職業:転生トラック運転手 年齢:42歳 年収:550万 作:ルシエド
彼は特別な人間ではない。
ただ、信じられないくらい『間が悪い』人間だった。
子供の頃に大事故のニュースを聞き、話題になると思って笑顔で友達にその事故のことを話したら、その友達の親がその事故で死んでいて、言葉のチョイスが最悪だったせいで絶交された。
台所で躓き、母親の体に体当りしてしまい、ぐつぐつと煮え滾る油がひっくり返って母の体を焼け爛れさせるだけでなく、ボヤ騒ぎに。母は体に障害が残り、家の中の空気はおかしくなった。
塾の帰り道、たまたま通り魔にあってしまい、頬をナイフで切りつけられた。傷はずっと頬に残り、その通り魔の被害は結局彼一人であったという。
六車希望は今年で31歳になるが、彼の一生はずっとこういうことの連続だった。
繰り返すが、彼は特別な人間ではない。
生まれつき格別善人でもなければ格別悪人でもなく、生まれつき強くも弱くもない、どこにもでもいる普通の人間だった。
ただ、信じられないくらい『間が悪い』人間だった。
(あーあ、世の中クソだな)
彼はそんな風に考えながら、足元から這い寄ってくる形のない不安から目を逸らし、部屋でパソコンのキーボードを叩く日々を送っていた。
今はまだ無害な彼だが、全知の九十九は六車希望が近い未来にほぼ確実にやらかす、とんでもない大事件を察知していた。
六車希望は近い将来、ネットと現実の両面から多大なストレスを受け、人が集まる街中で包丁を持って大暴れする。
最悪なのは『間が悪いことに』、その時来日していた要人が奇跡的な巡り合わせで彼の手により刺殺されてしまい、国家レベルでマズい流れが生まれてしまうということだ。
当然、九十九は彼をこの世界ではない別の世界へと送り出すことを選ぶ。
コンビニに行く途中でトラックに轢かれ、死んだ後に希望は神と出会う。
『お前が望むものは何か? 一つ、望んだものをやろう』
神は九十九と名乗らぬまま、彼にそう言った。
六車希望をこのまま別の世界に送っても意味は無い。
彼は変わるきっかけを与えられなければ今のままであり、逆に言えばきっかけさえ与えればいくらでもいい方向へと変わる可能性を秘めている。
九十九は神の
「望むもの……?」
希望は神の予想通りの思考をして、予想通りの選択に向かっていく。
"何でもやる"と言われて何かを望む場合、人は大抵欲望か劣等感から何かを望む。
欲望の場合はシンプルだ。
強くなりたいという欲望から、力を望む。
持て囃されたいという欲望から、他人に好かれる力を望む。
他人を守りたいという欲望から、守るための力を望む。
全ての人間を笑顔にしたいという欲望から、世界を変革する力を望む。
いい女を求める者も、莫大な金を求める者も、全てを手にする社会的基盤を求める者も居る。
対し劣等感は、これとは真逆だ。
いじめられていたから、いじめられないための力を求める。
自分を見下してきた人間を見返すため、見下されないための力を求める。
弱かった過去の自分を忘れるため、溺れられる力を求める。
劣等感は総じて、負の感情が下地にあるものだ。
間の悪さのせいで嫌われ、いじめられ、引きこもった希望という男性は、完全に後者だった。
「僕が望むものは一つだ」
六車希望の中で、最も大きな劣等感とは何か。
それはいじめられていた時期に散々罵られていた、己の『容姿』である。
「容姿を! 理想的な容姿をくれ!」
彼は今年で31歳。
ブクブクと太った体は、腹だけでなく体のいたる所に脂肪が付いている。
運動が足らない体は極めて不健康で、肌は色も状態も相当に不健康に見えた。
人間というものは、生まれつきの顔つきが悪くとも、手入れを怠らず表情に気を使えばかなり見れるものにはなるものだ。
だが生まれつきそこまで整った顔でない上、出来物がポツポツとあり、脂肪で醜くぶよぶよとしていて、無精髭が無残に伸びっぱなし、表情も心の状態がそのまま出ているかのようだった。
特に人を
無論、彼はいじめられ引きこもった果てにこうなっただけで、学生時代にはもう少しマシな容姿をしていた。
だが、彼は引きこもる日々の中でこう思ってもいる。
自分がいじめられたのは、自分の容姿が醜かったせいなのだと。
でなければ。
"特に理由もなく間が悪かったというだけで自分の人生が台無しになった"だなんて、納得しなければならないわけで。彼は絶対に、そんな風に納得したくなかったのだ。
「今の僕とは正反対な、こんな醜い僕とは正反対な、何もかもが正反対な容姿をくれ!」
『よかろう』
バカは死ななければ治らない。
逆に言えば、ただのバカ程度ならば死ねば治る。
そこに神が個人を構成する要素に新たなものを追加すれば、人は劇的に変わるだろう。
本を読み、その言葉に感銘を受けただけで劇的に変わるのが、人間という生き物なのだから。
かくして、六車希望は生まれ変わる。
女神・九十九の予想を、ほんの少しだけ外れながら。
希望が生まれ変わった世界は、"アイドルマスター"とも呼ばれる世界であった。
彼は新たな名を得て、この世界に生を受ける。
『絶世の美少女』という形で。
「何もかも正反対にしてくれ、って言ったからって、まさか性別まで逆にされるとは……」
女として生まれ変わった希望だが、さほど今の自分の体への違和感や嫌悪感は無さそうだ。
九十九がある程度、彼(今は彼女)の深層心理の願望を読み取っていたのかもしれない。
自分の体が別の性別になっても嫌がらない男性は少数派だろうが、元六車希望はその少数派であったようだ。
(まあ、いっか。こういうのもやってみたいなあとも思ってたし)
生まれ変わった後の彼女の苗字は日高。
彼女は日高という名を掲げ、スカウトされて流されるままにステージに立ち、国民的アイドルの道を歩んでいた。
「みんなー! 今日はステージに来てくれてありがとうー!」
「おー!」
「おーっ!」
「おーッ!」
ステージの上で多くの人の歓声を受け、この上ない歓喜に包まれながら、歌と踊りを披露し始める現日高・元六車。
ここはアイドルマスターの世界。アイドルというものの人気や社会への影響がとても大きい、アイドルが世界の主人公、と言い換えても問題がなさそうな世界だ。
『絶世の美少女』と万人に言われる日高は、アイドルの頂点に立つに相応しい容姿をしていた。
この世界におけるアイドルの評価箇所は、大まかに分けて三つ。ダンス、ボーカル、ビジュアルの三つだ。
日高はダンスもボーカルも人並みだったが、ルックスが飛び抜けている。
が、声が可愛い声優であれば多少歌唱力が無くても曲が売れるのと同じで、飛び抜けた長所は短所を愛嬌に変えてしまうものだ。
飛び抜けたルックスは、並程度のダンスとボーカルを補ってくれていた。
加え、人は成功体験で劇的に変わるものだ。
成功している内は、厳しいレッスンも苦ではなくなる。
ルックスが日高にくれた成功体験が、レッスンに打ち込もうという精神状態を生み出し、彼女の人並み程度だった能力をぐんぐん引き伸ばしていった。
いつしか彼女は、十代半ばでトップアイドルの座を揺らがぬものとする。
道の果て、道の終わり、一つのゴール。夢の終点で、彼女は何かが切れる音を聞いた。
人は変わることが出来る。良くも、悪くも。
人は神の想定を外れることが出来る。良くも、悪くも。
六車希望は、極めて希少な"神の想定を超える者"となった。
六車希望は日高の名を得て、前世と正反対の容姿を得て、ステージに立つ。
彼女のファンは、口々に彼女を褒め称えた。
「女神だ」
「美しい」
「あんな人、見たことないよ……」
何も考えず、心の声をそのまま口にして、
「あの人より美しい人って居ないよな」
「ああ。絶世の美少女だ」
「もしもあの美しさに勝てるとしたら、そりゃもう人間じゃないだろうな」
その美しさを褒める。
「あの容姿よりも価値のあるものなんてない」
「美しさの頂点だ」
「歴史に残るレベルの美しさだ」
それが、日高にどう聞こえているのか気付かぬままに。
(じゃあ)
今の自分の美しさを褒められることが、六車希望にはどう聞こえるのか、気付かぬままに。
(じゃあ、それと正反対だった、前世の僕の容姿って……)
いつからか、彼女は『今の自分の美しさ』を褒めるファンの声が、胸を抉るような苦痛にしか感じられなくなっていた。
(皆の褒め言葉の、正反対の意味合いの、言葉って―――)
整形した人が、整形前の自分の顔写真を多くの人に見られ、その顔を悪し様に言われるとする。
それで怒らない人など、居るのだろうか?
それで苦しまない人など、居るのだろうか?
それで傷付かない人など、居るのだろうか?
容姿を褒められて嬉しさを感じる日々は、いつしか容姿を褒められることを苦痛に感じる日々に変わっていった。人は、自分からだけは逃げられない。
自分の容姿からは逃げられらない。
不細工な人間が容姿を貶されることから逃げられないように、美しい人間が容姿を褒め称えられることから逃げることもできない。
整形したところで、『お前の前世の姿はこの上なく醜かった』と言われたに等しい記憶は、無くなってはくれないのだ。
(―――醜かった。僕の『本当の姿』は、誰よりも、何よりも、醜かったんだ)
楽しいのに苦痛。幸せなのに苦悩。成功しているのに苦悶。
トップアイドルになるまでの日々は拷問に等しく、トップアイドルになってしまったその瞬間、彼女の中で何かが切れてしまった。
『彼女』は『彼』であった頃、劣等感から神に優れた容姿を求めた人間だ。
すなわち、"他人からの容姿の指摘を無視できない人間"なのである。
割り切ることなど、できるわけがなかった。
「これが分不相応な願いをした罰ってわけですか、神様……!」
自分の容姿が底辺だったのではなく、女神・九十九が少しおまけで美しさを足してくれた可能性や、民衆が言っているだけで自分が至上の美しさではない可能性を。
その感情を乗り越えることで、本当の意味で過去を乗り越えることができるということを。
自分の外見以外を見て、自分を好きになってくれているファンも居るということを。
生まれ変わった後の自分の努力を、ちゃんと見てくれていた同僚が居たことを。
その視野の狭さが、
「……?」
前世で自分を虐めた全てのもの、今生で自分を褒め称えるもの、その全てが憎くて憎くてたまらなくて、何もかもに絶望し、何もかもを壊したいという衝動に飲まれかけていた日高。
少しだけでも時間があれば、彼女の頭は冷えていただろう。
だが、運命は残酷だった。
最悪なことに、彼女が頭を冷やす前に、彼女の前に運命を決める『赤い玉』が現れてしまう。
『望みが叶う』
「願いが、叶う……?」
それは物質文明の最終到達地点。
どこかの世界で人が生み出し、その世界を滅ぼしたもの。
人がその赤い玉に願えば、どんな願いでも叶えられるという夢の様な道具。
どんな願いでも無差別に叶えて"しまう"ために、幾多の世界を人の欲望で滅ぼしながら、世界を渡る赤色の『破滅』そのもの。
『何でも願えばいい』
「何でも……」
この時、彼女の脳裏に、自分が男だった最後の時の光景がよぎる。
あの時も"何でも"と言われ、欲しいものを手に入れ、結果彼女はこうして苦しんでいる。
もしこの瞬間に彼女が「あの時の失敗を繰り返してはならない」と考え、何でも願いを叶えられるという誘惑に打ち勝ち、この世界で地に足つけて生きる決意を固めていれば、何かは変わったかもしれない。
けれど彼女は、何でも願いを叶えられる権利を前にして、それを跳ね除けられなかった。
『願えば全て現実になる』
赤い玉を掴み、激情と衝動に流された冷静でない頭で、何もかもがどうでもよくなったやけっぱちな思考で、『間が悪い』ではなく、『魔が差した』彼女はやらかしてしまう。
「……全てを」
一時の気の迷いだろうと、その赤い玉は全ての願いを叶えてしまうというのに。
「全てを、全てを壊してくれ!
僕が関わった全てのものを! 僕のことを知る全てのものを!
僕が嫌うありとあらゆる世界を壊してくれ、『キングオブモンス』ッ!」
願いを叶える神にすがり、願いを叶える赤い玉にすがり。
そうして彼女は、転生した先の世界を滅ぼして、その命を終わらせた。
劣等感から来る心の歪みと、赤い玉という、九十九の全知でも知ることができなかったイレギュラーを、前世の世界に送り届けながら。
「例えば、一つの宇宙において全知全能の神が居るとしよう。
ならば、その宇宙の外側には干渉できず、その宇宙の外のことは知ることができない。
そういうことになるじゃろう?
ゆえに神は、『全知全能でありながらも全知全能ではない』という矛盾を常に抱えておる」
女神・九十九は、海岸線に祐樹と二人並んで立ちながら、水平線の向こうを見ていた。
「あの赤い玉も神の全知全能に矛盾を生む一つ。
百の世界を力の源とし、百の世界を管理する神に等しい人の科学の産物じゃ。
ゆえに、科学でありながらその所業は神の御業とも言えよう。
あんなものを作るというのだから、本当に人は侮れん。人の身に過ぎたものであっても、な」
水平線の向こうに空いた世界の穴から現れて、海の中を一直線に突っ切ってくる大きな影。
それは、全長83mの大怪獣だった。
昆虫のようなデザインの金の羽。
怪物の口の中をそのまま貼り付けたかのような、棘の生え揃った赤い腹。
青い体色に、鮮血を思わせる色合いの瞳。
胸に付けている赤い
「九十九様、あの怪獣は?」
「キングオブモンス。
奴の胸の中央に据えられた、願いを叶える赤い玉により生まれし大怪獣じゃ」
「キングオブモンス……」
「……妾の、失態の証じゃの」
九十九の想定では、転生した六車希望は世界に欠けていた部分を埋めてバランスを取り、その上でちゃんと幸せになれるはずだった。
魂に本来性別はない。
六車希望は"肉体の性別が男では絶対に幸せになれない"人間であり、アイドルマスターの世界にバランスをもたらした上で、女としての幸せを掴むはずだったのだ。
赤い玉さえ、来訪しなければ。
けれど、六車希望は九十九の予想を超えた歪みを生み出してしまい、それを赤い玉が助長した結果、最悪の事態に転がってしまったのだ。
「人には無限の可能性があり、人だけが神の予想を超えられる。
全知の知覚能力を使って知った未来の道筋を、人だけが無視して新たな道を作ることができる」
人を軽視する神が居る。
人を重視する神が居る。
九十九は後者であり、人の可能性を知り、人の叡智と愚かさがその可能性を良くも悪くも活かしてしまうことを知り、その上で人を信じる神だった。
「だから妾は……お前達人の手を借りるのじゃ」
神に仕事を任せられる一ノ瀬祐樹という男の存在が、九十九という神の在り方を象徴している。
「神には分からず、人にだけ分かるということも、時にはあるからの」
「九十九様……」
九十九はこうして、人の可能性が人の世界に牙を剥くたびに思うのだ。
神は人の手を借り、人の心を借りなければ。全知の力を持っていたとしても、人と人の世界の未来を予想し守ることなどできやしないのだ、と。
九十九は全知と全能を用いて六車希望の幸福を確定させようとした。
六車希望は神の予想を超え、神の手の平の上から飛び出し、不幸になりながら一つ世界を滅ぼした。
今は亡き六車希望に心中で懺悔をしているであろう九十九を見て、祐樹は居てもたっても居られず、心の熱に突き動かされるままに海に向かおうとする。
「俺が出ます」
「やめい、ユウキ」
「あなたが人の世界を守るなら。俺があなたを守ります」
九十九の目を真っ直ぐに見て、そう言う祐樹。
しかし九十九はまったくたじろぐことなく、静かな言葉で祐樹を諭し始める。
「今のお前は今日までの戦いの傷のせいで、全盛期の1%ほどの力もないじゃろう。
昔ならいざ知らず、今のそなたにあれに勝てるだけの力はない。
まして、あの怪獣は赤い玉を取り込んでおる。
その赤い玉には六車希望の残留思念が取り憑いていると来た。
あれは圧倒的な力で短時間に叩き潰さねば、無限に進化を続けるモノじゃ」
「あなたの予想を超えた人間が、あれを産んでしまったのなら。
同じ人間として俺がケツを拭きます。同じように、あなたの予想を超えて」
「馬鹿者。これ以上、無為に死人を出してはならんのだ。妾が出る」
自分が出る、お前は下がってろ、の押し問答。
キングオブモンスの上陸まで時間があるとはいえ、修羅場をくぐってきた余裕が垣間見える一幕だ。九十九は強情な祐樹を言いくるめてから行こうと考えるが、そこで、突如空を見上げる。
「む」
そして、童女のように笑った。
「……ふふっ。ああ、なるほど、確かにお主ならば、このタイミングで来ることができる、か」
「九十九様?」
九十九の脳裏に浮かぶのは、かつて話したことのある神の一人の姿。
その神は自分が神であると思っておらず、されど神に近しい力を持ち、幾多の宇宙で神のように信仰され、自分が管理していない遠く離れた宇宙のことすら知覚する。
力強き神。
諦めない心に応じる神。
かつて、一ノ瀬祐樹に力を貸していた神。
「覚えているかのう、ユウキ。
お前が15の時じゃ。お前がまだ正義に燃えていて、人助けが趣味だった頃のことじゃ」
「え? あ、はい」
「あの頃のことを、この世界のことを、あやつも憶えていたようじゃの」
「……あ、ああっ!?」
空に世界から世界へと繋がる穴が空き、そこから銀色の巨人が現れる。
その巨人を見て、祐樹は思わず声を上げた。
「う……『ウルトラマンノア』!?」
二十年以上前、共に戦った
そして祐樹に背を向けて、キングオブモンスと対峙した。
神と呼ばれるウルトラマンたるウルトラマンノアは、海に足を着けて走っているとは思えないスピードで距離を詰め、キングオブモンスの腹にアッパー気味のボディーブローを放つ。
キングオブモンスは苦悶の声を上げ、8万2千tの巨体が20mほど上方に吹っ飛んだ。
「……九十九様」
「なんじゃ」
「ウルトラマンは、今の俺を見て、どう思うんでしょう」
ノアが一兆度の熱を込めたパンチを放ち、キングオブモンスがそれを必死に避けて飛翔。
それを追って飛び立ったノアを見ながら、祐樹は躊躇いがちな声で呟く。
「子供の頃、あの大きな姿に憧れて。
ウルトラマンと一体化して戦って。
でも今は、あの頃の俺の中にあったものは何も無い」
子供の頃は、力の弱ったウルトラマンノアに選ばれたこともあった。けれど今はどうだろう、と一ノ瀬祐樹は思わずには居られない。
今の祐樹は、若かりし頃の祐樹とはまるで違う。
「今の俺に、正義の味方とかはできない。
子供の頃に夢と理想を追ってただけのくたびれたオッサンだ。
あの銀色の巨人に羨望の目を向けていた子供が、こんなになっちまってて……」
ウルトラマンを見て笑顔を浮かべていた子供が、人殺しを仕事にしている擦り切れて汚れた中年男になったのを見て、ウルトラマンはどう思うのか。祐樹は気になって仕方がない。
時の流れが、少しだけ彼を不安にさせていた。
今の自分の在り方が、ウルトラマンに『悪』と見られてしまったら、と彼は思ってしまう。
どんな形であれ、今の彼は人を殺しながら生きていて、彼はそこに少々の罪悪感を覚えてもいるのだから、その考え方も当然か。
「失望で、済めばいいんですが」
その気持ちは、なりたい大人になれないまま歳を重ねて、絶対になりたくないと思っていたタイプの大人になってしまった男が、玩具屋で子供の頃に大好きだったウルトラマンの人形を手にとった時、心に僅かに浮かぶ感情に近かった。
「心配無用じゃ。心の狭い神など居るものか」
「九十九様……」
「答えはすぐに出るじゃろう。見ておれ」
九十九に促され、祐樹は海のウルトラマンノアとキングオブモンスに目を向ける。
キングオブモンスは赤い玉と、そこにこびり付いた一人の人間の残留思念により、数秒に一度自身の戦闘力を倍にしていく。
戦闘開始から数秒後には1だった戦闘力が2に。それでも勝てない。
更に数秒、戦闘力は4に。それでも勝てない。追加で数秒、戦闘力は8に。けれども勝てない。
16になる。されど勝てない。32倍に。なのに勝てない。64倍。全く歯がたたない。
128倍。力の差が見えてくる。256倍まで行った頃には、戦闘に時間をかけすぎたキングオブモンスはウルトラマンノアに散々傷めつけられていて、もう立ち上がることもできていなかった。
キングオブモンスは強い。
その能力も反則中の反則だ。
だが、『次元が違う相手に勝てるほどではない』。
ウルトラマンは左右の手をクロスさせ、そこから発射する必殺光線で怪獣を蒸発させる。
二分以内に怪獣を片付けるという、ウルトラマンらしい余裕の見せ方だった。
「終わったようじゃな。こっちに来るぞ」
戦いを終えたウルトラマンノアが、祐樹と九十九の前に降り立つ。
そして、祐樹をじっと見た。
祐樹は一歩前に出て、ウルトラマンノアと向き合う。
今この時だけは、40を超えているはずの彼が、どこか少年のようにも見えた。
「ウルトラマン! 俺、俺……」
祐樹が口ごもるのを見て、ノアは静かにゆったりと『頷く』。
その頷きは、全てを分かっているようで。
その頷きは、全てを肯定してくれているようで。
言葉がないからこそ神聖さを内包し、万の言葉よりも深い意味を伝える頷きだった。
ウルトラマンが人を見下ろしながら、人の目を真っ直ぐに見て、ゆったりと頷く。
頷くこと自体は特別なものではないが、その所作から伝わる想いこそが特別だった。
「―――!」
祐樹が息を呑む。
ウルトラマンノアは一ノ瀬祐樹の人生の全てを知っていて、その上で肯定してやった。
人の素晴らしさも愚かさも知って、その上で肯定してやる、寛容で優しい神のように。
幾多の宇宙でウルトラマンノアを神と信仰する人間が居る理由が、垣間見える。
九十九は感極まった様子の祐樹を抱き寄せ、可愛らしい仕草で彼を抱き留め、かつての
「ノア。"これ"は、妾に任せておけ。悪いようにはせんよ」
ウルトラマンはそれを見て、今度は九十九を見てゆったりと頷いた。
神は全知全能だ。それ以上でも、以下でもない。
全知の神が見た未来の可能性の全てを踏破し、全知の力ですら見通せない未来の可能性を作ることは、人間にしかできない。神には、自分が全知で観測した事象を覆すことはできない。
1から100の方法があり、その全てを行うことができることを、全能と呼ぶのなら。
101個目の方法を生み出すことが出来るのが、人間だ。
だからこそウルトラマンノアも、九十九も、人と共に歩むのだ。
神に足りないものを、人の力で補うために。
神でさえ人のせいでミスをすることはある。ならば、神とて一人では完全ではないのだ。
人のためにその力のほとんどを使い果たすこともあるだろう。人が神の天敵を造ることもあるだろう。人が自業自得で滅びかけることもあるだろう。人が神を憎むこともあるだろう。
それでも、一人ではない。
「ありがとう、ウルトラマン」
祐樹が礼を言うと、怪獣を倒したウルトラマンノアは去っていく。
去って行く神を見送る祐樹を横目に見ながら、九十九はキングオブモンスが持っていた赤い玉に捕まり、囚われていた、アイドルマスターの世界に送った一つの魂を抱きしめる。
「神がミスなどと、本来は許されんことなのにのう……」
愛を込めて、抱きしめる。
「すまなかった」
そうしてその魂に全てを忘れさせ、輪廻の輪に乗せた。
「せめて、そなたの次の人生に、幸福を」
次の生こそは幸せになれと、実際に効果のある神の優しい祈りを込めて。
「さて」
「どこへ?」
「後始末じゃ。せめて、奴の罪だけは消してやりたい」
九十九は六車希望が壊した世界を、世界ごと時間を巻き戻す。
世界は崩壊する前の状態に戻ったが、これほどの大技にはそれ相応のデメリットがある。
一つの世界の時間だけを巻き戻した結果、周囲の世界の時間の流れと、対象となる世界の時間の流れの間に『摩擦』が発生し、時間を巻き戻した世界の周囲の世界に悪い影響が出てしまうのだ。
それこそ、大災害で済めば御の字という規模の、悪い影響が。
合理的に考えれば、悪手としか言いようがない。
だが九十九は、六車希望の罪を無かったことにしてやりたかった。
その罪を代わりに償ってやりたいと思っていた。
九十九がそんな神だからこそ、祐樹はその手伝いをしたいと、何度でも心の底から思える。
「お手伝いします、九十九様」
人間がやらかしたことの後始末を、人間として責任をもってやる、とその目は語っている。
「ああ、ついて来い。妾の足になる権利をやろう」
九十九は微笑み、ウルトラマンの肯定で少し前よりも成長した男の目を見て、ちょっとばかり頼り甲斐を感じた。
人と神は、今日も転生トラックでどこぞへと駆けていた。