新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺― 作:里奈方路灯
ロンドンからの留学生 クリス・ド・レイ
茹だるような暑さの夏真っ盛り、8月頭。光輝の母親は、出かける準備をしていた。
「それじゃ、行ってくるね」
「あいよー」
日除けの帽子をかぶり、よそ行きの服装に身を包んだ母。その手にはキャリーケースを引いている。有給を取り、二泊三日で実家に顔を出すそうだ。お盆の間は休みを取れないので前倒しで行くらしい。
なお、光輝は行かなかった。新幹線代が二人分かかるとか、イクシーズ外に出る手続きが面倒だからとか色々理由をつけたが、それらよりも大事な理由があった。
「やばい、俺三日間家で一人だ……自由だ……!」
『ワシもいるぞー』
家には母がいない。つまり、一人きり。光輝を、謎の高揚感が包む。背後霊の声は今の光輝には聞こえない。
子供の頃、親が外出に行って留守番になったとき。開放感があった者は少なくないだろう。今の光輝はそれだ。もう子供という歳でもないが、それでも何かがこみ上げてくる。今の自分にならなんでも出来る気がしてくる。それは錯覚なのだろうが、それを錯覚と理解してなおかつ楽しい。
ぐでー、と居間に転がる光輝。まだ朝の10時だ。何をしよう。とてもじゃないが宿題をする気分にはなれなかった。食事をしようか?3日間の食費は母親から五千円も渡されている。めずらしく奮発されていた。何を食べよう、ラーメンでも食いに行こうかな?それより先に青空を味わいに行こうか。
ガバッ、と起き上がる。ふと思いついた。
「そうだ、空港に行こう」
青空に向かって飛び立つ飛行機が、無性に見たくなった。この前見たのは夕焼けの光景。夕焼けもいいが、光輝には青空の方が映えて見える。
思い立ったが吉日、やる気をなくす前にすぐ行動だ。すぐにシャツとトランクスというだらしない部屋着から少なくともよそ行きと取れる黒いTシャツと半丈のジーンズに着替え、鍵をかけて光輝は家を出た。
待っていろ、青空。俺が今行くぞ!
最上機嫌な光輝。にやけが止まらない。きっとその時の表情は、今年一番の笑顔だ。
『おーい、無視されるのはちょっぴり悲しいぞー』
ムサシの声は光輝の耳に全く入らなかった--
--空港の国際線到着ロビーにて、同じ高校の学年主席であるホリィ・ジェネシスと聖天士の称号を持つ瀧シエルは人を待っていた。ロンドンから出発した飛行機が先ほど到着し、もうすぐその人物は現れるだろう。
ホリィはサマーフェスティバルの1件で瀧に襲われたが、それ以降は少しずつ友好関係を結んでいた。間に光輝が居たのも大きい。関係としてはホリィと光輝が友達であり、光輝と瀧が友達。友達の友達と言ったところだ。
ホリィの兄が瀧に護衛を依頼したというのは本当の話であり、最初こそホリィは戸惑ったが今ではなんとかうまくやっていけてる。今日此処にホリィと瀧が立っているのもそういう意味合いもある。有事が起きても瀧シエルがいれば問題ない。ちなみに瀧が有事を起こす可能性は無いに等しいだろう、瀧と光輝がそういう約束をしている。
飛行機到着口から幾つかの人が降りてきた。多種多様な人々だが、その中で事前に聞いていた外見と一致する人物を瀧とホリィは見つけた。
綺麗な黒の長髪に全身をゆったりとした黒いローブに包んだ妖艶にも感じる少女。綺麗な顔立ちとローブの上から分かる大きめの胸が目を引くが、何より目を引くのが……その背中に担がれた「黒い棺桶」だ。その姿は、まるで「魔女」と形容できる。
向こうも此方に気づくと、手を振って歩み寄ってくる。
ホリィが右手を差し出し、魔女のような少女もまた右手で返し握手を交わす。
「始めまして、ホリィ・ジェネシスです。私の後ろの方は瀧シエルさんです」
「やあ、よろしく」
「始めまして、ホリィ、瀧。クリス・ド・レイよ。気軽にクリスでいいわ」
ロンドンからイクシーズにやって来たその少女の名前はクリス・ド・レイ。イクシーズのデータベースからの判定で「Sレート」の評価を頂いた特待留学生だ。
異能者が集められるイクシーズとは別に、世界にもまた幾つか異能者を集めて管理する機関が存在する。規模はイクシーズほどではないが、その中でクリスは鍛錬を積んで実績を残し、15歳という若さででSレートの評価を手に入れたのだ。
ホリィと瀧の今日の目的は、彼女をイクシーズに迎えることだった。
「そろそろお昼時ですね。どこかで昼食でも食べましょうか?」
「いいわね。あ、でも先に空港内を少し見て回ってもいいかしら?日本の文化に興味があって」
「構いませんよ。道案内は私達におまかせ下さい」
まずは空港内を歩くホリィ達。クリスの担いだ棺桶に周囲から好奇の視線が集まるが、気にしないことにしよう。何が入ってるかは凄く気になるホリィであったが。まさか本当に死体が入ってるわけでもあるまい。
空港内には幾つもの店が並んでいる。飲食店、服屋、本屋、喫茶店、土産屋、その他にも色々なニーズに対応するために様々な店がある。クリスはそれらを、物珍しい目で見ていた。
「ところでホリィが学年主席で、瀧が1年で一番強い異能者で良かったのよね」
「はい、そうなりますね。お恥ずかしい話ですが、私には戦闘能力が無いに等しくて……」
ふと問われた質問に、申し訳なさそうな顔をするホリィ。
「そうなのね。けれど、参ったわ。私、日本人に知り合いが居てね。1年前にロンドンで会ったんだけれど凄く強い男性の異能者が居たのよ」
「へぇー、そうなんですか」
「私と同い年でね、イクシーズに来たら会えると思ったんだけれど……やっぱり上手くは行かないものね」
「その方のお名前は?」
「名前は、確か……」
「おや、あれは」
歩いている途中で、瀧が展望デッキの方に何かを見つけたようだ。瀧が足を向けるので、自然とホリィとクリスも向かうことになる。
「ちょっと寄っていっていいかな?岡本クンが居るみたいだ」
展望デッキに入ると、確かに岡本光輝が居た。いつものように熱心に空を眺めていた。
「あ、本当ですね。声をかけましょうか。おーい、光輝さーん」
「コウ、キ……?」
名前を呼ぶホリィと、怪訝そうな顔のクリス。名前を呼ばれた光輝は、振り向いた。
「……あ?」
いつものように、気だるげな表情。その光輝の顔を見て、クリスは顔色を変えた。
「……光輝っ!!」
瞬間、クリスは走り出した。担いだ棺桶の重量などまるで関係ないように走り出していた。彼女の能力は「重力制御」。物質の重量を軽くできるその異能で、棺桶の重量は無いに等しい。
が、途中で棺桶を地面に捨て去る。ズン、と音を立てて地面に落ちる棺桶。さらに加速したクリスは、そのまま光輝の胸にダイブした。
「うおっと!?い、いきなりなんだお前!?」
いきなりの出来事になんとかクリスを受け止めて対応した光輝。背中は展望デッキの柵に打ち付けることになったが、そのまま立っていられた。
「これが運命、偶然ではなく必然なのね!感じたわ私、光輝との赤い糸を!!」
興奮気味のクリス。その表情はとても嬉しそうで、瞳の端に涙が浮かんでいる。嬉し泣きであった。
「……もしかしてお前、クリス・ド・レイか?」
「覚えていてくださったんですね、光輝っ!もう離しません!!」
「う、おぉっっ……!」
ぎゅううっ、と光輝の体を抱きしめるクリス。ローブに包まれた主張ある肉体の柔らかさを感じている光輝は、周囲の目線が気になって理性で彼女を引き離そうとするか、男としての本能でその感触から逃れられないかというせめぎ合いで、結局何もできずに居た。
「……やれやれ、グローバルで人気者なのかな?岡本クンは」
肩を竦める瀧シエル。瀧もまた何もせず、その光景を眺めていた。