[3]ジン・フリークスの場合
俺が、パドキア共和国モローク地区最大の経済都市カサブランを訪れたのは、今から6年前だ。
昔から戦火を免れて来たモローク地区には、遺跡が多く存在する。ザーディン墳墓群もそのひとつで、以前発見したルルカ文明遺跡との関連性を調査するのが目的だった。
あの国で俺はひとりの少女と出会うことになる。
――――――
【1990年、パドキア共和国モローク地区】
モローク地区は東西に長細く伸び、風は海を抱える北から吹く。暖流の恩恵でその風は温かく、南に控えるアストラル山脈にぶつかると雨雲を作り乾いた大地に緑をもたらす。
一方、山脈を越えた南には世界最大の砂漠が広がっていて、その景観は山を挟んで見事に激変していた。飛行船から見ると、写真のネガとポジのように対照的だ。
モローク地区は、古代遺跡の宝庫だが、もうひとつの側面がある。世界的にはむしろこちらの方が有名だろう。東西に伸びる海岸線は青い首飾りと呼ばれ、パドキア共和国最大のリゾート地だ。国内は元より世界中から観光客が訪れる。年間を通して穏やかで気温も一定だから、避暑地や避寒地として有名だ。
その町並みは一種独特で、お伽噺のよう、とも形容される。庭を作る習慣がなかったため、隣家どうしの外壁がひとつづきになって高い路地壁を形成しているのだ。戦火に焼かれることがなかった幸運から、その町並みは千年前のまま今に伝わる。俺はここに来ると、どこかノスタルジックな懐かしさを覚えて、柄にもないと尻の収まりの悪い気持ちになってしまう。
そんな俺に一本の電話が掛かってくる。知人の娘が誘拐された、というのだ。
世に言う『シャウエン事件』の、これが始まりである。
――――――
「忙しいのに、すまない……。こんな形で再会したくなかったよ」
俺を迎えに来たエギナは、疲労の色濃い顔で頭を下げた。くすんだ黒髪に褐色の肌の大柄な女である。
彼女はカサブランの警察官だが、昔は傭兵をしていた。腕のいいスナイパーだったが、結婚して子どもができてから引退し、比較的安全な警察官に転職している。俺とは傭兵時代に知り合い、もう10年来の付き合いがある。因みに念能力者ではない。
「水くせぇから止めろ。それより詳しい状況を頼む」
車の助手席に乗り込んで状況の確認をする。
「この1週間足らずで、少なくとも5人の子どもが拐われた。全て10歳未満の幼い子ども達だ。身代金の要求はない。今は報道規制中だが、明日からは公開捜査が決定している」
「5人に共通点は?」
エギナは車を運転しながら分厚い封筒を渡す。
「詳しくはその資料に纏めてあるけど……。性別、容姿、性格、住所、親の職業、資産状況……色々調べてみたが、共通項が見つからない」
資料を捲る。中には、生後3ヶ月なんてのもある。
「最初の被害者は5日前、ベネ・ラドリフク、5歳女児。モローク地区へは家族でバカンスに来ていた。レストラン内で消えている。出入口の監視カメラには何も映ってなかった。二人目がサラ・ディーラ、7歳女児。母親が妊娠中でね。定期検診で訪れた病院の待合室で消えた。三人目は3歳男児、ケナフ・サジタル。家族で動物園に行っている最中のことだ。爬虫類の展示場で走って角を曲がったそうだ。両親と兄が数歩遅れて曲がるともう居なくなっていたらしい。四人目がレジーナ・ココ、6歳女児……あたしの娘だよ。消えたのはストリートで近所のガキどもと遊んでいる時だ。この時点であたしは捜査の中心から外されたよ。そして五人目がララ・クライス。生後3ヶ月、女児。自宅のベビーベッドから消えた。今から2時間前――13時頃になる」
四人目の被害者――レジーナ・ココのページを捲る。くすんだ黒髪、褐色の肌。母親によく似た色を持つ溌剌とした感じの子どもだ。
「奴隷商……じゃねぇな。比較的治安のいい土地で子どもを拐うリスクは高い。子どもを国外から出すのも苦労するからな」
「あたしも同じ意見だね。国境に網を張ってるが、引っ掛かるのは麻薬の密売人くらいさ」
エギナの声には焦燥感が滲んでいた。
誘拐には二種類ある――金欲しさにする奴と子ども欲しさにする奴だ。身代金目的にしろ奴隷にしろ、子どもは金を稼ぐ手段だ。この場合被害者が生きている確率はぐっと上がる。厄介なのは子どもが目的の奴だ。この場合、子どもの生存率は時間に比例して絶望的になる。
最初の被害者――ベネ・ラドリフクが行方不明になってからすでに5日。身代金の要求がないとすると、状況はあまり良くない。
「最初の被害者以降、一日にひとりの頻度で拐われている。何れも僅かに目を離した隙だ。単独行動していた子どもはひとりもいない。犯人らしい人影どころか、子どもの叫び声すら誰も聞いていないんだ」
車内に沈黙が落ちた。
「まるで神隠しみてぇだな」
ポツリと呟く。
「かみ……? 何だい?」
「神隠し。ジャポンに伝わる現象……いや、概念みたいなもんか。ある日忽然と人が消えてしまう場合、『神隠しにあった』とされるんだ」
「変わっているな。どうして人間を隠すんだよ」
「神域を侵した怒り、禁忌を破った報い、それから一番多いんだが『気に入ったから』ってのが理由だな。『神に魅入られる』んだとさ」
「神に魅入られる……」
エギナは唇を噛んで俯いた。
「だが、これは神の仕業なんかじゃねぇ。神隠しという言葉には、『神に魅入られたなら仕方ない』というジャポン独特の考え方が込められているんだが……実情は山での事故、殺人、口べらしだって話だ」
俺の言葉にエギナが顔を上げる。
「今回の事件、十中八九念能力者の仕業だ」
――――――
エギナとの再会から30分後、俺達はエギナの自宅にいた。通されたダイニングルームに資料を広げる。エギナの外見からは想像ができないほど少女趣味な内装で、こんな状況じゃなかったらからかいのネタにしていた所だ。
それでも、態度には出ていたらしい。俺の様子にエギナは苦笑すると「レジーナが好きなんだよ、こういうの」と言ったもんだから、俺はますますバツの悪い思いをして、出された茶をぐびりと飲んだ。
「取り敢えず、監視カメラの映像を見せてくれ」
「……ジン、車の中でも説明したけど、怪しい人間は映っていな」「いいから」
エギナの言葉を遮る。
「時間が惜しい」
エギナは黙って頷くと、PCを操作してレストランと病院、動物園の映像を呼び出した。捜査から外された時、警察署を出る前に捜査状況とデータをコピーしていたそうだ。
「一番映像がクリアなのが病院。次いで動物園、酷いのがレストランだ。どれから見る?」
「病院から頼む。
「いや、カメラは正面と裏口の二ヶ所だよ。別々に見るかい?」
「いや、同時に見る」
映像で見る限り、こじんまりとした総合病院だ。
除風室を設けた二重の自動ドアに、エントランスホールと呼ぶにはささやかすぎる空間。そこに総合案内所が併設されている。裏口の方は更にシンプルな作りで、間口は病院の廊下程しかない。ひっきりなしに出入りのある正面と違い、余り頻繁ではないもののスタッフを中心にそれなりに出入りがある。
「これが、サラ・ディーラとその母親。産婦人科の予約は14時30分からだった」
二人目の被害者、サラ・ディーラが母親と手をつないで病院正面入口に入っていく様子が映し出される。母親は、傍目にも大きな腹をしていた。産み月が近いのかもしれない。玄関入ってすぐの自動受付機にカードを通すと親子はカメラからフレームアウトした。時間は14時18分。
「裏口から一番近い診療科は何だ?」
「入ってすぐが産婦人科だよ。産婦人科と小児科が併設されていて、その奥は放射線を扱うエリアだ。産婦人科は、病院の一番端さ。とは言っても正面玄関から歩いて2分かからないで産婦人科には着けるけどね」
「とすると、診療科前の待合室に着いたのは14時20分か。被害者が消えた時間は?」
「母親は、産婦人科についてすぐ簡単な問診票に記入をしている。それを受付に提出するために席を立った。振り返るとソファーに座っていた筈の子どもが消えていた……ほら、裏口の映像に子どもを探す母親が映っている……14時25分だ」
映像には、何度か裏口を往復し外に向かって何かしら叫んでいる女性の姿が映っていた。姿が見えなくなった子どもを呼んでいるのだろう。
時間にして僅か5分。普通では考えられない短い時間だ。
「待った。おい、正面の方の映像、少し巻き戻してくれ……ストップ、そこだ」
「……ジン? でもこれは……」
訝し気にエギナはPCの画面を凝視している。
エギナの見詰める先に眼鏡をかけた背の高い男が映っていた。細身で灰色の髪をした、一見ごく普通の男だ。――しかも、小さな鞄ひとつ身に付けていない。
「見つけたぜ、エギナ。こいつが今回の犯人だ」
俺は困惑するエギナの目の前で、その手ぶらの男を指差した。
「…………」
がきぃっ!
「……いってぇな!」
後頭部を強打され、ガラスの灰皿が粉々に砕けた。常人だったら、普通に死ねる。
「ジン、あんたのことは信頼してるけど、今冗談に付き合える精神状態じゃないんだ」
「いやいやいや! 落ち着けよ、流石に俺もこんな時に冗談なんか言わねーよ!」
「えっ……、じゃあ、マジなの?」
「大マジだ!」
俺は改めて液晶画面に映る男を拳でコツンと殴る。
「こいつが、連続幼児誘拐事件の犯人――レジーナを拐った男だ」
俺の言葉に、エギナの目が底冷えのする色でぎらりと光った。
――――――
「君が、大人しくしてる訳ないと思ってたよ~」
エギナが電話して呼び出した人間は、前髪の癖の強いもっさりとした奴だった。妙に間延びした喋り方をする若い男だ。
「ああ、スゴいな~、貴方があの有名なジン・フリークスか~」
初対面でいきなり抱きつこうとしたから、軽く蹴り倒す。写真を撮ろうとしたから、カメラごと破壊した。それでも嬉しそうに「ああ~、記念品にしよう~」と、カメラの残骸をナイロン袋に仕舞っていた。
俺はエギナを見る。きっと
「こんな奴でも腕は確かだ。名前はケビン・ミトニー。元々はクラッカーでね。その筋では名の売れた犯罪者だった。それを引き抜いたのが、パドキア共和国さ。今回の事件で本庁から情報処理のアドバイザーとして来てもらっている」
「どうも~」
ひらひらと手を振りながら、にこにこと男が笑う。
「ケビン、早速だがこの男を探して欲しい」
エギナが例の男を指し示す。
「……ん~、良いけどさ~、なんでこいつなの~? ここ二人目の被害者が出た病院でしょ~? 見たとこお一人様じゃん~」
エギナが困った顔で俺を見る。念に関しては秘匿事項だが、この際仕方がない。この手の人間は知的好奇心が強く、納得しないとヘソを曲げる。
「俺が説明する……“念”は知っているか?」
「まあ、これでも元クラッカーだからね~。話は知ってるよ~。眉唾物だけどね~」
「いや、“念”は存在する。実際、ハンターは皆念能力者だ。正式にハンターと認められる最低条件でもある」
「てことは~、貴方も~?」
「そうだ」
顔を近づけてじろじろと見始めた男の頭をぐい、と押し返す。
「“念”ってのは、生命エネルギーそのもので、俺たちはそれを“オーラ”と呼んでいる。これは生物なら誰でも持ってるんだが、使いこなせる奴は少ねぇ。“念”の使い手は『念能力者』とか、単に『能力者』と呼ばれる」
俺は紙に人型と、その周りにオーラを纏った図を描く。
「念能力者は自分のオーラを身体の周りに留める――これが、“纏”と言って基本の状態だ。だが人前で“纏”の状態でいるのはよっぽどの手練れか“念”を習得したての素人だ」
「ふ~ん? 何故だい~」
俺はガリガリとペンを動かす。目玉を書いて矢印を人型に向けて引っ張り、「知覚可能」と書き足した。
「俺たち念能力者はオーラを知覚出来る。皮膚感覚でも視覚でもな。“纏”をしてると相手から見えるから「俺は念能力者だ」って吹聴してるようなもんだ。強い奴なら問題ないが、初心者なら下手すりゃ喰われる」
俺は向かい合って闘うふたりの人型と、その拳にオーラを纏わせた図を描く。
「念能力者同士が戦う場合も同じで、オーラの動きを知覚されたら闘いは不利になる。だから俺達はオーラを隠すんだ――これは“隠”と言って、念の応用技にあたる」
図の拳を被うオーラの上に俺は“隠”と書き加えた。
いつしか、ケビンは真剣な目で俺の説明を聞いている。飄々とした雰囲気が成りを潜め人格が変わったかのようだ。
「念能力者には各々オーラから生み出した必殺技や特殊能力を持っていてだな……これを“発”という。まあ、奥の手や切り札だと思って貰えばいい。この“発”に“隠”をすれば、相手は何にやられたのかさえ分からない」
「なるほど~、“隠”は“発”の優位性を跳ね上げるんだね~」
感心したようにケビンが頷く。喋り方までは変わらないらしい。だが念の説明には問題なくついて来ている。飲み込みも早く頭がキレるようだ。
「たが、この“隠”を見破る方法がひとつあって」
図解した人型の“隠”された拳に向けて相手の人型の目から矢印を引き、“凝”と書き足す。
「“凝”ってのは、身体の一部にオーラを集めることだ。そうすることで、部分的に身体能力を高める事が出来る――が、たいていの場合“凝”というと目にオーラを集めて“隠”を見破る意味で使われるな」
パッとケビンが顔を上げて手を打った。
「つまり~、貴方はこの男の“隠”された“発”を“凝”で看破した、という訳だね~。で、結局この男の何を見破った訳よ~?」
ケビンは監視カメラに映る男を指先でコツコツと叩いた。
「勿論――具現化した見えない鞄だ」
俺がそう言うと、ケビンは面白そうに破顔した。
「さて~、興味深い話も聞けたし、こっからは俺のお仕事だね~。俄然、やる気が出てきちゃったよ~」
カタカタカタ、と素早いキー打ちでケビンは幾つかのシステムをPC内に立ち上げた。
「モローク地区内にある官公署が設置している監視カメラは非公式の物も含めて1461台でね~、遡って10日間の映像は自動保存されてるんだ~」
「ちょっと……そんな話、初めて聞いたわよ」
エギナが眉をひそめる。一方、ケビンは飄々としたものだ。
「今、初めて言ったからね~。……ああ、来た来た。この病院の監視カメラに写った男をテンプレートにして、今から自動保存したデータ内と照合するよ~」
「どうやって照合してる?」
照合作業とやらには少し時間が掛かるようで、俺は手持ちぶさた次いでにケビンに質問してみる。
「難しい事はしてないよ~。簡単な生体認証でデータ内の該当者をリサーチしてるだけだから~。顔のパーツの位置、耳形、あと歩き方なんかだね~。……あ、照合終わったよ~」
ケビンは照合済みのデータを今度は分析にかけると言う。
「先ずは時系列に確認されたポイントをマップに落とすよ~」
赤い点がモローク地区の地図上に無数に現れた。思っていた以上に数は多い。
「次に、日付ごとに確認ポイントから移動経路を割り出すよ~。ほら、マップ上の点が赤線になったでしょ~。これに、更に移動可能経路を予測したものを上書きして、起点と終点を計算すると~」
マップ上に走っていた赤い線が消え、一点で点滅した。
「ここは……シャウエン?」
画面を食い入るように見るエギナの肩を叩く。
「さあ、行くぞ」
俺の言葉に、エギナは力強く頷いた。
――――――
シャウエンとは、地元民による呼称だ。正式にはシャウシャフエンナと言う。経済都市カサブランの東に位置する人口3万程の小さな集落で、その町並みはブルーを基調に染まる。十五世紀頃に移り住んだアンダルシャ人がきれい好きで白色を好み、また神聖だと考えられていた青色を取り込んだのが始まりと言われている。外壁塗りは、主に女の仕事だ。運が良ければ、刷毛で外壁を青白く塗る様子が見受けられるだろう。
夕日が照らすシャウエンの町並みを高台から見下ろす。
ジンは首から下げている懐中時計を取り出し、時間を確認した。17時38分。日の入りにはまだだが、アストラル山脈寄りの山中である。日が暮れ始めると暗くなるのは早い。
「暗くなる前に勝負をつける。エギナとケビンはここで待機。奴の居場所を見付けた時点で合図を送るから、怪我人に備えて警察のヘリを飛ばせ。制圧次第また報せる」
「分かった」
「すまねぇな、エギナ」
物分かり良く了承したエギナに謝罪する。本当は自分も制圧戦に参加したい筈だ。
「分かってるよ、あたし達はただの足手まといだ」
そう言いつつも、エギナの瞳は揺れていた。愛娘の安否がかかっているのだ。無理もなかった。
「本当に、大丈夫かい~」
エギナとは違って心配そうなケビンに、ジンはニッと笑ってやった。
「大丈夫に決まってんじゃねーか。俺は、ジン・フリークスだからな!」
瞬間、跳躍し目一杯“円”を拡げる。名付けて、ひとり
ごうごうと耳許で鳴る風を受けながら、跳ぶ、飛ぶ、翔ぶ。拡げた円で、シャウエンの住民の暮らしを撫でるように垣間見ながら。異様は、町外れまで来た時程無くして見付かった。
――なんだ、これは……。
硬直したのは僅かだったが、その異常さに合図するのを躊躇った。
“円”は、“円”内の全ての物の形や動きを肌で感じる事が出来る念の高等技だ。この感覚は、念を知らない人間に説明するのは難しい。通常の感覚より遥かにダイレクトに伝わる部分もあり、だからこそキツイ時もある。
――どうする?
嫌な汗が流れて、判断が正しいのか分からないまま合図する。ケビンが手を加えた警察の無線機のスクランブルを押したのだ。
窓のない建物内の地下に、生きている人間は3人、その部屋の隅に積み上げられた元人間が4体。ひとり多い。
俺はもう考えるのを止めて、建物の中に飛び込んだ。
モローク地区は、モロッコを参考にしています。