新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺―   作:里奈方路灯

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Fade out

 彼方まで届く青だ。海の表面に、空の色が反射してそう見える。成層圏の色。地平線の向こう側にはかろうじて山が見えた。

 

 海の上に、その二つの岩は立っていた。大きな岩と、小さな岩。その二つはまるで縁を結ぶかのように大注連縄(おおしめなわ)で紡がれている。

 

 彼女は橋の上から、ただその姿を見ていた。ザザーっと、波の音が聞こえる。彼女は、何度この景色を見たんだろう。

 

「此処に居たんだな」

 

 光輝は彼女に声をかけた。岡本陽。光輝の母は、この場所でただ何をするでもなくそうしていた。

 

「知ってて来たくせに。どうせ聞いたんでしょ」

 

「まあ」

 

 陽は光輝の方を向かずにそう言った。一分一秒でもそれを見ていたいのだろう。

 

 ……ザザー。周りに人は居るはずなのに、何故か静寂が訪れるような錯覚を覚える。まるで其処が彼女だけの世界のように。ならばきっと、光輝は迷い込んだか引きずり込まれたかだ。

 

「まだあの人を恨んでる?」

 

 あの人。光輝の父親、岡本直輝の事だ。あいつは、この海に飛び込んで自殺した。

 

「恨んだ事も無いし、もう根に持つのもやめた」

 

 これは本当だ。いつまでたっても過去に縋り付いてていい事なんてない。

 

「そう。なら良かった」

 

 陽は陽で光輝の事を気遣って来たのだろう。あれから全ての事に強制をされた事は無いし、かといって日常生活はとても普通に接してきていた。

 

 母は母で苦しかった筈なのに。けれど、彼女は決して弱音など吐いた事が無かった。

 

「私ね、あれで良かったと思ってるんだ。あの人の最後」

 

 光輝はただ耳を傾ける。その言葉に一切の不信を抱かない。だって、彼女はこの世で最も岡本直輝を愛して、そして最も岡本直輝に愛された人の筈だから。

 

「あの人と過ごした時間、とっても幸せだった。とても愛おしかった。ほんとに夢のような時間でさ、この幸せは永遠に続くんだろうって思ってた。けど、当たり前のように永遠なんて無くて、むしろ「人」の「夢」だからこそ「儚く」て良い。あの人が死んで、すこししてから分かったんだ……」

 

 彼女は嘘を付かない。自分の息子である岡本光輝に対して。だから、光輝も陽を信じる事が出来て。

 

「あの人の最後の気持ちは分からない。けど、もしかしたら。あの人の中に何にも変えられないものがあって。あの人はそれを抱いたまま生きた事にしたくて死んだのかもしれない。だったら、それはとても優しかったあの人の中での唯一の「エゴ」。あの人がそれを選んだのなら、私は何にも言えないんだ。……可笑しいなあ。惚れた弱みってやつなのかなぁ。告ってきたのはアイツだったのに、何時の間にか骨抜きにされてたんだ」

 

 陽はそうして、眼を閉じた。「超視力」を持つその瞳を閉じて、耳を傾けた。ザザー。普段眼に頼りっきりになるこの能力だからこそ、こうしてじゃないと意識できない物もある。

 

「こうしていると、あの人の声が聞こえる気がして。あの人はこの海に身を投げたんだ。もしかしたら、あの人の魂はまだこの海に残っているんじゃないかって。はは、流石に与太が過ぎるか」

 

「そんな事は無いと思う」

 

 光輝は、それを否定できなかった。肯定するわけではないが、せめて否定は。

 

「そんな事は、無いと思う」

 

「……そっか」

 

 陽は眼を開けると光輝の方へ向き直り、その頭に手を置いてわしゃわしゃと強めに撫でた。

 

「まあ、アンタに望むのはそんな難しい話じゃない。先のことなんか分からない世の中だ。だから、せめて。とりあえず明日胸を張れるように生きなさい」

 

「こいつぁ難しい注文ですぜ」

 

「ははっ、こなせ」

 

 彼女は歩き出す。今日も歩き出す。そしてきっと、いつかまた此処で足を止めるんだろう。でも、それでいい。それがいい。偶にちらっと、後ろを振り返るぐらいなら。三歩進んで二歩下がるぐらいなら、きっと許してくれるだろう。

 

「「イクシーズ」に帰るかぁ……。あー、やんなるな。明日からまた仕事だよ」

 

「俺はまだ休みだね」

 

「コイツは」

 

 そう急く必要も無く、ゆっくりとでいい。だって、人の寿命は人が思うよりも長いのだから――

 

――駅の改札前で、光輝達は伯父夫婦と暁から見送りを受けた。

 

「それじゃね、こうくん。それにクリスさんも」

 

「おう。また来るよ」

 

「ええ。もし次に伊勢に寄った時は是非とも」

 

 手を振りながら別れる際に、暁は光輝に駆け寄ってその手を取った。

 

「あっ、ちょっと待って。神威「猿田彦(さるたひこ)」」

 

 バチり、と音はしないが不思議な感覚に一瞬包まれた。暁は光輝の右手の小指を自身の小指に絡ませ、「ゆびきり」をしたのだ。

 

「なっ……お前、現実(こっち)でも神威を……!」

 

 光輝の眼には見えた。彼女が実際に「神力」をその身に宿して能力を行使するのを。

 

「別に幽世(むこう)でなきゃ使えないなんて言って無いからね。縁結びをしたよ。その気になったらいつでも「阿迦奢(アカシャ)」を通って来てね?」

 

 そして、暁はそのまま「(やわら)」の要領で光輝の指を引っ張り――その頬にキスをした。

 

「これは「那由他(ナユタ)」の誓いだ」

 

「お前な……!」

 

「ははっ!またねー!」

 

 なんとも天真爛漫なことだろう。散々振り回しといていざ怒ろうとすると、ささっと逃げてしまう。光輝は軽く溜め息をついて、その姿に手を振った。

 

「形無しですね」

 

「うっせ」

 

 くすり、とクリスにすら笑われてしまった。いい、もういい。光輝は早歩きでホームへと向かった。

 

 少しばかり名残惜しくあるが、しかしまた。いずれ来るんだ。ならば気持ちは無視して、先に進もうじゃないか。

 

「ははっ、照れてやんのー」

 

「……。」

 

 母までからかってくる始末で。もう無視だ。

 

 三人で水上新幹線に乗り込む。母は早速売店で買ったビールを開け、クリスは海を見ながらはしゃぎ、光輝は自分の携帯にイヤホンを繋いで音楽を聞いた。

 

 外の青を眼に映す。なるほど、父親の魂があそこに眠ってるのなら……

 

「悪くはないな」

 

 そして、直ぐに光輝は瞳を閉じて音楽に意識を傾けた。

 

 しかし、最近「ムサシ」が返事に答えない。魂は確かに感じているから、問題無いとは思うが。











 クリスは気になる。普段光輝がどんな曲を聴いてるのか。

 音楽が好きな彼ではあるが、彼の好みをいまいち知っていない。クリスの好みはミスター・トラブルメイカーやジャスティファイズだ。やはり正義を歌う曲は良い。

 そして、今水上新幹線の隣の席で光輝がイヤホンを付けながら寝ている。

 これほどの好奇、二度とない……!光輝だけに!なんちて、なんちてー!

 ……コホン。ええ、では行きましょう。いざ!

「ええい、ままよ!」

 光輝の片耳からスポっとイヤホンを抜き、それを自分の耳に挿す。

「……オヒルノオトのエンディングじゃないですか」

 昼に流れてるラジオのやつですね。光輝が好んで聞いてます。なんというかお昼に流れる曲なのに夕暮れのような薄暗く、しかしどこかロマンティックを感じて非常に良い。ラス前の大サビなんて大好きで。途中で途切れてしまうんですが、そもそもあの曲に正式名称はあるのでしょうか。曲が終わり、次へ。

「この特徴的な神秘的な感じ……ああ、旅サラダの」

 土曜日の朝にテレビを付けてると流れてくる曲です。CM前だっけ、後だっけ?に、サビのワンフレーズだけしか流れないのですが、それだけで十二分に耳に残る美しい声と曲調。正直、あれからダイシさんのファンになったと光輝が言ってました。私も良いと思います。曲が終わり、次へ。

「……中山きんにくんの曲じゃないですか」

 前二つに比べてガラっとイメージ変わりましたが。ボンジョビ、という人の曲でしたっけ?盛大に粉チーズをぶっかけるやつですね。

「何してんだ」

「あっ、ええと……なんでしょうね?」

 どうやら光輝はこの曲の部分を目覚ましにしてるようです。そりゃいきなり「イッツマーイラーイ!」なんて耳元で言われたら起きますよね。


――side episode「日本に馴染むクリス」

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