「ああ――吐き気がする」
そう呟いて、アサシン――“両儀式”の瞳は変色した。
螺旋を描くような群青。本人曰く、この“眼”の彼女には死の線が見えるという。
式は、標的たるキメラに向かって跳躍する。
「――死が、オレの前に立つんじゃない」
一瞬にして三度の斬撃。その全てが“死”をなぞる。
万物には全て綻びがある。彼女はその継ぎ目を裂いたのだ。
ならば、あとは滅ぶのみ。キメラは三ヶ所に傷を受け、生命活動を停止した。
……なーんてシリアスなことはないのだが、とりあえずは気絶してくれたようだ。
やはり、両儀式は強い。聞くところによると、彼女は一応自分と同じ人間らしい。
いや、正確には人間
過程はどうあれ、彼女は既にサーヴァントなのだ。サーヴァントとしての肉体を得ているのなら、この恐ろしい身体能力にも納得がいく。
ただ……なんとなくだが、一つ気になることがある。
彼女の宝具について――ではなく、宝具発動の際のセリフについてだ。
「式って宝具使う時、いつも“吐き気がする”って言うよね」
「ん? ああ、まあな。それが何?」
「あーいや、なんというか、調子悪いのかなって」
「は? お前、そんなこと気にしてるの?」
「……まあ、少し」
“唯識・直死の魔眼”。それが彼女の宝具の名称である。
即死効果を併せ持つ敵単体への大ダメージ。属性はARTS。つまり、宝具使用後に適当な攻撃を繋げれば、次の宝具に備えてNPを貯めることができるのだ。
「パッシブスキルの“直死の魔眼A”もあるからな。
「なるほどな。それでオレが毎度毎度“吐き気がする”なんて言うから、ちょっとした罪悪感にでも駆られてるわけ?」
「有り体に言うとそういうことです」
「ふぅん。……一応言っておくけど、本当に吐きそうになってるわけじゃないからな。これ、一応マシュからの指示なんだぜ?」
「え?」
今明かされる衝撃の真実。宝具選択時に言うあれ、本人が気合を入れるために言ってるんじゃなかったのか?
「なんだその顔。もしかして知らなかったのか? マスターなのに?」
「えっと……はい。じゃあ聞くけど、どうして?」
「サーヴァントとかマスターとかよく知らないけどさ。サーヴァントが動くとマスターは疲れるものなんだろ? だから、“サーヴァントの皆さんは何かしらの行動を起こす時、先輩に分かりやすく伝えなさい”って」
「おお、流石マシュ」
マスターはサーヴァントにとっての要石であり、魔力の通り道だ。カルデアから送られてくる魔力は自分という通路を通してサーヴァント達に供給されている。
サーヴァントが激しい運動をすれば、それだけ魔力を消費する。消費量が多くなれば必然と供給量も多くなり、その度に通路である自分は磨り減って――やがて、疲労する。時には失神するほどに。
「……それで、“吐き気がする”か」
「あのな、そういうセンスを期待されても困るぞ。この眼の景色が気持ち悪いのは本当だしな」
「そうなのか。なんか、すまん」
「なんで謝るんだ。気持ち悪いぞ、今のおまえ」
「お二人共、少しよろしいですかな?」
ぬっ、と影から這い出たのは白い仮面。
異常に長い両手両足と、全身黒一色の装束。そう、彼もまたアサシンである。
「誰? 腕と足長すぎ。本当に人間か?」
「失礼なこと言うな式ィ! この御方を何方と心得る! “アサシン”の語源となった“山の老翁”、ハサンであらせられるぞ!」
「っ……急にテンション上げるな、疲れるだろ。大体、ハサンなんてオレは知らない。紹介されてないし」
「えっ――?」
背筋に寒気が走る。
紹介されていない、と式は言ったが、そんなことはないはずだ。カルデアを案内した時、一通りサーヴァントの顔は見せたはず。確かに詳しいプロフィールまでは説明してないし、名前だって忘れてるかもしれない。“ハサン”なんて言われてもピンと来ないのは分かる。
だが今の式のリアクションは、初めて見たと言わんばかりのものだった。つまりそれは、マスターである自分が紹介し忘れていた、ということで――
「気遣いは無用ですぞ、魔術師殿。事実、式殿が加入するまでずっと倉庫番をしておりました故」
「いやいやそんなことはないはずだ。レベルはそこそこ上げてあったはず……」
「左様。霊器再臨の際に“無間の歯車”が不足して躓き、そのままつい最近まで放置していた。ですな、魔術師殿?」
「うっ――!?」
流石暗殺者、的確にココロの急所を突いてくる……!
「ごめんなさいハサン先生、あの時は視野が狭いマスターだったんですぅ。霊器のランク……具体的にはレア度しか見てなくてですねぇ。ついアーチャー……はい、あの赤いやつです……あいつを優先しちゃったんですぅ」
「構いませんぞ。貴方があのアーチャーを気に入ってることは、カルデアにも知れ渡っています。そも私を使うということは、それだけ魔術師殿も成長なされたということ。貴方の努力のおかげで、今や私も最終再臨組。式殿と並んでアサシンツートップですからな」
そう、実際“ハサン・サッバーハ”は強い。確かに彼の霊器ランクは僅か2、ステータスも相応に低い。しかしそれだけ入手も容易で、宝具レベルを上げやすいのが特徴である。
そして、彼が真価を発揮するのは三つ目のスキルを開眼させてからだ。
――“風除けの加護”。自身に回避状態を三回付与し、スター発生率を3ターンアップさせる。さらにクラススキルの“気配遮断”はA+。スターを作る能力に関して、彼の右に出るものはいない。
ハサンがスターを作り、式が切り込む。無課金でもこれほどのタッグを組めたことに驚きだ。
「へえ、そうだったのか。自分でもおかしいと思ってたんだよな。いくらなんでもクリティカル出しすぎだろって」
「ハサンは裏方のプロだからな。見えないところで凄く仕事してたんだよ」
それだけでなく、時々マイルームの整理整頓もしてくれてるらしい。……時々赤いあいつと掃除論争してるらしいけどワタシは知らない。
「の割には、オレに紹介し忘れてたんだよな。いつも世話になってるのに」
「ぐはっ――……いや、ほんと申し訳ない」
「それはもう過ぎたこと。一々掘り返すのも大人げないですぞ、式殿。とはいえ魔術師殿、貴方も反省してください。無理にとはいいませんが、これを機に我々のような低ランクのサーヴァントにも目を向けていただきたい。彼らは皆英霊、丹精込めて育てれば応えてくれるはずですぞ」
「……はい」
とてもココロに響く説教だった。
説教と聞くと大概は嫌なことを想像するが、今回ばかりは心地いい。人は見かけによらないのだ。
「……で、ハサンって言ったっけ。なんで急に出てきたんだ?」
「魔術師殿が中々紹介してくださらなかったのでな。こうして自分からアピールしてみた次第です」
「うわ。あいつ、マスターとして大丈夫なのかよ」
「おいこらそこ! 大人げないぞ!」
「ハハ、これは失敬。先を急ぎましょうぞ、魔術師殿」
「う……分かった」
罪悪感に胸を痛めつつ、歩を進める。オガワハイムの703号室もまた、完全に異界と化していた。
外観からは想像がつかないほどの広さ。一フロアはサーヴァント達が斬り合ってもいてもまだ余裕があり、出現するエネミーを倒せば次の扉が開く、といったダンジョン形式の三フロア構成になっている。
キメラが住み着いていたこのフロアは第二フロア。次の第三フロアが703号室の最奥である。
「お、あった」
しばらく歩き続けると見つけた。
百合の装飾が施された華美な扉。この先に彼女が待っている。
「この先には誰がいるんだ?」
「マリー・アントワネット。クラスはライダー。フランスの王妃様だ」
「マリー・アントワネット……“パンがなければお菓子を~”で有名なやつか。実際は違うらしいけど。
……ん? 王妃って戦えるのか?」
「それなりには。まあ、二人共アサシンだからなんとかなるさ」
扉に手をかける。足取りは軽い。始めは“マリー”と聞いてすこぶる警戒したものだが、何度も通ううちに馬鹿らしくなってきた。
結局、最後にモノを言うのは相性なのだ。
「それじゃ、開けるぞ?」
「ああ。いつでもいいぜ」
「右に同じ」
式はナイフを構え、ハサンは闇に溶けて消えていった。
「よし。じゃあ、第三WAVE開始ー」
特に気構えることなく、最後の扉を開ける。
フロアの奥には、幽霊と優雅に戯れる王妃の姿があった。彼女の名は――
「“観光に来ました!”、だと……?」
式は驚きのあまり呆然とする。
無理もない。それが今の彼女、マリー・アントワネットの名称なのだ。なんてお気楽なのか。
オガワハイムの住人は総じて精神を病むが、マリーは例外らしい。ここが中心部――五階よりも上の階だからだろう。
……実際は笑顔の裏に相応に深い闇があるのだが、そこは割愛させてもらおう。
マリーはこちらに気づき、満面の笑顔で自分達を歓迎する。
「まあ、いらっしゃいマスター! また来てくれたのね、嬉しいわ!
? ……いいえ、違うわ。いえ、違わないのだけど……貴方にならもっと、素敵な挨拶があったような……」
「チィース、マリー!」
「は?」
テンション爆上げでマリーに挨拶。式はあまりの落差に引いている。
フッ、甘いぞ式。そんなローテンションでは、この御方にはついていけないぞ。
「そう、それ! ちぃーす、マスター!」
「は……!?」
そら見たことか。……とまあ、そんな彼女は放っておいて。テンションを維持したまま、要件を済ませよう。
「こほん――今宵も月が綺麗だね、マリー。そんなわけで、黒猫フィギュアを頂戴しに来た!」
「まあ……!
ふふ、マスターは貪欲なのね。私、そういうの好きよ。でも、ただでプレゼントするのは駄目なのよね。そういう決まりみたいだから」
「分かってますとも。ほら式、しっかり。出番だぞ」
「あ、ああ」
「あら、初めて見る御方。マスターは本当に気が多いのね。ちょっと妬けちゃう」
「……なあ、マスター。あれは本当にマリー・アントワネットなのか? 色々と未発達な気がするんだが……」
「知らぬ。あれが彼女にとっての全盛期なんだよ、多分。それはともかく、しっかり戦ってくれよ? アサシンクラスのお前が手を抜くと、苦労するのは後ろのサーヴァント達なんだから」
「はいはい、分かってるよ。任された仕事はきっちりこなすさ」
式はナイフを構え、マリーと相対する。
令呪やスキルの使いどころをうっかり間違える自分と違って、彼女は誰が相手でも油断をしない。たとえ相手が、戦闘とは程遠い可憐な少女であってもだ。
「ええ、そうこなくっちゃ! ヴィヴ・ラ・フランス! 力を示して、このマリー・アントワネットに!」
◆
「きゃあ……!」
ぺたん、とマリーは尻餅をつく。
――かくして戦闘終了。哀れ、マリーさんはダークを投げられたりナイフでぶっさされたり心臓を潰されたりして、なんやかんやでこちらが勝利しましたとさ。
全く、なんて奴らだ! 我がサーヴァントながら血も涙もないな!
「残念、また負けてしまいましたわ」
「どうして平然としてるんだよ……」
「
「なんだその理屈。納得いかない」
「まあまあ、いいじゃないか。それよりマリー、戦利品いいかな?」
「はぁい、どうぞ」
勝利の報酬として大量の黒猫フィギュア、少量のミネラルウォーター、アイスを受け取る。
「うん、確かに受け取った。とりあえず用は済んだし、カルデアに戻るかな。マリー、また来るよ」
「え? また、来る……? そう、そうなのね」
「?」
また来る、というフレーズに反応して、マリーは少しだけ残念そうに顔を曇らせた。
しかし次の瞬間には、それ以上の笑顔を。期待を込めて、彼女は口にする。
「またいらしてね、マスター。いつでも待っていますから」
「――――」
何よりの戦利品。黒猫のフィギュアを幾つ集めても足りないほどの、綺麗な笑顔だった。
◆
「なあマスター。さっき、“今宵も月が綺麗だね”って言ったよな? マリー・アントワネットに」
「? 言ったけど、それが何?」
「……その反応、もしかして意味分かってない?」
「何かの暗喩だったと思うけど、具体的には覚えてないな。本当に月が綺麗だったから、その場のノリで言ってみただけだ。
あはは、思い返すと結構痛々しいな。キザすぎたかな」
「その場のノリとか痛々しいとか、色々ひどいなおまえ。マシュが聞いたら怒るぞ」
「え? なんでマシュ?」
「はぁ……駄目だこいつ。分かった、じゃあ今のうちにオレが教えてやるよ。
“月が綺麗ですね”。その意味はな――」
…………。
――――。
――――――――やっべ。
「という意味だ。分かったか? よーく胸に刻んどけよ」
「それどころじゃない、その前に焼かれる! Kさんに!
あ、でも、マリーは日本人じゃないし、夏目漱石なんて知らないよね? よね?」
「仮に知らなかったとしても、カルデアにはその手の本が沢山あるんじゃないか? 要は時間の問題だろ」
「げ……」
確かに、カルデアの図書館にはシェイクスピアやアンデルセンの本があるのだ。古今東西の雑学本が置いてあってもおかしくない。
もしその中に夏目漱石があった場合、ワタシは燃える。物理的に。
「くっ……いや、でも待った。まだ希望はある。マンションにいたエリザベートを倒しても、カルデアの方は無事だった。ブーディカだってそうだった。なら、マリーだって同じなはず。
そう、つまりは別人! カルデアとマンションのマリーはそれぞれ別人なんだよ! だからセーフ!」
「そういえばあいつの名前、“観光に来ました!”だったな」
「あっ」
なんでこんなオチになったのか自分でも割と謎。そして清姫とマリーの魅力を再確認。
式。ハサン。そしてフレンドのジャックorヒロインX。
なんて手軽なクイックパーティー。フレンドには頭が上がらない。