新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺― 作:里奈方路灯
「ぬうう……酷いではないかイオリよ……吾輩の体はズタボロだ……あ、くっついた」
境内本殿の石段に座りながら切断された自分の手と足を半べそをかいて必死に元の場所にくっつけていた鴉魔アルトは、左手の接合が上手くいくと少し表情を明るくした。
「けしかけたのはお前の方だ、申し訳ないが俺は恐怖対象に手加減する程の余裕がない」
対する言葉はなんとも容赦無い。傍から見れば、なんとも大人気無いであろうかその実態は、そう言われても多少はしょうがない状態だった。
その隣に立つイオリ・ドラクロアは白い息を零しながらただ赤い月の方を見ていた。雪はもう止んでいる。空は透き通った瑠璃色だ。向こう側では星々が綺羅綺羅と瞬いている。……アリだな。
「そう言えば吾輩の機嫌が良くなると勘違いしているな?吾輩はな、親しみ易く振舞っているつもりだぞ。恐怖などされる謂れが無い……よし、くっついた」
そして左足の方の接合も完了したアルトは、石段からスクっと立ち上がると元気そうに一枚刃の下駄で前へと歩き出す。……邪神を自称するような奴のどの口が、親しみ易いなどとそんな
アルトは少し歩くとイオリの方へ振り返った。コイツ振り返るの好きだな。さて、そんな事はどうでもよく。その時に鴉魔アルトが見せた表情は、まるで少女のような可愛らしい笑顔で。なんだ、そういう表情も出来るんじゃないか。
「さて、久々の邂逅だ。夜も遅い。今晩は貴様の家に泊まるとしよう」
「…………来るな」
前言撤回。突然のトチ狂ったとしか言いようのない発言にイオリは現実を踏まえた上で否定した。いきなり何を言い出すんだコイツは。少し十三年前に因縁があったからといってほぼ知り合いという程度でしか無い俺の家に泊まるとか抜かすなど図々し過ぎるのではなかろうか。
イオリ・ドラクロアは半ば無視の形で境内から出て石の階段を降りていく。それに後ろから添う形でアルトが付いて来る。
「よいではないか。実は吾輩、行くアテも無くてな。この街に詳しくないのだ」
「巫山戯るな、これまでの宿はどうしていた。というかそもそもお前いつから日本に居る」
長い石段を降りて軽く雪の積もったシティサイクル、愛車「マリス」の雪を手で払った後地面にタイヤをバウンドしてやると、残りの雪が舞って殆ど綺麗に取れる。それに跨り、盛りこぐ。初手から引き離す。流石に走りでは付いてこれないだろう。さあ、逃げる。
「吾輩5年前くらいからずっと「
と、時速20kmを越えた辺りで後ろから声。ちらりと目をやると、まるでアルトは飛行機みたいに空を飛んでいた。いやいや、んな馬鹿な。
「マジで来るな。漫画喫茶でも行けばいいだろう」
「知らんのか、漫喫は成年の証明が出来んと泊まれんのだァ。やーい世間知らずーー」
あろうことか茶化すような声で馬鹿しに来た為、イオリは速度を上げた。時速40km、ギア無しシティサイクルでは殆ど最高速度。電灯にエネルギーを伝えるダイナモが焼き切れてしまうんじゃないかという程唸る。これ以上はチェーンがぶち壊れる。
「死ね、凍えて野垂れ死ね」
「やだ、温かい布団で眠りたい」
追いすがるアルト。その様に辛いや苦しいなどはない。いや――速くね!?
「死なないだろお前死ね」
「死ねっていう方が死ねなんですー」
アホみたいな応酬をし、信号や一旦停止は律儀に止まり、こんなに寒いのに気が付けば汗をかく頃には……イオリが住むマンションに着いているでは無いか。
イオリは仕方なく自転車を駐輪場にしまうと玄関にて暗証番号でオートロックを開け、諦めてマンションへと入ることにした。絶対に諦めないなコイツ。
「……一晩で帰れ」
「うむ、それでいいのだ。感謝するぞイオリよ」
声をかけてやると、満足そうなアルト。最終的に押し切られた、端からコイツの掌で踊らされているようにしか思えずに納得がいかない……。まあ、いいだろう。こうなったらヤケだ。
階段で上り、一番上の12階まで。階段を昇るのは良い日常トレーニングになる。健康とは積み重ねだ。
「エレベーターで上がればいいのに酔狂だな」
「お前もそう思うか。だよな。俺もそう思う」
まさかのアルトに突っ込みを入れられた。お前は飛べるだろう。だが、このほんの少しだけ自分に酔った行動が味気ない日常を彩るというものよ。フフフ。と、イオリは心の中でほくそ笑む。
鍵で自室のロックを解除すると、ドアノブを捻って玄関に入る。それに次いでアルトも遠慮無く入室。
「お邪魔します……もっとアジト的なものかと思ったが。如何にもな現代のマンションだな」
「悪かったな。そういうのは2年前に卒業した」
「別に悪いなどとは言っていない。ただ、吾輩もこれまで和室ばっかだったからな。物珍しいだけよ」
「和室……?そんなとこに住んで」
イオリ、ここで刹那の思考逆流。脳裏に浮かんだ答えは「雪華街」。さっき、神社を出た辺りで言っていた。
「……雪華街?」
イオリはゆっくりと、一枚刃の下駄を脱いだアルトの方を向く。アルトは屈託の無い顔で此方を窺ってきた。
「うむ。悪いか?」
「……いや、悪く無い。お前の素性がわからんくなっただけだ」
テログループ「シェイド」のリーダーとして活動し、なおかつイクシーズの統括管理局職員と転職していれば否が応にもその耳に入る街の名前。岐阜県にある繁華街、「雪華街」。
イクシーズとはまた違った形態での能力者街であり、日本の真ん中に位置するパワースポットという土地柄季節外れでも雪が降ったりするし、冬でも華が街中で咲き乱れ、そしてその土地では能力者が多く観測される……。イクシーズからしたら、「喉から手が出るほど欲しい」サンプルNo.1の街だろう。では、何故そうしないのか。
しないのではない。……出来ないのだ。理由は、
はてさて、そんな情報を3秒ほどで脳内整理して。何故この小娘がそんな場所に5年間も居たのか。
「別に。一昔前の神仲間と連絡取れたらたまたま其処に居たから世話になっただけだ。深い理由などありゃしないよ、ま。強いて言うなら、いい場所だった。人も良いし、飯も美味いし、眺めはいいし風情もあるし。正直吾輩にとっては天国だったな」
「超満喫してるじゃないか……まあいい」
そもそもコイツをまともな物差しで測ろうというのが間違いか。意味のわからんウルトラCの塊のような奴だ。取り合うだけ無駄だろう。
「先に風呂にでも入れ。着替えはあるのか?無いならデカいが俺のを貸そう」
「いんや、心配はいらん」
そしてアルトはにょいっと、浴衣の懐から服を二着取り出した。……取り出したぁ?
「は?」
「なに、別に着替えはあるんだ。ほら、こっちが吾輩考案のメッセージシャツ「推定無職」だ。ホワイトカラー。ええ語呂だろう?こっちはロックメタル風ブラック「
その右手には白いシャツに黒字でプリントされた「推定無職」の文字が目を引くTシャツ(誰が為のTシャツだ)と、左手には黒い革製にバックにプリントされた太めな黒い衣冠束帯のシルエット……徳川家康(と思われる)の骸骨が珍妙なジャンパーが持たれていた。……いや、ほんとに誰の為のアイテムなんだそれは。全然ゆるくないし。超ロックじゃねぇか。
いや、そうじゃないだろ。
「お前、今何処から取り出した?」
「ん?浴衣の中から。実はこれそのものが「
ぽぽい、とアルトは次から次へと浴衣の懐から物を取り出して見せた。刀、カップスープ春雨(かきたま味)、狛犬の置物、サングラス、和傘……。そういや神社でも色々出してたな。猫型ロボットか貴様は。
「ふふん、驚いたろう?教会の五月蝿い
「いや、猫型ロボットかと思った」
「OKよ、えへん!まあよい。それでは風呂を先にいただこうとするかの。残り汁を飲もうとするんじゃないぞ?」
「300歳の幼女体型のババアの風呂なんか死んでも飲むか。俺は20代のボインちゃんが最高に好みでね」
浴室に向かったアルトを見やると、イオリは帰宅後の部屋の温度調節を行う。温度設定は20度あればいいだろう。飲み物は申し訳ないが、冷えたビールか常温の炭酸水しか無い。こればっかりは普段使いの物しかないから諦めて貰う他ない、温かい茶を出せと言われてもしょうがない。無いのだから。
ククク、用意したのは日本の最高傑作「スーパードライ」……。これが肉によく合う。文句無しのもてなしだ、これでうだうだいうようならもう一回顎に蹴り入れてやる。礼を言うのなら仕方なく受け入れてやろう。ははは、悔しがれ。
ひと仕事終え、リビングのソファでスーツの上着を脱ぎ乾かし、雪で水分を含んだ髪をタオルで拭いてゆったりと休憩しているときだった。
『ぎにゃーーーーーーっっっ!!?』
……猫の声か?いいや、違う。ウチでは猫を飼っていない。あんな百害あって一利有りぐらいの動物を飼うぐらいなら従順なドッグを飼った方がよっぽどいい。いや、置いといて。
『なっ、なっ、なっ、なっ……!!』
ドタドタドタドタ、とフローリングの床を素足せ小走りする音が聞こえる。イオリはやっかみの表情でその音がする方向を振り返った。
「お前ん家の風呂は聖水製かーーーーーッッ!!!」
バタン!!思いっきり開けられたドアの向こうには、何を血迷ったか肌色90%の状態の鴉魔アルトが仁王のように立っていた。残りの10%は色々と……言うまでもない。
いや、そんな事はどうでもいい。何より目を惹いたのは、その……「金髪」だろう。いや、さっきまで美しい「黒髪」だったはずだ。姿形はそのままに、髪の色だけが金色になっていた。それはそれで……美しい。
「吾輩の呪詛がかった最高の黒髪が……!夜魔たる証が!まるで祝福を受けた聖女のようにパッキンキンだ!どーしてくれる!?」
「……何故そうなった」
「知らん!かけ湯して風呂に入って、妙にピリッとくるなと思ったらこれだ!!吾輩の髪に含まれていた呪詛が流れ落ちたとしか考えられん!!都会のお湯はみんなこうなのか!雪華街では無かったぞこんな事!」
「……」
わめきたてるアルトとは別に、訝しげにアルトの方を窺うイオリ。
「なんだ!?」
「いや、下の方も金色なんだなと」
「っ!??死――ぼフォっ」
次の瞬間にはアルトの方にタオルが投げられていた。先程までイオリが使っていたタオルだ。そして、イオリは眉間に中指を当てて考える。
「……聖水?んな馬鹿な。水道水はたまに飲むが問題無い。雪華街では大丈夫、イクシーズでは駄目……?温泉なら良いが、水道水では駄目……ピリっと来たって」
一つだけ、思い当たる節があった。
「あーー……カルキか」