闇を白々と照らして、丸く音もなく浮く、月……今夜はそれが一つきり。
ルイズが間借りした部屋のベランダで、ベイクドポテトをかじりつつ、マイン・クラフトは世界と向き合っていた。
見下ろせばポツポツと灯る数十の窓と、川のように光を連ねる街灯の道と、池か湖かという態で強く浮かび上がる噴水広場が確認できる。少し離れたところでは今日一日をかけて開墾した段々畑が、まるでそこだけは日中であるとばかりに暗がりを寄せ付けない在り様を示している。
あるいは、ここは月を奉じた町だったのかもしれない。
星空のような幽玄さを目指した街並みだったのかもしれない。
しかしそれを認めることはできないから、マインは地平へと目をやった。空と地の境界線を視界におさめれば、はたして影に塗り込められているのは地の側だ。それが現実だ。理想の空は美しくも遠い。マインはいつだって影の側にいて陰より迫る脅威を打ち払って生きている……まあ、素材収集目的もあるが。糸とか火薬とかエンダーパールとか。
「マイン」
振り向くとルイズが立っていたから、マインはコクリと頷いてみせた。
そうだそれでいい。振り向いたら突然ルイズとか、遠くから猛烈に迫るルイズとか、理屈抜きの危機感にハラハラドキドキするのは御免である。爆発とは最大の脅威なのだから。
「あんたはいつも遠くを見てるわね。何かに焦がれるように……期待して、夢中になって」
ピンク頭が隣にやってきたから、マインはパンプキンパイを一つ手渡した。
そうだ食うがいい。鶏猫牛といいエンダードラゴンもどきといい、食料の提供こそが最も友好的かつ効果的な関わり方であった。今のところルイズの好みはこれだ。本来ならば大量に用意したいところだが。
「……ほんとはわかってる。マイン。あんたは一つ所に縛られるような存在じゃない。冒険して、開拓して、建築して……そうやって生きていくのよね。楽しそうに、誇らしげに」
問題は、砂糖だ。
この世界の水場にはどこを探してもサトウキビが生えていない。砂糖を入手するためには黒色頭部と取引しなければならず効率が悪いのだ。どうしてスタック単位でやり取りができないのだろうか。いっそラージチェスト単位でも構わないところだというのに。
「そんなに辛そうな顔しないで? この任務が終わったら、わたし、使い魔のルーンを解除する方法について調べるから。きっとあんたを世界に解き放つわ。自由に、どこまでも遠くへ飛んでいけるように……」
サトウキビといえば、それは紙の材料でもある。
紙もまた重要な素材だ。革と合わせて本と成し、本を集めて本棚とする。そして本棚を四角く配置することでエンチャントテーブルの力を最大限まで高めるのだ。それは最も重要にして最も高価な施設の構築を意味する。
「一緒に行けたら素敵だろうなって、思うの。きっと毎日が発見の連続で、世界をもっともっと好きになれる気がするわ。姫さまの話を聞いたから、尚更にそう思うのかしら」
しかし、本については思わぬ収獲があった。
大村落でクモの巣採集をしていたある日、中央塔の一画で驚くべき数量の本棚を発見したのだ。地下遺跡の図書室以上の規模に圧倒されることしばし……マインは喜々としてダイヤ斧を振るった。効率強化エンチャントの斧だからといって、ついつい興に乗ってしまった。それもまた楽しい思い出である。
「フフ、ありがとう。マインも素敵って思ってくれるのね。マインが旅立つその時には幻獣を用意するわ。グリフォンでもウィンドドラゴンでも、他のでも……速くてカッコいいのを買って、わたしの使い魔でいてくれたお礼としてプレゼントする。約束する。だから……だから、真っ直ぐに飛び去ってね? わたしは笑顔でそれを見送るから」
最初はどうなることかと思った、このジ・エンドならざる異世界での暮らし……気がつけば元の世界での日々よりも充実感を覚えている己に気づいたのは、いつの、どの瞬間だったろうか。マインは月を見上げた。
「わたし、ワルドと結婚するわ」
不思議な生き物と遭遇した時か。豪勢な食事をした時か。金色頭部をハアンと鳴かせた時か。
どれも魅力的な出来事ではあったが、違う。左手を見る。これまできちんと認識することすらなかったそれでもって剣を握った衝撃……いや、その衝撃自体ではなくて……それを思いつかせた切っ掛けを思う。
「昨日の晩にね、プロポーズされたの。別にそれでクラッと来たわけじゃないのよ? むしろちょっとムカついたわ。だって、適当なことばかり言って、それでわたしのご機嫌をとれると思ってるみたいだった。対等に見られてないってことなんだろうけど……それも仕方ないってわかるけど」
ピンク色を見る。隣で揺れているその色を、マインはじっと見つめた。
村人もどきのようで、クリーパーのようで、それでいてどちらとも違う不思議な個体……ルイズ。一緒にいることが当然のように思う気持ちは、そのままに、この世界で生きることに満足する気持ちではないだろうか。
「でも、結婚する。ヴァリエール家は強力なメイジの血を欲しているの。軍才もね。父さまは明言しないけど、母さまが……公爵家とつり合いがとれるはずもない家柄の人間が公爵夫人になれた理由なんて、それ以外に考えられないもの。貴族にとって婚姻は政治。姫さまがゲルマニア皇帝に嫁ぐのと同じこと。そこに誇りを持てなかったら……わたしは貴族じゃなくなっちゃう……魔法だって、ああなのに……そうわかってるのに……!」
ルイズ。ルイズ。
マインはその言葉の響きを楽しんだ。思えばそれはマインにとって初めて知る「名乗られた名」だ。バケツや豚肉といった「他との識別のための名称」ではなく、エンダードラゴンやウィザースケルトンといった「誰かが名付けた名」でもなく、村人もどきやパワーストーンといった「マインが名付けた名」でもない。
「なのに……マイン……どうして、そんな風に、わたしの名前を呼ぶの?」
ルイズ。
それはマインにとって初めての「他人」なのだ。
「マイン……マイン!?」
ルイズが叫んだ。マインは振り向いた。
月を隠すほどの巨大な影がそこにいた。岩山がそのままに動き出したようなそれは、肩に二体の村人もどきを乗せていた。
片方はどこか似たような状況で見たような覚えがあり、もう片方は妙にボロボロの剣とも棒ともつかないものを手に構えていたから、マインは首を傾げた。