新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺―   作:里奈方路灯

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第九章 遥か空のイクシーズ
統括管理局とフラグメンツ


 青い空が澄み渡る桜並木の中。舞い散る花弁など目にもかけず、彼――土井銀河は目の前の彼女を見ていた。眼を逸らせなかった。逸らしたくても出来なかった。

 

 彼女の足元には倒れているのは三人の人間。成人男性と女性、そして少女。家族だろう。血が道路を濡らしていた。目の前の彼女は泣きながら、土井の方を見ていた。

 

 私を、殺して。

 

 土井はスーツの懐から拳銃を引き抜いた。心の中でその瞬間に何度も葛藤があったが、それが彼女の望みなら、と。その引き金を引いた。泣きながら、引いた。

 

 発砲音が鳴って、桜並木に彼女は倒れる。その話はそこで終わり。その悪夢はいつもそこから先を見せない。いや、むしろそこまでを何度も見せてくる。まるで後悔のように。

 

 僕がもし、あの時彼女を抱きしめていられたら――

 

――場所は新社会「イクシーズ」、中央地区の地下。カツ、カツと音を鳴らして土井銀河は薄暗い部屋を歩いていく。

 周りには緑色のランプを発光させている機材が幾つもある。緑色は問題無しの色、此処で島のあらゆる制御を行っている。浮島の地下がまさかこんな事になっているとは誰も思いやしまい。

 

 統括管理局(データベース)地下。それがこの場所だ。地上の表向きの施設と地下の裏の施設。多くの職員で成り立つそれはイクシーズの中でもエリートクラスの職務であり、目指すものも多い。給料も高待遇である。イクシーズ側からしたら、それだけの賃金を払っても有り余る利益があるのだ。その内の一つ、この施設「世界樹(システムツリー)」。

 

 奥に厳重に管理されたシステムの根本と、その周りを段々と内側から埋めていくアシストツール。正直、土井にはそれがなんなのか分かってはいない。一般人に理解出来るような物では無いのだ。恐らく根本を理解出来るのは普通の職員でも不可能で、精々が最高責任者の「パンド・λ・ローシュタイン」と「凶獄煉禍(きょうごくれんか)」と「氷室永冷(ひむろえいれい)」の三人くらいだろう。最高責任者はあと二人居るが、メカニズムの基本はこの三人で成り立っている。職員は彼等の指先に過ぎない。

 

 その地下で、職員ですら立ち入れない場所に土井は居た。これは暗部機関「フラグメンツ」の中でも「コード・セコンド」黒咲枝垂梅と「コード・サウス」土井銀河だけに与えられた特権。訪れた理由は一つだ。進めていた足を止めて、それの前に立った。目の前には巨大なバイオカプセル、その中には培養液と共に薄い布の服一枚だけを着た人間が浮かんでいた。瞳は堅く閉ざされている。

 

 黒咲桜花(くろさきおうか)。享年21歳。去年で26。能力は「君の欠片(フラグメンツ)」。他人の悪しき魂を吸収する能力と、溜め込んだ魂のエネルギーを斬撃として放出する能力。正確には、一度放った魂の衝撃で空間にヒビを入れて、そしてヒビの入った空間が自己再生する時に断裂部分から生まれる斬撃を放つ、という少しややこしい能力だ。

 

 そして、そんなまどろっこしい話はともかく。土井銀河に言えるのは、彼女は土井の最愛の女性である、という事で。また、彼女を殺したのも土井だった。

 

「やあ、また来たよ」

 

 声をかけても返事は無い。彼女の瞳はあれから二度と開く事は無かった。あの日、彼女を失ったあの日から。土井の心の中には後悔しかない。しかし、ああするしか無かった。

 

「ははっ、この前天津魔ったらさー。ノックせずに休憩室に入ったらなんとナナイちゃんが着替えてたみたいで。下着姿のナナイちゃんは動じる事無くキョトンとしてたらしいんだけど、(うしろ)に居た夏恋(かれん)ちゃんにドロップキック食らったらしくて。「僕は悪くない」って言ってたよ。いいなあ、ラッキースケベ」

 

 ただの日常会話を楽しく話す。あの時、土井がもし拳銃を握る事無く、彼女の体を抱きしめていられたら。結末は変わっていたのだろうか。あの桜並木の中で土井がその時選んだのは彼女を「信頼」することじゃなく、彼女を「信用」した事だった。彼女の隣に立つことじゃなく、一「フラグメンツのメンバー」として暴走した彼女を始末する事だった。

 皆はしょうがなかったと言ってくれる。彼女も望んだ。しかし、自分ではそう思えないのだ。むしろ、なぜああしてしまったのだろうか。

 

「君も飽きないね。未だ彼女は目覚めないよ」

 

「……煉禍(れんか)さん」

 

 気が付けば土井の背後には赤いショートヘアに暖色の浴衣を纏った婦人、統括管理局第三最高責任者の凶獄煉禍が立っていた。この部屋は足音が響く筈だが、土井は桜花に夢中になっていたため気付かなかったようだ。

 

「不思議な物だね。身体機能に問題は無し、体の再生率は100%。脳に負担も無いはずだ。いつでも活動出来る状態だというのに何故か彼女は動けない」

 

 イクシーズの技術力の成果もあって、彼女の体には最早一切の傷は残っていない。後遺症も無いはずだ……。なのに、彼女は目覚めない。

 

「「器」だけあっても「魂」が無ければ人体は動かない、というのがローシュタイン卿の見解だ。これは人造人間(ホムンクルス)においても一緒らしくてね、未だに世界で人造人間の成功例はローシュタインの研究上の「三例」しか観測されていない。この世最大の科学者でも解明出来ていない秘密を握る本人がこの状態では、手の付けようが無いと来た」

 

「……」

 

「さて、果たして魂とはなんだろうね。どこまでが生者で、どこからが死者なのか。彼女は死んでいるのか、彼女に魂を「戻す」のではなく「移す」のならそれは死者の蘇生になるのか」

 

「どういう事ですか」

 

 煉禍が何を言っているのか、根本自体は分かるが何を言いたいかが分からない。きっとまたこの人はとんでも無い事を考えているのだろう。

 

「そもそも人間とは器である肉体と精神である魂から出来ている、ということを前提条件としよう。クローン、ホムンクルスもどうやら似たような物らしい。そこに器があっても精神が無ければおよそ人として動かせない。これはローシュタイン卿の研究により明らかな事例がある」

 

 ローシュタインの研究。イクシーズの第一最高責任者「パンド・λ・ローシュタイン」が「在りと凡ゆる存在の証明」をする為に300年前からその末裔と共に続けてきている研究だ。それは時に神の証明であったり、悪魔の証明であったり。パンドラクォーツに異能力など、彼が人類の躍進に役立てた功績は数知れない程だ。

 

 そして、彼は死者を召喚する方法すら手に入れた。

 

「ジャンヌ・ダルクって知ってるだろう。「闇を聖する者」の意、その名を二つ名に付けられたいたいけな少女だ。後に聖女と呼ばれた彼女の遺骨が手に入ってね、それを媒介にホムンクルスを作る事が成功したんだよ。素体の遺伝子はジャンヌ・ダルクによく似た赤ん坊の物を引っ張ってきて、結果成功したんだ。「ジャンヌ・X(クルス)・ローシュタイン」。そして、彼女は「新しく生まれてきた」。記憶も経験も知識も性格も……オリジナルの魂なら伴っていて良いはずなんだ。これがどういう事か分かるかい?」

 

 駄目だ。もう嫌な予感しかしない。

 

「どういうことって……」

 

模造(つく)ったんだよ、魂を。ありゃオリジナルジャンヌじゃない、コピーだ。不思議だねぇ、その本質はジャンヌ・ダルクそのものなのにとてもじゃないがジャンヌ・ダルクとは似ても似つかない。……あれ、自分でも何を言ってるかわからなくなってきたな。とりあえず言えることはね、何処からか知らないけどオリジナルと非常に良く似た物を「どっか」から(もっ)()たのさ」

 

 その言葉で、彼女の言いたいことが分かった。次に自分が発する一言は決まった。

 

「ローシュタインのじじいにでも、ロンドンに居る末裔にでも頼んだら造れそうだがね?黒咲桜花の魂。どうだい、もういっそ作ってみても」

 

「断ります」

 

 切り裂くようなその言葉に、煉禍は眼を細めた。まるでその言葉を待っていたかのように。

 

「ならば君は何が出来る?あの時死に損なった少女の中に入り込んだ魂、あれの祝福に一役買えるのかい?舞台なら私が用意しよう。今のままでは祝福に時間がかかりすぎる。「イクシーズ」は平和過ぎてね。暗部機関だけじゃ足りない。黒咲桜花はなんとしても統括管理局に欲しいのだよ」

 

 煉禍はこれを言いたかったのか。そうだ、統括管理局にとっては優秀な能力者はあればあるほどいいだろう。黒咲桜花は能力者の中でもとびきり特別だ。喉から手が欲しいはずだ、その為の犠牲なんていくらあっても事足りるはずだ。

 

 土井は奥歯を一度噛み締めると、手のひらを自分の胸に当てて、煉禍の眼を見据えて強く言い放った。

 

「いざという時は、この命に替えてでも」

 

「君で良かったよ」

 

 にっこり、と満面の笑みを浮かべる煉禍。そうだ、これでいい。彼女のご機嫌取りを怠れば、黒咲桜花は帰ってこない。彼女からしたら、中身が本物かどうかなんて関係無いんだから。

 

 黒咲桜花を解放する条件として一番有り得るとされるのは、桜花の魂に溜り込んだ「悪しき魂」の浄化。その条件は、祝福。あの魂が「悪しき魂」の者を倒して、優越感を得る事だ。

 

 そう。それは、即ち。黒咲桜花の魂を取り込んでしまった黒咲夜千代が、悪を倒す事で成立する。それが現在のフラグメンツの存在理由だった。


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