新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺― 作:里奈方路灯
地面にカッ、と一枚刃の下駄を鳴らして降り立った鴉魔アルト。優雅な振る舞い、笑みから見るに圧倒的な余裕。今更何故お前が、こんな場所に居るのだという?
納刀が終わり、イオリ・ドラクロアは次の行動に備えた。基本的にイオリの動きは
静かな見合い。白銀雄也も歌川鶻弌弐弎代も息を飲んで見守る。ほんの二秒ほど、それがとてつもなく長く感じた。そして、その沈黙を破ったのは……彼女、鴉魔アルトの方だった。
「……イオリですよな??」
首を傾げる。その一言に他三人がズッコケた。確信無しで殴りかかって来たんかい。
「しかしあれから時間経ってるのに歳食ってないし……あ、吾輩も一緒か。でも立ち振る舞いがまんまイオリであるよな……。しかして……」
一人で顎に手を当てぶつくさと喋っているアルト。だが、イオリ・ドラクロアの方は相手が誰だか分かっているし、彼女の考えが間違いで無いというのも分かっている。……13年前より若返っているし、俺。
「なあ」
「もうよい!お前はイオリ・ドラクロアだ!!吾輩が決めました!ならばそうなのです!!」
アルトが大袈裟に指を指して傲慢に決めつけてきた。いや、まあ、そうなんだがな。
「ヒフミ。10分程時間を頂くぞ、来賓客の対応という事だ。行くぞアルト」
「えっ、ちょ」
「話が分かりますなぁ、イオリ・ドラクロア!」
何がなんだか分かっていないヒフミをよそに、イオリ・ドラクロアと鴉魔アルトは歩いてその場を離れだした。残されたのは、白銀雄也とヒフミだけ。
「……どっか行きましたね」
「うーん。どうしよ。ところで何か用かい?」
ヒフミは雄也が何か用があって来たのだろうと尋ねる。
「いや、イオリさんと
そう言うと、白銀雄也はとっとと帰ってしまった。
即ち、合意が無いなら無効。なるほど、フラれたという表現は言い得て妙だ。
「……ま、いっか」
残されたヒフミはスーツのポケットから携帯電話を取り出すと、電話帳から知り合いの名前を引っ張り出して電話をかけた。
「もしもし、こちら「ヨコハマエンタープライズ」所属の歌川鶻弌弐弎代です。そちら「スカイシステム」のノエル・ローエングリン・瀧さんでよろしいでしょうか。えぇ、はい」――
――近所の路地を歩く二人。平日ではあるが時間的に人通りは多く、その中に混ざるように帯刀したサラリーマンと邪悪な座敷童子が歩く姿は、しかしイクシーズの中ではさほど異様な光景では無かった。
「15年ぶり……ぐらいでしたっけなぁ?」
アルトがイオリに話しかける。大体そのぐらいであろう。しかしその月日が流れようと、二人の見た目は殆ど変わっていない。
「まだ生きていたとはな。驚きだ」
「フン、それは此方の台詞だ。貴様の方こそ……よく、生き残ったな」
「ああ。もう二回も死んでるのに、それでも、生きてる」
昔話。13年前の、あの惨劇。果たして、俺達は何をどう間違って現世に縋り付いているのか。それは彼らが知る由も無く。
「神は人を救わない……神では人を救えない」
「残念だが、返す言葉もない。吾輩ではお前らを救えなかった。挙句の果てに、夜魔大国は無くなった」
イオリとアルトは立ち止まり、向き合う。因縁の二人。現代にこうして並び立つことの奇跡。
「しかし、悪いのはお前じゃない。そして吾輩でも在りません。ならば、よいではないですか。それはそれとして此の場で再会出来た事を喜びましょう」
「その程度の事で喜べる感情など、13年も前に失ってしまったよ」
薄く笑い合う二人。全ては今更、悩んだ末でどうしようもない。ならば、せめて搾り粕として生き延びた後でも楽しむとしようか。
「イクシーズの北区の方……森の辺りに、神社が在ります。今日の夕方七時、其処で待つ。あの時の続きをしようじゃあないですか」
最後にそう言い残すと、鴉魔アルトは一枚刃の下駄をコンコンと鳴らしながら一人で歩いて行った。
それは、13年前の。死闘の続きの催促だった。
「……いいだろう」
受けて立つ。イオリ・ドラクロアはそう思い、統括管理局への帰り道を歩いて行った――
――仕事終わり。時刻は六時を過ぎ、もう空は暗く鳴りを潜めている。スーツ姿のままバッグを背負って自転車を漕いでいたイオリ・ドラクロアは、自転車を降りて押し、一本の路地裏に入っていった。
街灯はほんの少しだけ配備されている。それでも少ないのは、やはりメインのストリートでは無いから。仕方ない、あるのは精々が店の裏口や建物の裏の窓ぐらいなのだから。その道を少し進めば、一つの小さな屋台があった。
安っぽい木箱と、その上には少し高級そうな紅い布の上に置かれた青い水晶。立てかけられた値札には「一回千円」。その屋台の主は、まるで瞳を見られたくないかのように口元以外を黒と紫の装束で覆った女。占い師だ。そして、この女を、イオリ・ドラクロアはよく知っていた。
自転車のスタンドを立たせ側に起き、バッグを地面に置いて屋台の前の椅子に座ると、イオリは財布から千円札を取り出し机の上に置く。
「今日の運勢を頼む」
「かしこまりました。少々お待ちください」
占いの依頼を受けた彼女が青い水晶に手を翳すと、なんと水晶が光輝き出すではないか。それに呼応するかのように、彼女は言葉を呪文のように綴った。
「
一瞬。ほんの一瞬、辺りを眩い光が包み込んだかと思うと、その直ぐ後には確かな路地裏の静寂が訪れていた。
ゆっくりと、彼女は艶かしい唇を開く。
「今日も、ええ。大丈夫です。イオリ・ドラクロアの運命は良好でしょう」
ニコり、と優しげに彼女は口元に笑みを浮かべた。
「ああ、ありがとう。最高だよ」
一連のやり取りが終わると、イオリ・ドラクロアは再び自転車に跨った。
「また来る」
「お待ちしています」
イオリ・ドラクロアが自転車を走らせれば、再び路地裏に静寂が訪れるた――
――北区の森、その目前にイオリは自転車を止める。バッグから刀を抜き腰に帯刀してそのままバッグを自転車の籠に入れて地に降り立つ。
「……此処か」
見上げれば、白い鳥居の向こう側には、幾つもの木が生い茂る中央に高い石段が。鳥居に備えられた額束には「百八神社」の文字が。
そして……この奥に「邪神」、鴉魔アルトが居る。
「「
しげしげとイオリが鳥居を見つめていると、気が付けば空から白い粒が降ってきている。空を見上げるが、其処には紫色の空こそあれど濁った雲など無い。しかし、これは……。
「雪……?」
その光景を眺めれば眺めるほど、強くなっていく勢い。場違いの雪。
「……ワタヌキ」
チン、とイオリは左腰の刀の鞘を鍔で軽く打つ。
「ドウタヌキ」
チン、そしてもう一度。今度は右腰の刀の鞘を打った。
験担ぎは済んだ。「ワタヌキ」、そして「ドウタヌキ」。イオリ・ドラクロアが統括管理局を通して受け取った二つの刀。今日は、これが命綱になる。
「……行くぞ」
覚悟を決めたイオリは、薄く雪の層が張られた白い石段を、一歩、一歩と確実に、しかし歩くより早く踏み出していく。……緊張。幾千と死線を越えたイオリであれど、その胸に抱くは緊張。しかして、その
只の屍では、生き残れない。死を目指すのならばこそ、生きる。生の裏側に死あり。その全てに本気になれてこそ、人は「命」であると。
息の乱れ無く石段を上がり終えたイオリ。その目に映るは、白く染まった神社の境内。木々に囲まれて、狭すぎず、広すぎず。何の変哲もない、雪の降っている境内だ……。一つを除いては。
本殿への途中。石畳の道の側にある灯篭、その一つだけに火が点っていた。そして、その灯篭の上に腰を掛けている者が一人。
「ゆ~き~やこんこ、あ~られ~やこんこ……。境内を染める夜と雪、クク。白と黒のコントラスト――逢引には最適ではありませんかぁ?」
あいも変わらず偉ぶった年端も行かない少女のようではあるが、それはどうあれ。中身は確実に……
「明日も仕事でな。こんな寒い日には眠りたいものだ。なぜなら、雪の予報が無いのに雪が降るくらい寒い。風邪を引かないように、温まって家で眠る。それが賢いサラリーマンって奴だ」
「ククク、サラリーマン……片腹痛い」
コン、コンとアルトは石畳の上を歩き、イオリの横を通り過ぎる。和傘の中から細い腕を外に出すと、落ちてくる雪を手の平に乗せた。それは、体温ですぐに溶けた。
「人は縛られてはならぬ。何物にも……他人、社会、環境、未来、そして過去。人が唯一行動原理にするその鎖は、「自分のエゴ」以外他ならん。全ての存在は生きたいように生きねばならん」
神社を降りる石段の方へと歩いて行ったアルトが和傘を畳むと次の瞬間に傘は消え、その手にはひと振りの剥き身の日本刀が握られていた。そして、傘が消えて分かった。
「こんなに月が赤くて――貴様は滾られずに居られますか?」
石段の向こう、木々を縫ったその隙間。そこには、赤色の大きな満月が昇っていた。
「死ぬには良い日だ」
イオリは腰に帯刀したふた振りの刀に腕を
「286年――改め、300年の悪夢。鴉魔アルトだ。
「