新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺―   作:里奈方路灯

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Wonder World Exist~刻み合う傷名~

「ごぷっ……」

 

 ジャックの口から血が漏れる。赤いそれが、ジャックが息を吐き出すと同時にどぷり、と溢れた。唇から、顎を伝い、喉を赤く染めた。

 

 左胸部には深く深く、日本刀が突き刺さっている。ムサシが振り下ろした刀が、内蔵を切り裂いていた。人体構造で言うなら「肺」と「心臓」に位置する。「心臓」がエンジンであるなら「肺」は油圧装置。血液と酸素無くしては、人体は動かない。そして、肺は二つあれど、心臓は一つしかない。もう動かない。決着だった。

 

「ふむ……唐竹割りのつもりで振り抜いたがな」

 

 ムサシはジャックの頭蓋を切り割るつもりで両手で刀を振った。ジャックの高速移動故に微妙に位置がずれた事と、ムサシの刀を握った手をジャックが左手で真下から突き上げるように握り締めた事から「左胸部で止まって」しまった。もしムサシの手が握られなければジャックの体は両断されていただろう。その証拠に、ムサシの右手首は握られた衝撃でぐちゃぐちゃに変形している。血も滲み出ている。もう動かないだろう。

 

 しかし、結果がこれならなんの問題もない。ジャックは勝てなかった。ムサシは、また勝ってしまった。

 いや、なんの問題もない事は無いか。また、負けられなかったのだ。幾度となく望んだ敗北を、また叶えられなかった。

 

 ムサシは名残惜しく、その瞳を伏せた。

 

「強かった。本当に強かったぞ、これほどの緊張感ここ二世紀は無かった。確か、其の方名を「ジャック」と」

 

 ズグリ、と違和感。ムサシは眼を見開いた。ジャックの右手がムサシの左胸部に届いている。その手に握られたは「ジャックナイフ」。胸骨の隙間を縫って、ムサシの心臓に突き刺さっていた。

 

 反応するより前に、ムサシの身体は吹っ飛ばされた。ジャックの左手が握りこぶしを作って、ムサシの硬い右胸を殴り抜く。ムサシの日本刀を握っていた手が離れた。握られたままだったジャックナイフはムサシが吹っ飛んだことにより左胸部より抜かれ、その傷跡からはシャワーのように血液が飛び散ってジャックの白衣と白髪を濡らした。

 

 ジャックはナイフを放り捨てる。右手で血濡れの前髪を掻き上げて、痛みで呻き苦しそうなしかめっ(つら)を無理矢理笑みで化粧して見せた。草原に倒れ込んだムサシに吐き捨てる。

 

「「ARIS(アリス)」だ!冥土の土産に持ってきな」

 

 逆転した勝敗。倒れたムサシは朦朧と消えゆく意識の中で、尚も敗因を探す。手に残った感触、なぜ至ったかを。

 

 思い当たる節が一つだけ、あった。

 

「は……はは……「内臓逆位」か……」

 

「おお、お見事。日本刀越しでも分かるものだね」

 

 内臓逆位。書いて字の通り、内蔵が「逆に位置する」病気である。勿論その場合心臓は右に。

 それがジャックが生まれ持った「重大な疾患」である。発生確率は十万分の一程度……ありえないわけではない。しかし、そうなってしまった者には生きていく上で多くの枷が課せられる。内臓逆位による特有の左利き、医療による誤診、手術のミス……この世の全てが「正常」である人の為に作られ、発展してきた。故に見捨てられる、ほんのひと握りの「異常」。親は重大視しなかった。それが問題だった。

 

 彼女らは許されなかった存在だ。だから、彼女は自分で自分を治療できるようにした。何も出来ずに死んでいくなんて嫌だ。この世全ての医学を貪った。自分の脳構造を知り、理解してくれないファミリーネームすら必要ない物と淘汰して、その分の知識を詰め込み、そして完成した。

 

 医学の丘の上に立つ者。誰も寄る事は出来ず、理解されず、狂ったまま自分の存在を示そうとして、そして彼女は34歳の時に没する事になる。自分の頭を拳銃で打ち抜くという結末を選んだ。なぜなら、「闇医者として人を治す神」と「切り裂き魔として人を殺す殺人鬼」、自分でもどちらが自分なのかわからなかったのだ。人に自分の存在の証明をしたくても、自分が自分の正体を知らないのなら出来ないではないか。「リサ・ジャクリーン」と「ジャック・ザ・リッパー」、果たしてどちらが本当の自分だったのか。泥沼で足掻くことが嫌になって、誰よりも生きがった少女は、皮肉にもその手で自分を殺めてしまった。

 

 胸に刺さったままの日本刀を慎重に体から抜いて放り捨てると、ジャックは背を向けた。そして歩き出す。目の前に広がる地平線へと、足を踏み出した。

 

「お前さんの感じた孤独、私にも分かる気がするよ。私らは一人だった。誰にも理解されなかったんだ。どうだ、望みは叶ったかい?」

 

 ムサシはもう何も言えない。見上げているのは、ただ遥かな天空だけ。果たして、その空の向こうには何が見えているか。

 

 ジャックが感じていたのは妙な絆。お互いを深くと知らなくとも、戦いを経て残った物はなんとなくの理解。だから、その胸に名を刻み込んだ。

 

 与えるは「アリス」、受け取るは「ムサシ」。知名度的にはシャークトレードでしかないが、アンティルールという事にしておこう。勝者は私だ。

 

「大事な名だ、脳に焼き付けておくとするよ「宮本武蔵」。それじゃ私はご主人様の元に帰るよ、いずれ明夜(あかしや)の果てに。 “Sayonara(サヨナラ) Baby(ベイビー)”」

 

 踏み出したジャックも、倒れていたムサシも、柳の木ですらもう其処には無い。あるのはどこまでも続く草原と、空に浮かんだ地球だけだった。


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