そして世界は華ひらく   作:中嶋リョク

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[26]査問会_パリストン・ヒルの場合

「いるじゃない」

 

「いるな」

 

「いるわね」

 

 会場に過不足なく揃っているゾルディックの面々を見て、査問委員席から囁き声が聞こえた。休憩直前のミルキ・ゾルディックの様子を見ているだけに、少なくとも彼女の出席はないと踏んでいたのだろう。正直、ボクも彼女がーーいや、ゾルディック家が未だ出席している事に内心首を傾げる。

 当主であるシルバ・ゾルディックは愚鈍な男ではなかった。裁定の流れは今更変えられず、ジン・フリークスは負ける。自分達が泥船に乗っていることはもう分かっている筈だ。娘を連れて、ククルーマウンテンに帰っていたとしても不思議はないのだが。ーーそう、例えエギナ・ココの件がおかしいと気が付いていたとしても、だ。

 

 (くだん)の少女はというと、やや緊張した面持ちで真っ直ぐ前を見据えている。楚々とした雰囲気は変わらないが、ボクを見て怯えていたあの時の様子は払拭(ふっしょく)されていた。

 

 ーー少し、気になるな。

 

 ボクの読みが外れることは滅多にない。ジン・フリークスが査問会を開くと言った時点でボクは結末を予想し、勝利を確信した。ここまでの流れは脳内で描いた景色と大差なく、現時点でのゾルディックの存在は僅かな違和感に過ぎない。本来なら、気にする必要もないような些末(さまつ)なことだ。ーーその筈だ。

 

「再開にあたり、パリストン・ヒルからの補足申し立てはあるかの?」

 

「ありません」

 

 ネテロ会長に言葉を返す。

 

「ジン・フリークスはどうかの?」

 

 彼はひとつ頷くと口を開いた。

 

「再開にあたり、先ずは訂正したい。5年前のアナスタシア家襲撃事件における、パリストン・ヒルの越権行為の是非を問う裁定内容を取り下げる」

 

「なっ……」

 

 ボクは唖然とする。

 

 ーー取り下げる? 一体こいつは何を言っている?

 

「ほっほっほ……取り下げる、か。つまり、今までの質疑応答は無かった事になるが良いのかの?」

 

「ああ、構わない」

 

 ジンの言葉に査問委員席が静まりかえり、次の瞬間耳をつんざくような怒号が響く。彼はその全てを目を閉じて遣り過ごしているようだった。

 

「取り下げる、って何を考えているの!!」

 

 チードルが怒気も露わにジンに噛みつく。

 

「お前らだって分かってるだろ? このままじゃ俺の負けだ」

 

「だからって、取り下げたら勝てるって訳じゃないでしょう!」

 

 それはそうだ。裁定内容を取り下げるということは、そもそも審議ができない。審議できないものを裁定することは不可能だから、結局ジンは負ける。彼はただ星ひとつを犠牲にしてボクを一時的に軟禁し、星持ちのハンターを招集したということで終わるのだ。

 ただ、アナスタシア家と東ゴルトーとの『公にしたくない真実』は闇に葬られる。ボクの更なる体制強化は見送られ、5年は先になるだろう。だが、この5年先はもともと規定路線だ。別にボクが不利益を被る訳じゃない。

 ちらりとジン・フリークスを盗み見た。

 ああ、何だろう。やけに胸がざわつく。追い込んだつもりが逆に追い込まれていた、という焦りがジンからは一切感じられない。虚勢だとしたら大した演技力だ。

 

「チードル、勘違いするな。裁定内容を変更するだけだ」

 

「変更……ですって……?」

 

「ほう、変更ときたか」

 

 ネテロ会長は酷く楽しそうだ。こういった展開は、会長の最も好むものだ。内心面白くて仕方ないのだろう。

 

「裁定内容を、パリストン・ヒルによる協会予算の私的流用疑惑に切り替える」

 

 再び騒然となった会場の中で、ボクは思考を巡らせる。アナスタシア家襲撃事件からのアプローチが不可能となり、ジンがそれを捨てた事には驚いた。だが正直それだけだ。

 協会予算の私的流用だって? 明らかにとってつけたような裁定内容だった。そもそも本当にボクの不正支出が分かっていたのなら、最初からそのアプローチを示せばいい。その上でアナスタシア家襲撃事件は切札として最後まで持っていた方が効果的だ。僅か30分の休憩時間で何を探せるというのか。例え何かを提示出来たとしても、ボクはその全てに反駁できる自信がある。

 

 ーーこれは単なる虚仮威(こけおど)しだ。

 

 そう結論づけて、ボクはジン・フリークスを睥睨(へいげい)した。

 

「ジン・フリークス。分かっているのですか? これはただの会議なんかじゃないんですよ。先程までの裁定内容ならば、貴方が査問会を開いた理由付けくらいにはなったでしょう。しかし、私的流用の証拠が無ければ、貴方は徒らにボクを軟禁し協会組織を混乱に陥れただけの道化だ。今回招集された査問委員だって暇じゃない。皆さんへの申し開きはどうするつもりですか?」

 

「……お前の言いたい事は分かる。正直言って、この私的流用は賭けだ。証拠が出なかったら俺はお前の言う所の『道化』だろうな。だが、可能性があるなら賭けてみたいのがハンターじゃないか?ーーミルキ、頼む」

 

「ーーはい」

 

 名前を呼ばれて少女が立ち上がり、その場でぺこりと一礼する。手に持っていたノートパソコンを卓上に開くと、懐から取り出した小さな銀色の球体を空中に放った。ゴルフボール程の大きさだ。球体は放物線を描いて落下運動に変わる瞬間、割れる。割れたと思った箇所からは、折りたたまれた長い羽根が伸びてそれが高速で回転し始めた。機敏な動きで2周半ほど会場を飛び回ると、球体が空中に画像を投影する。

 

「これは投影機です。私のPCと繋がっています」

 

 映し出されているのは、何の変哲もないPCのデスクトップだった。

 

「見たことない機械ね。こんなのあったかな。何処のメーカー?」

 

 空中でホバリングする銀色の球体を指差しつつ、クルックが少女に話し掛ける。

 

「いえ、自作したものですから市販はされていません」

 

 少女の言葉にクルックは目を丸くする。

 

「え? え? え⁈ 作ったの? あんたが⁈」

 

「はい」

 

 何でもない事のように少女は答えると、迷いのない動きでキーボードを操作した。

 

「ジンさん、準備ができました。いつでも大丈夫です」

 

 少し考える素振りを見せて、ジンはにやりと口角を上げる。

 

「ミルキ、お前が説明してみろ」

 

「え? でも……」

 

 ミルキ・ゾルディックは戸惑った様に瞬きする。視線が集中したせいか、着物の袖で口元を隠し気まずそうに身動(みじろ)ぎした。

 

「俺が見つけたものじゃない。お前が見つけた手掛かりだからな」

 

「ーーどういう意味だ?」

 

 ミザイストムが口を挟む。この場にいる全員の疑問だろう。

 

「言葉の通りだ。さっきの休憩時間内で、ミルキにハンター協会の執行予算に目を通して貰った。そこで見付けた手掛かりを説明しよう、って事だ」

 

「さっき、だと? ーー事前に調査しなかったのか?」

 

「いや? 事前調査ならしている。俺もハンター協会の執行予算は外郭団体も含めて過去5年分を調査会社に依頼した。その時の回答は白だった。全て正当な支出、という回答だ。調査会社に渡した時のデータをそっくりそのままミルキに確認して貰った」

 

「はあ⁈ ジン、お前何言ってんだよ。そんな短時間で何か分かる訳ねーだろ。しかも過去5年分って……吹かすのも大概にしろよ!」

 

 カンザイが卓上を掌で叩く。ジンは、悪戯が成功した子どもの様に可笑しそうに笑った。

 

「俺も驚いた。ミルキの能力を知らなかったからな。お前の言う所の、その短時間でミルキは外郭団体も含めた執行予算に目を通し、その全てをここで記憶している」

 

 頭を指差すジンに、カンザイが絶句する。

 

「え? は? 普通そういう事って出来るのか? 俺が馬鹿だから知らないだけか? なあ?」

 

 隣席するクルックにしつこく確認するカンザイを、クルックは迷惑そうに足蹴にした。チードルが眼鏡の位置を直しながら口を開く。

 

「俄かには信じ難いわね。ーーミルキさん、いくつか確認させて貰っていいかしら。ビーンズさん、ここに財務システムの端末を用意して下さい」

 

「この階にもありますから、すぐにご用意します」

 

 程なくビーンズの手によって用意された財務システムを起動すると、チードルの指示にビーンズが何度か頷いた。

 

「ミルキさん、気を悪くしないで欲しいのだけれど……ジンが語った事は、通常鵜呑みに出来る事じゃないわ。その上で幾つか質問させて欲しいの」

 

「はい、分かっています」

 

 少女は神妙な様子で頷いた。

 

「1987年の一般会計支出予算のうち、人件費として支出された金額の総計は?」

 

「協会職員の人件費として支出されたのは、45億3,124万560Jです。これは、期末手当や時間外手当、退職手当積立金なども含みます。協専ハンターへの報酬を含めると321億2,891万1,244Jです」

 

 少女の言葉は淀みない。

 

 

「……では、1986年6月17日に一般会計から特別会計に繰り出された支出は何?」

 

「その日に繰出金として支出されたのは3件。基金会計への15億J、スワルダニシティー総合病院特別会計へ5億2,500万J、プロハンター養成特別会計へ10億4千万Jです」

 

 チードルの額には汗が見える。

 

「最後に、1989年にハンター協会のフロア改修をしているけれど、株式会社フロンティアに支払われた工事費は幾らかしら」

 

「違います」

 

「え?」

 

「ハンター協会のフロア改修事業は1988年の事業です。明許繰越予算でしたから、1989年も工事はされていましたが、あくまで支出は1988年に含まれます。2ヶ年の支出を合計すると、2,503万J。契約相手は株式会社フロンティアではなくクロム商会です」

 

「……ありがとう。もういいわ。全て正解よ」

 

 チードルが正解を告げた瞬間、会場が「おお」とどよめいた。単純なカンザイに至っては、目を白黒させていた。チードルの質問やミルキ・ゾルディックの回答に対して何処まで理解しているかも疑わしいが。

 

「最後の質問は意地悪だったわね。ごめんなさい」

 

 少女は「いいえ」と静かに首を振る。

 

 ーー驚いたな。

 

 パリストンは心の内で賞賛を送った。知能指数と演算能力が高い事は知っていたが、まさかこんな特性があるとは知らなかった。間違いなく、眼前の少女は天才の部類に入る。少なくとも、自分が掴んでいた情報より少女の実力は高い。ーーとするならば、ジンの言葉はただの虚仮威(こけおど)しではない。

 

 それならば尚の事、この少女は厄介だ。ーー本当に、モローク地区の精神医療センターで始末出来なかった事が悔やまれる。

 

「ジン、横槍を入れてしまって申し訳無かったわ。彼女の記憶力は本物よ。私の研究秘書に欲しいくらい」

 

 珍しく軽口を叩くチードルに、ジンが苦笑する。

 

「それは難しいだろうな。俺も振られた口だーーミルキ、説明を頼む」

 

 少女はこくりと頷くと、PCのスリープを解除した。少女の顔付きが変わる。空中には5つのウィンドウが投影され、ウィンドウ内では下から上へと目まぐるしく数字が流れていた。

 

「これは、過去5年分のハンター協会の執行予算です。全ての支出に目を通しましたが、明らかに不正な支出というものは見当たりませんでした。ーーですが、興味深いものはいくつかありました。例えば、直近の1989年ですが……」

 

 ウィンドウのひとつがクローズアップされる。

 

「通常、工事費の場合その契約金の40パーセントが前金として契約先に支払われます。これは工事に必要な諸材料費として支払われるものです。ハンター協会が1989年に結んだ工事契約は特別会計や外郭団体のものも含め、200件余りに登ります。それを全てリストアップすると……」

 

 全員が見守る先で、工事費に当たる文字列が別ウィンドウへと飛んでいき、リストが作成されていく。

 

「少額の工事費には前金は発生しませんから、前金のあるものだけを残します」

 

 リストは一気に数を減らし、30件程になる。

 

「更に、同じ工事契約に対して前金が2度以上支払われたものだけに絞ります」

 

 リストには、8件の工事請負が点滅した。

 

「前金が2回? そんな規定があるのかしら?」

 

 ゲルの呟きに、少女は首を振った。

 

「いいえ。最初に支払われた会社が倒産しているからです。2度目に支払われた前金は、新しく請負契約を結んだ会社のものになります。ですから、同じ工事内容に対して前金の支出伝票が二つ存在します。これは1989年だけでなく、過去5年の支出に散見されています」

 

「だけど、会社の倒産なんて珍しくないと思うけど……」

 

 サッチョウが指摘する。

 

「ええ、仰る通りです。問題は、その支払った前金が回収されていない事です。ミザイストムさん、通常債権の回収の順番はどうなりますか?」

 

 およそ10歳の子どもとは思えない言葉が、少女の口から紡がれる。質問されたミザイストムは、やや面喰らったように目を(しばたた)かせた。

 

「……そ、そうだな。先ずは金融機関が動く。何故ならその会社の経営状況を知っているからだ。法人税や料金の滞納があれば、遅れて行政が動く。だが、ハンター協会は民間団体とはいえ国と同程度の権限が与えられている。掴む情報も早い。だから、債権の回収は比較的早い筈だ。工事費の前金は厳密に言えば債権とは言えないからーー全てとは言わないが、ある程度回収されているんじゃないか?」

 

「私もそう思っていました。ですが、どの歳入を見ても回収されている記録はありませんでした」

 

「……何?」

 

 ミザイストムが身を乗り出す。少女の言わんとする所と、その重大さに気付いたのだろう。パリストンは俯き、上がった口角を隠す。

 

「単に、銀行に先を越されたんじゃねーか?」

 

 今度はサイユウが指摘した。

 

「ええ、その可能性はありました」

 

 細い指がキーボードを滑る。空中に別のウィンドウが開き、倒産した会社と取り引きのあった金融機関の一覧が表示された。

 

「ですが、調べてみると金融機関も行政も債権の回収に乗り遅れています。倒産した会社から債権回収が出来たのは、ある弁護士事務所だけです。いえ、この表現は正確ではありあませんーーパリストン・ヒル。貴方の顧問弁護士をしている事務所ですね」

 

 ミルキ・ゾルディックの黒曜の瞳が、

射抜く強さでボクを見据える。

 

 

 ーーああ、本当に厄介な少女だ。

 

 ボクはにっこりと笑ってから、ミルキ・ゾルディックをーー真顔で見返した。




予算関係とか債権の回収などは適当です。
それにしても……よもや査問会がこんなに長くなるとは。

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