以外の者の時間を止める力がある。この場で崇高な神に括られるのは、私と之也くんと……」
穂浪は1、2と指をおって数えていき、そしてその数が4になると、指を二人に向けた。
「君達だ。よっぽどの祝福を受けてきたみたいだね」
祝福。その言葉を聞いて、ドウタヌキの脳裏に何かが奔る。
『……――』
「うあぁっっっ……!?うぅ……」
水飛沫を立てて、アスファルトに膝を付いて苦しそうに頭を抱えるドウタヌキ。その様に、慌ててワタヌキが駆け寄る。
「ウタちゃん!?」
瞳を瞑り、呻くドウタヌキ。一体、何が……!
「……仕方ない、無理矢理連れて行く?」
「チィ……ッ!」
切り取られた世界の中で、もう助けは居ない。私一人でどうにかなる相手でも無い……くそっ、ここまでか……!!
ブォン。
音が聞こえた。空間を高速で移動する音。その方向を見る事が叶う前に、閉ざされた世界の中に光の球体が降り立った。……いや、光の球体では無い。それは、白く丸まった翼。
「毎度どうも、警備・輸送のヨコハマエンタープライズで御座います。送料は――」
翼が開くと同時に、中から現れたのは三人の存在。その姿に、ワタヌキは鋭い眼を緩めた。白い翼の男と、黒い浴衣の女「鴉魔アルト」と……そして、自分にありったけの祝福を注いでくれた黒スーツの男「イオリ・ドラクロア」だ。
ヒフミは之也の姿を見据えると、ニコりと笑った。
「着払いでよろしかったですね」