新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺―   作:里奈方路灯

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柳の木の下の待人2

 ふむ……初の感触だったが、なかなかどうして。あれは良き心地だったな。

 

 白衣に身を包み、腰まで届く長い白髪を揺らしながらジャック・ザ・リッパーは暮れ泥む学校の廊下を歩いていた。外の夕日に眼を傾けながら、いま一度、自分の口に手を当てて考えてみる。その唇を指でなぞってみる。生前に感じた事のない体験、「キス」の味だ。

 

 口には多くの神経が集まっている。その暖かさ、柔らかさ、滑らかさ――それだけじゃない。おそらく感情的な物もある。あれが何処の誰か分からん奴のだったら、只々不快なだけだろう。絶世の美女だろうが、世紀最大の美男だろうが、ああは行くまい。想像しただけで御免である。だとすると。

 

「ククク……はははっ……」

 

 ジャックは額に手を当てて笑った。今更なんだというのだ。この殺人鬼が。

 

 岡本光輝は見送った。今頃うまくやれているだろうか。なんて、心配をしている。有り得ない。自分は彼に毒されている。生前はこうじゃなかった筈だ。もっと、孤高で、孤独な。

 

 失われた過去を模索する。彼女は生まれつき、体に重大な疾患を患っていた。別に直ぐ死に至るわけじゃない。しかし、手を出せる医者は一切居ない。彼女は怯えた。いつか自分は「これ」に殺されるのではないかと。不備があった時に誰も手を出せないのだと。

 死を恐怖した。人が誰しも生まれ持つ本能の警報。彼女は読み耽った、あらゆる書物を。幾度となく勉学に励み、人体学を理解し、自己を高め、高め、高め……。

 

 やがて、そこに立ったのは一人の「怪物」。あるべきだった人間としての時間を奇しくも「生きたい」という恐怖に奪われ、誰からの理解も無く、ただ丘の上で一人、風を受けていた。

 

 彼女は、孤独な天才だった。故に、狂った。

 

「今更……今更だ……」

 

 一人だったジャック・ザ・リッパー。しかし、今は違った。何の手違いか幽霊として現界し、彼の者に「潜伏霊」として取り憑く日々を過ごしていた。

 

『ジャック・ザ・リッパー!俺にはお前が視える!』

 

 出逢いとしては最高峰であったと自負出来る。自分の在るがままを曝け出したつもりだ。殺して、殺して、殺して、殺そうとして――有り得ないだろう。戦争でもない、なんの正義も無しにただ自分の存在の証明をする為に殺した。「生きた証が欲しかった」、だなんて。もう死んだはずだろう?私は。そして、負けて。理解(わか)った筈だ、ただの壊れたモノだって。だというのに、彼はなんとこう言って見せた。

 

『単刀直入に言うぜ、俺と契約しろ』

 

 正気の沙汰では有り得ない。こんな狂った玩具、拾わずに捨てておくべきだ。爆発が怖いのなら丁重に処分してやりゃいい。なのに、あろう事か。彼は私を受け入れた。素性を知った上でだ。

 

 あれからもう一年は経った。彼は私を見捨てる素振り無く、つんけんとした口調で接してくれている。分からない。怖いのなら「丁寧に」対応すべきだ。いつ勝手に誤作動を起こすか怖くないのか?ご機嫌取りは良かったか?この私を普通の存在だと思っているのか?

 

 ……嗚呼。そんな彼だから楽しい。生活が楽しい。生前失った全てを、まるで今与えられたかのような。彼は私を「一人の友人」かのように見ているのか?……だとしたら嬉しい。

 

「笑えない……友達が欲しかっただけとはね……」

 

 彼女は孤独でなくなりたかった。ただ、それだけだ。それは、彼女の中で残った唯一の人間らしい部分だろう。

 

 だからこそ、鼻で笑える。

 

「死してなお現世に縋り付くなど、なんとも女々しい……そうは思わんか?」

 

 ジャックは動かしていた足を止めた。何時の間にか上には青い空が広がり、足元には草原が。青い空には月も太陽も無く、ただ「地球」が浮かんでいるだけで。見知らぬ場所だった、しかし何処か懐かしい。

 

 目の前には地平線、その手前に一本の柳の木が。柳の木の下には、一人の和装の男が。

 

「私が此処に居るというのは、呼んだのだろう?私を。どうせならお前さんの執着を聞かせてくれないか」

 

 その男はかいていたあぐらを解き、見ていた柳からジャックの方へと眼を移す。

 

「……おお、ジャックか。なるほど、(ぬし)がそうか」

 

 紺色の和装にちょんまげ、地面には二振りの日本刀が。実際に見合った事はないが、波長で分かる。岡本光輝の背後霊、「ムサシ」だ。

 

 此処は願い事が叶う場所だ。一体、彼は何を願ったか。

 

「ワシが求めた物……がははっ、恥ずかしながらワシには知らん物がある。死を賭して、幾多数多に死合い、正を積み重ね。武神を体現して……「死」と「知」、貪ったが故に気が付けばどんどん離れていったのだ。おかしな話ぞ、死にたがり屋が歩けば歩くほど「生」に近しくなっていったのだ」

 

 求めたからこそ遠くなる。願うからこそ、付かず離れて。「思い」とは「矛盾」だ。欲しいがままに出来ない。

 

「生涯武術と学問に励んできたワシが、そんなワシですらが知り得なかった物がある。常に隣り合わせで合った筈のそれはもう二度と手に入らなくなってしまった」

 

 没するまでの時間全てを己の存在の証明だけに費やしてきた男。一切の回り道をする事なく、溢れ出る才能の欲するままに強さを貪った。

 

「ワシが唯一知れなかった物、それはのう」

 

 そして、死してからもそれを願い続けた。今や、その強さこそ証明であり。彼の存在など知らぬ者は居ないというのに。貪欲に欲しがった。

 

「「敗北」だ」

 

 彼は待っていた。この場で、自分を倒すことが出来る相手を。呼んでいたのだ、最強の武士を超える強者を。

 

「望むなら叶えよう。この「神の手」、適わぬ者は無い」

 

 ジャックの答えを聞いた瞬間。ムサシはその腰をゆらりと上げ、二つの鞘から同時に刀を抜き、鞘は捨て去る。左手の小刀は目前の敵に向け牽制するように中断の位置、そして右手の大刀は今か今かと必殺の瞬間を待つように上段へ。構えた。

 

二天一流(にてんいちりゅう)宮本武蔵(みやもとむさし)(われ)()()()()(きざ)め!」

 

 伝説の武士(もののふ)、この場に立ち。全身全霊で、いざ(さむら)う――。


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