新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺―   作:里奈方路灯

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外伝 大罪王の今日から始めるサムリーマン!!5

『ふーんふーんふふんふーふんふふふふふーん』

 

 ちゃぽん。ご機嫌そうな鼻歌と、水の音が浴室から響いて漏れて聞こえてくる。どうやら納得はしていただけたらしい、彼女を祝福する為の専用の温泉。……形容するなら「炭酸泉」、とでも言おうか。俺の全身全霊を込めた最高傑作。

 

 リビングに残ったのは、何十本……?数えるのも嫌になるような程の、夥しい程の空のペットボトル。今は無残にも床を転がっている。

 中身だったものは、勿論「炭酸水」。常温のそれを、わざわざ沸かしてやったのだ。カルキ一滴も無い家庭用即席の「炭酸泉」……贅沢にも程がある。

 

「邪悪な座敷童子だ……。不幸を(もたら)すんじゃあないのか?」

 

 上機嫌そうなアルトと違って、イオリは疲弊していた。肉体的なものでは無い。これは、精神的な。心からくる問題だ。スポーツ後の癒し、そのストックの殆どを持って行かれたのだから。水道水が駄目なんて、一体どんな箱入り娘だ。

 

 そのいっぱいいっぱいである心の様を、残ったうちの一本である炭酸水を飲んで落ち着ける。まあ構わんだろう、(たま)の出逢いだ。こんぐらいやってもいいと思え。大のおっさんが情けない。親戚の娘がやって来たぐらいを思って振舞わなければ。

 

 ならば、心を入れ替えようか。イオリ・ドラクロアは冷蔵庫を開ける。まだだ、イオリ・ドラクロアの真髄はここからだ!――

 

――「吾輩、再誕……!ククク、甦ったぞ……!」

 

 美しい西洋人の金髪から一転し、元の東洋人らしい黒い長髪に無事姿を取り戻したアルトは、Tシャツに半ズボンというラフな格好で髪をタオルで拭きながら出てきた。胸には「推定無職」というメッセージが施されている。誰が得するんだ、それ。

 

「のう、イオリ!最高のお湯だったぞ!シュワシュワってしてな、まるで上質なジャグジーバスのようだった、褒めてやる……お?よき香りだな」

 

 アルトが上がると、ほんのり煙に乗って鼻腔をくすぐる何かが。換気扇では吸いきれないほどの、良い匂い。

 

「ああ。ならば次は俺の番だな。さて、もてなしはこっからが本番だ」

 

 コンロの前に立っていたイオリはアルトを見据えると、ニヤリとその太い骨と筋肉に包まれた首を撓ませた。

 

 大きめの皿をリビングの木製テーブルの上に置く。椅子は無い、カーペットの上で胡座をかいてゆったり座る為のものだ。冬だが炬燵の形式は取らない。これはポリシーだ。

 

 テーブルの上に置かれた皿に盛られているのは、皿を埋め尽くす程の一枚の「ステーキ」……牛肉だ。下にはソースが敷かれている。 そして、小皿が追加で添えられた。そちらは、軽く炒められててらてらしたキャベツ、そしてスライスニンニクが和えてある。香ばしい香りがする。

 

 ゴクリ。思わず、だ。思わず、意図せずに、鴉魔アルトは生唾を飲んで、その小さな喉を鳴らした。

 

「……美味そうだな」

 

「食っていい。俺からお前へのご馳走だ」

 

 そしてイオリは箸置きにフォークとステーキナイフを置く。瞬時。アルト、野菜には目もくれず目前の800グラムを越えたステーキに直ぐ様、フォークを突き立てた。……弾力。「弾む力」と書いて「弾力」……を感じた。

 

 ナイフを、小刻みに動かす。出来上がる、一口で「頬張りきれる」量の肉……中はレアだ。表面の旨みを閉じ込める焼き方。香りからして、挽きたての黒胡椒がかけられている。

 

「いただきます」

 

 言葉と同時、ノータイム。頬張った。まるでハムスター、小さな頬が張る……。その傲慢とも言える程の量を、噛み締める。中の肉汁が、舌に絡まった。そして鮮烈に、旨みを訴える。

 

「……美味い」

 

 ……美味い。口の中に物が入っている状態で、呟かずに「居られなかった」……まるで、言葉を漏らさない方が失礼だと。脳髄が伝えたのだ。筋肉が反応したのだ。「頂いた肉に失礼だ」……と。

 

 咀嚼し、味わい、飲み込む。……大げさじゃない。違う、なんというか。この味は……。

 

 次の手は、キャベツとニンニクのサラダだった。こっちなんだ、次に食べなきゃあいけないのは。

 

「そう言ってる……」

 

 誰が……?サラダが?イオリが?否、何より自分が……!そして、脳髄に染み渡る「素直」さ……。キャベツ、こんなにも美味しかったんだぁ……!

 

「歯ごたえ……」

 

 シンプルなサラダだった。加熱して半ばになった歯ごたえのキャベツ、サクサクとしたニンニク……味付けは、これ、甘くてしょっぱくて……岩塩?思えば、ステーキの下ごしらえに使われた物と一緒。統一感……!そして、垂らされた「ごま油」……。シンプルで、故に。王道とは……この事だろう!!

 

 肉をまた切って、喰らう。そう、この料理は決して煌びやかなんかじゃあない。どっちかと言えば素直。素朴で真っ直ぐ……訴え方が、「これでいいのだ」と。それだけなんだ。だから、嫌らしくない。お高く止まった気品さは無く、庶民の贅沢だからこそ……。

 

 隣には、トン。と。イオリが、それを置いた。アルト、またも唾を飲んだ。

 

「……!?」

 

「要るだろう?ああ要るとも。「必要」なんだ、「必ず要る」と書いて「必要」……こんな男の料理には、ワインなんてオシャンティぶった物は要らない。「必要」なのはこれなんだ」

 

 胴長のフォルム、まるで「俺はクールだ」と言わんばかりなメタル・シルバー。500mlのそれは、また。量からして「素直」に「贅沢」だった。

 

 イオリは、さぞ。それが当たり前のように笑む。そして、それが当たり前なのだからアルトも笑うしかない。

 

「スーパードライ。ジパングの名を冠する最高傑作のビールだ。今、お前の喉はこれが欲しくて欲しくて堪らない……コップなんて無粋な物は要らんだろう。好きにしろ、本能のままに」

 

「……憎いやつめ」

 

 シュカッ。泡が弾ける音が鳴った。プルタブを倒し飲み口を確保すると、アルトは堪らず、煽った。

 

 ゴキュリ、ゴキュリ、ゴキュリ、喉が音を鳴らす。アルミ缶から直で飲むという行為、その男臭さ。女だからと気にしない。それもまた、多幸感。

 

 ーーーーッッッ!!

 

「っっっかぁーーーーー!!!っこの為に生きてる!!」

 

「そうとも。生きているとは、平常である事。故に、人は日常にこそ幸せを感じなければいけない。これは中々生きてるだけじゃ分からないものさ」

 

 最上級の褒め言葉を聞いたイオリは満足そうな顔で、浴室へと向かうのであった。


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