歓迎すべき夢をありがとう   作:琥珀兎

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ホント嫌な奴だなこのプロデューサー。


第三話:売り物であるということ

 起こすつもりのない電子音が窮屈な店内で鳴り響いた。

 発生源である携帯電話の液晶にはAM05:00と映っている。バイブレーションを伴って鳴り続けるアラームは、木製カウンターを叩き続けて持ち主に対し再三に亘っての起床を命じていた。

 振動しながら移動する携帯電話があと少しで落下する、という所でカウンターの下からアラームを煩わしく思う乱暴な手が伸び、叩きつけるように対象へと触れた。携帯電話は自発的でなくともどの道、奈落へ呑み込まれるようにカウンターから姿を消した。

 昨日から『店主の都合により閉店中』と書かれた紙が貼られたBARの中で彼は目覚めた。

 日の光が差しこまない店内は照明の一切を点けてない為に昼夜が逆転しているのでは、と勘違いするほどに薄暗い。

 彼は客席を退かして床にシートを挿んで敷いた布団から、睡魔への未練を断ち切れずにいるような緩慢な動きで起き上がった。昨夜は風呂に入っていなかったのか髪型がオールバックのままで寝癖がついており、非常に……ハッキリ言って無造作では誤魔化せない程に乱れている。

 頭髪を掻きながら起き上った彼は、いつも以上に眠たげで睨むような目つきで布団を畳み始める。

 眠いのも、睨んでいるのも、そう見えるのではなくまだ眠いから起きたくないから不機嫌でそうなっているのだ。

 万年床にしておきたい気分ではあるが、片付けない事には椅子を出すことが出来ない。

 彼はカウンターを一瞥して、そこに散乱する資料や手帳に、二日酔いの人間にテキーラを勧める心無い人物へ向けるような吹き出す溜息をついて、布団を奥へと持って行った。

 布団を仕舞ったついでにお湯を沸かしてコーヒーを淹れると、椅子を一つだけ持ってカウンターへと置いて腰を下ろした。

 

「……くそ、眠い……」

 

 漏れ出た愚痴は死人が気まぐれに吐いた呻き声のように生気を感じられない。。

 そもそも二年間もバーテンダーをやっていた彼は、職業柄完全夜型生活に順応していた。だからこんな時間に眠ることは多々あっても、起きるなんて“間違い”をすることは無かった。眠くて当たり前、むしろ自然な形なのだ。と己に言い訳をしつつ煙草を咥えて火を点けた。

 吐き出される紫煙がコーヒーの香りを台無しにしているが、そんな事いまの彼にはもうどうでもよかった。

 一本吸いきってコーヒーを流し込んだおかげかある程度眠気も覚め、改めてカウンターの上にある資料を一纏めにし鞄の中へと押し込む。

 今日の予定は昨日決めた通り、六時から彼女たちへの集中的レッスンを行う最初の日だ。

 たった一ヶ月間とはいえ、始めが肝心だと思っている彼が遅刻するなんて醜態を晒すわけにもいかない。荷物をまとめた彼は新しいワイシャツに着替えてスーツを羽織り――途中で髪型に気がつき応急処置的に直して――訪れる客の居なくなった店の扉を開け放った。

 春の四月とはいえ、時刻は五時を回ったばかり。洗礼の如く吹く寒風が頬を撫でつけ、気を抜いて柔らかくなっていた身体が竦んで固くなる。

“これまであまり感じなかった感覚だ。ああ……俺は本当にまたプロデューサーになったんだな”

 今度は一人ではない。比較しようもない人数、三十七人を担当するプロデューサーになった彼は、少し重くなったような気がした鞄を持って車へと歩き出した。

 

 

 劇場に行くのは勿論だが、その前に出社しなくてはいけない。

 やることは無いのだが、行く事自体がやることみたいなものなので無視するわけには当然ながらいかないのだ。

 車を走らせ765プロの駐車場へと停め、プロデューサーは朝の事務所へと顔を出した。

 時間が早すぎた事もあってか事務所内にはまだアイドルの姿は無く、というよりアイドル以外の姿も無かった。

 それもそうだろう、腕時計を見ればまだ時間は五時半にもなっていない。とはいえこのまま誰かが出社するのを待っていたら時間が無くなってしまう。

 仕方ないので彼はホワイトボードのスケジュール表に、劇場に居る旨を書き記して事務所を後にした。

 六時十分前になって劇場へと到着したプロデューサーは、正面から回り込んで日蔭になっている通路を通る。室外機や消火栓が設置されていることもあってか、劇場正面の入り口に比べ非常に狭く感じる。

 関係者用の通用口の前に立つと、扉の右側に設置されたカードスキャナーにキーを通す。素っ気ない電子音が短くなって鍵が開錠され、劇場内へと彼は入った。

 廊下を進んで事務所兼談話室へと歩いていると、徐々に人のざわめきが聞こえてきた。どうやら全員もう集まっているらしい。時間を確認すると五分前。もうそろそろ初めても良いだろう時間だ。

 事務所の扉を開くと、大勢の瞳が一斉に彼へと集まった。

 

「おはよう、遅れている者は居ないな?」

 

 部屋の中ほどまで移動して遅刻、または欠席者が居ないかどうかを確認する。幸い、一人も居らず全員が揃っていた。

 

「おはようございます、プロデューサー!」

 

 声を揃えて年端も行かない少女たち――若干数名成人している者も居るが――に挨拶されると、邪な人間であればえも言われぬ優越感に浸るのだろうが、生憎と彼はそういった感慨とは程遠い人物だった。

 

「ああ、おはよう。それでは集まっているので、少し早いが始めよう」

 

 五分以内であれば誤差のようなものだろうと判じ、プロデューサーは手に持った鞄をデスクに置いて彼女たちに向き合った。

 いったいどんな事を始めると言うのか、全員が一様にそのような物言いを思わせる表情をしている。先日、ここで大仰に宣言したのも要因の一つとなっているのだろう。しかし彼女たちの期待はあっさりと裏切られることとなる。

 

「これから一ヶ月間、集中的に君たちを鍛え上げるとは言ったが、具体的にな練習方法があるわけではない。短期間で飛躍的に成長するような練習法など、存在しないのだからな」

 

 緊張の糸が解れる雰囲気の中、彼は移動可能なキャスターが付いたホワイトボードを持ってきて、そこにこれからの予定を書き始めた。

 土日祝日の予定。平日の予定と、午前と午後の二部に分けてなるべく分かりやすく書き記していく。予定を書いている間も、彼は沈黙せずに口を開き続ける。

 

「必要なのは単純な自力……つまりは体力だ。何をするにしても、体力が無ければ何もできない。

 踊る事は勿論、歌う事も、笑顔でいる事も全て。よって、ダンスレッスンを集中的に行いつつ、体力をつけるのを重要視したメニューを組む。

 とはいえ、今日はそれ程キツくするつもりはない。今日は君たち全員の限界を推し量る日だと思ってくれて構わない」

「あの、プロデューサー」

 

 ホワイトボードに書き続けるプロデューサーの背中に問いかけが投げられた。ペンの動きを止めて振り返ると、志保が年相応の不遜さでこちらを見ていた。

 

「なんだ北沢、気になる事でもあったか?」

「そこに書いてある『ボーカルレッスン七人』と言うのは、具体的に誰が受けるんですか?」

 

 志保はそう言って彼の背後、ボードに書かれた文字を指さした。

 指先を追って視線が追いつくと、なるほど、と言葉を漏らしてプロデューサーは志保に向き直った。確かに、時間短縮の為とはいえ、これでは意味が伝わらないだろう。

 

「この七人はまだ完全には決まっていない。それを見極める為にも、午前にダンスレッスンを持って行ったんだ。その内容によって、俺の裁量が変わる。

 だからここに名前は書かれていない」

「そうですか、分かりました」

 

 志保が納得して大人しく引き下がったのを確認して、彼は再びボードに予定を埋めていく。

 今日の一日の内容はこうだ。

 午前に全員でのダンスレッスン。その後、一時間の食事休憩を取り、午後にはプロデューサーが選別した七人でボーカルレッスンを行う。その間、選ばれなかった残りの三十人は劇場ホールへと移動しステージ上でのビジュアルレッスンを受ける。ボーカルレッスンを受けるのは七人二組で、これを前後半に分かれ、万遍なくビジュアルレッスンも受けられるようにする。というものだった。

 ハッキリ言って平凡の一言。彼が指示する内容はごく当たり前な組み立てで、数人のアイドルたちも拍子抜けしたような、それまで詰まっていた息が吐き出せたかのように身体を弛緩させていた。

 

「ではこれから三十分後の七時より始める。各自、レッスン用のジャージ等に着替えて館内のレッスンスタジオに集合してくれ」

 

 千差万別な返事と共に事務所から人がわらわらと出て行った。

 全員が居なくなったのを確認すると、彼はデスクへと向かい自分の鞄からバスタオルとパンツを取り出した。

 昨夜も徹夜だった為に、彼は風呂に入っていなかった。一応、臭いや皺が気になるので服は着替えたが、それでもこれからの事を考えると無視できない。

 幸いにもここにはレッスン後に利用する為にあるシャワー室がある。普通の風呂場もあるにはあるが、そっちはアイドルたち寮生の利用する為にあるもの。ここに住んでいないプロデューサーが使うわけにはいかない。余計な噂や、いわれのない誹りを受けるのは歓迎できない。

 

「女所帯というのも、考え物だ」

 

 バスタオルと着替え用のパンツを持って彼は足早にシャワー室へと向かった。

 

 

 ※

 

 

 着替えを終えてレッスンスタジオに集まった。三十七人という規模を収容する室内は一人一人の身体から醸し出される香りが混ざり合い、不可思議な香りとなって充満している。

 女性服のお店に来たみたい、と春日未来は鼻を利かせながらこの場にそぐわぬ感想を懐いていた。

 レッスンスタジオにトレーナーの姿はない。元々、彼女たちの自主レッスンも多かった事もあってそこに疑問は懐かなかったが、今日はプロデューサーが居る。彼は限界を推し量ると言っていた。推し量るという意味が未来には正確に思い出せないが、とにかく『君たちの実力を見るぞ』と言っているのだろうと勝手に解釈した。

 生まれた瞬間から無愛想を体現していそうなプロデューサーが見に来る。仮に彼がレッスンを行うのなら、それはいったいどんなものなのか――未来は気になって意見を求めようと、近くに居た静香に問いかける。

 

「どんなレッスンやるのかなぁ、静香ちゃんはなんだと思う?」

「さぁ、まったく見当がつかないわ。もしかしたら案外何でもない内容になるんじゃないかしら。プロデューサーも特別な練習なんて無いって言ってたし」

 

 控えめに答える静香の言葉で未来は思い出す。確かにプロデューサーは具体的な練習方法など存在しないと言っていた。てっきり裏技めいた秘策でもあるのかと、昨日の時点では思っていただけあって未来は拍子抜けした。

 だがしかし、プロデューサーの言い分は当然の事なのかもしれない。始めからそんな特別な練習方法があったら、誰もがそれを採用して実力を磨いているだろう。

 

「とにかく、始まってみれば分かるわ。本物なのか……口だけの人なのか」

 

 手慰みに己の髪を弄っている静香の瞳は真剣そのものだった。

 彼女は時折こんな表情をしては自分自身を追い詰めている。何が彼女を追いたてているのか、何も語らず横一文字に閉じた唇は黙したまま。ただ未来に分かるのは漠然とだが、彼女のアイドルに対する執念は凄まじいものだという事だけ。

 

「揃ってるな」

 

 扉が開きプロデューサーが現れた。

 彼が現れた、それだけでレッスン場に緊張が走ったように静まり返る。

 

「予定通り、午前中はダンスレッスンを始める」

 

 元々、感情の機微に敏感なタイプじゃない未来ではあるが、この時ばかりは感じ取れるものがあった。

 シャワーでも浴びたのだろうか、血色の良くなったプロデューサーは全員の顔を見回し、小さく「よし」と声を漏らすと、音楽を流そうとCDコンポを再生させようとする。

 

「まだ君たちには全体曲がない。よって、今まで通り元々765プロにある楽曲を使う。勿論、これは公演で披露したことのある物を使用する」

 

 淡々と語りながらコンポを操作するプロデューサーに、誰一人として同意も反駁の声も上げる者は居ない。

 未来は先程に感じ取ったものの正体を理解した。

 これは萎縮だ。自分も含めみんなが彼に萎縮しているのだ。試すような台詞を吐いていた静香も、年相応の少女らしく大人しくレッスンが始まる瞬間を待っているし、年少組は彼が怖いのか、いつもの無邪気で太陽のような笑顔が雲間に隠れてしまっている。

 他にも気にしたそぶりも見せずにいる者も居たが、未来の視界には映らず気がつかなかった。

 

「俺から口出しするようなことはない。安心して君たちは踊ってくれ」

 

 言い切って、プロデューサーは再生ボタンを押した。

 音楽が流れる。イントロが流れ始め、未来の耳にそれが届いてすぐに曲名が浮かび上がった。

 THE IDOLM@STER――先輩たち十三人のアイドルが歌う、ライブ開幕の定番曲の一つとなっている楽曲。

 全体曲を持たない彼女たちはこれを自分たちの公演の開幕に持っていくのが定石となっている。過去にまだ三度しか行われていない公演ではあるが、未来としてはもはや己にとっても定番曲になっていた。

 よって彼女のみならず、他の少女たちも自然と身体が動いた。

 繰り返しの反復練習の成果あってか、ステップを踏む足運びに淀みはなく、表現を顕著にする腕と手の振り付けにもミスはない。視線は前を、体幹は崩さず、自身の中に染み込ませたリズムを本来の楽曲リズムと一致させる。

 三十七人の少女たちが同じ動きをしている様をプロデューサーは観察している。

 未来の視界に、少女たちの前に仁王立ちして観察する彼の眼差しはまるで鏡……もしくはカメラのレンズのようだ。

 録画を続ける瞳が映す彼女たちのダンスは、一言で表現するならば“手馴れている”と言ったところだろうか。一見してミスはあまり見られない。僅かに数人、動きが遅れている者も居るが問題はない。

 一曲分を踊りきったとき、未来は然程疲労もしていないのに額に汗を流していた。

 

「次」

 

 機械的なプロデューサーの声に合わせて、まるで音声認識機能でも付いているかのように間髪入れず次の楽曲が流れた。

 前説の通り、続く楽曲もやはり765プロのものだった。

 休む暇を与えられぬまま未来は再び身体を動かす。数か月前までではありえなかった日常は、彼女の身体に条件反射という練習の成果を獲得していた為、瞬時に楽曲が続いたことに驚きはありながらも踊る。

 しかし周囲の様子を見る余裕はもうない。

 前を向く視線の先には、やはり彼の眼差しが映る。透明な分厚い板を挿んで立っているような観察の視線は、余裕のない未来と違い様々な方向へと行ったり来たりを繰り返している。

 踊り続け、観察し続けるだけのレッスンは、あと三曲分で一端の終わりを迎えた。

 

 

 ※

 

 

 小休憩を挿み再びレッスンとは言い難い練習風景を再開させること数回。気がつけば午前中の時間を使い切っていた。

 切りも良いと判断したプロデューサーは、簡単に号令して昼食を合わせた一時間を休憩とする旨を伝えてレッスンスタジオを出た。なるべく必要以上にアイドルたちとの交流を避けようとする傾向にある彼は、談話室にあるパソコンで仕事をするのを諦め、ノートパソコンの入った鞄を持って人気の少ないだろう屋上へと上がった。

 扉を開け、外へ出ると強い風が彼に洗礼の如く浴びせてきた。一口に屋上と言っても、学校にあるような広く平坦なものではない。幾つもの配管が縦横無尽に張っては交差しあい、彼にもよく分からない物が多く屋上には設えてあった。恐らくはこの劇場の機能を十全に発揮するためのものなのだろう、と当たり前に判じて、壊さないように足元に気をつけながら進む。真っ直ぐと配管を避けながら進むと、彼の目の前に大きな看板の背が映った。765ライブシアターと英語で表記された看板は、日がまだ上っていることもあって電気は点いていない。

 ここならば誰も来ることはないだろう、そう思った彼は看板の背に、己の背を向けて縁に座った。今日()風の機嫌は悪いらしく、絶え間なくプロデューサーの全身へと吹き続けている。春の陽気には時折ある事だった、桜の咲いた頃に、まるで花を散らさんとばかりの風は悪童の悪戯のよう。トレードマークとまでは自負してなくとも、セットには力を入れている髪も風の勢いに折れ、すっかり乱れていた。

 目を伏せ、手元に開いたノートパソコンのディスプレイを見つめる。たまに邪魔する前髪が鬱陶しく思い、眉を顰めて手櫛で直す。思えばこの髪型との付き合いも長くなったものだ、と彼は邪魔っ気に退かしながらも感慨深くなる。

 一度は信を失い去った道を逸れ、横道に趣味を兼ねた仕事として選んだバーテンダーという職業に相応しい髪型としてオールバックなどと古風なものを選んだが、それも二年もの歳月となれば愛着もつくらしい。毎朝の整髪には時間がかかるし、使う整髪料の金額も馬鹿にならない。合理を良しとする彼なら思い切って短く切ってしまえばいいのに、どうにも気が向かなかった。

 未練だろうか、いや……恐らくはそれよりも卑しい感情、彼は過去を繰り返したくないが為に過去の己の手段に倣いつつも身形を変えることで同一ではないと言い聞かせているのだ。

 キーボードを叩く音に従ってディスプレイに埋められていく文字列や数列を映す瞳は、玻璃のように人間らしい感情を映さない。けれど時折、タイプミスする指先は先の見えぬ未来に躊躇いを持っているように見えた。

 これは賭けだ。凪いだ湖面に投石して波紋を起こさない、などという無理難題を実現するのと同等の、途轍もなく分の悪い賭け。

 しかし、やらぬわけにはいかなかった。始めこそ彼はいまある材料を最大限に駆使しての道のりを考えていた。だが彼は知ってしまった。知らぬままではいられなくなった。

 耳を澄ませば何処からともなく聞こえてくる、調子外れの歌声に可能性を懐かずにはいられなかった。

 

「辛くても~♪ 諦めないんで~す♪ 夢はきっと可奈()うんで~す♪」

「……」

 

 自身の空想の産物なのだと思っていた歌声は思った以上にセンスが無かった、と己を恥じてしまいそうになった所で、本人が居ることに気がついた。

 気持ちよさそうに瞼を閉じて歌う彼女は、風に打たれながらも緩やかで独特なテンポを崩さない。

 やはり、お世辞にも――元より世辞を言えるような性質ではないが――上手いとは言えない可奈の歌声。だが、彼女の歌声が彼に一つの決意をさせた。だからだろうか、そこまで邪険に扱う気も起きなかった彼はらしくもなく自分から話しかけていた。

 

「食事は終わったのか?」

「はれっ!? ぷ、プロデューサーさん居たんですかっ!?」

「俺のが君より先にここに居た」

 

 それは間違いない事実だ。彼がきた時には人影など一つ足りとて無かった。だから、可奈が瞠若して口走った台詞はコッチの台詞だと言いたい。

 

「そうだったんですか、私、歌に夢中で気がつきませんでした……てへへ」

 

 はにかむ可奈を眺めながら、そういえば彼女のプロフィールの好みの欄に『屋上で歌うこと』と書いてあったのを彼は思いだした。だとすれば気がつかぬ内に彼女のテリトリーへと入ってしまったのは、それを失念していた彼の失態だ。

 アイドルたちを避けて人が居ないだろう屋上を訪れたのに、これでは意味を成さなくなってしまう。彼はノートパソコンを静かに閉じ、短く息を吐いて立ち上がった。屋上に吹く風は、座っている時よりも心なしか強くなった気がした。

 

「邪魔をした、俺は行くからしっかりと体を休めるように」

「あっ、待って下さいプロデューサーさん」

「何だ?」

「私、まだちゃんと言ってないことがあるんです……だから、少しだけ……良いですか?」

 

 伏し目がちに両拳を作っては解く、まるで大気を揉むような仕草をしながら可奈は自信のない声で懇願した。なにが彼女にこのような表情(かお)をさせるのだろうか、皆目見当がつかない彼は仕方なしと思いながら、顎を引いて彼女を見据えた。

 

「聞こう」

 

 自分は何様のつもりだ、と思いつつも態度を崩さずに彼は言葉を待った。

 ためらいがちに下方に向いていた視線が、ゆっくりと持ち上がっていく。彼女もまた、自分を恐れているのだろう――少なくとも現時点で彼はそう思っていた。ダンスレッスンの時に全員の顔を見たとき、目が合った瞬間、多くの者が好意的とは真逆の対応を見せたのだ。そして歳の若い層の多くが、彼を恐れるような対応が多かった。

 だから可奈が恐れるのも無理はない。むしろ彼としては好ましい。恐れはいずれ畏れを生む、そうなれば仕事もやりやすい。なのに――

 矢吹可奈の瞳は一遍の曇りなき、清澄な宝飾品のようだった。

 

「ありがとうございました、私、嬉しかったです。あの時、不安だった私の質問を真面目に答えてくれて、本当に嬉しかった……だからありがとうございましたプロデューサーさん!」

 

 彼の瞳が感情の存在に懐疑的にさせる玻璃のようであるなら、彼女の瞳は感情という星々を閉じ込めた玻璃のようであった。

 

「……それだけか?」

「“だけ”じゃないですよ、私にとってはとってもとっても大きなことですから。そうだ、お礼に歌いましょうか? ちょうど良いフレーズが浮かんできたんで」

「いや、必要ない」

 

 右手を挙げて提案を拒否し、制止する。

 プロデューサーの顔には不可解の一言に尽きる表情が象られていた。だってそうだろう、彼は目の前にいる“アイドル”を遠ざけんと、一定の距離を保とうと努めたつもりだった。だのに何なのだ? 彼女の瞳に映る信頼の光は。

 

「矢吹は、歌が下手だな」

「うっ……やっぱり、プロデューサーさんもそう思いますか」

 

 不可解な信頼がのしかかり、ふと無骨な物言いが出てしまった。

 彼女も自分自身で自覚していたのか、痛い所を突かれた様子で肩を丸めた。

 もう少し別の言い方や話題があった筈だ――彼は悄然とする可奈を、苦い面持ちで見つめながら内心で謝罪した。一度口から放たれた以上、即座に撤回、というわけにもいかない。本意ではないと思いながらも、ここで話を切っては良くない沈黙が時間を無駄に喰らうと判じ、彼女の歌唱力に対する所感を並べ立てる。

 

「感情を乗せるのは構わない、しかしそれ一辺倒ではバランスが崩れる。テンポと音程、声量の強弱と呼吸のタイミング、なにより大切なのはその歌が何を“伝えたい”のかを理解する事だ」

「ええっと……テンポと、音程と強弱をタイミングよく伝えて、あと呼吸を……。ううん、もっと頑張らないとっ!」

 

 見た目や態度から打たれ弱いかと思われたが、存外そうでもないらしい。アドバイスのようで“君はこんなにも駄目な所がある”なんて厭味にも取られてもおかしくない助言に、可奈は貪欲に学ぶ姿勢を見せた。

 

「では俺は先に戻っている」

「あ、はいっ」

 

 これ以上の対話は不要と判じ、彼は屋上を後にする――その間際、

 

「練習は構わないが、あまり熱中して午後の時間に遅れないように。それと、春とはいえまだ風は冷たい。汗は拭いておいた方がいい」

 

 振り返り忠告をする。

 風をひかれては今後のスケジュールに支障が出る。彼としても彼女らに試練を課しはすれど、無意味なシゴキを押し付けるつもりはない。

 

「うあっ、忘れてました気をつけます」

 

 汗の存在など意識のそとにあったらしく、指摘されて初めて可奈は慌てて首にかけたタオルで拭っていく。

 まるで小動物のような彼女の仕草を横目に、プロデューサーは屋上から立ち去った。

 

 

 一時間の昼休憩を終え、プロデューサーを含めシアター組全員のアイドルは再び談話室へと集合していた。各々が十分な休息を得られたのか、午前のダンスレッスンで消費した体力はある程度回復した様子だ。

 プロデューサーはアイドルが全員揃っているかを確認するように側目し、それを終えると区切りをつける意味で一つ頷いた。

 

「朝に説明した通り、午後からはボーカルレッスンとビジュアルレッスンをやっていく。これから呼ばれる七人は俺と共にレッスンスタジオに、残りの者は劇場ホールにて各自ビジュアルレッスンを行ってくれ」

「はいっ!」

 

 ハイトーンの黄色い返事。これまで永く縁遠かった状況に、プロデューサーは心が落ち着かない風情ではあった。が、彼はそれをおくびにも出さずにホワイトボードへと振り向いた。

 午後の予定に書かれているボーカルレッスンという字に、特に意図も無く丸を付ける。ただ単に、一拍置くタイミングを欲しただけだ。コツコツとホワイトボードを水性ペンで叩きながら振り返る。彼の口が開くのを待っているのだろうか、アイドルたちは黙然と張り詰めた面持ちで立ち尽くしていた。

 

「今日は七人一組のボーカルレッスンを二組分やる。つまり、計十四人がレッスンを受けるという事になる。初めに呼ばれる七人以外にも、後に呼ばれる可能性もある。よって各々、いつ呼ばれても大丈夫なように準備だけはしておくように」

 

 淡々と言い切って、プロデューサーは胸元から手帳を取り出した。それは赤羽根がシアター組のプロデュースをする際に持っていた物、彼の苦労と努力が染みついた物だ。今後はプロデューサーがシアター組を担当する事になったので引き継いだそれは、端がよれて色も褪せていた。それでも、買い換えるつもりにはならなかった。

 手帳を開き、最新のページへ目を通す。

 固い文章で記された名前を、これまた固い声色で読み上げる。

 

「春日未来、伊吹翼、最上静香、北沢志保……矢吹可奈、七尾百合子、望月杏奈。以上七名はこれよりレッスンスタジオに集合。

 他の者は劇場ホールへと向かってくれ。以上だ」

「はいっ」

 

 名前を呼ばれた七人は自然と引き合うように集まった。

 何故呼ばれたのか、理解出来ないという戸惑いと純粋な疑問、またレッスンに対しての意気込みからか毅然としている者など、その特有の“豊かさ”は彼女たちが中学生だからだろうか。不意に己の中学時代に彼女たちのような女子生徒はいただろうか、と記憶を振り返ってみるが、途端にその無意味さに気がついて自重した。

 

「早く行きましょう、時間がもったいないわ」

 

 このまま放っておけば雑談が始まってしまうのでは、と危惧して彼が声をかけようとしたのを先んじて、静香の凜と澄んだ声が諌めた。この七人に限定した場合、集団を牽引するのは彼女か、志保だろうと読んでいた彼の考えは間違いでななかったらしく、他のアイドルたちは忠言を受けて足早にレッスンスタジオへと向かった。

 その背中を追うようにプロデューサーが声をかける。

 

「スタジオについたら各自発声練習をしておくように、これより十分後に始めるので、それに間に合わせるように」

「まっかせて下さい! じゃあお先に行ってきます!」

 

 手を上げて元気よく答える未来は、振り返りながら歩いていたせいか、その後自分の足に引っかかり転びそうになっていた。無邪気さと明るさ、それに積極性を数値にするならば未来という少女はこのグループ内ではトップクラスだろう。

 ただ彼としては、そんな未来に疑義を懐いていた。

 まるで他の者の行動を封ずるような、そんな先回りに似た行動のように見えた。

 気になるのは事実だが、これに拘泥して十分という少ない時を無駄にはしたくなかった彼は、一息吐いて劇場ホールへと向かった。

 アイドルたちとの初対面の時以来になるホールは、七人欠けた状態であの日の焼回しのような光景が広がっていた。

 一歩一歩確かな足運びでステージへと近づいて行くにつれ、ステージに立つ少女たちに緊張の色が滲み出てくるのが見て取れる。ただ一人――馬場このみを除いて。

 緊張感を持つことは大切だ。緊張感は警戒を意識させ、警戒は失敗を遠ざける。ただし、それも度合いによって変わってくる。根拠のない緊張は足早に肥大化していくもので、根拠が無い故に解消も出来ない。だから彼は自信に緊張を向けさせることにした。そうすれば彼女たちの感情制御も楽に行える、という手軽さから。

 

「気にせず始めてくれ」

「そんな睨むような目で言われて、気にするなって方が無理よ」

 

 なのに馬場このみは彼に対して緊張感も嫌悪感も懐いているようには見えなかった。自惚れではなく、本当に、疑いの眼を以って見続けた彼をしてそう結論付けるしかなかった。

 遠ざけた筈のこのみは、彼を視界に入れるなり何故だか困った子供を慈しむような視線を――子供のような外見をしている癖に――向けて、こちらへと歩み寄ってくる。それが彼の中でさらに疑念を育てる。

 ステージ上に立つこのみとプロデューサーの視線が交わる。自然と彼女が見下ろし、彼が見上げる形となる。

 

「客の視線は下手な批評家より辛辣だ。この程度受け流せないようでは今後に響く」

「でも毎日そんなんじゃ息も詰まるわよ? プロデューサーもちょっとは気を緩めたらどうかしら」

「気を張っているつもりはない、俺はいつもこんなだ」

 

 大袈裟にざっくばらんに答え、プロデューサーはこのみの心意を探る。

 どうにも彼女だけは、彼の描く指針通りに動いてくれない印象があった。先日の談話室での会話では突き放した筈なのに、未だ彼女は自身に嫌悪も畏怖も懐いていない。せめて苦手意識程度は期待できるかとも思っていたが、これもいまの態度を見る限り望みは薄いだろう。

 このみの後方に控える他のアイドルたちも、彼女のくだけた態度にプロデューサーという人物の再評価を始めようと二人のやり取りを観察する眼を向けていた。

 やりずらい――彼にとってあまり望ましい状況とは言い難かった。思わずため息が出てしまうぐらいに。

 

「……準備運動が終わり次第、レッスンを始めろ。二時間後にまた来る」

「私たちの練習は見てかないの?」

「今日はボーカルレッスンに講師を呼んでいない。あの七人を見なくてはならないので、年長者の君に任せる。得意だろう、年下の面倒を見るのは」

「ま~ね、なんてったってお姉さんですからね。若い子の手綱は私に任せないっ」

「なら、そうさせてもらおう」

 

 ふふん、と鼻高々にやにさがるこのみから視線を外し、遠巻きに二人を見ていた者達へと移す。いつもは眠たげなのか睨んでいるのか判別がつかない眼差しが、今に限っては睨みの方へと天秤が傾いていた。

 数人がびくりと身体を震わせるが、気にした様子もなく彼は口を開く。

 

「ここでのレッスンは馬場に一任する。特別な方法は必要ない、いつも通りの事をいつも通り続けるように」

 

 このみとの会話にて失いそうになった印象を取り戻すように厳然と言い放ち、返事も待たずに踵を返した。背後から子供のような体躯と容貌の彼女がレッスンの続きを促す声がし、それに従うような声が返ってくる。

 あまり彼女との会話は控えた方が良いかもしれない――プロデューサーは劇場の扉を潜り、後ろ手に閉めながら頭を悩ませた。

 

 

 一口にボーカルレッスンと言っても、単純に歌い続ける、というわけでもない。

 勿論、歌いはする。講師による音程やリズムテンポ、強弱等々、やることは多岐に渡る。その中でも重要視されるのは、曲の解釈である、とプロデューサーは考える。

 

「矢吹、もう少しここのフレーズは感情を抑えて、溜めるようなイメージで」

「溜める、溜めるんですね、はいっ」

「それじゃあもう一度、一小節前から」

 

 この曲は何を思って歌うのか、歌詞のみに記されたそれは音も旋律もないただの美しき文字列でしかない。平面的な美を体現する詞は一個人を豊かにさせる太古より伝わり続ける遺産だ。が、現代人はこれに音と旋律を乗せ、三次元的跳躍を果たし人心に様々な影響を与える。だからこそ、何を思って歌い伝えるのか、これがとても重要なのだ。

 集中している可奈から視線を外しキーボードを叩く。ノートパソコンに繋いだスピーカーから、楽曲がBメロから流れ始める。当然、これも765プロの全体曲だ。シアター組専用の全体曲を持たない彼女たちの練習には、これを使用するしか他にない。ソロ曲こそあれど、それは彼女ら個々が持ち、一人で歌う物。であるならレッスンにソロ曲を使用した所で、曲事態を知っていても完璧に歌うことが出来ない、という噛み合わせの悪い結果にしかならない。

 その上、全員が誰かのソロ曲で練習をして例え上達した所で、基本的にその曲を他のアイドルが歌う、などという変則的展開になどならないのだ。不測の事態が起きるなどしてやむを得ず、という線が必ずしも無いと言い切れるわけじゃないが、だとしても不測を予測して地道に運以外のあらゆるモノを埋めていくのがプロデューサーの仕事だ。

 だから、

 

「望月、レッスンもアイドルの仕事だ、スイッチを切り替えろ」

「……ん、わかっ……りました」

「七尾、君の想像力の逞しさは理解した……が、この曲にファンタジーの要素は無い。あくまで現実に則しているのを忘れないように」

「え? ど、どうしてバレ……」

「一区切りの度に妄想を口にするのは控えた方が良い、沈黙は金なりとまでは言うまいが、この場合君の妄言は金言には成り得ない」

 

 こうしてアイドルたちの手綱を握り、制御するのも必要とあればいくらでもしよう。これで彼女たちが成長してくれるのなら、彼は労力を惜しまない。

 

「北沢、最上、これはソロではない。全体に合わせバランスを取ることを忘れるな。曲が死ぬ。

 伊吹、練習と割り切るな本番を想像しろ。目標の無い努力は時間の無駄だ。

 春日……歌詞を間違えている、読めない漢字には振り仮名を忘れるな」

 

 かと思えば問題は次々と浮かび上がる。(ちり)を集めて積み上げる度に風が吹いては吹き飛ばし、再び積み上げるような、そんな徒労を予感してしまうのは気のせいだろうか。

 問題点は多く、課題は山積みだ。さらに自分で設けたとはいえタイムリミット付き。

 だがそれでもやるべきだと感じた。

 僅か二時間のレッスンが終わり、彼女たちを連れて劇場ステージへと向かう。道中、可奈が何やら彼に質問したそうにそわそわしていたが、気がつかないフリで黙殺した。未だ、他の六人は彼に距離を作って遠巻きに見ているだけだった。

 彼女たち七人と入れ替わる様に、次に選んだのは、大神環、ジュリア、所恵美、高坂海美、宮尾美也、田中琴葉、島原エレナの七人。

 彼女たちもまた問題点は多く在ったが、それ自体は構わない。彼としては問題があるのを知ったからこのような事をしているのだ。だから疲労は積み重なるだろうが、構わなかった。だが別の問題も浮上した。

 この七人の中で唯一の年少組である環がプロデューサーを、恐れか嫌悪か――年少ゆえにその機微も解り難く――理解出来ぬが苦手としている為に、思った以上にレッスンに支障が出てしまった。

 これは彼にとっても初めての経験であった。意図して畏れを得ようと振る舞っていたこれまでの行動や言動が、年少には思った以上の効果を発揮してしまうなど想定していなかった。パラシュートで目標地点に着地する瞬間に、強風に吹かれたような気分だ。

 

『プロデューサーの言い方……他の子には誤解されるから気をつけた方が良いわよ。私は年長者だから良いけど、ここにはお子ちゃまもいるんだから』

 

 先日このみと交わした会話が脳裏を過ぎった。

 彼女が言っていたのはこの事だと、遅まきながら結果が出てから理解したプロデューサーは年少組に対しての接し方を考え直すかどうかを、考えるしかなかった。

 こうして初日のレッスンスケジュールは、彼女らと彼に多くの問題点を浮彫にさせたまま、改善点を明日に持ち越して終了した。

 

 

 ※

 

 

 空模様は既に夕暮れを通り越していた。

 劇場に殆ど籠りきりだった彼女たちは、夕暮れを見ぬままに夜と出会ってしまった事に、時間の流れる速さをほとほと実感せざるを得なかった。もし昼休憩中に外の空気を吸いに行ったりしていなければ、きっともっと早く感じていただろう。

 プロデューサー直々のレッスンが終わり、アイドル一同はとりあえずの所いつもの習慣ゆえか、談話室へと集まっていた。みんなの表情はお世辞にも“やりきった”というポジティブな汗を流した後の爽快感とは縁遠い。というのも原因は、やはりプロデューサーにあった。

 

『明日は日曜日、日程は本日と変わらないのでその旨忘れないように。何か用事、または緊急の事が起こった時は事務所に連絡を入れてくれ。以上だ』

 

 たったそれだけの通告を終えて、彼は仕事鞄を持って劇場を後にした。恐らくは事務所に戻っているのだろう。正直な所、彼が談話室に居残っていたら彼女たちはここに寄りつかなかっただろう。

 逆に彼が居ないからこそ、この場にアイドル全員が集まるという珍しい状況になっていた。

 計らずとも彼が要因となって彼女たちの結束は強まっていた。

 

「杏奈のヒットポイント、もう黄色……。なにか、食べたい……な」

「私も……レストランが舞台の本読んでたら、お腹が。なんだか、いつもより疲れたような気がする……」

「百合子さん、も? 杏奈、ブロックなら持ってる、けど……食べる?」

「えっ、本当? あ、でもそれって杏奈ちゃんが食べようと取っておいた物だよね。貰うわけにはいかないよ、杏奈ちゃんが食べて。お腹、空いてるんでしょ?」

 

 杏奈がもぞもぞと実寸よりも大きい服の袖を引っ込め、どこからか取り出したバランス栄養食を、百合子は彼女の空腹具合を鑑みて辞退した。自分とて空腹を覚えているが、差し出されたブロックは元を正せば杏奈の物だ。彼女が食べるのが筋であろう。

 でも、当の杏奈はバランス栄養食の封を開けるなり、中に入った二本のブロックの内の一本を百合子に差し出した。

 

「じゃあ、一緒に……、食べよ?」

「杏奈ちゃん……! うんっ、ありがとう!」

 

 同じ食事を分け合い、二人は肩を並べて口に運ぶ。それは簡素で、食べた瞬間から水分を欲してしまうような、けれど不思議と癖になる、そんな食べ物だった。

 体力の消耗はこの二人に限った話ではなかった。

 談話室の中央でぐったりしている未来は、満身創痍を絵にかいたような表情になっていた。

 

「うあ~、つーかーれーたー」

「情けない声出さないでよ、未来。聞いてるこっちまで感染(うつ)りそうだわ」

 

 両腕をテーブルに目一杯伸ばし、体を預けながらに呻き声を上げる未来に、溜息一つ吐いて静香が諌めた。そんな彼女の音声(おんじょう)にも疲労が隠しきれていなかった。

 

「う、だって~、なんか今日はいつもよりも疲れちゃったんだもん。何でだろう? ねえ静香ちゃん、何でだと思う?」

「あなたが解らないものを、どうして私が解ると思うの」

「えへへ、静香ちゃんならわかるかと思って」

 

 疲れた、と言いつつも無邪気な笑みを絶やさない。静香は未来のこういった所は素直に評価出来ると思っていた。

 ――それだけに今日一日の彼女の様子が気になってもいた。

 

「ねえ未来、あなたなんだか今日は様子がおかしかったけど、何かあったの?」

 

 気遣うような問いかけは彼女特有の静謐な声色と相まって、耳にするだけで心身を慰撫する。

 なのに、未来の表情は罰が悪くなったように曇る。言葉を選ぶように幾度も口の形が変わりながら、視線が視界に映る仲間達へと右往左往する。それは明らかな動揺であった。

 

「あー、えっと、ね」

「あまり言いたくないことなら無理に言うことないわよ、私も無理に訊くつもりはないわ」

「そうじゃないの、ただね……プロデューサーさんの事で、ちょっと気になって……」

「プロデューサー……」

 

 単語一つに静香の表情にも陰りが差す。

 結局、今日一日のレッスンは特別何かを成し遂げたと言うわけもなく、新しい試みを導入したわけでもない。良くも悪くも普通、というのが静香の総評だった。

 ただ、未来が言いたいのはそう言う意味での“プロデューサー”ではないのだろう。

 あのね――と言いながら未来は鷹揚に身を起こした。

 

「始めは嬉しかったんだ、私たちにも専用? じゃなくて、専門ってのも変だよね。うーん、なんて言えばいいのかな」

「専任、って言いたいんでしょ」

「それそれ専任! よくわからないけど、そんな感じでプロデューサーさんが来てくれたのは、私……すっごく嬉しかった。憧れのアイドルにまた一歩近づいたような、そんな気がして」

 

 春日未来という少女はアイドルを志す前は、当然ながら普通の女の子だった。多くの部活を掛け持ちしながら、日々を明るくまっすぐに過ごしていた。だからアイドルという偶像への強い憧れを懐いた時、それまでの日常よりも魅力的に見えたが故に、これまでの全てを擲ってこの世界へと足を踏み入れた。

 後悔は無かった。後に悔やむと書いて読む後悔は、未来にとってはまだ“先”にあるのだから。後悔するにはまだ早すぎる。

 未だにアイドルとしては三流以下、そのスタートラインにようやく立ったと思っていた矢先、社長が彼を連れてきた。丁寧に櫛で後ろに撫でつけた黒い髪、自分より少し高い、けれど決して高身長とは言えぬ身長、その高さから見下ろす双眸。

 

「初めて会った時は、ちょっと恐い人なのかなって思ってたんだ。急に、ライブはやらない! お前たちは未熟だ! 言う事を聞け! って怖い顔で言うから。びっくりしちゃった」

「驚かない方がおかしいわ、あんなの」

 

 いま思い出しても腹に据えかねる思いが静香にはあった。それは今日に至って更に膨れ上がっていた。

 

「あれだけ大言創語しておきながら、結局は普通のレッスンでしかしなかった」

「でも、私たちだけじゃ気がつかなかった所とか、沢山注意してくれたよ? 私なんかいっぱい怒られちゃった、でへへ」

「笑いながら言うことじゃないでしょうに」

 

 嘆息し瞳を閉じる。網膜には未だ数時間前の光景が鮮明に焼き付いている。

 確かに未来の言うとおり、彼の指摘は的確であった。これまでもレッスンの講師に色々と教えを受けていたが、それを上回って、彼は別の視点からの意見を遠慮のない口調で切り刻んでいた。性格には難しかないような人物だが、それだけではないのかもしれない。

 ただそれでも、今後も彼の教えを受け続けてトップアイドルを目指せるのか? と問われたら、静香は確信を持って頷ける自身が無かった。何かを掴んだ、という実感が今日のレッスンには無かったのだ。

 

「このまま続けて、本当に上へと行けるのかしら」

 

 煩悶を続ける脳内から溢れ出た懐疑の念が静香の口から漏れ出た。――と、視線を感じて振り向けば、未来が意外そうな面持ちで両目を見開いていた。

 

「自信ないの? 静香ちゃんは」

「そうじゃないわ、ただ今のプロデューサーの教えに疑問があるだけよ」

 

 以前までシアター組についていた律子と赤羽根に比べて、彼は問題が在り過ぎる。相手を屈服させるような語調に、あの半眼、石の様に硬い表情。とても自分の担当アイドルに向けるようなものではない。

 いったい社長は何を考えて彼を雇ったのか、静香には理解出来なかった。

 それは他のアイドルにも当てはまるだろう。同様の感情を殆どのアイドルが、少なからず懐いていた疑問であり、疑念だった。目の前で呆けた顔をしている未来だって、それは同じだろう。

 なのに、未来は先行きにまったく不安を懐いていないような笑顔を魅せる。

 

「大丈夫だよ! だってプロデューサーさんが言ってたじゃん『高みから見える景色を観せよう』って」

 

 思い起こされるのは初日のステージでの宣言。

 あそこから始まってまだ一日しか経っていない。なのにそれ以上に長い時間が経ったような気がするのは気のせいだろうか。

 未来は疑ってなかった、プロデューサーの言葉を。

 

「でも、さっきはプロデューサーの事を恐い人って言ってたじゃない」

「今でもちょっと怖いよ、でもなんか思うんだ。プロデューサーさんが怖い顔して怖い事言うのは、私たちの為なんじゃないのかな~って。

 勝手な思い込みかもしれないし、勘違いなのかもしれないけど、そんな感じがしたんだ。でも百合子ちゃんとか杏奈ちゃんは、怖がってるっぽいし、だから私が間に立てないかなって……えへへ、そんなこと考えてたから、静香ちゃんにもおかしいって言われるんだね」

 

 並べ立てた意見は全て勘でしかない。それも“~かもしれない”“~だったら嬉しい”という願望が混じってないと言えば嘘になる、そんな頼りない理論だった。けれど、それでも未来にはどうしても彼がただの怖い人、悪い人には思えなかった。

 それに、全部が想像と言うわけでもない。現に彼と平気な風情で話している人物が、未来が見て知る限り二人いた。我らがシアター組の最年長にして自称セクシーの馬場このみと、ポジティブが空回りしながらも一週回って戻ってくる矢吹可奈の二人だ。

 このみは馴れ馴れしい態度と口調で彼に話しかけていたし、それを咎める様子もなく、寧ろ彼の方が対応に困っているようにも見えた。

 可奈は積極的、というわけではないがそれでも彼に少なからず好意的だ。ボーカルレッスンの時も自分と同じか、それ以上に多くの注意を受けてもへこたれず、努力で乗り切っていた。

 このように、少なくともこの二人は未来が知らぬ彼の側面を彼女らなりに見出しているのだろう。だから未来も率先して彼に返事をするし、彼を恐れる人の誤解を解いてみようと奮闘してみた。結果として、それが静香に入らぬ心配を与えてしまったのだから締りが悪い。

 

「さっきから何話してんの? 二人とも」

 

 シリアスさを自分色に塗りつぶすような魅力ある少女――翼が二人の間に文字通り顔を突っ込んだ。

 

「なんかプロデューサーの名前が聞こえたけど、どうかしたの?」

「別に大した話ではないわ、どんな人なのかを話題にしていただけよ」

「翼ちゃんはどう思う? プロデューサーさんの事」

 

 差し向けられた未来の質問に、翼は自分の顎に白魚のような指を当て、考えるような仕草をする。

 

「プロデューサーさんの事? そうだなー、うーんまだよくわかんないけど、ずっとつまんなそうな顔してるよね。見てるとこっちまで退屈になってくるから、それはヤだなって思うよ。

 あと、やっぱりちょっと恐い感じがするな~」

「つまんなそうな顔かぁ」

「面白くなきゃ、なんだってつまんないでしょ?」

 

 爛漫な笑顔で断言する翼に、未来はこっくりと頷いた。

 伊吹翼にとってプロデューサーの態度や表情は、怖くもあるが、それ以上に退屈そうに見えるらしい。独特な意見であるが、それも彼女から見た彼の側面なのだろう。

 不意に静香と翼から視線を外す。談話室には未だに多くのアイドルが残っている。ただ一人、二階堂千鶴はそそくさと何やら周囲を気にしながら出て行ったが、偶に見かける光景だったので未来は気にしなかった。

 運動が元から得意なエレナや歩、そして海美や奈緒などは平気そうな顔で談笑しているが、逆に体力に自信の無い者達の表情は未だ優れない。

 

「あの、志保ちゃん……今日のダンスレッスンの時、ぶつかって邪魔しちゃってごめんね」

「気にしなくていいわ……気がつかなかった私も悪かったもの」

 

 固い口調でぶっきらぼうに返す志保に、可奈は何かを感じ取ったのか、眩しく輝くような笑顔で彼女に向かって飛びついた。

 

「ありがとう志保ちゃんっ!」

「きゃっ、ちょ、ちょっと! 矢吹さん……っ! 突然抱き着かないで」

 

 微笑ましいひと時の向こう側には、沈んだ様子の環を恵美が慰めている様子も見られた。子供だけあって、直接的なプロデューサーの言動にはそのまま直撃だったらしい。が、恵美が慰め、それに海美が混じると、これまた子供らしく環はすぐに持ち直して――こんな時間なのにも拘らず――遊ぼうと二人にせがみ始めた。

 何も進歩していないのかもしれない、そう思う静香もいれば、マイペースに退屈なのは嫌だと主張する翼もいる。

 改めて自分はどうなのだろうか――未来は己の内に問いかける。

 以外にも、答えはあっさりと返って来た。

 これからどうなるのか、楽しみでしょうがない。湧き出た答えに疑念は無い。これが未来が出した偽らざる答えなのだ。

 

 

 ※

 

 

 765プロ本社事務所には数人のアイドルがまだ残っていた。空が群青に染まりつつある時間帯とはいえ、アイドルという職業柄おかしくもないだろうとプロデューサーは不思議にも思わなかった。残っているアイドルは、双子の姉妹である双海亜美と真美、沖縄出身の我那覇響、ミステリアスが服を着ている四条貴音の四人。

 相変わらず立てつけの古くなった事務所の扉を潜り迎えたのは、事務員の小鳥だった。

 

「おかえりなさいプロデューサーさん」

「ただいま戻りました」

 

 年相応の穏やかな笑顔でプロデューサーを迎えた小鳥は、そのまま給湯室へと向かって行った。

 間仕切りしてある安物のパーテーションの向こうから、前述した四人が顔を覗かせた。自分を観察するペットのハムスターを合わせた十の瞳に気がつき、顔を向ける。

 

「……!」

 

 まさか気がつかれるとは思わなかったのか、彼女たちは視線が合うなり瞬時に顔を引っ込めた。貴音だけが遅れて、後ろから引っ張られるように姿を隠す。

 プロデューサーは気にした様子もなく、自分のデスクに着いた。

 一度だけ背筋を伸ばすように身じろぎし、肩を回す。この二日間で急に増えたデスクワークは想像を越えて彼に負担を与えていたらしい。無理も無いだろう、この仕事をしていたのは二年も前の話。そのブランクは大きく、過去に担当していたアイドルはたった一人だったのだから。

 開いたノートパソコンにまだ残っているレッスンスケジュールの項目を作っていく。暫くタイピングの音だけが事務所内に響き渡る。パーテーションの向こうに居る彼女たちも、息を潜めて会話しているのか、ここからじゃ彼にも内容は聞き取れない。

 ことり、と音がした。特に意味もない環境音だと思い、プロデューサーは無視していた。が、やがて無視出来ぬ“香り”が彼の鼻孔へと漂ってきた。

 手の離せない作業の中、横目で盗み見ればそこには湯気が上った淹れたての珈琲が置いてあった。

 事務作業から離れて視線を向ければ、そこに人影は見当たらない。はて……だとしたら一体誰がこの珈琲を淹れたのだろうか。仕事に集中するあまり彼はソレに意識を向けられなかった。

 先程給湯室へと向かった小鳥の差し入れだろうか。しかし彼女ならば姿を隠すような演出を興じず、ごく普通に、当たり前に寄り添うように微笑みを携えてマグカップを差し出すだろう。

 この時、満足に睡眠を取らずに激務に励み、あまつさえなれない生活リズムに喝を入れながら肉体を酷使していた彼は、有り体に言って疲れていた。だからだろう……彼は特に誰何するまでもなく目の前の珈琲を疑いなく口へと運んでいた。

 

「…………むっ」

 

 それは呻きであった。

 ゆっくりと巻き戻す様にその手からマグカップが元の位置へと戻された。

 眉を顰め、目を眇め、眉間に皺が寄る“程度”で済んだのはひとえに彼の精神力の強さにあった。

 

「いえーい、やりやりー! 大成功~!」

 

 一音違わず重なり合う勝利宣言にも等しい歓声がステレオで湧き上がった。

 声を聴いて、初めて自分がハメられたことに思い至った。冷静であれば、或いは気がつけたかもしれない――立ち上る湯気から漂う珈琲“以外”の香りに。

 

「んっふっふ~、やりましたな真美隊員」

「んっふっふ~、やりましたぞ亜美隊員」

 

 締まりがない表情で現れたのは、瓜二つの少女だった。あえて違いを探すとするなら髪型と服装の色ぐらいだろう。見紛う事無く、二人は双子である。

 猫のような口元に手を当て、半眼でプロデューサーを見つめて朗笑する二人へと、彼は苦々しい面持ちを凍てつかせて口を開いた。

 

「双海亜美、双海真美」

「やばっ、この顔は怒ってる顔ですぞ」

「こんな時は逃げるが勝――」

「待て」

 

 身を翻して逃走を図った亜美を制止するは氷の言霊。低く、熱のない声が彼女たちの足元に霜を張り、足を凍りつかせた。

 褪めた双眸が鏡合わせの少女を見据える。

 視線に気がついた瓜二つの二人は、しかしこの場において対極の反応を見せた。

 

「うあうあー、めっちゃ怒ってんじゃん。亜美がやろうなんて言うからだよー」

「真美だってノリノリだったじゃんか。亜美はオトナのじょーしきには屈しないんだかんねっ」

 

 怒られると思ったのか、肩を窄めて萎縮する真美。

 怒られまいと抗ったのは、胸を張って豪語する亜美。

 芸能界を生きるアイドルとはいえ、彼女たちはまだ子供、中学生だ。遊びたい年頃に我慢するなというのは酷なものだろう。それにきっと、これが彼女たちなりのコミュニケーション方法なのだろう。プロフィールにも『悪戯好き』と書いてあった。

 真逆の行動の中に混じる同一の眼差し、プロデューサーを恐れる瞳を前にして、彼は嘆息し、肩の力を抜いた。

 

「すまないが新しい珈琲を淹れてくれないか。ああ、もうタバスコは入れないように。珈琲には合わない。

 生憎、刺激物を混ぜて飲む趣味は、俺には無い。どうせ入れるなら砂糖にしてくれ」

「…………ほうほう、さてはイケる口だねっ、新人クンは」

「真美たちの“つーかギレイ”に屈しないとは、さては同じ穴のムジカだね!」

 

 本気で怒らない、という事は安全な人。なんて方程式が彼女たちの価値観に組み込まれているらしく、二人は一転して破顔してみせた。

 ムジカ、とはイタリア語だろうか、などとプロデューサーの脳裏に持ち上がった疑問は、続く無邪気な声を前に霧散した。

 

「ではでは真美隊員、新たな任務の為にピヨちゃんのとこへと――しゅっぱぁ~つ!」

「あっ、待ってよ亜美ー!」

 

 小鳥も共犯者であった事を口に漏らしながらも、上機嫌で給湯室へと走っていった二人。狭い事務所では距離などあってないようなもので、あっという間に二人の姿は給湯室へと消えて行った。

 ものの数分で嵐でも過ぎ去ったような静けさが舞い戻り、彼は口内に残ったタバスコの残滓を吐き出すように大きな息を吐き出した。

 仕事をしよう――そう思ってパソコンへと向き直れば、スリープ状態になり暗転したディスプレイが、彼と、その背後に立つ姿を映し出していた。鮮明とは言えない出来損ないの鏡であるが、それでもこの特徴的なシルエットには覚えがあった。

 

「用件はなんだ? ……四条」

「なんと面妖な、新しきプロデューサーは背中に目があるのですか?」

「ディスプレイに映っている」

 

 なるほど得心しました、と言って貴音は感心したように目を瞠った。

 彼女には独特の会話のテンポがある。短いやり取りの中でも、それがはっきりと解るほどの難解さだ。意味不明な言い回しではあるが、これ以上に彼女を言い表す言葉がプロデューサーには思いつかなかった。

 

「それで、用があるのだろう?」

 

 こちらが黙っていたら相手も同じように沈黙を続けそうな雰囲気を感じ、プロデューサーが振り向いて問う。

 玲瓏たる月を思い起こさせる銀髪の王女が、真剣な眼差しで彼を凝視する。

 

「らぁめんにたばすこは合うのでしょうか?」

「…………さて、種類によるのではないか」

「それは……らぁめんのでしょうか?」

「そうだ。気になるなら自分で試してみると良い、体験に勝る経験はない」

「……箴言ですね。()いことを訊けました。真、感謝に堪えません」

 

 絶句しなかったのは流石、と己を褒めたい気分だった。

 珈琲にタバスコを混入する悪戯はまだ――許容するわけではないが――理解出来る。しかし、その流れに乗って何故ラーメンなのか。そしてタバスコと合うのか、などという奇天烈な質問になるのだ。跳躍した思考プロセスを前に、問い質そうなんて疑問すら湧かなかった。

 

「では早速試してみましょう」

「……好きにしろ」

「ちょ、ちょっと待つんだ貴音! 早まっちゃ駄目だぞ!」

 

 快く前向きな返事をした貴音を制止する声と共に、もう一人、日焼けが映える少女が慌てた様子で横槍を入れてきた。

 

「辛い物と熱い物を一緒に食べたら、口の中が大変なことになるぞ」

「ですが、プロデューサーの仰る通り、己が身で体験する以上の経験があるとは思えません」

 

 貴音の身を案じて引き止めるも一歩も譲らぬ姿勢を見せる彼女に、我那覇響は縋るような眼差しをプロデューサーへと向けてきた。困ったような表情がやけに似合っていた。

 

「プロデューサーも見てないで一緒に止めるんだぞ」

 

 成程、熱い物に刺激物を合わせて食べればその刺激は倍以上に増すだろう。然る後に彼女はその辛さに悶絶するかもしれない。それを案じての行動。

“随分とまともな思考だ”

 協力を求める響の様子を見てプロデューサーは彼女をそう評した。

 

「君は普通だな」

「なっ!? どうして突然自分を貶すんだ、酷いぞ!」

 

 思ったままを語った途端、響は八重歯を見せて抗議の声を上げた。

 なぜ怒ったのか彼には疑問だった。が、考えてみればアイドルを前にして“普通”という評価は褒められてると思えないのも無理はない。

 そう、響も貴音も亜美も真美も“アイドル”なのだ。故に彼の行動や発言に間違いはないだろう。アイドルから一貫して距離を置く事を決めたのだから。

 これを気に“苦手”もしくは“嫌い”になってくれれば――シアター組と違って担当ではないアイドルで、しかも顔を合わせる事など多くはないが、それでもアイドルが彼に向ける信頼はやがて猛毒になる。

 だが響は「あっそうか」と何か自分の中で納得がいった様子を見せた。

 

「プロデューサーは自分のことを知らないからそう思うんだな。じゃあ、改めて自己紹介するぞ。

 はいさーい! 自分、我那覇響だぞ。自分のことを一言で言うなら“普通”じゃなくて“完璧”って言って欲しいぞ。なんてたって、歌もダンスも完璧だからな!

 それと自分には家族が沢山居て、ハム蔵の他にも沢山家に居るんだぞ。なっハム蔵……ってあれっ?」

 

 片方の肩を持ち上げてハム蔵を紹介しようと前に出す、がそこにハム蔵の姿は無かった。

 響の顔が青褪める。

 

「うぎゃー! ハム蔵がまた居なくなったぞ! ハム蔵ー! どこいったんだ姿を見せるんだぞ!」

「仕方ありません、手伝いましょう響」

「うぅ、貴音……ありがと」

「かんせー! 究極の一品がでけたよー」

「これなら“にぃ兄ちゃん”も、あまりの美味さにきょーがくして、頬っぺた落っこちちゃうかもねー」

 

 これが舞台の一幕ならどれだけ良かっただろうか。怒涛の展開過ぎて、プロデューサーはただただ眉を顰めて閉口するしかなかった。

 ――が、舞台だとするなら……そんな彼を脚本が逃がしてくれるわけがない。

 

「おまたー、亜美真美特製コーヒーの出来上がりだよっ」

「いいリアクションを期待してるよちみぃー」

 

 二人の手には一つのマグカップ。中に満たされているのは珈琲なのだろう。しかし、彼女たちの言うような珈琲“だけ”とも限らない。飲みたくない、というのが本音である。

 ここで飲まないという選択を取るのは簡単だ。いつも通りの態度で固辞すれば、二人は引き下がるだろう。ただプロデューサーには一つ気掛かりがあった。それが彼に拒否という手段を執ろうとする判断を鈍らせる。

 響の泣き叫ぶような懇願の声がハム蔵を呼ぶ。貴音の何処までも自分を崩さぬ声が遅れて呼ぶ。亜美と真美が期待を隠さず瞳を輝かせて今か今かと待っている。

 どこまでも喧しく、姦しい雰囲気だ。事務所に居るよりも、シアターで仕事をした方が捗っただろう。そう思うも既に後の祭り、お囃子は今ここで開催されているのだから。

 退場など許されないのだろう――“彼女”が止めに入らないという事は、そういう事なのだろう。

 プロデューサーは諦めの気持ちで仕方なく珈琲を口に運んだ。その行動が、亜美と真美が見せる瞳の輝きを増加させた。

 前職の癖からか、流れ込んだ液体の味を吟味して後悔した。――タバスコの次はソースだった。

 

「……不味い」

 

 飾り気のない評価が下されたと同時に、双子はハイタッチをして歓声を上げた。

 次の開発を、などと不穏なことを離し合いながら給湯室へと悦び勇んで向かって行った。響と貴音はキッチンへとハム蔵捜索の手を広げていた。数十分の出来事なのに、プロデューサーには一人の時間が久方ぶりのように感じられた。

 そうして……ようやく小鳥が自分のデスクへと戻ってきた。その両手にはマグカップが二つ。

 

「ふふっ、気に入られたわね」

「どうやらそのようです――貴女のお陰で」

「う゛っ……やっぱり、気がついた?」

「寧ろ、気がつかないと思っていたのですか。こんなあからさまな画策、よっぽどの鈍感でなければ気がつきます」

 

 発端である亜美と真美の最初の悪戯。そこからして既に――正面のデスクで罰の悪そうな顔をしている――小鳥の企みだったのだ。

 そうでなければ遠巻きに観察するだけだった亜美と真美が、急に行動を起こすわけがないし、始めから給湯室に居た小鳥が止めなかったのも説明がつく。なにより……亜美と真美が口走っていたのをこちらは聞いていた。

 

「君に隠し事は、やっぱり無理そうね」

「そうまでして俺に、アイドルたちとコミュニケーションを取って欲しいんですか?」

「それはそうよ、プロデューサーたる者アイドルとは良好な関係を結んで欲しいもの。それに765プロの良い所は結束の強さにあるとあたしは思ってますから」

「何度も言うようですが、俺にそういった馴れ合いは不要です。寧ろ邪魔でしかない」

 

 音無さんはその意味を知っている筈だ――続く言葉はしかし唐突に、扉が奏でた轟音が遮った。

 何事かと視線を向けて見れば、同じように気になって振り向いた小鳥の後頭部の向こうで、乱暴に開かれた扉から轟音と共になだれ込む声を伴い、二人のアイドルが口論しながら入ってきた。

 

「真があそこで上手くトークを回さないから、私の出番が削られちゃったじゃない!」

「それは伊織の所為だろ! 僕が嫌がる話題を振るから!」

「あ~ら、真“王子”は随分と女々しい事を言うのね。折角、この伊織ちゃんが発言の場をあげたのに、台無しにしといて言う言葉は言い訳?」

「なんだとッ!?」

「なによッ!?」

 

 戦意を剥き出しに睨み合う。その剣幕は今にでも突き合わせた額をぶつけんばかりの勢いだ。

 武士の時代であれば剣を抜く姿勢の二人の後から、もう一人のアイドルが怯えながらも間に入ろうと口を開く。

 

「うぅ、喧嘩はやめようよぉ~」

「雪歩は黙ってて!」

「ひ、酷いー!」

 

 噛み合わない二人が同調して、仲裁しようと勇気を振り絞った雪歩を双方から口撃した。

 堪らず雪歩は涙を浮かべて悲嘆した。

 邪魔者が居なくなったことによって言い争いは再会される、かと思われたが不意に伊織の視線がこちらへと向けられた瞬間、彼女はそれまで真に滾らせていた気炎の矛先を変えた。自身が向ける視線、その直線上にて彼女をつまらない物を見るように一瞥した男へと。

 忽ち、伊織の顔が嫌悪に染まった。

 唐突な変貌に不審さを懐いた真は、伊織の視線を追いかける。と、真もプロデューサーの存在に気がつき、思わず「あっ」と声が漏れた。

 

「お疲れ様ですプロデューサー」

「ああ、お疲れ様」

 

 固く無骨な愛想の無い返答。

 真の友好的な態度は彼女の実直さの表れだ。例え――先日の朝の態度から考えるに――伊織が彼を嫌っていようと、それは真には関係ない。

 だけど――伊織の嫌いようは単なる“嫌い”の範疇に収まっていなかった。

 プロデューサーを見るなり険しい顔つきで押し黙ったままの伊織は、唐突に、脈絡なく、放たれた矢の如く憤然と飛び出した。鏃が向かう先は当然――プロデューサーの許だ。

 未来予知に迫る予感がプロデューサーに僅かな時を与えた。咄嗟に、無駄にするまいと卓上に乗っていた腕をデスクの下へと隠した。

 この時、咎めるようであり、憐憫にも近い視線を向ける小鳥はその行為を黙って見ているしかなかった。

 

「よく恥ずかしげもなく顔を見せたわね……卑怯者」

 

 開口一番からけんか腰の伊織はまるで燃え盛る炎のようだ。

 感情を燃料とし、轟々と立ち上る火の手は彼女の双眸から炯々たる光を放っている。

 余人の介入を良しとしない雰囲気が強制的に事務所内を占拠し、二人を除いた人間は遠巻きに眺めるか、或いは息を潜めて存在を限りなく薄くするしかなかった。

 

「なにか言ったらどうなの? それとも、その口は他人を騙す時しか開かないつもり?」

「頼まれたから来た、それだけだ」

 

 あくまで槍の穂先を向けてつつく伊織の態度に、始めから取り合うつもりもないプロデューサーは一貫して平坦な声音で答え、泰然とソース入りの珈琲を口に運んだ。途端に顔をしかめる。

 説明不足も甚だしい淡々とした答えに、伊織は憤懣やるかたない思いで肩を震わせた。

 

「アンタ……! 私を前にして言うことはそれだけ!? 謝罪の一つもなし、悪びれもなく“頼まれたから来た”なんてお為ごかしで此処に戻ってきて、今度はあの子たちに何をするつもり!?」

「…………」

 

 伊織が見せる本気の怒声に周りも口を挿めず気圧される中、どこ吹く風と聞き流して仕事を再開するプロデューサー。

 

「~~~ッ!」

 

 彼にとって伊織の憤怒は取るに足らない子供の駄々、態度がそう語り、ますます伊織の視野が白熱した。

 後はもう全てが有耶無耶だ。

 伊織は気がつけば衝動的に体が動いていた。

 いつも大切に抱いている兎のぬいぐるみを持つ腕とは逆、つまりは右腕が鞭のようにしなりプロデューサーのデスクに向けて叩きつけられた。衝撃でマグカップが倒れ、床にソース入りの珈琲が零れていく。

 目が覚めるような快音が事務所内に響き渡る。誰かが息を呑む。流石に見かねた真が動き出そうとして、プロデューサーがそれを視線で封殺した。

 

「忘れたなんて言わせないわよ! アンタが二年前――っ、……」

 

 伊織の中で怒りが冷静さを朧気にさせ、彼女の口が感情のままに抉じ開けられたが、思い直したようにそれまでの気炎が消火されていく。

 火の消えた伊織はそれ以降口を噤んで何も言わない。

 言いたくないのだろうと、プロデューサーは二年前を重ね、眼前で悄然とする彼女の内心を推察した。あの頃の思い出は伊織自身の情けない過去の歴史でもある。人前では話したくないのだろう。

 他者に弱みを決して見せない伊織の在り方は……昔と何も変わっていない。

 己のした事実にようやく気がついたのか、伊織はハッとなって掌を見た。途端に、それまで剣呑だった双眸が弱々しく萎れていった。

 

「……なにか言ったらどうなの?」

 

 辛うじて絞り出して選んだ末の言葉、という程に懊悩が見え隠れしていた声はとても弱々しく、今にも消えてしまいそうな儚さがあった。

 そんな伊織を前にして、プロデューサーは考える。なんと答えるべきかを。

 彼女を説得し、納得させるのは簡単だ。確実にそう言いきれる絶対の“切り札”を彼は持っているのだから。しかしこれを使うわけにはいかない。切り札の効果は一度きり、使えば全てが変わってしまう。彼の望まない方向へと。

 不和も改善の兆しをみせるやもしれない。小鳥も律子も、社長だって味方するだろう。時間の経過と共に、小鳥が言うような結束の強い765プロに彼も肩を並べることになるかもしれない。

“――忘れるな。そしたら……また繰り返すかもしれない”

 戒めという(くびき)が彼を縛り付ける。

 あの失敗が、この怯えを生んだ。

 あの後悔が、この警戒を生んだ。

 であるなら迷う事はないだろ。己を守るために、何より他でもない――彼女たちアイドルを護る為に、自分は進んで毒で在ろうと決めたのだ。

 

「文句を言う暇があるなら己を高める事を怠るな。未だ、君の歌唱力と解釈には足りない所がある。

 俺に説教するほどプロ意識が高いのなら、プロたらんとする努力を怠るな。

 あの頃と何も変わっていない。トップアイドルになるのだろう? 自分の実力だけで。なら行動で結果を示せ、そうすれば俺も君の望むようにしよう……今度こそ」

 

 果たして、挑発的な言葉と眼差しは伊織を再起させる劇薬となった。

 突き放した物言いのまま、彼はノートパソコンへと視線を戻す。彼の視界の外へと追い出された伊織は、臍を噛む思いで食いしばった。

 

「上等じゃないっ、私がトップになったらアンタなんかすぐに首にして、今度こそ私たちの視界に収まらないようにしてやるわ!」

「精々励むといい」

「~~~ッ! その減らず口、二度と利けなくしてやるんだから!」

 

 何処までも凪いだ様子を見せつけるプロデューサーに我慢ならず、これ以上同じ部屋に居たくない思いから伊織は踵を返した。周囲の者が、彼女を刺激しないようにと自然に道が開けた。

 雪歩がそんな怒りを露わにする伊織を最後まで見ていたのは、彼女の佇んでいた位置と、偶然によるものだろう。

 事務所の扉付近で小さくなっていた雪歩に、凄烈な感情によって狭窄した視野になった伊織は気がつかなかった。だからだろう……最後の最後で気を抜いてしまったのは。

 雪歩の目には、それは悲しそうであり、同時に辛そうな面持ちに見えた。子供が大好きな人に構って欲しくて駄々をこね、相手にしてくれなかった時の悲愴に似ている。引っ込み思案で自己評価の著しく低い、他人の目を誰より気にする雪歩だからこそ、それがわかった。わかってしまった。

 伊織が出て行った事務所は何事も無かったように、とは流石に行かなかった。

 誰もが何を口にするべきか、発言を躊躇っていた。けれど、そんな中でも一番最初に行動に移ったのは、やはりと言うべきか菊地真だった。

 

「言い過ぎじゃありませんかプロデューサー。いくらなんでも伊織が可愛そうです」

 

 事務所に入るまで、入ってからも喧嘩を続けていたとは言え、真にとって伊織はやはり同じ事務所の仲間なのだろう。曲がった事を嫌う彼女は、どうしてもこの事態に見て見ぬふりなど出来はしなかった。

 

「過去に何があったのか僕たちは知りませんけど、あの態度は酷過ぎです。どうして向き合って話し合おうとしないんですか?」

「菊地、君の誠実さと実直さは美点だ、だがそれらを口にする前に着替えた方が良い」

「……? どうしてです?」

「本日の収録で身体でも動かしたのだろう? 大量に汗を吸った服のままでは体調を崩す、話しはそれからでも構わないだろう」

 

 ディスプレイから視線を外し、真の全身を一瞥した後、興味が無いとばかりに再びディスプレイと向き合う。

 自分がどんな格好をしているのか、プロデューサーの大袈裟に装飾された言葉を耳にして、真は耐えきれずに赤面した。事務所内でも一番ボーイッシュな外見のアイドルであるが、中身は年相応な女の子。しかも可愛い少女に憧れを強く懐いているのもあり、その羞恥は真を染め上げるには十分だった。

 

「あっ……ぼ、僕っ、着替えてきまぁああす!」

 

 一度自覚してしまえば後は泥沼だ。一分一秒でも早く彼の前から逃走したかった真は、泣き声を上げるようにして更衣室へと飛び出していった。

 ようやくまともに仕事が再開できる。プロデューサーは嘆息して、まずは零れた珈琲の掃除から始めないといけないのを思い出し、満足に事が進まない焦燥に重苦しい様子で眉間を揉んだ。

 伊織と真を除いたアイドルたちは、雰囲気のシリアスさを感じ取ったのかパーテーションの向こうへと消えて行った。亜美と真美も、流石に伊織のマジ切れを見て悪戯所ではないと思ったのだろう。追加の悪戯が実行されることはなかった。

 

「少しやり過ぎですよプロデューサーさん、これじゃあアイドルたちのモチベーションにも影響するし、担当じゃないアイドルまで遠ざけるつもり?」

 

 固く尖った小鳥の声がプロデューサーを諌める。

 自傷行為のような行動を繰り返し、止めることなく続ける彼を見つめる小鳥の瞳は悲しげだ。

 

「これしかやり方を知らないんです。他に冴えたやり方を知っていれば、今はありませんでしたよ」

「でもこんなの、どっちも辛いだけよ。救われないわ」

「俺は辛くありませんし、彼女も憎むだけで辛くないでしょう。嫌いな物を遠ざける行為に心を痛める筈がありません。

 嫌悪と憎悪が反発心をバネにして向上心を高めます、それだけで彼女たちは上へと行ける」

 

 こんなに簡単な原理で勝ちあがれるんですよ、と当たり前を口にするような語調に小鳥は決して同意出来ない。彼女が夢見て、その一端を目にしたステージは……決してそんな傷だらけになりながら登るような舞台ではなかったのだから。

 それを彼だって知って、同じように志した筈だ。手段こそ違えど、到達すべき夢の地は同じだ。

 なのにどうして、ここまで道程が違ってしまうのだろうか。

 

「それは茨じゃ済まない道よ、そんな辛い道を(なら)す為にどれだけ自分を犠牲にするの?」

「……音無さん、貴女にとってアイドルとは何ですか?」

「それは、」

「俺には形の無い偶像でしかありません」

 

 答えようとして、けれど遮るように続いたプロデューサーの言によって被せられた。図らずとも梯子を外された小鳥は、彼の持論を聴くしかなかった。

 

「形が無い物を商品として売る。決して減らない生きた在庫を管理するには、厳粛なまでの徹底が必要です。

 ありもしない物を切り売りする、その難しさと無謀さ、一歩違えば詐欺にもなりかねないこの商売。誰かが汚れなくては立ち往きません」

 

 アイドルとは売り物であるということを語る彼。傍目にそれは非道なことを淡々と語る卑劣漢に見られてもおかしくはない。が、小鳥の目には血を吐くように語っているように見えた。

 

「……不器用過ぎます、君も、伊織ちゃんも」

 

 いつかこの不毛な対立は終わるのだろうか。その為には両者が共に歩み寄って、譲歩しなくてはならない。けどそんな事、今の彼らに出来るだろうか。小鳥は嘆くように息を吐いた。

 パーテーションの向こうで、雪歩は耳をそばだてていた。

 伊織のあの表情、あれが脳裏にこびり付いて離れない雪歩は、プロデューサーがどんな人であるのか知る必要があると判じた。男の人は怖いし、あの人は更に輪をかけて怖そうだが、初めて会った時の対応を思い出すと、そうだと断ずることも出来ない。

 とにかく、気になって聴いててみれば、よくわからない会話をしている。経緯を知らない雪歩には抽象的過ぎて、その核心を見透かす事が出来ない。ただなんとなく、やっぱり新しく来たプロデューサーの事は――悪い人だと思えなかった。




凄い長くなってしまった。
可奈は成長型主人公。未来は正道が王道な主人公。伊織は過去の因縁系主人公。
シアター組の描写が難しく感じるのは、キャラを掴めてないからだろうね。アニメ化はよ。

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