新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺― 作:里奈方路灯
『
『
これは、
───新社会「イクシーズ」外伝
『夕暮れの 彼方から 蜃気楼……』
イヤホンから流れるメロディを聞きながら真昼間の雑多が飛び交うイクシーズ市街を歩く、褐色肌にパーマがかった長い黒髪の女。冬ではあるがポリシーのように着こなされた薄手の服に強調される細めのボディライン、「痩せた」というよりは肉が「締まった」と形容するのが相応だろう。細身でありながら張りがある、というのも。その理由は彼女がグラビアモデルだからというのもあるだろう。ウェイトコントロールはバッチリだ。
エリザベス・ロドリゲス。19歳。ロサンゼルス出身、CIA所属。レーティングはSレート、特殊Sレート群――「
能力は「
そんな彼女には趣味がある。今街中を歩いているのもそれが理由だ。街の中のあちこちを探して、流行りのカフェやレストランのある街角で眼を見遣って――そして、何も無いと分かると直ぐに興味が無いといった素振りでしなやかな足を早めた。
やはり、歴史が無い街では無理か。
彼女はある種の愛好家だ。何を隠そう、悪魔が好きだ。その中でもとびきり、日本の悪魔「妖怪」が好きだった。
妖怪が出てくる物語が好きだ。胡散臭い企画番組でさえ好きだ。好む音楽の殆どが妖怪に纏わる物だ。そして、何よりは――
妖怪の街へ、行きたい。
ちらり、と目の前を横切る白く漂う線が見えた。
「……雪かい。こりゃまあ」
気が付けば、見上げた空からは白い点が幾つも降ってくるではないか。今日はそろそろホテルに戻って大人しくインターネットで情報収集でもする方が吉だろう。これだけの都会、チャンスがあるとするならこうゆう神に対しての信仰が無くなった街だと思ったのだが。
エリザベスの探している物。それは、ある一冊の「書物」だった。
この国に来て数ヶ月、エリザベスはイクシーズを根城として幾つかの地方へと回った。本部には仕事とかこつけて、その真実は私利私欲。自分の欲求を満たすための物だ。そして、その探し物がどんなものか。
彼女は常日頃から妖怪について調べている。自由奔放に会社ではパソコンで、専属の運転手がハンドルを握るリムジンの中ではスマートフォンで、ジパングで空いた時間があれば静かな図書館で。その人生の無駄な時間を、未知との遭遇の為に費やしてきた。そして、去年。興味深い話をネットで見かけた。
『平安時代の
脳髄にガンジャ程の痺れるような稲妻が迸った。たかが日に日に埋もれる与太話の中の一つ、幾多数多の造り噺だが乗らないにしちゃ「損が過ぎる」。もし、それが真実なら。無視したのなら、自分はこの世に生まれた価値を無くすのだろう。Go or Back?答えは「Go」だ。行動せずに後悔するぐらいなら、行動してから後悔しろ。
そう、噂の真実を確かめるなら自分のこの眼だ。向かうはジパング、しかして平安時代の妖怪百科、そんな本が何処にあるのか。それらしき骨董屋、古本屋、リサイクルショップ、通信販売……。手に付く範囲で、県に県を跨いで探せる場所は狙いを絞ってあらかた探した。しかしそれらしき物は何処にも無い。
その理由を考えた。結果、こうは考えられないだろうか。「自分と同じ考えの人種が既に探した後だった」……。エリザベスももうそろそろ国に帰る頃だ。時期が来ている。誰かが試した後だろう手応えが無い方法を試すより、別のアプローチを試みてみたが、やはりダメか。前提条件が間違っていてはどうしようもないものだ。
さて、雪も降ってきた事だしホテルに帰ろうか。スマートフォンで地図アプリを起動させ、最短ルートを検索する。……裏路地を通っていくルートが出たか。まあいいだろう。
動き易いスニーカーでまだ濡れきらないアスファルトを早足に踏み締める。どうにかして逢えないだろうか、現実の妖怪というものに……。
駆けて、駆けて、駆けてほんの三歩その場で戻った。裏路地の一角、流行っていなさそうな古本屋を見付けてしまった。地図アプリにも載っていない。如何にもな個人経営、軒先の緑色のテント式屋根が眼を惹いた……。
これは、来たんじゃあないか!?
錯覚にも等しいような滾りを覚えて僅かに濡れた黒髪を祓い、狭い店内へと入店した。これは憤りで構わない、1%の確率?それがなんだって言うんだ。不可能という言葉は、乗り越えた者にこそ楽園を見せる麻薬のような言葉だ。
店内を見渡し、注視と流し見を使い分けて目当ての物を探す。探す、探す……大判コーナーへ。
瞬間、胸が跳ねた。幾つものどうでもいい本の間、少し太めで擦れた背表紙のヴィンテージ。その一冊だけが、まるでエリザベスと出会うが為のように目が合ったという感覚に陥る。冷静に考えれば、この世の中にある本の種類を数えるだけでそれが1%どころか天文学的な確率の低さを叩き出すだろう。
しかし今のエリザベスには確信があった。それが運命なのだと。妖怪が私と出会うための措置を施したのだと
「それは吾輩のものだ」
エリザベスが手を出すより先に、言葉が聞こえた気がした。その言葉に意思を向けた。それは、まるで恋人と逢う前に立ち塞がった恋敵のように、敵意の篭った心で、その方向を向いて――
「500円になります」
その方向に誰も居なかった。まさかの空耳?いや、まて。今は目の前に。
「無い!?」
エリザベスはさっきまで確かにその「書物」があった本棚を見た。段が違う?列が違う?いや……無い。明らかに、其処にあった本が空間だけを残していた。空間に対して斜めに倒れた本がそれを物語っている。
待て、今、何が起きた?後ろから声が聞こえて、本が無くなっていて、いや、それより。何が聞こえた?
『500円になります』
レジッ!!
ミシェルは老いた男が静かに佇むレジへと向かう。確かに、店員は値段を言った。それは誰に?何に対して?
「なあ、おっさんっ!今誰に本を売ったッ!?」
エリザベスの大きな声にゆっくりと向き直る老いた男。耳は遠くなっているのだろうか、その様はスローモーションだ。
「ん?今通っていった女の子だよ。黒い髪で、黒い花柄の浴衣を着た……日本人形みたいな、小さな女の子だったね」
「おっす、テンキュー!」
情報に対して礼を言い、店を出たエリザベス。テントの向こうでは空から大粒の雪が降っている。真っ白な世界の中で左右を見渡す、さあ。どっちだ、どっちに行った……?
あの時。エリザベスは明らかに「出し抜かれた」。何をされたかは分からない。しかし、確実に分かっているのはあの本はエリザベスが先に手を取ろうとした……つまり、所有権はエリザベスにあるという事だ。
『御用の無い者 通しゃせぬ』
耳奥に響く、何かの歌声。エリザベスはその方を向いた。路地の奥……。まるでそちらが此方此方、手の鳴る方へと云う様に。
『行きは良い良い 帰りは怖い』
僅かに積もった雪を踏み締めて走るエリザベス。路地の奥へ、向かえば向かうほど白から黒に飲まれていくような感覚。空から太陽が消えた事と、その残った光でさえ建物が遮っていくからだろうか。
『とおりゃんせ とおりゃんせ……』
円形の小さな広場。その中央にさっきの歌の主が居た。赤縁の黒い和傘をクル、クルと回している小さな女の子が居た。黒い長髪、和製の人形を彷彿とさせた端整な顔立ち、花柄……あれはピカケ、か。ピカケの、花火柄が刺繍された黒い浴衣。そして、足には一枚だけ刃が付いた奇妙な下駄。この子が声の主か。
そして、その手には一冊の書物。白く、擦れが酷い昔の本だ。表紙には達者だが、日本かぶれのエリザベスには見逃せない筆で「妖怪百科 百物語」と書かれている。間違いない、あれは私が探している物だ。
「雪が、降っている。こんな日は帰るといい。目の前は白だが、その奥は果て無き黒かもしれん」
目の前の少女が、急に姿不相応の複雑な言葉遣いで喋り始めた。
「願っても無い邂逅だ。私はそれを手に入れに来たんだ」
エリザベスは譲らない。その手を、少女に伸ばした。何処かを向いていた少女の瞳が此処でようやくエリザベスの瞳を捉える。少女の瞳は、とても綺麗な青色だった。
クル、クルと再び傘を回す少女。少し眼を閉じると、書物を浴衣の懐に閉まって傘を閉じ、再び眼を開く。
「お前は人間だ。どれだけ粋に振舞おうとその枠からの域を抜け出せぬ。帰れ」
「じゃあ、アンタはなんだってんだい?」
人間だと。あろうことかこの「LAの悪魔」を人間と称したか。随分と抜かしたものだ。
「吾輩か?吾輩は――」
そして、問うた所で。辺り一帯に嫌な雰囲気が溢れ出した。これは、まるで底無しの「呪詛」。五体と第六感で味わうその場酔いに、心がブルっと滾ってきた。
「邪神だ。
邪神。そう言ったのか、目の前の彼女は。……最高じゃねえか。未知との遭遇がこんな形で叶うとは。
「私は「LAの悪魔」、エリザベス・ロドリゲスだ。悪いが、そいつを貰ってくぜ。「
エリザベスは右手でパチン、と指を鳴らした。その次の瞬間には、エリザベスの隣に骸骨の塊が現れる。エリザベスの体の数倍はある質量の骸骨だ。
対するアルトと名乗った少女は、畳んだ傘に黒い靄をかけ、一瞬で日本刀にした。まるで空間移動の手品のように。
「「
「汝に不吉あれ。オーメンだ!!」
真昼間の逢魔ヶ刻。悪魔と邪神、まさかのニアミス――
新社会「イクシーズ」の夜、「百八神社」の境内にて石段から街を見下ろす人影が二つ。
「さて、もうすぐ私達の念願が叶うときだ。楽しみだね、
グレーのスーツにベージュのジャケットを羽織った、優しそうな顔の初老の男。
「うん。ようやくこの時が来たんだね、
もう一人は、暖色の花柄が刺繍された、赤い浴衣の女の子。穂浪と呼ばれた少女の綺麗な黒髪が高台に吹く風に靡く。
「そう、もうすぐだとも。あの日からの念願、私達の夢だ」
之也と呼ばれた彼は年甲斐にそぐわずに両の手を宙で強く握り締め、僅かに震える体からそれが喜びなんだということを他の誰に言うでもなく現す。
「今一度、人間と妖怪が手を取り合う世界。現世と妖怪横丁を紡ぐときだ。物語は此処から始まる」
「うん」
二人の影は、とても笑顔で。そして、気が付けば境内には誰も居なくなっていた。