新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺―   作:里奈方路灯

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エモーショナル・バウンサー4

「ささ、此方へ。ミュンヒハウゼン様の演説が聞けるわよ」

 

「は、はぁ……」

 

 月の兎という宗教団体のようなものの職員、(おく)に連れられるままにやって来た雨京は、街中にあった協会の礼拝堂にやって来ていた。そこには既に多くの人々が集まってる。

 別に宗教に興味などあるわけではないが、話が合ったので聞くだけでも話を聞きに来た。イクシーズにこういうものがあったのか。正直、初耳だ。

 

 宗教というものには良いイメージを抱かない。雨京の故郷の方でも、色々あった。ああいうのは、なんだろう。論理的でない。そう思った。信仰というか、あれは本能に近いのだ。分かり合うのではなく、むしろ排他的に、飲み込めるものは飲み込んで。その有様に対して「気持ち悪い」などと考えていた。雨京は、争いが嫌だった。

 

 ……イクシーズの宗教とはどういうものか。

 

 そういった意味では「興味があった」。知れることは知っておいていい。だから、やって来た。そういう打算だ。この街に置いていかれたくないという思いは僅かながらあったのだ。

 

「ようこそ、健やかにそして華やかに繁栄していく者達よ」

 

 声が聞こえた。生声だ。人が犇めく礼拝堂が一斉にある方向を向いた。先頭、壇上。そこには大きな銅像――女性を模した銅像が祀られており、その前には一人の男。やせ細った体を白衣で包んだ男が立っていた。

 

 パチパチパチパチと、そこで一斉に拍手が鳴り響く。

 

「あ……えっと」

 

 つられて雨京も拍手をする。アウェーになるのはよろしくない。そして、拍手は一時して鳴り止む。

 

「初めに、自己紹介といきましょう。私の名は佐之・R・ミュンヒハウゼン。王立都市サンクレアにて根強く崇められる月の女神「アルテミス」を布教する為にやってきました。「月の兎」の設立者にして敬虔なる月の使徒。以後、お見知りおきを」

 

 彼が「ミュンヒハウゼン様」か。男の瞳はそれはそれは力強く、そして何処か柔らかさもあるような瞳だった。不思議と、その瞳に視線が吸い込まれた。

 

 男は続けた。

 

「R、とは「Rapin(ラパン)」。即ち(うさぎ)。月を見て跳ねるものの意でして。兎を名乗るこの私ですが、この街にやって来て嘆かわしい出来事に出会いました」

 

 全員が吸い込まれるように。静かに、礼拝堂に佐之の言葉が響く。

 

「イクシーズとは、あれでしょう。「進化する者達」……そういう意味を込めて作られた街だと聞いています。この街は凄い。これだけ多くの異能者達が集まってお互いを高めようという崇高な理念の元に生きている。よくぞ纏めあげられました。それは皆さん達の強力あってこそなのです。主導者たる者も凄い。ええ、凄いんですよ」

 

 イクシーズを凄いと、そう語る佐之。しかしそれは賛辞などではない。

 

「しかし凄いだけだ」

 

 それは否定だった。佐之は切り捨てた。

 

「素晴らしく無い。一方的なんですよ。私は見てきました、進化していく者達を。それはね、「ひと握り」だけなんですよ。全ての人々では無い。才能ある凄い人間だけが上へのエスカレーターに乗る「権利」を得る!才無き者たちは狭いフロアに押し込められたまま良いようにエスカレーターを動かすための発電をするんです。それがイクシーズの在り方だ」

 

 其処には憎しみ、怒り、そのような物が込められている。

 

「それで良いのか?良い訳がない!人々は生まれ持って平等だ。等しく先へ進むための権利を生まれ持って得る!ならばその権利を行使しようじゃあないか!アルテミスはその為に我らを導くと約束してくれた!これはその証、「アルテミスの加護」である!」

 

 悲しみを、情緒を抑揚を付けて語る佐之。佐之が白衣のボタンを外してフロントを開けると、その肉体が現れた。ズボンの上、下腹部から胸部にかけてのタトゥー……輝く月と、それに向かって飛び跳ねる動物、のようなものを連想させるタトゥー。不思議な事は、最初は色の薄かったそれが、段々と色濃く、はっきりと黒く浮かび上がって来た事だ。その様子に、人々は昂ぶる気持ちを抑えきれず一斉に「おぉ……」と声を漏らした。

 

「太陽に近付き過ぎたイカロスはその翼をもがれた。行き過ぎた光は人を救わない!人を救うのは、この地球(ほし)に寄り添う存在――即ち「月」!人に真に必要なのは進化では無い、その一歩を踏み締めてゆっくりと歩み始める事だ!月の光は我々の真の姿……本能(こころ)を照らし出してくれる。我々は今、Rapinとなり!月に向かって跳ねるのだ!大いなるアルテミスに願いを!」

 

『アルテミスに願いを!』

 

 気が付けば、一致団結。佐野が握りこぶしを天に掲げると、その場に居る誰しもが拳を天に掲げた。まるで洗脳されたかのように。そして、それは雨京でさえも――

 

――暗い個室。薄暗いシャンデリアの光がその場を照らす。ソファには、白衣の女性が座っていた。逢坂緑だ。何処かオシャンティな空間。そして、テーブルを挟んで向かい側にはバーテンダー服に身を包んだ髪型をキザったく尖らせて整えた青年がピシっと立っていた。昨日の夜に見かけた人物である。

 

 緑は訝しげである。テーブルに頬杖を付いていた。疑問である、目前の状況に。

 

「……一体、これはどういう事なんだかな。そこのキミ、分かる?」

 

「丁重におもてなしをと、ミュンヒハウゼン様から承っております。飲み物は何がよろしいでしょうか?」

 

「スパークリング」

 

「かしこまりました」

 

 聞かれたから応えた緑。暖簾に手押しのような気の抜けた問答の末、青年は壁に備えられたセラーから一つのビンを取り出すと、慎重にコルクを抜いた。ポン、と心地の良い音が聞こえる。……あ、本当にバーテンダーか何かなんだ。

 

「シャルドネでございます」

 

 ラベルを上向きにワイングラスに注がれた白のシャルドネが、シュワシュワと音を立てて泡を作った。薄く、その香りが鼻を擽る。……甘ったい。

 

 緑はグラスを受け取ると、とりあえずひと口それを頂く。……普通に美味い。

 

「変なもの入ってないよね?私これ飲んで寝ちゃったら変なことされたりしないわよね?」

 

 少し眉を潜める緑。ここは敵陣だ、迂闊だったか?

 

「ご心配なく。緑様にには手の一つも出させません。それはミュンヒハウゼン様でさえも」

 

「……キミ一体何?幹部?」

 

 妙に調子の良い青年だ。やけににこやかだし。一体、なんだという。軽く不安になる。まあ、これがホストってやつか。

 

(たいらの)清盛(きよもり)でございます」

 

 笑顔の平。明らかに本名じゃない。笑顔だな、ホント。客商売ってのは大変だ。

 

「……偽名」

 

源氏名(げんじな)でございます」

 

「ダウト。私だったらKING(キング)とか、輝矢(てるや)にするよ」

 

「それはどちらかというと源氏(げんじ)というより男児(だんじ)にございます。似て非なる物、大分(だうと)違いますよ」

 

 軽く考えた末、緑はワインを左手に右手で中空を触った。すると、その指先から緑色の電気が迸った。暗い部屋の中でのそれは、とても綺麗だった。緑は指先を高速で動かす。

 

「んーー……」

 

「それはなんでしょうか?」

 

「エア算盤(そろばん)。手癖なんだ、叩いてると集中出来るの」

 

 カチカチと動かすような素振りをして、視線を算盤に向けたまま緑は(たいらの)に話しかける。

 

「私の役目は終わってるのかしら?」

 

「三分の二程。手筈としては、此処に乗り込んで来た警察に保護してもらう予定でいます。それが三分の一です」

 

 青年は素直だ。果たしてこれは「アルテミスの加護」によるものか?

 

「ここ盗聴器ある?」

 

「ございません。貴方様の能力ならお分かりでしょう?」

 

「まーね。ミュンヒハウゼンの目的は?」

 

「イクシーズに変革をもたらす事。付け加えるなら、その末に何があっても過程に、(おこな)った事に意味が有る結末を望んでます」

 

 只の傀儡(ドール)か……?にしては、受け答えがはっきりしている。

 

「大宮吾郎の目的は?」

 

「存じません。口と頭が硬いので」

 

「市民は死ぬ?」

 

「それは計画に入っていません。ミュンヒハウゼン様も望んでおられません」

 

「君は何故此処に?」

 

「気分です。運命というものを信じるなら、貴方様に出会うために」

 

「君は私の味方?」

 

「イエス、「主席(ドミネ)」。私はこの場で誰よりも貴方の味方です」

 

 その言葉を皮切りに、緑は親指でピシャッと算盤を締めた。その瞳で、平の瞳を覗き込む。黒く、深く黒い瞳。そこに輝きは無い。

 

「信用する。信頼じゃあ無い。その人を疑り腐った瞳を信用しましょう」

 

「仰せの通りに」

 

 ワインを飲み干した緑は、次に紅茶を頼んだ。甘い紅茶を。すると平は肩から腹部へという高いエアリングを経て紅茶を出した。その紅茶は、やたら美味しかった。


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