新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺― 作:里奈方路灯
家政婦長の刈谷に見送られながら「
夜も更け戌四つ時、休日前と違って平日の夜ともなれば街は閑散……。居酒屋帰りの人もまばらで、
黒いスーツにガタイの良い仏頂面な兄ちゃんと、紺スーツで細身の軽く笑みを浮かべた大人しそうな青年……。傍から見ればそうなるんだろう。しかし、実はこの二人。中身の年齢は「38歳」と、全く一緒であった。
若い見た目に寄らない年齢。「お若いですね」という世辞のレベルでは通用しない、事情持ちの二人の男。そんな二人が、周りでは検討も付かない理由で、只成らぬオーラで歩いている。周囲はとにかく、気付いた者から「知らんぷり」をして道を空けるしかなかった。
関わり合わない方がいい。世の中で平穏に生きて行く為の常とは、生存本能に付き従う事だ。
「気に喰わんな……。奴を寄越せ、だというのは俺に言うことじゃない。そういう事はアイツに直接言え。それが筋だろう」
「仲の良い人の介入って、企業同志でも大事なんだよ。僕らは社会人だ、上手く立ち回ろうじゃないか……「大罪王」殿」
わざわざ分かり易いように「大罪王」と、聖夜はイオリにマウントをふっかけてくる。一から十まで鬱陶しい事此の上無い。
「フラグメンツでも知らん事をお前が知っている……教会とイクシーズは随分と仲の良い事だ。俺に
「良い相談だとは思うけど。君の昇進に幾らでも便宜をは」
「断る」
ブチ切るように、くだらんと喋りかけの言葉を切って捨てたイオリ。立ち止まり、向き合う二人……。最早、周囲には誰も居ない。皆、良くないものを察知したのだろう。人の生存本能とは摩訶不思議や、知らず知らずの間に危機を避けるもののようで。しかし、それで正しい。イクシーズの民は長生きする事だろう。
笑みの聖夜、無表情のイオリ。それだけで明らかに、状況が悪いのだと。それは獣の目に見ても明らかだ。
「俺に仲間を差し出せという根性が気に喰わん。舐められたものだな……。奪いたいのならば勝手に奪えばいい、十三年前の
「それじゃ駄目なんだよ、現代ってのは。分かるだろ?だから「
その一言。その言葉が、イオリ。ドラクロアの黒い瞳を真っ赤に染めた。
「死にたいようだな……!そうして来たのは貴様等だろう」
「だから問うているのが分からないのなら一生亡霊で居ろ大罪王。あ、もう死んでいる奴に一生なんて通じないか。あはっは」
……刹那の無言。お互いに喧嘩を、明らかに「売った」……。それは対立の幕切れだ、相容れぬのなら排除する。それもまた、世の常……。
「分かった!分かったよ大罪王。この街のお互いを競い合う為の決闘方式だ……」
「構わん。お前を殴れるのならな」
そう、新社会「イクシーズ」にはお互いを高め合う為の決闘の方式がある。その名を、「
まるで巡り巡ってくるかのように、二人は街中から外れて夜の公園に辿り着いていた。意図した訳じゃない、言わば、運命。
バネ式の遊具やジャングルジム以外、ベンチや水道にトイレ等最低限の物だけ備え付けられた公園……。近年では危険な遊具は取っ払われるという。しかし、今はその広さがいい。
「刀は危ない。僕も剣は使わないよ、正々堂々殴り合いで行こうか」
邪魔な上着を聖夜は脱いでベンチに放り、しゅるりとネクタイを外した。殴り合いに正装など無い。
「ならジャンケンだ。勝った方から順番に、殴っていくんだ。それを避けてはならない……。シンプルで分かり易い」
「君の意見に乗ろう」
イオリもまた上着を脱ぎ、お互いにシャツ姿に。向かい合い、拳の届く距離。何処を殴っても構わない。のならば。
二人は構える。右手を左手で多い、三種の拳を放つ型。
「「さーいしょーはグー、ジャンケン……」」
掛け声と共に、運命の第一声。勿論、勝った方から殴れるのだから最初に勝ったほうが強い。
「「ポン!」」
そして、両者によって選ばれた結果。イオリ、チョキ。聖夜、パー。即ちイオリの勝ち。
「あっ、マ」
「フンッッッ!!!」
コンマ、イチ。イオリ・ドラクロアは瀧聖夜のその股の中心……俗に言う「金玉」を全力で殴り抜いた。遠慮などは皆無、体躯を促して腰を入れ思いっきり拳を振り抜いた。
道徳的にやってはいけない事、というものがある。男の「金玉」……控えめに言うなら、「金的」、と言い換えようか。それを殴り抜く事。殴打する事……「やってはいけない」。どれだけ時代が移ろうとも、それだけはやっちゃいけない。
それは、男の言わば暗黙の了解。言わずもがな、触れてはいけない場所。それをイオリは聖夜が油断している間にルール上合法として殴り抜いた。果たして其処に正義はあるのだろうか?気負わなかったのだろうか……?
……強いて言うならば、自己の正当化。それが今のイオリにはあった。「仲間を売れ」……身内を大事にしてきた、その為に生きてきたイオリにすれば魂を売り渡すのも同然。それは誰の目にも明らかだった。そう、魂を売り渡すぐらいなら。「その玉を殴り飛ばす」、それがイオリが選んだ決断だった。
なに、運が良ければ
――しかし、様子がおかしい事に気付く。聖夜、地を這いずり回って悶絶するどころか
……在り得ん……!!?
「遠慮の無い一撃だ、正直ヒヤッとしたよ……。縮こまっちゃった。けれどね、僕のタマシイってのは、そんなヤワじゃない。「
その尋常な眩さに、イオリは一歩、後ろに退いた。いや、実際に光ってなどいない。けれど、まるで彼に後光が差すかのように彼が輝いて見える。これは……コイツの能力!?
「教会所属「スカイシステム」リーダー、
聖夜もまた後に引き、距離は5メートル……。馬鹿な?この距離から殴るつもりか!?まさか、加速?
そんなイオリの予想は悪い意味で裏切られる事になる。聖夜は目の前の空間に拳を打ち込みだした。正方形を描くように、中空に赤色、水色、茶色、緑色……四回、光がその場に留まる。
「僕の能力は「聖霊の加護」、四元素の精霊達ととても仲良しなんだ。自慢の娘「瀧シエル」と一緒の能力だ。僕の娘は強かったろう?」
「貴様……!」
苦虫を噛み潰すように顔を顰めたイオリだが、もう遅い。相手の策に乗ったのは自分だ。ならば、これは己が悪い。
なぜなら、「タブー」を犯す事によってまた相手にも正当性を持たせてしまったのだから。
「さあ、罪深き者よ、聖者の怒りをその身に刻め。一撃は一撃だろう?「
最後、聖夜は白い光を纏った拳で四属性の正方形の中央を打ち抜いた。後はその光が収束し、加速して光の波――粒子砲となってイオリに放たれる。
「なーあ、イオリー。腹減ったぞ。飯はまだか?」
どうしようもなく神を恨むように眼を瞑ったイオリ、聞き覚えのある声に眼を見開いた。なんと、いつの間にか其処には目の前に和傘を前方に向けて立つ和服の邪悪な
……わざわざ探しに来てくれたのか。
「……良い子だから30分待て。家に着いたら売上ナンバーワンの冷凍ギョーザを焼いてやる、ビールはおまけだ」
「おっ、良いですなぁ。今日はサッポロが良い」
「あるから喜べ」
「おっしゃ!」
聖夜の聖砲をいとも容易くかき消したアルトはイオリの隣に立ち、満面の笑みをイオリに向けた
「んで、お前誰?事によっちゃ死なすぞ。私の可愛い親友に牙を向ける屑はどいつですかぁ?」
底無し沼の邪悪。溢れ出し、周囲一帯を黒く染める程の呪詛。それが、鴉魔アルトの体からイオリを庇うように。
「……これはこれは、アルト様。お会いしとうございました。私、教会の使者の瀧聖夜で御座います」
「帰れ。この場所はお前らが踏み入っていい場所じゃない。もう一度戦争がしたいのなら……吾輩が直々にお前らの所に行ってやる」
「おい、アルト」
「構わぬだろ」
あまりにも激昂したアルトを諭そうとするイオリだったが、それは向けられた優しい笑みの前で無意味である事を思い知らされた。コイツ、こんな顔も出来て……。
イオリの頬に背伸びして手を伸ばすアルト。その小さな手が、頬をそっと撫でた。
「吾輩が此処に居るという事が教会にばれるのは時間の問題だったのだろう。ならば、立つ鳥は後を濁さず。……お前に再会出来ただけで私はとても嬉しかったのだぞ?邪魔したな」
「……人は軒先に作られた燕の巣を壊したりはしない。「信頼されている」事を「信頼している」からだ……。そして燕は再びその巣に戻り、残してくれていた人を「信頼する」。俺もお前との再会を……いや、これ以上は野暮ったくなるな。やめておく」
「ふふ、もう十分に野暮ったいわ」
アルトはイオリの頬から手を離すと、聖夜の方に歩いていく。
「すまぬな、ナンバーワンの餃子とやら。また焼いてくれ、イオリよ」
「ああ、ああ。いつでも焼いてやる」
「……さらばだ」
最後の言葉は、そこまで。アルトは、聖夜の目前に。
「さあ、吾輩を連れて行け。それが教会の望みなのだろう?」
「…………しんみりしている所申し訳ないんですけれど、いや、本当に申し訳ないんですけれど。悲しみの別れの所、誠に申し訳ないんですけれど」
聖夜は悪びれるように、しかし笑って誤魔化す様に軽く頭を垂れた。
「イオリ君とアルト様の絆を試させてもらいました。連れて行く気は毛頭ありません」
「「……」」
瞬時、無言。離れたアルトとイオリは、眼差しを合わせて。
「「はあ??」」
そう応えるしか無いだろうに……。
「いや、教会にも派閥があってですね、アルト様を尊重する派閥と、アルト様を奪えという派閥があって。僕らは尊重する派閥で、奪う派閥らがした事は同じ教会の人間として謝りますが、しかしお任せください。イクシーズに貴女が居るというのは、私ら「スカイシステム」及び「尊重派」の胸の中にしまっていますので」
そして聖夜はその胸に手を当てて宣誓をすると、アルトの両手を祈るように柔らかく握り、そして二人に背を向けて公園を去ろうとする。
「では、お二方。幸せなイクシーズでの生活をお続けください。我々はそれを見守る者……。お似合いですよ、御二方」
ベンチから荷物を取り、とっとと居なくなった聖夜。ぽかん。取り残された、二人。台風一過とは、こういう事を言うのだろうか。
少しして、言いづらそうにアルトが口を出した。
「ま、まあ。なんだ、その。結果オーライか?大丈夫だったみたいだな。しかし、のう。その、お似合いというのは言い過ぎでは無かろうか?いやー、まいったまいった。吾輩ちっともそんな気がないけども、言われてしまったんじゃー認めるしか無いですなー」
ほんの少し顔を俯かせて、早口気味に話す。そして、イオリの方へと向いて――
「――壊す」
直後、無表情のイオリ・ドラクロアは足を動かしていた。それは、先程聖夜が歩いて行った方へ。
「ま、待つのだ!!落ち着け、事はすんだろうが!これ以上は何も成す事は無いぞ!?」
「奴は俺を舐めた……。死なす!冥土に
「ほら、可愛い吾輩ですぞー。にぱっ、座敷童子スマイル!!がっ、あががががっ!!??」
アルトの方を直視せず、顔を逸らしながら左手でアイアンクローをアルトの顔面に極めるイオリ・ドラクロア。
歪な形の友情。それが、認められたというのなら、仕方なく、甘んじる……?
新社会「イクシーズ」、未だ、平和??