A.
ヒッポメネス「寒いところだね」
アタランテ「寒いところだな」
ジャンヌ「やはり獅子だから?」
ジークは昏倒する
確か、突然発生した奇跡の再現ーーー公害の濃霧が親子を苦しめ始めたことから思い出す。
自分とルーラーは街を周りながら地形を覚え、そして楽しんでいた。
彼女達が自分を救えたことが、愛おしいと答えてくれた。ふとした疑問で彼女を困らせた。そんな、なんというか、ありふれたような日常が終わる昼と夜の切れ間に悲劇が降りた。
“黒”のアサシンーーージャック・ザ・リッパーの宝具らしき濃霧が現れ、関係ない母親と娘の目と喉も肌を焼いた。
助け出そうと霧に入ると娘だけが見当たらず、母親が目から血を流して倒れていた。
娘を助けると、母親に約束して探そうとした時ーーー胸に鋭い衝動が三回も響く。
今までを振り返り、ジークは理解する。
助け出そうとした母親が銃で自分を撃ったのだ。
起き上がろうと四肢に力を込めると、誰かが自分の前に立っていることに気づき、咄嗟に魔術を発動させる。
「理導/開通」
腕を振るうと頭部付近に弾ける“弾丸”の気配。
必死に体を動かし、体を上げると目に映る娘の母親がこちらへ銃を向けていた。
母親の顔には緊張がなかった。恐怖も、憤りも。まるで当たり前のことをしているような自然な佇まい。
母親があら、と不思議そうに首をかしげる。
「どうしようかしら」
「お前が、アサシンのマスターか」
自分でも、低い声だなとジークは思った。
○ ○ ○ ○ ○
ルーラーは痛みに耐える
「くっ…!」
持っていた聖旗を手放すことなく、なんとか踏みとどまる。
押し寄せてきた黒色の怨念は彼女の肉体をーーー腹部を弾き飛ばそうとしたが、前以て展開させていた彼女の宝具『わが神はここにありて』は怨念の殆どを弾き飛ばした。わずかにルーラー自身に流れ込んだ怨念は完全な力を発揮できぬまま、彼女の肉体の内部を少しだけ傷つける程度にまで格下げした。
“黒”のアサシンの二つ目の宝具『解体聖母』
この宝具はある条件を揃えることによって、一撃必殺を発動させる。
一つ、夜であること
二つ、霧の中であること
三つ、女性であること
ジャック・ザ・リッパーが行った事件を再現させる“雌”を殺す呪術式宝具。
三つの条件が揃うことで絶対を誇ることができるのだが、その正体が呪術、何よりも怨念による腹部の破裂だったことが聖女であるルーラーに届かなかった。
「貴女は…悪霊使いですか」
ルーラーの片腕には一人の少女が抱えられている。少女の片腕は真っ黒に染まっていた。この腕にはアサシンによって憑けられた悪霊が宿っている。
ルーラーはアサシンによって生み出された霧の中でこの少女を見つけ、アサシンの囮として使われたと勘違いしていた。
だが、実際この少女自体が罠でもあった。アサシンに操られた少女は口の中に隠していたメスでルーラーを攻撃し、その隙にアサシンが宝具を使用したが失敗に終わってしまった。
ルーラーは一先ず腕で暴れる少女の額に触れて眠らせ、持っていた聖水で憑いていた悪霊を祓った。
「私の宝具を…あなたなんのクラス?」
「貴女もサーヴァントならルーラーのクラスは知っているでしょう」
「…へえ、そんなのがここにいたんだ」
知らなかった、という素振りをするアサシン。そんなアサシンにルーラーは聖旗を突き立てて、凛とした表情で言い放つ。
「アサシン。聖杯戦争というものは、本来七人のマスターとサーヴァントだけが聖杯を巡って争うべきもの。罪無き幼子を巻き込む貴女の行状は最悪です。 逃しはしません」
「…ふぅん。 そうなんだ」
それだけ呟くと、アサシンは自身が悪霊を憑かした少女へとメスを投擲した。ルーラーがそれを弾くが、アサシンはメスを指の間全てに挟み込み、不敵に笑う。
「子供なんて、掃いて捨てるほど沢山いるよ。 それでも守りたいなら…頑張ってね」
○ ○ ○ ○ ○
小さな街並みを包み込む濃霧、そして濃霧から聞こえる少なくない市民の悲鳴。
アーチャーはわずかに戸惑った。だが、その迷いは考える必要でないものだと判断した。
この悲鳴を上げる人々は、運が悪かっただけだ。夕方だけあって帰宅途中の者もいただろう。しかし、こんな異常事態だというのに外へ出た者もいる。
「運が悪いな」
それだけだ。運が悪くて亡くなった者は多くいる。“黒”のアサシンが一番の原因だろうが、圧倒的に運が無かっただけだ。
アーチャーは己の感覚を広げ、この街にいるサーヴァントの気配を辿る。
まず、“黒”のアサシン。この気配は霧の中にいると分かるが、何処にいるかは判らない。
“黒”のアーチャーと“黒”のライダーはこちらを探しているようだ。あちらも“赤”のアーチャーがいることが分かっているらしいが場所を掴めないらしい。
そして、ルーラーだ。ルーラーの気配は非常に分かりやすい。姿見えずとも感じれる清廉な輝き。その輝きは霧の中を走っている。恐らくは“黒”のアサシンと対峙している。
最後に“黒”のバーサーカーだったが…。
「…何をしている?」
アーチャーは体の向きを変え、バーサーカーがいる方向に意識を集中させる。
霧の中へは入りは出て、出ては入るの繰り返し。出てくる度にバーサーカーの近くには幾つかの気配が窺える。
「救っているのか」
バーサーカーは少しずつだがこちらへと移動しながら、その間に霧に蝕まれつつある人々を助けていた。
その判断にアーチャーは口を閉ざしたままだった。
本当に人々を救いたいのであれば、“黒”のアサシンを討伐することを優先すべきである。
手が届く少人数だけ助けても、それは自己満足でしかない。
この惨劇を止めぬ限り、絶える命は救った命よりも遥かに上回る。
それを理解してないのか、それとも理解したうえでそれを行っているのか。
「変わらぬな、汝は」
“赤”のアーチャーは己がすべき事を考える。
このまま様子見を続けるか、霧に飛び込むかだ。
状況を窺うのであればこちらを探す“黒”のアーチャーと“黒”のライダーに見つかる可能性もあるがこちらは確実に逃走することができる。
元々は斥候のためにトゥリファスに来たのだ。既に目的は達成できたものだろう。
だが、霧に飛び込むのならルーラーを仕留める機会があるかもしれない。危険を承知の上だが、シロウの第三魔法を用いての人類救済の成就は確実のものとなる。
産まれて間もなく女という理由で親に捨てられ、哀れと思った女神により遣わされた雌熊に育てられた。
やがて狩人に拾われ、美しく成長し、数多の冒険の中で友を得た。しかしその中で愛する者も、愛そうと思う者もいなかった。
カリュドンの猪狩りの際に起きた争いは元々自分に惹かれた男がいたことや納得しなかった者たちがいたからだ。それが、彼女をもっと孤独にした。
やがて自分を見放した父親と再会することになった。不思議とそこに憎しみはなかった。ただ、嬉しかった。父親と、家族と再会できたことに胸が満たされた。だがーーー
“誰でもいい。婿を取って子を育め”
心に空洞ができた。あの感覚は今でも忘れない。父のあの目は自分を見ていなかった。ただ、そこに都合がいい獲物がきた。そう思っているような目に見えてしまった。
否定したかった。拒絶して、都合がいい夢を見たかったに違いない。
望まぬ婚姻と理解して、条件を課して自分を妻に望む男たちと競争して父を見た。
結局、父はいつまでも婚姻しない自分に苛立ちを感じていた。
だからこそ、彼は目の前に現れた。
ーーー愛されたかっただけなのに
ーーーなんで誰も
ーーー■■■■■■■■
ガキリと何かが軋む。
まただ、アーチャーの頭の奥の何かが噛み合わない。
肉欲や権力欲ではない、ただ純粋な無償の愛が欲しかっただけなのに。
親が子に未来を託し、成長を望むようなあの暖かな愛情がとても眩しく見えた。
それと反して己の親と同じく、自らの都合だけで子を虐げ、廃棄する者もいた。
そしてアーチャーは至った。
ーーーあれこそ、世界に必要なものだ
この世は決して地獄ではない。
どんなに醜く、悪意に塗れてようとも。
厳しく無情な自然の摂理が定まっていても。
あの愛情は必要で、是であらなければならない。
そのためにあの聖人の少年の口車に乗った。人類救済を謳い、そのために使えるものは使い、敵対する者を排除せんと己のマスターから令呪を奪ったあの少年のだ。
今、再び世に戻ってきたのはこの時の為だ。ならば、すべき事は一つだろう。
「
“赤”のアーチャーは霧の中へと飛び込んだ。
○ ○ ○ ○ ○
ジークはマスターらしき母親を見失い、追いかけている途中でルーラーと再会した。
ルーラーは少女を抱えながら、アサシンらしき黒いボンテージ調の服を着込んだ少女と戦っていた。アサシンはジークの姿を見るなり、メスを投擲してきたがルーラーがそれをすかさず聖旗で払い落とす。
「驚いた。 死んでいなかったんだね」
「彼と面識があるようですが、今の貴女の相手は私です」
未だルーラーとアサシンは決着はついていない。本来の実力差ならばアサシンを仕留めるぐらいルーラーは容易く行える。ただ、アサシンはルーラーの腕にいる少女を狙っている。それがルーラーがアサシンに手こずる理由だとジークは悟った。
「ルーラー、俺はマスターを探す」
「マスターの姿が分かったのですか?」
「ああ、撃たれてしまったがはっきりと姿を目視した」
「そうですか………う、撃たれた? だだだ、大丈夫ですか?」
かなり狼狽しながらもアサシンに注意を向けていることは流石というべきだろう。
しかし、アサシンの方はジークの言葉に表情を消し、殺意を露わにした。
「おかあさんのところへは、行かせない」
投擲されるメスの標的はジークへと定まった。何度も投げられるメスにルーラーは的確に払い落とし、互いの距離は固まってしまう。
「すまない、足手まといのようだ」
「お気になさらずに、ジーク君。 今は援軍を待ちましょう。 もう少し待てば、彼らが来ます」
「ーーーじゃあ、こうするね」
アサシンが軽く口笛を吹く。ルーラー達を囲う霧の中から、小さな足音が聞こえてきた。微かな音はやがてはっきりと著明となり、ルーラーは足音の正体に気づく。
「アサシン、まさか…!」
霧の中からぼんやりと現れる無数の子供達。その子供達の手にはメスがあり、ルーラー達を見る目は虚空となり、カタカタと皆痙攣している。
「…子供達に怨霊を!!」
子供達は“黒”のアサシンの手により怨霊に憑かれていた。ルーラーの聖句によればすぐにでも除霊できるもののこの数では人質として使われている。不意に行動を起こせば考えたくない結末が待っている。
「ん、それじゃあルーラーと…そのマスター? 一人残らず守ってみせてね」
「ジーク君!」
「分かっている!」
強襲を仕掛けてくる子供達をなるべく傷つけないよう足を引っ掛けて転ばせる。しかし、怨霊に憑かれているのだから転ばさせられても時間稼ぎにしかならない。
ルーラーとジークは投げられるメスや飛びかかる子供達を捌きながらなんとか怨霊を除霊させていく。それでも数が多すぎる。
ジークも令呪による“黒”のセイバーの憑依を抑えてメスを躱していくのだが、ルーラーが一人の子供の浄化が済んだところで気がついた。
「ジーク君! 離れすぎています!」
ジークとルーラーに距離が空きすぎていた。アサシンは子供達を使い、ジークとルーラーを分断させたのだ。ルーラーもすぐに向かおうとするも、子供達が壁となり道を防いだ。
「ーーーここだ!」
アサシンが肉切り包丁を両手に持って突貫する。包丁が振り下ろされるはジークの細い首。勝利は確信的、サーヴァントを切り離し、小さな負傷が目立つマスターがサーヴァントに叶うはずがない。
聖杯に一歩近づいたと思った瞬間ーーー
アサシンに流星が穿たれた。
「え?」
現“黒”の陣営、参謀にして最強のサーヴァント、“黒”のアーチャーの矢が霧の暗幕を無理やりこじ開けた。
魔力を込められた矢は寸分違わずに“黒”のアサシンの小柄な体躯に突き刺さり、破裂した。
「あ、ぐぅ、あぐぅ…!!」
体の皮を剥がされるような痛みに耐えながらも、その場から離脱することを選んだアサシンだが、それを逃す者はいなかった。
「逃がしません、アサシン」
ルーラーの聖旗がアサシンの手にあったナイフに振り下ろされ、粉々に砕け散る。
退路に立つのは聖杯戦争の裁定者の役を担う英霊、ジャンヌ・ダルク。その実力は三騎士クラスと匹敵するステータスと宝具を保持する。
裁定者と暗殺者、このクラス差にどうしようもないほどの壁が立ちはだかっていた。
「お…かあ……さん、 おかあ…さん!!」
アサシンはそれでも這い蹲って逃げようとした。母を求めて地面を這う姿は、この惨状を生んだ張本人とは思えなかった。
ルーラーは気づいていた、このアサシンの正体を。あの怨霊とこの姿、そしてジャック・ザ・リッパーが誕生してしまった時代の背景を。
だが、ここで踏みとどまれる訳がない。ここで彼女を逃してしまうと、新たな惨状が生者へと降りかかる。
逃れようとするアサシンの前に回り込み、膝をつき、額に手を置いた。
「主は全ての不義を許し、全ての厄災を許す。そしてその命は墓穴から救い出し、慈しみ、憐れみーーー」
聖女の言は迷い、憎しみ、苦しむ亡霊を主の元へと導く。その言葉が紡ぎ出されることに、アサシンは恐怖に駆られた。
「やだ」
それでも、ルーラーは止まらない。止まれない。
「やだ…やだやだ…おかあさん、助けて、助けてよぅ、おかあさん! おかあああさあああああああああああああああああん!」
「!? 令呪!?」
アサシンの内部より膨れ上がる魔力を察知した瞬間、アサシンの姿は唐突にその場から掻き消えてしまった。ルーラーとジークは驚きに顔を見合わせるも、すぐに状況を把握する。
「令呪による空間転移、ですが然程遠くに行ってはいません! 探しますよジーク君!」
○ ○ ○ ○ ○
「ごめんなさい…おかあさん…」
「喋らなくていいわ。まずはおやすみなさい」
“黒”のアサシンのマスター、六導玲霞は優しくアサシンを抱き上げて細く暗い路地裏を進む。
玲霞はアサシンの霧が街から消えた瞬間、アサシンの異常に気づき令呪を使用した。
「これから…どうしよう…」
「怪我を治してから考えましょう。 今は、自分のことを心配して」
自分の子供をあやすようにアサシンを労わるその姿は母娘にしか見えない。この主従関係は所詮、聖杯戦争の時だけの間柄だけにしか過ぎない。それなのに玲霞とアサシンにはどのマスターとサーヴァントにも劣らない繋がりができていた。
魔術師の居宅を奪い、そこを隠れ家としている玲霞達はアサシンの霧によって一層に静かとなる通りを歩く。自分達の手によって息を引き取った者達の屍を無視し、二人は家へと帰宅しようと考えていた。
玲霞はふと、通りにある店のガラス窓へと視線が行く。街灯により照らし出されたガラスには、偶然にも人影が写っていた。
現代の服装とは違う、古代めいた服装を纏う少女。その少女は此方へと弓を構え、矢を番えている。
ああーーー、と玲霞は理解した。
ここで終わりかーーー。
彼女の人生は良くはなかった。幸せだったことはあると思うが、悲しみを感じることもなく、ただ空虚となって過ごしていた。
悪い男に騙され、殺されかけたところにやっと、人並みにーーー生きたいと願った。
その願いを叶えてくれたのは、人とは異なる少女だった。
彼女と出会い、楽しかった。残酷で悍ましく、決して褒められない日々を少女と過ごし、彼女の願いを叶えたいと、愛おしく思った。
だが、それもおしまいだ。こうなってしまったら、どう足掻こうとも終わりは見えている。
だから、せめてと玲霞はーーー愛おしい娘にこう告げる。
「二つの令呪を以て、命じます。『私がいなくても』『あなたは大丈夫』…ジャック」
そうしてーーー心臓に刺さった矢から溢れる血が体から無くなり、六導玲霞は命を絶えた。
傍で呆然とする娘の未来を願って。
Q.正義の味方。貴方はなりたいと思った事は?
A.
ヒッポメネス「かつてはあったかも、ね」