あと短いです。
英雄王との激戦を終え、セイバーは妙に火照った頬を冷やすように夜風を切って疾走していた。
新たな拠点となった古びた日本屋敷へ足を向ける彼女の頭の中は、考え事で埋め尽くされていた。
自身の願いについて。王としての自分について。
そして
――それが、王の責務だからだ。
――王がいつまでも滅びを認めず民たちの身命を手放さないなど…それこそ暴君に他ならない。
――それに、後に続く者たちもいる。
英雄王が放った言葉について。
(分かっているのです。それが正しい道であることは。しかし…)
思えば、セイバーは港の倉庫で英雄王と出会って以来、彼に振り回されてばかりだった。
その戦闘能力に圧倒され、王としての器の大きさに羨望を抱き、一瞬だけ覗かせた人としての顔を見て呆気にとられた。
(今考えると本当に不思議な王だ。)
賢者のように思慮深く、聖人のように寛大で、暴君の如く獰猛な覇者。でありながらふとした瞬間に見せる人間性。
流石は英雄の祖と言うべきなのか。彼は、英雄が持ちうるだろう要素をほぼ全て持ち合わせていた。
もはや嫉妬の念も消え失せた。あるのは畏怖と尊敬のみだ。
「正しく完璧な王、か…」
ポツリと呟き、セイバーは自虐的な笑みを浮かべた。
それに比べて何と余裕のない我が身か。頑固で、愚かで、滅びを認められない幼稚さ。
これでは国を救うことなどできようはずもない。
そしてマスターに信用されることも
「アイリスフィール…」
セイバーは己の胸に手を当て、中にある鞘の存在を改めて確認する。
アイリスフィールの命を少しでも長引かせるために必要な鞘を。
彼女の事情は全て、真のマスターである切嗣から聞いていた。
その悲惨な生い立ちと、いずれ訪れるであろう悲しき別れ。それらを淡々と語る切嗣の眼には確固たる信念の炎が渦巻いていた。
もはやなりふり構ってはいられないのだろう。言葉少なにだが、必要がないからと避けていたセイバーとの会話をした彼の顔には憔悴が浮かんでいた。
ただでさえ聖杯問答で揺らいでいた彼女の精神は、切嗣から知らされた真実によってさらに狼狽し、疲弊することになる。
――守ると誓いを立てた女性を犠牲にすること前提で進んでいた聖杯戦争。
――英雄の祖が語った王としての責務。
セイバーは自身の中でひたすらに問答を繰り返したが一向に答えは出ず、不安定な精神のまま、鞘を託されて戦いに挑んだ。
結果はただただ英雄王に圧倒されただけであったが。
ふと、鞘を突破してこちらを射貫いた時の力強い彼の視線を思い出した。
何故かまた赤くなって来た顔を覚ますために先程よりも増速する。
(ええいッ!とにかく今は早く帰らなければ…)
セイバーの最優先事項は一刻も早くアイリスフィールの元に戻り、鞘を返却することだ。
そうと分かれば実行あるのみ。セイバーは努めて無心を心掛け、帰路を急いだ。
――そして帰還したセイバーが見たのは、もぬけの殻となった屋敷だった。
◇◇◇◇◇◇
――危険だ。
衛宮切嗣は初見で英雄王の危険性を見抜いていた。
その戦闘能力、その頭脳、その精神性。全てが彼にとって脅威だった。
これでまだ強者特有の慢心など見せていれば付け入る隙もあっただろう。
しかし、彼の王はどこか異様なほどに隙が無かった。
パターンを理解しようと心理分析も試みたが、どこか捉えどころのないその性格は次の行動を読み取ることが出来ず、切嗣は頭を抱えることとなった。
だからこそ、ケイネスの提案した英雄王打倒のための共同戦線は非常に都合の良い話だった。
たとえ英雄王を打倒出来なくとも、その戦力がどれほどのものかは図れるはず。それに、他陣営を排除できるいい機会だ。
狙うはランサーのマスターケイネス・エルメロイ・アーチボルト。切嗣が仕留めそこなった魔術師である。既にランサーに付けられたセイバーの左手の呪いはアヴァロンで治癒してあるものの、潰しておくに越したことはないだろう。
決断してからは早かった。ケイネスの工房を狙撃できる絶好のポイントを見つけて潜り込み、機会をうかがった。機会は彼らが英雄王に掛かりきりになっている時。その瞬間を狙い、ケイネスを撃つ。もし仮に外してもその時は婚約者のソラウを殺せばいい。切嗣の分析では、ケイネスはかなりソラウに入れ込んでいる。目の前で射殺されれば動揺し、激昂するだろう。冷静さを失った魔術師など切嗣にとってはただの獲物だ。敢えて姿を見せ、サブマシンガンで牽制しつつ起源弾を撃ち込んでやればお仕舞いだ。
――だが、切嗣は目論見に反して一発も弾丸を放つことはできなかった。
(アサシンだとッ?!)
苦労して発見した狙撃ポイントから暗視ゴーグル越しにケイネスを監視していた切嗣は、黒衣を纏ったサーヴァントを発見してしまった。
骸骨の仮面を身に着けたその姿に既視感を覚える。
(港の倉庫の時と同じ状況か…)
思えばあの時も切嗣はケイネスを狙撃しようとし、結果としてアサシンに邪魔される形で撤退を強いられた。
あの時の撤退判断は間違っていたとは思わないが、こうも邪魔をされると、引き金を引いておけば良かったという気持ちにもなる。
だが、暗殺者である切嗣にとって焦りや苛立ちは禁物だ。深く深呼吸をし、己の気持ちを水に流した。
感情は不要。必要なのは理性と確実性。
そして冷静に計算した切嗣が選んだ選択は、再びの撤退であった。
彼は征服王と同じくアサシンとギルガメッシュが組んでいると想像している。
つまり、今切嗣が視界に捉えているあのサーヴァントは英雄王の指金である可能性があるということだ。
あの英雄王であれば既にアイリスフィールが偽のマスターであることも見抜いているだろう。下手をすると切嗣が本当のマスターということにも気が付いているかもしれない。
だからこそ、切嗣はあのアサシンに補足されるわけにはいかなかった。
決断し、すぐさま撤退の準備を始める切嗣。
『おや、どこに行かれるのですかな?』
「ッ!?」
切嗣の行動は早かった。流れるようにコートからキャリコM950を取り出し、剣でも振るうかの如く、振り向きながら銃弾を背後にばら撒く。無論、効かぬと分かってはいる。飽くまでも目くらましだ。
「
サーヴァントから逃走するべく、二節の呪文を唱えた切嗣の体が加速の世界へと踏み込む。通常の二倍の挙動で動きながら後ろへ手榴弾を放り、目隠しになってくれることを祈ってただひたすらに走る。
『中々に素早いですな。人間にしては。』
「グッ!?」
だがこれで逃がしてくれるほどサーヴァントは甘くない。
押し倒され、羽交い絞めにされる。先程の“揺り戻し”も相まって身体が悲鳴を上げている。
こうなってしまっては切嗣に出来る足掻きはただ一つ。手元の令呪に視線をやり、魔力を流す切嗣。
しかし、彼の令呪が一角消費されることもなかった。
『やめたほうがいい。妻の…いや、聖杯のことを考えるのであればな。』
「なにッ?!」
その言葉に思わず動揺する切嗣。
それもそうだろう。アイリスフィールが聖杯の器であることを知っているかのような口調。
そして、彼女を人質に取っているかのような態度。
感情を捨て、機械となったはずの切嗣の心が不安と焦りで軋み、背筋を嫌な汗が流れる。
『察しの通り、君の姫は我々が預かっている。返してほしければここへ来い。一人でな。』
言外にセイバーを呼べば妻を殺すと宣言されたようなものだ。切嗣は思わず奥歯をかみしめた。
顔を歪ませる切嗣はよそに暗殺者のサーヴァントは住所の書かれた紙を一方的に押し付け、あっさりと夜の闇に消えた。
◇◇◇◇◇◇
「…眼が覚めたか、女?」
低音で響く滑らかなバリトンによって眠っていたアイリスフィールの意識は呼び覚まされた。威圧的なもの言いながら聖職者のような雰囲気を感じる。
目の前の男は誰であろうかと寝起きで霞んでいる目を凝らし、彼女は驚愕することになる。
「ッ!言峰綺礼…!?」
夫が最も注意を払っていた人物の一人。空虚なる聖職者にして教会の代行者がアイリスフィールの目の前に立っていた。
急ぎ、いつの間にか寝かされていたベッドから起き上がろうとするが何故か体は動かなかった。
「動こうとしても無駄だ。お前の体は現在、アサシンの神経麻痺毒によって拘束されている。」
「ッ!何が目的なの?!」
淡々と何の感情も込めずに現在の状況を説明する綺礼。
その姿に本能的な恐怖を覚えたアイリスフィールは自由になる首だけを動かして問う。
「目的か…今となっては無いのだが、一応問うておくか。――女よ、貴様の夫である衛宮切嗣は何のために空虚な戦いを繰り返しているのだ?」
取り敢えず時間つぶしに聞いておくか。そう感じ取れるほどに言峰綺礼の質問と、アイリスフィールに向ける関心は薄かった。
自身を誘拐した者とは思えない態度に困惑を隠せないアイリスフィール。
そもそも、これまでの経歴から切嗣が推測した言峰綺礼と今目の前に立っている男とではあまりに印象が違った。
眼こそどこか虚ろで恐ろしいが、その身にまとう雰囲気は神に仕える聖職者そのものだ。
そして何より緊張感に欠けていた。より具体的に言うと気だるげな雰囲気を感じるというか、早く帰りたそうにしているというか。
何となくだが目の前の聖職者が危害を加えることはないと判断することはできた。
「…恒久的世界平和のためよ。」
だからこそアイリスフィールもただ一言で問われた質問の答えを返した。
流石に予想外の答えだったのか一瞬眉を吊り上げた言峰綺礼だったが、それ以外の反応は特に見せずにただ一言“そうか”と呟き、瞑目した。
狭い部屋に訪れる沈黙。
流石に居心地悪くなってきたアイリスフィールだが、男は眼を閉じたままだ。ともすればこのまま眠りに落ちるのではないかというほど静かな空気にいよいよ我慢できなくなったアイリスフィールは先程から考えていた推測を口にした。
「…ねぇ、もしかしてだけど、貴方は誰かに指示されているの?私を此処に連れて来いと。」
「そうだ。」
思い切って問いかけたのだが、返って来たのは恐ろしくあっさりとした肯定の答え。
もうアイリスフィールは嫌になって来た。ここまでやる気のない男に誘拐される女の身にもなってほしいと。
だが、そうなると問題は誰の指示で動いているかだ。これを聞き出せれば黒幕の思惑も分かるはずだ。これは流石に答えないだろうとよく分からない期待を込めて再び問いを投げかけた。
「答えなさい!貴方は誰の指示でこんなことをしたの!」
「英雄王ギルガメッシュだ。」
一瞬だった。特にためらう様子もなく彼は答えを返した。
さらには余程暇なのだろう。懐に忍ばせていた聖書を読み始めた。
アイリスフィールは泣きたくなった。もう聞けばなんでも答えるんじゃないかこいつ…?
「なんで私を攫ったの…?」
「さぁ?」
なんかもう疲れたアイリスフィールは首を起こすのもやめてソファーに寝ころび、綺礼に問いかけた。返って来たのは適当な答え。もはや疑うまでもなく何も知らされていないのだと彼女は確信していた。
またしても訪れる沈黙の時間。
五分
十分
特に何をするでもなく天井の染みを数えるアイリスフィールと聖書を黙読する言峰綺礼。
「…暇ね。」
「あぁ。」
「……」
「……」
「暇だから聖書音読しなさいよ。」
「嫌だ。」
即答だった。
◇◇◇◇◇◇
「アイリッ…」
暇人が部屋でごろ寝していた頃、衛宮切嗣は己の妻を救うために示された住所まで車を飛ばしていた。ハンドルを握るその手は小刻みに震え、前を見据える視線は鋭く、顔色は悪い。一目でわかるほどに彼は動揺していた。気が付いてしまったのだ。アイリスフィールを失うということがどういうことなのか。
それはただ愛する人を失うというだけではない。己の願い。数多の屍を乗り越えてきたこれまでの全てが無に帰すということなのだ。
嘗てない焦りが脳から冷静さを奪っていく。
だが、まだ救いもある。それは相手が恐らく切嗣と取引をする腹積もりということだ。
でなければアイリスフィールは切嗣に居場所を教えられることもなくその人格を剥ぎ取られ、聖杯を抜かれているはずだ。
相手の言葉を信じるならば、だが。
「クソッ!!」
苛立ちを吐き出し、荒い運転で赤信号を通過する。
アクション映画さながらのハンドルさばきで車を駆りながら横目で助手席に置いた武装を確認する。
キャリコM950、コンテンダー、手榴弾5つ。そして、令呪が3画。
忌々しいことに相手が英霊だった場合、この中で一番役立つのは最後の令呪に他ならない。
年を取ってからは考えないようにしていた己の力のなさに憤慨する。
衛宮切嗣は英雄にはなれない。
ずっと前に悟った筈の事実だ。聖剣も鎧も宝具など持たない。あるのは霊体には効かない銃弾と血に濡れた理想だけ。それで構わないと自分に言い聞かせた。だというのに…今はどうしようもなく、圧倒的な力を持つあの黄金の英雄王を羨ましく思っていた。
(…此処か。)
意味のない考え事をしながらも切嗣はしっかりと目的地まで車を運転していた。
静かに停車し車を降りる。そして極力足音を消しながら目の前の民家へと近づいていく。見た目は完全に普通の家だが、油断はならない。
長い年月をかけて磨き上げた暗殺者としての技量を駆使し、家の中を探索していく。居間、二階、向かいの部屋。しかし、何も出てこない。あったものと言えば二階にあった十字架ぐらいだ。
(となると残るは地下か…)
難なく地下への隠し扉を見つけた切嗣はコンテンダー片手にゆっくりと階段を下っていく。
すると正面に光の漏れた扉が見えた。
気配を殺して扉に近づき、耳をすませる。少しでも中の情報を得ようと神経を集中させる。
「ふーん、クラウディアって言うのね。素敵な名前の奥さんね。」
「あぁ、名前だけでなくその中身も素晴らしい女性だった。――気付くのが遅すぎたがね…」
「そんなことないわ!妻となった女ならばたとえ死後であろうとも夫に思われるのは良いことのはずよ!それに、世の中には妻の良さに気が付かない、けんたいき?の夫婦もいると聞いたわ。全く、信じられないわ!」
(ちょっと待て)
何故か仲良くおしゃべりに興じる己の妻と男の声が聞こえてきた。
慎重に扉を開き、中の様子を伺う。
するとそこにはソファーに寝そべって楽しそうにおしゃべりに興じる妻と
聖書片手にその相手をしている眼の死んだ聖職者がいた。
訳の分からない状況に心底動揺した切嗣はフラフラと中に入っていく。
「そもそも結婚というのは…あら?切嗣!来てくれたのね!丁度言峰さんと夫婦の話をしてたのよ!――言峰さん、こちら私の夫の衛宮切嗣です!」
「あぁ、これはどうも。言峰綺礼です。しがない聖職者ですが、奥様の退屈しのぎに付き合っておりました。」
「……」
朗らかに再会を喜ぶ妻とやけに丁寧な挨拶をしてくる長身の神父。というかアサシンのマスター。
頭が動かない。状況理解を脳が拒絶している。
(何でこいつらこんなに仲が良いんだ?えっ?誘拐犯とその被害者の間に芽生えた友情的な?ふざけんなよ、こちとらどれだけ頑張ってここまで来たと思ってんだ。時速200kmで飛ばしてきたんだぞ。ゴールド免許剥奪だぞオイ。)
完全にバグった衛宮切嗣。そんな彼を現実に引き戻したのは言峰さんだった。
(ッ!あいつ…笑ってやがるッ!僕が動揺してるのを見てニマニマと笑ってやがるッ!!)
仏頂面なので分かりにくいが、言峰は完全に笑ってい――間違えた。嗤っていた。
いつになく動揺している衛宮切嗣の醜態を嘲笑い、それを覆い隠すようにニコニコとしていた。いっそ不気味なくらいに。
そのふざけた姿に毒気を抜かれそうになるがなんとか怒りを飲み干し、切嗣は冷静さを取り戻した。
取り敢えず今やるべきことは状況を理解することだと判断し、真面目な顔で問いを投げかけた。
「……真面目に問う。貴様、何故アイリスフィールを攫った?」
「「さぁ?」」
「......」
何故かアイリスフィールまで一緒に首を傾げて答えを返す。その仲良さげな姿と同じ角度で傾いている首に怒りが募る。事前に打ち合わせしていたんじゃないかとまで思い始めた。
「――ハァ…」
なんかもういろいろと疲れた切嗣は態と大げさなため息をつき、近くのソファーにドカッと腰を下ろした。取り敢えず言峰がこちらに敵意を持っていないことは分かった。というよりも敵意を持っていたのなら既にアイリスフィールも切嗣も殺されていただろう。
流石の魔術師殺しもこの狭い部屋で代行者相手に勝ちを拾えるとは思っていなかった。
「――で、実際のところ貴様の目的は何なんだ?」
「私自身はお前たちに関心はない。Mrsアイリスフィールの中にある聖杯にもな。」
無駄に発音のいいミセスに腹が立つがグッと押さえつけ、聖杯に興味がないといった事実に内心驚愕しながらも切嗣は黒幕を探ることにした。
「では誰の「英雄王ギルガメッシュだ。」……。」
探るまでもなく自分から暴露してきた。
何で英雄王はこいつに間諜を任せようと思ったのか疑問に思ってきた。
「…少し真面目に話すのならば、私は英雄王に借りを返すべく動いているだけだ。それ以外の事情などない。――だから英雄王がサーヴァントを蹴散らして来るまでここで寛いでいるがいい。」
セイバー、ランサー、ライダー、何れも大英雄達。そんな彼らに同盟を組まれて英雄王は戦っている。しかし、綺礼は英雄王が敗北する可能性など微塵も考えていなかった。
だからいきなり戦闘中の英雄王から“アイリスフィールを人質にして衛宮切嗣を呼び寄せ、自分が行くまで待機していろ”という指示にも従ったのだ。
英雄王に二言はない。
数分後、黄金の粒子が逆巻き、無傷の英雄王が不敵な笑みと共に姿を現した。
「さて、要件は簡単だ。――その聖杯を寄越せ。」
長い夜は終わらない。
もはや綺礼の聖杯戦争に対するやる気はzero
取り敢えず英雄王の手伝いだけしたらさっさと娘迎えに行って祈り捧げたいお父さんと化している。
次回は真面目な問答が始まります。