碧く揺らめく外典にて   作:つぎはぎ

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終わりを語ろう

亡霊の無様さを語ろう

みっともない嘆きを語ろう




彼と彼女の物語

  これが最後の夢

 

  彼と彼女の終わりの物語

 

  外典への前日譚

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

  純潔の狩人が娶られて月が何度昇り、沈んだことか。

  夫婦の関係になった二人はただ、旅を続けた。

  行く当てなど何処にもない。何処に辿り着くかさえ考えず、大地が続く限り歩く。

  時には獣に作物を食い荒らされた村を救い、森に迷い込んだ子供を助け親の元へ送り返し、狩りの腕に自信があるという男の挑戦を受けたりと、英雄であるアタランテの側にヒッポメネスは常にいた。

 

  二人の関係は夫婦であった。だが、言葉に当てはめられるほどに愛し合ってはいなかった。

 

  アタランテは何故ヒッポメネスが自分を娶り、国と名誉を捨ててまでこの旅を続けているのか分からなかった。

  それについて彼に幾度か尋ねたことはあっても、彼はいつもはぐらかす。やがて抱いていた疑問は時が経つにつれて関心も薄くなり、ヒッポメネスが共にいることが自然だと思い始めた時には消え去っていた。

 

  ヒッポメネスはアタランテを娶ったのにも関わらず、ただの一度たりとも旅に出た理由を語らない。

  彼は多いに恥じて、怖がっていた。アタランテを妻として迎えたきっかけの競争。三つのリンゴを使い彼女を出し抜いた結果、彼の思いは彼女にとって全て虚偽でしかなく、届くことはないと諦めていた。だからこそ彼はせめて、彼女には幸せになってもらおうと願う。その為ならば、なんでもしようと決意している。

 

  だから彼女と彼の想いは何一つ交わらず、片方が知るのはありふれた日常から見つけた一面で、片方は一方的な救済を考えている。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  アタランテは子供が好きだった。彼等の笑顔を見ると自然に微笑み、優しい声音となる。

  子供がそんなに好きなのかと尋ねた時、彼女は『彼等は希望だ』と応えた。

 

「世界は無情だ。強き者が弱き者を喰らうのは自然であるが、それでも子供達が喰らわれるのは…痛い」

 

  そう語る彼女の目はとても悲しそうだったことを覚えている。

 

「見てみろヒッポメネス。子供達の親のあの目を、とても暖かく、優しいものだ」

 

  最初は憧れだったのだろう。自分とは違い、親の庇護の元に育てられた子供達が普通に守られて、心より温められていたのを。

  やがて彼女は成長し多くの感動と悲劇を目にし、一つの答えへと辿り着いた。

 

「あの眼差しこそが必要だ。あの暖かな想いがあれば…悲劇は生まれない。もう涙を流さなくてもいいんだ」

 

  その答えに辿り着く道程には自分が含まれているのだろう。それに気づき、悔いながら目を深く閉じる。

  騙し、策略に掛け、望まぬ婚姻をさせた男。その男との出会いによりアタランテはその答えを導いた。

 

  己の過去、悲劇、同情、羨望、そして温もり。この要素からアタランテは未来(嘆き)を呟いた。

 

「…子が親に愛される。そんな当たり前の循環があればよかったのに」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  婚姻騒動から年月が経った。

  ヒッポメネスとアタランテの二人はアルカディアの地を抜け、ギリシャの大地を歩き回っていた。

  道が続く限り前へ進み、夜になると雨除けとなる木の下や洞窟寝泊まりする生活だったが、偶然に立ち寄った村で二人は悲劇に立ち会った。

 

  村には約百に近い村民が暮らしており、戦場や神々の怒りに触れることなく穏やかな日々を過ごしていたらしい。

  だが、それも突如終わりを迎えることとなっていた。

 

  疫病が流行りはじめていたのだ。

 

  原因は何か、何処からやってきたのかは分からなかった。ただ流行りはじめた病魔は老若男女関係なく村民の体を蝕んでいた。

  最初、ヒッポメネスとアタランテは驚いたものの直ぐに落ち着きを取り戻した。

  今まで立ち寄った町や村でも疫病は珍しくなかった。疫病が流行りはじめるのは神の怒りに触れたから。それがこの時代にとって当たり前の事実だった。

  だからヒッポメネスとアタランテは村を避けることとした。

  無情にも思えるが神の怒りを肩代わりする訳にはいかない。何よりも解決する手段がない。

  かつてアタランテが相手したカリュドンの猪のような獣が神罰なら手を貸せられたもののヒッポメネスとアタランテには医術の知識はない。

  だから、ここで自分達がやれることはない。そう割り切り去ろうとした。

 

 

 

  二人が病に苦しむ子供を見つけるまでは。

 

 

 

  道を引き返そうとした時に鉢合わせてしまった少年と二人は会ってしまった。

  少年は苦しむ肉体を気力で奮い立たせ、何かを両手一杯に抱えて村へと急いでいた。だが幼い体は気力だけでは保たず、アタランテの近くで倒れこんでしまった。

  咄嗟に少年を受け止めたアタランテは彼が持っていた物を見て唖然とした。

  大量の雑草と野鳥の死骸。

 

  雑草の中には薬と成り得る薬草が混じり、野鳥は必死に捕まえようとしたのかズタズタだった。

 

  意識が途切れそうになりながらも少年は受け止めたアタランテに懇願した。必死に、泣きそうになりながらも、小さな声を振り絞り、願った。

 

 

 

  ーーーたす、けて

 

 

 

  少年を担ぎ、村の中にある少年の家へと向かったアタランテとヒッポメネス。

  少年の家へと入ると彼の父らしき男と、寝室で冷たくなった母親らしき女性がいた。

  この少年は苦しむ母を助けようと村を出て薬となる薬草と体力をつけるべく肉を探して村を出たらしい。

  だが、少年は薬となる薬草を知らないし、狩りの知識は皆無だった。

  必死になって持ち帰ったものは殆ど使えなかった。だが、代わりに純潔の狩人とその夫を動かした。

 

  ヒッポメネスは少年とその父を看病し、アタランテは薬草や獣の肉を調達しに森へ出向いた。

  水に特化したヒッポメネスは治癒魔術で疫病の治療を試みたが、ヒッポメネスの魔術は治癒が限界。“治療”には向いていなかった。だから治癒魔術でせめても苦痛を緩和しようと魔術の行使を続けた。

  アタランテも精をつけるためにと獣を狩り、肉を調達してきたものの肉を噛み千切れるほどの力が少年とその父にはなかった。薬草を煎じて飲ませてみるも、病の元に薬草の効果は発揮しない。

 

  二人が親子を看病しにきて数日が経ち始めた頃、他の村民達がヒッポメネス達に救いを求めて近寄ってきた。

  徐々に病魔によって体が弱り始めてくるなかに、外からきた健康な二人。看病を求めても仕方ないことだろう。

  だが、親子を今の状態で保つことが精一杯の二人に他の村民を助けれる余裕はなかった。

 

  縋る手を振り解こうかと考えた。だがーーー

 

  アタランテとヒッポメネスに縋る手には、少年よりも幼い子供が多くいた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  どうしようもない。村の集会所に集められた病人達は村民の殆どの数だった。辛うじて動けれる者もやがては横に眠らされている者達に加わることとなるのは見えている。

 

「…ヒッポメネス」

 

  皮の籠手を外すアタランテの手を見れば弓の弦を引きすぎた所為で血豆ができ、潰れて出血していた。

 

  「貸して」

 

  問いかけられた声に応えるよりも先にヒッポメネスは彼女の手を取り、擦った薬草を浸した布切れで指先を保護した。

 

「すまない」

 

  そう呟いてはアタランテは体を丸め、両手で両膝を抱えた。

 

「私は、あの子達を救いたかった」

 

「…僕もだよ」

 

  紛れも無い本心だ。苦しむ幼童を見て、心が淀むような感覚が一日中続く。子供を愛するアタランテにとってその感覚はヒッポメネス以上のものだろう。

 

「だが、できなかった」

 

  アタランテとヒッポメネスの前には全身に布を被せられた十にも満たない少女が静かに横たわっていた。胸は上下せず、体から生気を感じ取れない冷たい体。

  アタランテとヒッポメネスが村民全員を看病しはじめて四日経って、少女は短い命を病によって奪われてしまった。

 

「無力だ。酷く無力だ」

 

  少女の親達は少女より先に病により先立ってしまった。アタランテはその少女の心が挫けないようにとなるべく近くにいた。だが、心よりも先に少女の肉体が限界を迎えてしまったのだ。

  俯き、震える彼女の体をヒッポメネスはそっと抱きしめた。

  悲しみでも、怒りでもなんでもいい。あらゆる激情を自分の胸にぶつけてもらってもいい。

  ヒッポメネスはアタランテを静かに引き寄せた。当の本人は抗うことはない。ヒッポメネスの胸に頭を置いて、暗い感情で歪められた顔を隠した。

 

 

「何も、できないのか」

 

 

  ヒッポメネスは黙考する。ひたすら考え続けた。病が村民の命を奪い続け、彼女の心を引き裂いていく。失われる命を防ぎたいのに、防ぐ手段が見当たらない。相手は自然の脅威、神による罰なのか、それともただ自然から生み出された罰なのか。

  神罰なら罪を犯した者がいるはずなのに、村民の皆の誰もが覚えがないと口にする。罪人を探してはみたが、誰もいなかった。

  自然の脅威なら現状は最悪といっていい。病を治せる治癒師を探しにいけば間に合わず、多くの者は死に絶えて生き残りは十分の一以下となるのが見えている。然りとてこのまま看病をしていても結果は同様だ。

 

  選ぶほど、選択肢はない。

  多くでも救える可能性のため、村を出る。

 

  それを告げるしかない。今にも泣きそうな妻の前で、はっきりと。

 

  彼女に告げるべく両腕を離し、俯く彼女の顔を持ち上げた。

 

「アタランテ」

 

  辛く、今にも泣きそうな顔はあまり見たくなかった。こんな顔、婚姻騒動の時以来だろう。

 

「僕達が」

 

  言うべきだ。救う為に一度、見捨てなければならないことを。一人だけで治癒師を探すより、二人の方が可能性は高くなる。だから、言わなければ、『見捨てろ』と。

 

「すべき事はーーー」

 

  その次の言葉を紡ぐ前にアタランテの顔は歪んだ。彼女も浅はかではない。ヒッポメネスが考えたことを、アタランテも思いついていたのだろう。

  だが選びたくなかった。子供達を見捨てる選択など取れるはずもないのだから。

 

  背きたい。今すぐ彼女の顔から違うものに逃避したい。

  しかし、ヒッポメネスは彼女の夫だ。夫だからこそ共に逃げるのではなく、外れた道を直すために敢えて苦言を齎さなければならない。

 

  そう、ヒッポメネスは夫だから。

 

  彼女を黄金の林檎で手に入れた卑怯者ーーー

 

  ………黄金の、林檎?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  これでよかったと、アタランテは語ってくれた。嬉しそうに口元を綻ばせながら、言ってくれた。

  ヒッポメネスとアタランテの前に広がる景色は暖かなもので満ちていた。

 

  病が治り、互いの健康を祝い、抱きしめ合う村民達。

 

  ヒッポメネスは大きな陶器を抱えていた。陶器の中には村民が作った葡萄酒の残りと、砕かれて粉々になった果物の破片が浮いていた。

 

  ヒッポメネスとアタランテが村民を助ける為に取った方法。それはーーー

 

 

 

 

 

 

  黄金の林檎を村民に()()()()()ことだった。

 

 

 

 

 

  黄金の林檎は食べれば不老不死を得る神々の秘宝。ヒッポメネスはアタランテを妻として手に入れる時、アフロディーテより授けられたもので彼女との競走で勝った後、使うこともなく持ち続けていた。

 

  食べれば不死となる果実があれば村民を救えるのではないか?

  そう考えたヒッポメネスは所持している三つの黄金の林檎のうち一つを取り出した。

  林檎の果肉が不老不死を得る理由ならば、その果汁にも不死の加護が宿っている。

 

  だからこそまず砕いた。丁寧に力強く、形が崩れ液体になるまで擦り続けた。そして次は葡萄酒に混ぜ込んだ。

 

  この世にはネクタルと呼ばれる神の酒がある。それは神々にしか許されぬ、不老の源。

  ヒッポメネスはそれを真似ようと砕いた黄金の林檎を果実酒に混ぜ込んだ『擬似神酒』を作り上げた。

 

  擬似神酒を村民一人一人に飲ませると、村民の病は消え、肉体は病に罹る前よりも屈強なものとなった。

  村民はヒッポメネスとアタランテに感謝し、お礼として宴を行うと言ったが二人はそれを断り、早々と村を去っていった。

  ヒッポメネスとアタランテは宴が嫌なわけではなかった。英雄としてもてなされる事も、感謝される事も。

  二人が村を出た理由は一つ、神の怒りが彼等にふりかからないようにするためだ。

 

  擬似とはいえ神酒を真似た物を作った。女神より授けられた物を妻以外の者に使った。それだけでも神の怒りに触れるのには充分過ぎた。

  それをヒッポメネスとアタランテは甘んじることなく受け入れた。神の怒りを受ける覚悟で彼等に偽物の神酒を与えたのだった。

 

「子供達が健やかに育ち、親に愛される未来の為だ。後悔などない。どんな罰だろうが、受け入れようとも。…だが、お前は違う」

 

  申し訳なさそうに目を下に下げるアタランテはヒッポメネスに謝った。

 

「私の我儘にお前を巻き込んだ。お前には罪はない。お前だけでも…」

 

  ヒッポメネスは少し怒ったような顔をして、アタランテに告げる。

 

「アタランテ。僕だって覚悟の上で女神から与えられた林檎を使ったんだ。神の怒りは僕にも向けられている。…それに、君一人に罪を負わせるのは都合が良さすぎるというものだよ」

 

「…すまない」

 

  それから二人の間には会話はなく、人気がない獣道を進んでいく。目指すべき場所はかつて女神を崇めていた神域。

  その場所で、罰を受けようと二人は歩み続けた。

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

  指は五本、両手で十本。足は二足で、目は前についている。体を覆う体毛は無くなり、鋭い犬歯は無くなっていた。体の調子を確かめるべく体を弓のようにしならせて、両手を天へと伸ばす。体の力を抜き、手を頭の上に乗せるとーーー柔らかい感触を手に感じる。

 

  頭の横ではなく、上から周りの音を聴取する。草が風で擦れる音や遠くの小鳥の囀りさえ今では鮮明に聞き取れた。

  そして腰部近くに意識を向けると、フリフリと揺れる“尻尾”があった。

 

「ヒッポメネス」

 

  振り返ると妻であり、純潔の狩人であるアタランテが翠緑の衣装に着直していた。翠緑の衣装自体珍しいことではない。森に溶け込むために自然を基調とした色を好む彼女だが、違和感を覚えるのは頭部だった。

 

「やはりお前もか」

 

「君もだねぇ」

 

  互いに見つめているのは互いの頭部。二人とも頭部にーーー獅子の耳が生えていた。

 

 

 

  二人は女神ーーーアフロディーテより神罰を受けた。黄金の林檎を授けたというのに感謝せず、砕くという不敬に女神は激怒した。

  女神が与えた罰は、二人を獅子の姿へと変える呪いであった。

  獅子に姿を変えられた二人は暫くの時間彷徨うこととなった。獅子の姿では人々から恐れられ、血気盛んな者なら狩ろうとしてくる。

  獅子となった身として、二人は森の奥で潜むこととした。

  人間の身には戻れない。だが二人は後悔などない。アタランテは熊に育てられたことだけあって獅子の生活に不自由さはなかったが、ヒッポメネスは最初だけ戸惑ったものの時間が経つごとに慣れていった。

 

  獅子の生活が暫く経った頃、ヒッポメネスは獲物を追い森の中を疾走していた。狙うのは猪。巨大な体躯となった彼は四足で大地をかける。人間の頃よりも早い足に猪はすぐに捕まえれた。しかし意外に猪が粘ったため、森を抜けて木が一つもない草原に出てしまった。

  幸いなことに人は一人もいない。ヒッポメネスは付け狙うものもいないと安堵し、猪の首筋に牙を突き立てて持って帰ろうとした時。

 

  空から雷のような轟音が聞こえ、空を見上げた。

 

  すると空から馬に引かれる戦車がこちらへと推進してきている。呆気に取られたヒッポメネスは遅れて退避行動を取る。

  ギリギリで避けた為、鬣に戦車の輪が僅かに擦りーーーそれだけで派手に吹き飛ばされた。

  超高速で進む戦車が纏う空気は直撃すればそれだけで四肢を吹き飛ばす。掠っただけでも獅子の体が吹き飛ぶのは実に分かりやすい。

  ヒッポメネスは地面へと叩きつけられ、僅かに抜かれた鬣から血が滲む。

 

  倒れ伏せる獅子に近づく者がいた。その者は、この世の者とは思えぬほど美しい人だったーーー

 

 

 

  その人の名は、キュベレー。大地母神と名高き女神だった。

  女神キュベレーは戦車で走行中、間違えてヒッポメネスを轢いてしまったのだ。最初は獅子がなぜこんなところにと疑問を持ったが、 キュベレーがヒッポメネスに近づいた瞬間、元が人間だとすぐに彼女は気づいた。

 

  そしてキュベレーはヒッポメネスになぜこの様な姿になっているのかと質問した。ヒッポメネスは嘘偽りなく、全てを話した。

  全てを聞いたキュベレーは頷き、こう言った。

 

  ーーー分かりました。私がなんとかしましょう。

 

  そう言うとキュベレーは戦車に乗り、去っていった。なんだったのだろうかと、ヒッポメネスは傷ついた体でアタランテの元へと帰った。

  すると帰る途中で体に異変を感じた。全身に駆け巡る謎の感触に身を捩ると、たちまち体が獅子から人間へと戻っていった。

  キュベレーは轢いてしまったお詫びにアフロディーテの元へ行き、二人を元の姿へ戻す様に説得した。キュベレーの説得により、アフロディーテは獅子の呪いを解いた。

  人間へと戻ったヒッポメネスはキュベレーのお陰だと悟り、意気揚々とアタランテの元へと帰った。

 

  帰った直後、人間の姿で全裸となっているアタランテがいて、ヒッポメネスは殴り飛ばされた。

 

  神の罰は終わり、獅子から人間へと戻れたのはいいが呪いの後遺症により二人は獅子の耳と尻尾が生えていた。

  ヒッポメネスは獅子の時の感覚が僅かに残り戸惑ったがアタランテには悪い気はないようだ。

  森の奥から久々に出た二人はまず擬似神酒で救った村に向かうことにした。以前は神の罰に巻き込まないようにと急いで出た為にまともな挨拶ができなかった。元気になった子供達の姿を見たいとアタランテも賛成し、二人は救った村へ足を運び

 

 

 

  待っていたのは武器を構えた村民達だった。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  二人は状況を理解するのに遅れてしまい、ヒッポメネスは飛来した矢に膝を貫かれてしまった。

  痛みに必死に耐えながら倒れることだけは阻止し、村民達を睨んだ。アタランテは弓を構え威嚇し、叫んだ。

 

「何故だ!なぜ汝らが吾々を襲う!」

 

  誰よりも疾い狩人の咆哮は村民達を怯ませたが引く事はなかった。村民はアタランテーーーいや、ヒッポメネスの方を睨み叫び返した。

 

「黄金の林檎を寄越せ!!」

 

  彼等の目には恐怖よりも物欲に染められた禍々しいものに染められていた。男も女も、老人も若者も、武器を構える全員が同じような目をしていた。

 

「あれは不老不死の源。あれさえあれば疫病に恐れず、神の怒りに怯えなくてもよくなる!」

 

  隣にいたアタランテが舌打ちをするのが耳に入る。村民達は助けられた恩を忘れ、黄金の林檎の魅力に取り憑かれていた。

  疫病を癒し、肉体を活性させる神秘の果実。それをもう一度酒に混ぜて飲めば、さらなる恩恵を得られると考えているのだろう。

 

「やれぇ!!!」

 

  一斉に襲いかかってくる狂気を帯びた村民達。ヒッポメネスは小剣を引き抜き、アタランテは矢を放った。

  小剣は数人の村民の足の健を切り裂き、同時に放った三矢はすべて額の真ん中を貫いた。膝を負傷しながらもアタランテの矢の支援により、なんとか劣勢にならないように立ち回りながら迫り来る村民達を返り討ちにする。

  襲いかかって数十秒経たないうちに十数人やられたのを見て村民達の勢いが削がれ始めた。

  勢いが緩んだ隙に逃げようとヒッポメネスはアタランテの傍まで移動し彼女を連れていこうと試みた時、彼女の様子がおかしいのに気づいた。

 

  まるで、予想外の光景を目にしたかのように。

 

  ヒッポメネスが後ろから迫る村民へ振り向き、遥か後方にあるものへ目を細めるとーーー

 

 

 

  こちらに怯えながら弓を構える少年と、撃てと叱咤させる少年の父が見えてしまった。

 

 

 

  ヒッポメネスは咄嗟にアタランテの前へ躍り出た。

 次に知覚したのは痛覚。背中から胸へと続く異物感。同時に吹き出す出血と吐血。

  痛みに噎び泣いている時間はなかった。後ろから聞こえる怒号に勢いを取り戻したことを悟り、固まるアタランテの手を引いてその場から急いで去る事を選んだ。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  森の中を進み、たどり着いたのは懐かしい潮の匂いがする海辺の崖だった。途中からアタランテの肩を借りての移動だったが、ここまで来るのに血を流し過ぎて立つ事すらままならなくなってきた。

 

「ヒッポメネス、瞼を閉じるな。私を見ろ!」

 

  背中から撃たれた矢は心臓を穿った。どのみち、自分は後少しで死ぬ。それはもう確定事項だった。

  だからだろうか。ヒッポメネスは最後の最後で伝えるべきことがすぐに思いついた。

  夫となってから、禁じていたことを破る。行動ではなく、言葉で想いを。口を必死に動かし、言いたいことを口にする。

 

「アタ…ラン、テ」

 

  あと一言。たった一言で終わる。伝え終わった時にはヒッポメネスという男の生も終わる。それでも、たったの一言の為に命を燃やし続けた。

 

「ぼ、くは…君、を…!?」

 

  矢が飛んでくる。何十という矢の雨が降り注ぐ。

 

「あ…」

 

  そんなか細い声が聞こえ、瞬きの間に、アタランテの体に矢が全て突き刺さった。

 

「ーーーアタランテェェェェェェェェ!!!」

 

  矢の筵と化したアタランテがヒッポメネスへ倒れこんだ。鈍くなる体で受け止めて、必死に叫ぶ。

 

「死ぬな!死ぬんじゃないアタランテ!!君にまだ、僕は!!」

 

  泣き叫ぶ声と遠くから聞こえる歓声が海辺に木霊する。村民達の追っ手と死にかけの二人。この後の結末は語るだけ無駄なほどに見えている。

 

「なんで!なんで君がぁ!」

 

  強く抱きしめるが返事はなかった。心臓の鼓動も、肌から伝わる熱も消え去った。

  気がつけば薄汚い喜色を顔に浮かべる村民が死に体の二人を囲んでいた。黄金の林檎を求め、武器を手にする村民達は、ヒッポメネスにとってただただ醜い何かにしか見えなかった。

 

「ーーー渡さない」

 

  怒りが心を満たす。酷く恨めしい。

  不老不死を求める人々がこれほどまでに醜くる堕ちるとは。

 

「渡してなるものか」

 

  黄金の林檎は少しした未来にて、ギリシャ最大の戦争を引き起こす原因となった。栄華を呼び、災厄をも呼び込む。

  彼が手にしたのはアタランテ(栄華)悲劇(災厄)

  だがその栄華と災厄を導いたこのキッカケだけは、この醜い愚か者達には渡したくない。

 

「お前達に、彼女は渡さない!!」

 

  アタランテを抱え、ヒッポメネスは海へと身を投げた。

  海の冷たさと潮の流れが二人を海底へと引きずり込む。胸から流れ落ちる血が海へと引きずりだされ、意識は暗闇へと誘われていく。

 

 

 

 

  こうして、彼女とこれの物語は終焉に辿り着いた。

 

  そう、()()()の物語は。

 

 

 

 

 

  深く冷たい深淵の奥で、鼓動が一つ、蠢いた。

 

 




孤高を望み、貴女は理想の荒野を歩む

振り返らない、振り返れない

貴女が遺した足跡は今でも濃く残る

その足跡は何を語るか、人に何を想起させるか



貴女は振り返らない、振り返れない



死したその時から、奇跡に縋ったのだから

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