今回は前置きが長いですが、楽しんでいただけると嬉しいです。
それは突然に起こった。薫子とローズヒップはいつものように昼食を摂っていた。カモ肉のオレンジソースがけとライ麦パン、新鮮な野菜のサラダにサウザンアイランドドレッシングをたっぷり、そして甘酸っぱいローズヒップティーを楽しんでいる時に、だ。
ちょうど二人が放課後の練習でいかに島田流チハタン虐殺ターンを成功させるか討議し、そして練習後のルクリリ車襲撃プランを練っていた二人のテーブルに一人の人物が訪れた。
「こんにちは、ローズヒップさん。薫子さん」
「えっ オレンジペコさん?」
薫子は目をぱちくりと開き、一度目をこすってもう一度見た。ダージリンと似て、髪を後ろで纏め、陽光のような優しい橙色の髪。背は小さくとも高度な情操教育を受けて得た気品ある仕草、どれをとっても彼女だった。
「ご機嫌ようでございますわ!」
「ご、ごきげんよう」
「はい、今日もクルセイダー戦車のお話ですか?」
「ま、まあ、そうですね」
柔らかく微笑むオレンジペコにローズヒップもまたほほ笑み、薫子も同じようにした。しかし、薫子には解せなかった。何故、彼女が“一人で”ここに来たのかが。
「でも、とっても、珍しいですわねー! 今日はダージリン様たちと一緒でないのですの?」
「……ダージリン様はちょっとお忙しいようなので」
「まさか、ダージリン戦車を設計中ですか?」
「ああ、それは物理的に無理なので、ところでお願いがあるのですが」
お願い、と言われて二人は一旦顔を見合った。オレンジペコが自分たちに一体何をお願いするのか、皆目見当がつかなかった。戦車道は勿論のこと、学業や仕草、人望面から言って、オレンジペコが困りそうなことなどなさそうに思えたからだ。
そもそも、困ったことがあればダージリンに頼めばなんでも叶うような気さえするのだ、それ故に二人はオレンジペコの頼みごとに大きく好奇心が刺激され、ローズヒップは、目を爛々と輝かせ、薫子は若干の不安を覚えた。
「何なりと仰ってくださいませわ! このローズヒップ! ペコさんのお願いなり何でもお応えいたしますわ!」
ローズヒップは席から立ち上がり、オレンジペコの手を取った。そして、騎士のように片膝をついて手の甲にキスをした。
「それはちょっと違いますよー、ローズヒップさん。それに頼むのは私の方ですから」
「それで何をお頼みに?」
「はい」
オレンジペコは薫子の質問に応える前に照れて少し赤くなった頬を隠して答えた。
「私をクルセイダーに乗せてくれませんか?」
上目遣いで、クリスタルの様な美しい瞳に見惚れて薫子は二つ返事で答えてしまった。
△
放課後、戦車道クラブが集う少し前に集まった三人は早速クルセイダーに乗車した。砲塔にティーポッドの校章が入った聖グロリアーナのクルセイダー巡航戦車に乗り込んだとき、ローズヒップと薫子は首を傾げた。
「オレンジペコさん」
「何ですか? ローズヒップさん」
「どうして、MkⅢではなく、MkⅡなのですか? 砲が小っちゃくなりますわよ」
二人が気になったのは車両そのものだった。砲塔前面がこんもりと盛り上がっており、砲身の隣に機銃がついている。普段使うMkⅢではなく、MkⅡをオレンジペコはわざわざ選んだのだ。MkⅡは2ポンド砲で攻撃力と言う点ではローズヒップたちのMkⅢに劣るのだ。
走って、撃って、逃げて。戦車道の試合でローズヒップたちの戦闘は機動力で翻弄し、弱点に6ポンド砲を撃ち込むのが常套なので、この選択が気になった。
「MkⅢでは三人乗りですから、私が乗るとなると四人乗りのこちらがいいかな、と思ったんです。砲手さんには後で合流しますので、とりあえず発進してもらっていいですか?此処まで向かってもらえれば後は指示しますので」
「まあ、そう言うことなら」
「ですわ! ですわ! それでは薫子! 戦車ぜんしーん!」
ローズヒップの言葉にとりあえず納得して薫子はローズヒップの号令の元、オレンジペコが地図で指したところを確認した後にクラッチを操作し、ペダルを踏んだ。ガソリンエンジンが起動し、車体後部から勢いよく排煙が出て行くと、クルセイダーMkⅡは前へと進みだす。
赤いタンクジャケットに身を包んだオレンジペコは車長席に座り、そのエンジンの振動を始めて感じた。チャーチルより重量が軽いせいもあってか、揺れは大きくて段差で激しく上下運動する時は「きゃっ」と驚き、次には「わあ」と感嘆の声を漏らした。
彼女の姿はお淑やかなお嬢様と言うより、公園で遊ぶ女の子のようで未体験の乗り物を心行くまで楽しんでいた。大変満足そうなオレンジペコの姿はローズヒップと薫子も見てて、一緒に楽しくなっていった。
「どうですかオレンジペコさん! このV12の暴れっぷりは?! これに薫子の運転があれば、もっともっと踊る様ですわよ!」
「ハイ! こんな早いのは初めてです! 一度乗ってみたかったんです!」
「どうしてですか?」
「私は」
オレンジペコが答えようとした時、ローズヒップが薫子の背中に足で丸を描いた。薫子は指示を受けて、操縦かんを動かしペダルを目いっぱい踏みだした。急に加速がついて、Gがかかり、オレンジペコが椅子を掴む。
「薫子! 42! 42のままですわよ!」
「言わずとも! 止まったら死んじゃう巡航戦車! 停止は即死! 減速、デス!」
「でも駆ければ、俊足! 韋駄天! このローズヒップが乗る限りはV12のエンジンには息もつかせませんわ!」
草原から抜けてアスファルトの大地に入った時、薫子が左を手前に引き、右を目一杯押し出すと、クルセイダーは前に進みながらクルッと回転しだした。履帯が舗装された道路と摩擦して火花を散らし、灰色の地面にドーナツを描きながら一回転した後にピタリと回転を停止させて再び、前進する。
「島田ターン! ニンジャ殺法ですわ! ニンニン!」
「ナポリターンよりもハッタリ利きますよ! どうです?! オレンジペコさん!」
「チャーチルでは無理ですけどね!」
これぞ、ローズヒップ車の秘儀、ドーナッツターン。敵をかく乱させるだけでなく、後で履帯や転輪の整備を面倒にしてメンバーを怒らせる殺人ターンである。
ローズヒップと薫子はテンション爆超でターンの成功に歓声を上げた。エンジンの音よりも大きな声で下手をすれば車外にも聞こえるのではないか、とオレンジペコは思った。でも、そんなことより二人に感心していた。
履帯が滑りやすい場所をローズヒップは車外を見ることなく、分かっていた。つまり彼女は場所と距離を正確に記憶していたのだ。そして、薫子の操縦も一朝一夕では見につかない。それこそ長期にわたって練習を行って来たことの証であった。
ネガティブ思考の薫子を引っ張っていくローズヒップの積極さも評価のポイントだったが戦車を楽しんでいる二人の雰囲気にオレンジペコは最も歓心を持った。そんな二人を称え、何より楽しませてもらったので、パチパチと小さな手で拍手を送った。
「凄いですね! お二人の操縦はレーサーみたいでした!」
「ですわ! それはもう! 一緒に練習して来ましたのでございますのよ!」
「私、実はクルセイダーが好きなんです!」
「マジですの!?」
「ええ!」
クルセイダーは依然として進んでいく。目的地まであとわずか。再び草原へと入り込んでいくつかの丘を越えて行く。
「そうです。好きなんです。このソロバン玉のような砲塔をキュートだって言う人もいますからね」
「そんな人いるんですの?!」
「はい」
自分達の車両を好きだと言われて喜ばないものはいない。ローズヒップたちもその例にもれず、嬉しくて、胸を反らした。オレンジペコはクスリと笑って静かに言葉を紡いでいく。
「そうです。好きな物を好きと言う。でも、時におかしな事もあるんです」
「え?」
「人は愛憎のない世界には生きていけない……そう、愛あれば憎しみもあるんです。そしてほんの少しの事で二つが入れ替わってしまうのです。例えるなら貴女方二人はクルセイダーを憎むといったように」
「そんな事ありえませんわ!」
ローズヒップはそう答えた。普段通りに元気に溢れた声と心で。反対に薫子はオレンジペコの語り掛けに不吉な予感を覚えていた。オレンジペコはこんな話し方をする人であったか、と記憶を探っていた。
「でも、私はあったんです。ですから」
クルセイダーが目的地についた時、オレンジペコは停車の指示を出した。クルセイダーはゆっくりと減速していき、完全に停止した。
「ののの?」
ついてみるとおかしな風景が広がっていた。ローズヒップがペリスコープで周りを見ると、隣には見慣れたマチルダⅡが列をなして止まっており。前には同じ様にチャーチルとマチルダの列がこっちを向いて横隊を組んでいた。
「一緒にダージリン様を倒しましょうね?」
「ホワイ?!」
素敵な笑顔で二人にオレンジペコは“お願い”をした。状況に全くついていけない二人は同時に叫んだ。
「憎む相手って」
「ダージリン様に決まっているじゃないですか。ほら、前にいるでしょう?」
「着いたら指示って」
「当然、指揮のことですよ。何の為にMkⅡを選んだかと言うとこのためです」
ここで薫子はようやく思い出した。クルセイダーMkⅡは四人乗り。6ポンド砲を無理やり搭載して三人乗りになったMkⅢと比べて車長が指揮に専念しやすく、指揮車両として用いられたことがあったことを。
「でも何故ですの?!」
『ペコ? 聞こえて?』
「……ハイ、ダージリン様」
ローズヒップの疑問をよそに通信機を手に取ってオレンジペコとダージリンが話す。
『こんな手に訴えるなんて、レディとしていかがなものかしら?』
「そうですか? ご自身の胸に反逆の理由をお聞きになっては?」
『もしかして紅茶に気まぐれでミルクをたっぷり入れたこと?』
「それもあります」
自慢の紅茶の香りを損なうようなマネをされたことを思い出し、オレンジペコの持つ通信機のレシーバーからミシリ、と悲鳴が上がる。
『では、スーパーダージリン戦車の設計を手伝わせたこと?』
「それもですね。いい加減諦めてください」
『ペコのケチ』
「はいィ?」
設計に関わった時間は合計で27時間。その内、オレンジペコの説得が七割を超える。
『では、みほさんのお話をしたこと?』
「いつもそればっかりですからね」
『だってお友達なんですもの。話したくなっちゃうわ。淑女として親しき友人のお話も楽しめないようではペコもまだまだねぇ』
「むゥ」
ぷく―とオレンジペコは頬を膨らませる。
『それともルピナスの花束をあげたからかしら?』
「しばらく、ルピナススープとかルピナスの首飾りとか異様に送って来ましたね」
『英国の誇るコメディアンが悪いわ』
「責任転換はいただけませんねダージリン様。貴女には是非“ここで責任はとまる。責任の転嫁はしない”と言って欲しいですね」
『トルーマンね。おやりになるわね』
その後も二人の問答は続いた。ゴムのチキンで小突かれた。殺人ジョークを探すのを手伝った。添い寝された、スパムだらけの昼食を食べた、英国面に落とされた、など様々な事を話していく二人に周りのメンバーは一体何故、自分たちが此処にいるのか、まるで分らなかった。
まさか、そんな痴話げんかに付き合わせる気なのか。こんなことで“聖グロリアーナ戦車道クラブ分裂問題が起こるのか。起こるにしても、せめてコチラの意見も聞いてくれと言いたかったが、二枚舌のダージリンに口で勝てる訳もない、怒ったペコに敵う物もいない、と知っていた彼女等に選択の余地などない。
『ひょっとして……』
ともなれば、せめて自分たちのこうなった原因、二人の確執の理由を知ろうと思うのが自然の流れである。
『髪型を弄って一瞬みほさんに似せたこと?』
「怒るにきまってるじゃないですかっ 私だってあんな事されたら怒ります!」
『なっ 貴方だって、最近紅茶をわざと冷ましているでしょう!』
「それどころか、粉末のお紅茶にさしあげました!」
『それをしたら! 戦争でしょう! 全車前進』
「全車戦闘開始です! ボコボコにしちゃって下さい!」
此処にいる全てのメンバーが天を仰いだ。「そんな事で!」と。せめてマシな理由が欲しかった。どうせなら、もう少しドロドロな理由であって欲しかった。それこそ、ダージリンが浮気しまくってペコが病んだと言った具合に
「ローズヒップさん! 前進です! ダージリン様をやっちゃってください!」
「ええ?! でも、ダージリン様に後で怒られちゃいますわ!」
『ルクリリ。 前進なさい、ペコを倒すのよ』
「ええ!? そんないきなり!」
戸惑った二人にオレンジペコとダージリンは同時に言った。
「ターンで倒せますよ!」
『この私が許したのよ?』
その言葉を聞いて、二人の車長はハッとして戦闘配置についた。
「薫子! ぜんしん、ぜんしーん! ペコさんのお墨付きですわ!」
『来いよ! ローズヒップ! 迷いなんか捨ててかかってこい!』
「what a lovely day!」
欲望に駆られた二者が先端を開き、周りも自棄になって戦闘を開始した。こうなったら、淑女の体裁を捨てて、地獄だろうがどこまでも付き合ってやる、と一種の諦めの元、聖グロリアーナの乙女たちは撃ち合った。
この内戦後、アッサムはダージリンとペコの二人に言った
「こんな言葉を知っている? “偉人の価値は責務にある” 隊長と次期隊長にはしっかりとこの言葉を噛みしめていただきますわ」
二人は反論できず、涙目で一緒に紅茶を飲んで仲直りをすることとなった。
「なあ、私達何してたんだろうな?」
「分かりません」
「勿論、戦車道ですわ!」
疲れ果て、倒れた者達は乙女の戦車道を再度考え直すことにした。
如何なる時でも優雅であれ――聖グロリアーナ女学院。
オレンジペコの好きな戦車はクルセイダー、意外ですよね。
元ネタはドラマCDだかの劇場版の戦車を解説するというものです。
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