そして世界は華ひらく   作:中嶋リョク

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[5]ジン・フリークスの場合(2)

【連続幼児誘拐事件刑事記録】No.5

日付*1990.7.12(木)

時間*21:37

記録者*カイン・オズワルト巡査

7月12日12時55分、母親の通報によりララ・クライス(3ヶ月女児)が自宅より行方不明となる。連続幼児誘拐事件5人目の被害者の可能性あり。同日18時10分、エギナ・ココ警部補より、モローク地区で頻発していた連続幼児誘拐事件の被疑者を確保したとの通報あり。場所はシャウエン地区1445-7-25。生存者2名を確認、ヘリの要請あり。ー以上。

備考*なし(以下余白)

 

【シャウエン事件刑事記録】No.6

日付*1990.7.13(金)

時間*10:55

記録者*カイン・オズワルト巡査

昨日7月12日19時08分、生存者2名を国立精神医療センターへ搬送終了。内1名の身元は昨日から不明であったララ・クライスと判明。同日20時03分、被疑者を警察署内へ連行する。護衛はダブルハンターのジン・フリークス氏。フリークス氏の指示によりハンター協会に被疑者の監視を正式に依頼、即日受理される。同日23時21分、被害者4遺体を科学捜査研究所へ搬入完了。遺体の身元の特定終了、遺族へ連絡す。翌7月13日8時15分より司法解剖を始める。なお、事件の正式名称を「シャウエン事件」に改名する。ー以上。

備考*ハンター協会への委託金は9月補正予算にて計上すること。当座予備費にて対応。(以下余白)

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 経済都市カサブラン郊外にある国立精神医療センターの保護病棟で、俺はエギナと再会した。いや、正確には呼び出された。

 

 保護病棟と一般病棟との境は、物々しい鉄格子で明確に仕切られ区別される。厳重なセキュリティは、病理的に保護と監視の必要な患者のためというのが名目だが、実情は精神鑑定が必要な被疑者が護送される場所でもあるからだ。但し、今回の被疑者は念能力者であったため、ハンター協会が派遣したハンターに身柄を拘束された。医療センターへの護送はない。第一、被疑者と被害者を同じ病院に入れるなんて悪趣味過ぎる。

 

 三度のセキュリティチェックを経て辿り着いた最上階は、パステルカラーを基調とした柔らかな雰囲気の場所だった。大きくとられたはめ殺しの硝子窓のお陰で、太陽の光が降り注ぐ明るいフロアとなっている。最上階は、保護病棟の中でも明確に「保護」を目的としたフロアになる。そのフロアのカンファレンス室でエギナは俺を待っていた。

 

 彼女は、警察関係者として生存者ふたりの担当をしている。無論、上層部は彼女に休養するように勧めた。エギナは被害者の母親であり、心身の消耗が激しい事が理由だ。しかしエギナはそれを突っぱねた。上層部も検挙の立役者であるエギナを無視も出来ない、かといって被疑者の担当にも出来ない。彼女が数少ない女性警官であることから、現在に至る。

 

 俺の姿を見ると椅子から立ち上がり部屋へ迎え入れる。迎えに出れなかった事を先ず詫びてきたが、些末なことだと俺は応えた。

 

「まったく……ひでぇ顔だな」

 

 エギナは小さく笑った。

 

「ジンまで休め、なんて言ってくれるなよ。何かしていないと正直気が狂いそうなんだ」

 

 落ち窪んだ目を一度伏せてから顔を上げると、改まってエギナは俺に対峙した。

 

「ジン、世話になった。ありがとうよ」

 

 エギナは頭を深々と下げた。憔悴しきった顔は、一気に十も老け込んだようだった。体格に恵まれたエギナが一回り小さく見える。

 

「……止してくれ、俺は何も出来なかった。――すまん」

 

 ハンターになってから人間の暗部を突き付けられる経験は沢山してきたが、今回は中でも胸糞の悪くなる事件だった。

 首を横に振ったエギナは、母親の顔をして続ける。

 

「いいや、娘を――レジーナを家に連れて帰ってやれるよ」

 

 被害者達の遺体が司法解剖に回されてから、既に2日が経過している。4体の遺体のうち、1体がエギナの娘と断定された。遺体の顔は綺麗なままだったから、身元確認自体は速やかに済んだらしい 。しかし、遺体の損傷はどれも深刻で、解剖が済んでも復元作業にはまだまだかかるようだ。エギナの元に娘が戻るのはもう少し先の話になるだろう。

 

「立ち話もなんだから、座っとくれ」

 

 エギナは、俺に椅子を勧めると自らも座った。

 

「赤ん坊の方は、目立った外傷もないし一般病棟に移ったよ。すぐに家族の元に返してやれそうだ。明日の記者発表後にはマスコミが押し掛けて来るだろうから、転院は考えていない。どちらかと言うと、被害者家族――特に母親の精神状態が不安定だから、今後は家族の心のケアが中心になる」

 

「そうか」

 

 短く応えた俺に、エギナはひとつ頷いた。

 

「……身元不明の少女の方は……まあ、兎に角外傷が酷い。暫くはその治療が中心になるけど、事件の性質上カウンセリングも徐々に進めている」

 

 救出以来、男性は少女との接触を禁止されている。医師も看護師も警察関係者も少女に関わる人間は全て女性だ。俺も、救出時以降接触していない。こうして生き残りの少女の様子を聞くのも初めてだった。

 

「ちょっと待て、エギナ」

 

 俺はエギナを制した。

 エギナからの呼び出しに応じた時から、なにかあるとは思っていた。事件の全容や詳細を説明してくれるにしても、今は早すぎる。犯人の尋問だってこれからだろう。

 

「なぜ、俺にそんな話をする。俺に何をさせたい」

 

 確かに俺は赤ん坊と少女を最初に保護した人間だ。たがもう、事態は俺の手を離れた。あとは警察の仕事だろう。

 

「――たまに察しの良くなる男だね。そうだね、白状するよ。実は……身元不明の少女に会って貰いたいんだ」

 

「お前、何言って……」

 

 絶句する。

 救出時の様子では、少女は明らかに犯人に暴力を加えられていた。それが性的なものも含まれるのかどうかは断言出来ないが、俺は限りなく黒だと思っている。

 

「……分かってんのか? 俺は男だぞ」

 

 少女にとっては恐怖の対象でしかない。まともな会話どころか、パニックを起こす可能性だってある。

 

「子どもを拐った男の性癖なんか知りたくもないが、奴は間違いなくサディストのペドフィルだ。その……なんだ、性的暴力ってのもあったんだろう?」

 

「あった……だろうね。医者から聞いた限りだけど、少女の衣服や肌に付着した奴の体液は確認済みだ。ただ、挿入された形跡はなかった。どう理解していいか分からないが――まあ、そういう性癖の奴だったんだろう。他の被害者には、性的暴行の形跡は見られなかったから、犯人にとって性的対象になったのはあの子だけって事になる」

 

 俺は頭を抱えたくなった。いや、実際頭を抱えた。 まさか挿入がなかったから、面会しても大丈夫だろうなんて乱暴な結論じゃないとは思うが。そんな状態の子どもと会って何を話せと? 絶対無理だろ。

 

「ジン、たった二日しか私もあの子を知らない――しかも、検査やカウンセリングを横から見ていただけで会話らしい会話なんてほとんどないよ。けどね、あの子は……なんて言うか……ちょっと普通じゃない」

 

 エギナは立ち上がると、セルフのコーヒーサーバーでコーヒーを注いだ。

 

「いるかい? 警察署のコーヒーよりは、大分まともだよ」

 

「貰おう。普通じゃないって、具体的には?」

 

 カップを受け取りながら尋ねると、エギナは「色々有りすぎてね」と肩をすくめた。

 

「まずは、薬への異常な耐性。助け出した時はそれこそ満身創痍でね。治療するにも痛みが伴うから、強い痛み止めを打ってたんだけど、これがちっとも効かない――その薬はね、効いてくるとみんな寝ちまうのさ。けど、少女に上限ギリギリの量を打っても変化なしだった。仕方ないから意識がある状態で治療したんだけど、最初から最後まで大人しいもんだったよ。医者は最初無痛症を疑っていたけど、痛覚はあるみたいだった」

 

「みたい?」

 

「看護師が聞いたからね。「痛くないのか?」って。そしたら「痛い」ってさ。あたしも傭兵なんてしてたからさ、拷問訓練はしたことがあるけど……あれは結局気絶して痛覚を断つ訓練だからね。意識を保ちながら激痛に耐えるなんてもんじゃない。医者の話だと、日常的に虐待を受けた子どもの中には、痛みへの鈍化が見られることがあるらしい。痛みは結局脳が感じているから、痛みが日常化すると特殊な回路が出来るそうだよ。脳が『これはいつもの事だから気にしなくていい』って判断するんだと。すると痛みを感じにくくなる」

 

「その少女が、日常的に虐待を受けてたって言いたいのか」

 

「分からない。ひとつの可能性の問題だよ。でも、もしかしたら他の被害者よりずっと前に拐われて監禁されていたとしたら? 身元確認が出来ないのもそのせいかもしれない」

 

ジンは、おや、と思う。

 

「血液検査の時の血液サンプルがあるだろう。国際人民データ機構にDNA照合の申請をしてないのか?」

 

「勿論、あたしたちもそのつもりだった。けどね、照合のための申請に添付する本人同意書を拒否されたんだよ」

 

「はあ?」

 

 国際人民データ機構には、過去50年分の世界中の人間のデータが保存されている。それこそ、生年月日、生育歴、病気の既往歴、犯罪歴、DNA情報までありとあらゆることをだ。データの書き換えや不正アクセスは殺人罪と同等に扱われるが、正式な手順を踏めば本人確認の照合は申請出来る。ただし、申請書類を偽造すれば、これもまた重犯罪となる。

 

「てことは、可能性は二つしかない。身元を確認されたくない事情があるか、ナンバーがない――つまり、流星街出身か」

 

「流星街……『存在しない人間』か……もしそうなら厄介だね」

 

 エギナは溜め息を小さく吐いた。

 

「これもまた、ひとつの可能性ってヤツだね。でもね、あたしはあの子はちゃんとしたとこのお嬢さんだと思う」

 

 やけに確信のこもった声だった。

 

「立ち居振舞いに品があるんだよ。特に食事なんてただの病院食がコース料理に見えてくるくらいにさ。でもそんなハイソな家の子どもの捜索願いなんてうちは受理していない」

 

 俺は黙ってコーヒーを啜る。エギナの言うことが正しいと仮定すると、随分厄介事を抱えた少女であるようだ。

 

「極めつけは、これだ」

 

 エギナは2通の封筒を投げて寄越した。紙の束が出てきて最初のページを捲ると、簡単な読み書きや計算が並んでいる。

 

「これは?」

 

「知能テストの結果だよ。少女の様子に違和感を覚えた主治医が脳に異常がないか調べるために検査項目に追加したのさ。結果は異常どころか、知能指数160だった」

 

「何だって?」

 

「あんまり高いから、何かの間違いかと思ってもう一回やらせたら、今度は180以上と出た。――後ろの方捲ってみな、高等数学解いてるから。MRIも撮ってるけど、脳に器質的な異常は見られなかった。サヴァン症候群ってわけでもない。IQ130以上は人間全体の2%程度らしいから、間違いなくあの子は天才の部類になる。しかもきちんとした教育を受けられる環境に居た」

 

 俺は紙の束を机に置いて唸った。

 

「確かに、色々普通じゃない事は分かった。……けど、どうして俺なんだ? 俺と会わせてどうなる? こういっちゃあ何だが、俺は精神科の医者みたいなアプローチの仕方なんぞ知らん」

 

「はなからそんなこと期待しちゃいないよ。あの子はね、あんな目に遇いながら狂っちゃいない。『まとも』なんだよ。冷静にこちらを観察して、あたしたち警察には信を置けないと判断した。あたしにはそう感じるよ。でもね、自分と事件に関わる事はずっとだんまりのあの子が、唯一あんたの事だけ反応したんだよ。あたしはそこに期待したい」

 

 削ぎ落ちた頬で、窪んだ目で、それでも眼光鋭くエギナは言い切る。

 

「医者の許可は得てある。頼むから、あの子に会っとくれ」

 

 鬼気迫る様子のエギナを、俺はただ黙って受け止めるしかなかった。

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

「よぉ」

 

 病室に入ると、(くだん)の少女はベッドに上半身を起こして既に此方を向いていた。救出時にザンバラだった髪は、綺麗に整えられている。恐らく犯人にやられたんだろうが――その切り方がいびつ過ぎて、ショートカットにしてやるしかなかったそうだ。元は腰まで伸びる黒髪で、切られていなければさぞ見事だったろう。

 

 少女は俺を見ても取り乱すことなく、ぺこりと会釈までしてみせた。子ども特有の素直な髪がさらりと短く揺れる。意外とあっさりとした対応に内心たじろいた。正直面倒なことになったと思った。いっそ泣き叫んでくれれば、この時間は終了したかもしれないのだ。じっと穴が開くかと思うほど見詰めて来る瞳に居心地の悪さを感じて、俺は不自然にならない程度に目を逸らした。真っ直ぐな視線はゴンを思い出す。子どもより自分の夢の追求を優先したことに後悔はないが、この僅かな揺らぎが「感傷」とかいう身勝手な防衛本能なのかもしれない。逸らした先で、白い病衣から伸びた細い手足が目に入る。全てが包帯やガーセに包まれていた。

 

「えーー、なんだ……」

 

 がしがしと頭を掻く。

 エギナに頼まれたとはいえ、こういったことはジンの苦手とすることだった。相手はあの事件の生き残りだ。本来なら非常にデリケートな事案の筈で。そして自分は、そういった細やかな気遣いが出来る人間ではない。

 

「あーー、俺の事は覚えているか?」

 

 少女は頷く。

 理知的な黒い瞳、陶磁器のような白い肌、赤い唇。美しい少女だ。あの酷い環境に監禁されていたとは思えないくらい清謐としていた。いや、静か過ぎる。普通、こんなに落ち着いていられるものだろうか。

 

「知っています」

 

「あー、そうか……え?」

 

 今、この子どもは『知っている』と言った。『覚えている』じゃない。俺を真顔にさせる程度には少女の返答は予想外だった。

 警戒して見詰める先で、少女の赤い唇が動く。

 

「ジン・フリークス。くじら島出身。息子はゴン・フリークス。息子が2歳の時親権は裁判で従妹に移っている。1979年11歳の時、第267期ハンター試験を単独合格。主な業績は、殺人鬼レイザーの捕縛、グリードアイランドの開発、ルルカ文明遺跡の発見、二首オオカミの繁殖方法の確立、コンゴ金脈の発掘など――これらの功績が認められ昨年ダブルハンターへ昇格。……合っていますか?」

 

「ああ。――お前、何者だ?」

 

 エギナ、お前の勘は正しいぜ。なるほど、こいつは、ただのガキじゃない。

 

「その前にひとつ教えて」

 

「……なんだ」

 

「貴方ほどのハンターが何故この事件を追っていたの? 依頼者は誰?」

 

「依頼者なんていねぇよ。俺のダチの娘が拐われたから助けようとしただけだ」

 

 俺の応えに、少女は視線を揺らすと俯いた。いったい俺の応えのどこに反応したのか分からないが、明らかに落胆した様子だった。一度頭を振ってから、気を取り直したように顔を上げる。

 

「それは、警察関係者?」

 

「そうだ」

 

「エギナ・ココさん?」

 

「何でそう思う?」

 

「死んだ子どもの中のひとりに、外見的な特徴の類似が見受けられます」

 

 そう言うと、少女は唇を噛んで少しだけ眉根を寄せた。

 

「この会話は記録されますか?」

 

「……嫌なら記録しない」

 

 小さく頷く。次いで少女は壁に嵌め込まれた飾り窓に視線をやる。

 

「それから……私は貴方だけに話したい。それを他人に話すかどうかはお任せします」

 

 俺は目をすがめて少女を見た。この病室は、患者の行動が観察できるように細長いマジックミラーで隣の部屋と仕切られている。当然録画や録音も可能だ。

 

「だ、そうだ。どうする?」

 

 俺はやや声を張って、隣にいるエギナと主治医に問い掛けた。やがて隣室から二人が出ていく気配がして、俺は改めて少女と向かい合う。俺の何を信用して話をする気になったのだろう。疑問はあるが、少女が語る話の内容への純粋な興味の方が勝る。

 

「さて、何を話してくれる?」

 

「事実を――ただそれだけをお話しします」

 

そこから、少女の独白は始まった。


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