新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺― 作:里奈方路灯
「暑いですね、光輝……」
どくどくと汗を流しているクリス。黒のローブが体に張り付いて、主張ある体の輪郭がはっきり分かる。
「いや、夏にあんだけくっついてりゃ、そりゃな?っつーか、なんでそんな暑っ苦しいモン着てるんだよ……」
対する光輝も服は汗びっしょりだ。クーラーを付けているとはいえ、今は夏真っ盛りだ。中古で買った古めのクーラーを省エネ設定の28度で起動させてかつ1時間も二人でくっついていりゃあそれは凄まじく暑くなる。そもそも、20分くらいの段階でもう汗がじんわりと出てきたのにクリスは全然離してくれなかった。好意を持たれるのは嬉しいが、節度はある。参ったものだ。
クリスのその服は、黒の上に全身を覆っている。似合ってはいるが、夏に着るような服ではない。
「ロンドンの夏はこんなに暑くないんですよ……」
「……とりあえず風呂入るか」
暑さにやられすごく気だるい状況で風呂の準備をする。光輝の住むアパートは風呂を沸かす機能は無く、お湯を出して張る事しか出来ない。なので、蛇口からお湯を出す。
「……先にクリス入れよ」
ここは気を使う。男の入ったあとの風呂など、女子は入りたいと思わないだろう。それに、クリスは客人だ。どうせなら綺麗な風呂に入っていただきたい。
クリスは、顔を赤らめて身をよじる。
「も、もしかして、私の上がった後のお湯を……光輝さんは……構いませんが……」
「おい、俺の好意を返せ」
コイツは何を考えてやがる、随分と失礼な客人だ。かといって光輝も少しも想像しなかったかと言えばそうでもない。岡本光輝も年頃の男子。心は冷静であってもその奥底、深層心理では少しばかり意識した。
まあ、結局クリスには先に入ってもらうことにした。光輝も一番風呂は好きだったが、こればかりは仕方がない。汗だくの状況で本も読むことができないので、ベランダに出て空を眺めることにした。
……暑い。雲一つ無い晴天の空。いつもならそれもまた一興と言えるが、駄目だ。太陽から放たれる灼熱の光がこの身を焼こうとしてくる。心は爽やかになるどころか、気がついたら黒焦げ寸前までいっていた。駄目だ、悪手すぎる。直ぐに室内に戻り、カーテンを閉める。さっきより暑い。服が汗を吸って気持ち悪い。完全に判断ミスだ。暑さで頭おかしくなってるんじゃないか、俺。
『坊主、楽しそうだな』
「楽しくねぇ……」
ずっと出てこないと思ったらいきなりムサシが話しかけてきた。今日1日見なかった気がするが、遅い登場だな。
「お先いただきました」
悪夢のようなひと時を経て、かけられる救いの声。クリスが風呂から上がったようだ。
「おっしゃ……おぉっ」
「どうかいたしましたか?」
風呂上りのクリスは、薄手で黒のノースリーブのワンピースを纏っていた。その状態では、ローブで既に強調されていた体のラインが更に強調されて、肌の露出も程よく、すごく……良い。
って、これじゃオヤジじゃないか。駄目だ、クリスをそんな目で見てはいけない。あくまで一友人として接しなければ。大丈夫だ、俺。自分に言い聞かせる。
「じゃ、俺も風呂入ってくるわ」
「いってらっしゃいませ」
待ちかねた湯船。脱衣所で服を脱ぎ……と、ここで気づいた。脱衣カゴの中にある、黒色のそれに。ローブではない。その、女性が服の下に着ける……アレだ。
じっと、超視力を強めて、見てしまう光輝。が、ハっと我に返る。何をしているんだ俺は。オヤジを超えてエロオヤジにまで進化してしまうではないか。違うぞ、俺は健全な青少年だ。
煩悩を振り切り、自分の脱いだ服も脱衣カゴに放り込む。予想以上に誘惑の多いホームステイだが、まだ1日目だ。こんなところで根を上げてはいけない。
「行くぞ」
自分に言い聞かせるようにして風呂場へ。お湯を頭から被る。熱さが自分の心を叩き直す。そうだ、それでいい。ビークール岡本光輝。いつもみたいに最低に行こうぜ。
湯船に浸かる。……最高だ。うっとおしい暑さとは違って、心に染み込む心地よい熱さ。これがいい。文明の利器だ。
「あの……お背中を」
「折角だからお願いしようかな。だが、タオルを1枚くれ」
さらっと浴槽に入ってきたクリスにはもう何も言うまい。変な日本文献でも読んで女は男の背中を流すものだと勘違いでもしているのだろうが、落ち着きを取り戻した光輝にはそれを許容する寛大さがあった。単にリミッターが振り切れて頭が少し馬鹿になっている気がしないでもないが。
最低限必要なタオルを受け取ると前を隠し、風呂マットの上に座る。椅子は普段使わないから置いていない。
「濡れないようにしなよ」
「お心遣いありがとうございます。大丈夫です」
クリスは石鹸で泡立てたタオルで背中をゴシゴシと擦ってくれる。絶妙な感触と力強さが心地よい。
「ところで、光輝のレーティングは幾つなんですか?瀧が一年で一番強いというお話ですけど」
レーティングの話題。これはクリスには早く説明しておかねばいけないと思っていたので好都合だ。
「Eレートだよ。スキル3の他1」
正直に自分のレーティングを言う。クリスなら理由はなんとなく分かってくれるはずだ。
「……憑依は使ってないんですか?」
「検査ではな。日常では差し支えない程度に使っている」
そう、クリス・ド・レイには、俺の能力の裏技を話してある。
それは、かつてのロンドンでその時の状況も色々あってだが……彼女は俺の中で「信用できる」と値つけていたからだ。彼女は知っている。その時俺の中に入った「ジャック」の事も。尚且つ彼女は俺を好いていてくれている。監視という線も捨てきれないがそれでもいい。この「正義」と「打算」を両刀として物事に挑む彼女の気持ちは大きな嘘で自分を塗り固められるほど器用じゃない。
「だから俺の霊視はイクシーズのデータベースに知られていない。勿論他の人にもだ。知っているのはお前だけだ、誰にも言っていないな?」
「……そうですね、光輝の能力は言っていません。けれど、光輝を見つけたいが為にホリィの前で光輝の事を「凄く強い」と言ってしまいました。すいません、あの時は光輝の事で頭がいっぱいで」
声のトーンが低くなるクリス。そのことを悪いとは思っているようだ。
「……あの二人はまあ俺が憑依を使っているのを見たことあるが、その実態は知らない。いいよ。構わない。だが、憑依のことを言ったら駄目だからな。これは俺とお前の秘密だ」
「私と光輝の秘密……わかりました、何が何でも守り抜きます!」
「ありがとう」
こう言っておけばクリスは誰にも俺の霊視を言わないだろう。彼女は俺を好いている。ならばそれを利用しない手は無い。
会話を終えるとピタリ、とクリスの手が止まった。
「あの……」
「何だ」
「前も」
「前は自分でやる」
流石にそれは厳しい。
風呂を終えて、夕暮れどきになる。そろそろ、晩飯の時間だ。さて、どうするか。
「うちの母親、実家行ってて帰ってくるの明後日くらいだから晩飯無いんだけどどうする?」
「お父様も居ないのですか?」
「……あー、昔にな、死んでんだよ」
「ご……ごめんなさい、無神経でした!」
「いや、んなことない。説明してなかった俺が悪かった」
「で、でも……」
これはミスだ。あらかじめ言っておけば良かったのに、クリスから聞かせてしまう形になってしまう。クリスの人柄上、どうしても気にするだろう。
少し考えて、浮かんだ策があった。
「なら……夕食。お願いできるか?」
「え?」
キョトンとするクリスの顔。もういっそ、頼みごとを作ってチャラという形に持っていけばいい。
「俺料理全くできなくてな。クリスにお願いしたいんだけど、いいか?」
「……喜んで申し受けます!」
笑顔で承諾するクリス。良かった、これで晩飯も確保できる。
近場のスーパーで買い物を済ませ、クリスは腕を振るった。その手さばきは見事な物で、キャベツを切る包丁も肉を炒めるフライパンも自由自在だ。おそらく彼女はその異能「重力制御」を存分に使っている。なるほど、手馴れた物だ。
最後に大きめの皿に料理を盛り付けて完成した。それはクリスが作るとは思えなかった料理だ。
「お待たせいたしました。今晩の献立は「豚の生姜焼き」でございます」
「ほう……」
完成したそれはとても立派な「豚の生姜焼き」。添えられた多めのキャベツもまた食欲をそそる。炊いていたお米も頃合のようだ。
「さあ、召し上がれ」
自信満々のクリス。キリっとしたその顔つき、イクシーズで初めて、こんな表情を見た気がする。こっちに来てからずっと惚けてたようなイメージがあったからだ。
「いただきます」
豚肉をまず一口かぶりつき、口の中で咀嚼する。豚バラ肉の多めの脂がタレとマッチして、非常に美味い。その濃い目の味付けに、白米に手を付けずにはいられない。次に千切りのキャベツを頬張る。シャキシャキとした食感がたまらない。
「美味い、美味すぎる……」
「日本料理はあらかた熟知しておきましたわ。全ては貴方……光輝のために」
やばい。愛が重い。こんなに情熱を持った少女の料理、美味くて当然だ……!
気が付けば2杯、3杯とご飯が進む。クリスも一緒に食べてはいたが、光輝のペースが速くて生姜焼きはあっという間になくなっていた。
「ふう……ご馳走様」
「ふふ、お粗末さま」
目を細めて笑うクリス。そのクリスの表情が、とても美しく見える。なんてハイスペックなヤツなんだろうか。クリス・ド・レイ、末が恐ろしい……
食後に二人でトランプなどをして夜も更け、そろそろ就寝時間。光輝は押入れから仕舞っていた布団を取り出す。来客用にとイクシーズに来たとき母が用意したが、永遠に使う機会は無いだろうと思われていた布団だ。それをこんなに速く使うことになるとは。
……が。
「おい、どういうことだ……」
「ホームシック、でしょうか?私、家では熊のぬいぐるみを抱いて寝るんです」
なぜかクリスは光輝のベッドの中に潜り込んでいた。床に用意された布団があるにも関わらず、だ。もう消灯している。暗闇の中でクリスと同じベッドの中にいるという状況で、頭の中が混乱する。背を向ける光輝の腹部に、クリスの手が回される。
「……おかしいだろ、なあ?俺が間違いを犯そうとしたらどうする?」
「それはひとつ屋根の下にいる時点でどうしようもないので」
なるほど、一理ある。が、待て待て。
「一緒のベッドだと理性も持つかどうか……」
「大丈夫です。貴方は冷静ですから」
「簡単に言ってくれる……」
無茶ぶり、とまでは言わないが思春期の男子にとっては難しい注文である。この女は恥じらいというものが無いのだろうか。まあ、光輝だからこそこの状況で手を出さないというのはあるのかもしれない。
よく言えば理性的。悪く言えばヘタレだ。
「それに、貴方となら間違いでは無いですから」
「……言ってろ。今夜だけだぞ」
「ありがとうございます」
良いように言いくるめられてクリスと光輝は瞳を閉じた。光輝は壁に向かって寝ていたが、クリスはその背中に身を寄せるようにくっついていた。夏にわざわざ一緒に寝たいだなんて、もの好きなヤツだ。