「生還おめでとう」
感情を削ぎ落とした鉄面皮が、ぱちぱちと拍手で迎える。乗り込んだ車の後部座席でミルキは脱力した。
「幻影旅団のリーダーだったんですけどっ……!」
死ぬかと思ったんですけど!
「へえ、なかなかの大物に見初められたね」
ゴトーが着けていた筈のイヤホンをいつの間にやら着けて、イルミは涼しい顔でミネラルウォーターを渡してくれる。因みに、微炭酸な後味すっきりでなかなか旨い。
ゴトーは我関せずを貫くようだ。車は静かなエンジン音を立ててゆっくりと発進した。
「兄さま、全く助けてくれなかったね」
「若い二人の邪魔をするのは不粋でしょ」
まるでお見合いのノリだ。
「で、口説かれてどうだった? 恋に落ち」「ないから」
兄さまの言葉に被せて否定する。
「大体、どう聞いたらアレを『口説いた』なんて解釈出来るの……」
「え?」
こてん、と小首を傾げるイルミに絶句する。
さっき貴方、「生還おめでとう」って言ってたじゃない。命の危険、あったよね?
「もう、いいよ」
深く空気を吐き出す。ガチガチに緊張していた身体は、休息と水分を欲していた。取り敢えず、手っ取り早く解決する方――ペットボトルの蓋を開けて一気に煽る。思った以上にカラカラだったみたいで、喉に沁み渡った。
やっと人心地つけ、PCを起動する。これは、パーツからひとつひとつ自作した特別製で、ミルキ愛用の仕事道具だ。処理速度は市販の物とは桁外れで、衝撃にも強い。防水・防火処理済みな上、電子製品の大敵――埃と電撃にもある程度耐える。
最も、その耐久性の真価が発揮されるような事態には陥ったことはない。基本、安全な自宅の部屋で仕事をしているのだから陥りようもない。じゃあ、無駄じゃないかという突っ込みは、家族からも頂いた。特に「頭は良いが馬鹿だ」という言葉をゼノおじいさまから頂戴した時には激しく落ち込んだものだ。原作のミルキ・ゾルディックとはそこら辺は違うと自負していただけにかなり堪えた。いいんだ……別に……。好きな事に拘りたいのは誰しも覚えがある筈だ。
「何してるの?」
「お・し・ご・と」
液晶モニターから視線を上げず、イルミに答える。パーティー会場の参加者及びスタッフ一覧をサクッと抜き取り保存する。取り急ぎチェックするのはナタリアとその取り巻き、それからクロロ・ルシルフル。会場の監視カメラを全て管理下に置いて、映像内の人物に追跡できるバッチをあてた。これで、少なくとも会場内での動きを時系列で追える。もっとも、クロロ・ルシルフルの場合、『監視カメラに映らない速さで移動』するというチートな事をされると厄介だけれど。まあその場合でも、残っている映像と時間から軌跡の予測は可能だ。
PCが計算している間に、ナタリア周辺の情報集めだ。
生育歴、両親、兄弟、学校、友人、実家の事業とその業績。取り敢えず思いつくものを片っ端から集めてフォルダにぶち込んだ。
今度は、警備員を確認する。ざっとリストを見た限り、蜘蛛のメンバーは居なさそうなんだけど。一応、念能力者だけをピックアップして、行動を追尾する。3D化したパーティー会場の建物に参列者の行動をトレースしたものを眺めた。
うーん……変だなあ。警備の動きもおかしくないし、ナタリア達も至って普通。あのクロロにしてもそうだ。招待客が立ち入らない場所に潜入する訳でもない。言葉を選ばなければ、ただぶらぶらしているように見える。
「……兄さま、何、してるの?」
ふと見上げた先で、携帯をカチカチと押す兄に尋ねる。イルミは手持ちぶさただからと言って、携帯を弄んだりしない。必要な時に必要な分構うだけだ。
「うん? お・し・ご・と」
無表情で言われても全く可愛くないどころかホラー的な臭いがする。顔の造作が良いだけに、残念な兄だ。
「ふうん……」
お仕事、ねえ。父さまに私の報告でもしてるのだろうか。あ、ヤバい。果てしなく落ち込んできた。ミルキが見守る先で、イルミは携帯を胸ポケットにすとんと仕舞った。
何となく、イルミにも監視カメラの追尾バッチをあてて、計算を追加する。大体、会場への入場以降、兄さまってば何処に居たんだか。
先程フォルダに入れた情報を引き出してひとつひとつ目を通す。うん、どれもこれもどうってこともないものばかり。
「あれ?」
ブランチェスカ家の経営する病院の業績を確認中、違和感を覚えた。3年前から診療報酬自体の入りは変わらないのに、業績はかなり向上している。伸びてる項目は……何コレ? 寄附金?
全体の入りに対して明らかに寄附金の比率がおかしい。入り全体の2割という馬鹿馬鹿しい程の数字だ。それも、3年前から右肩上がり。寄附金ってのはその性質上、こんな上がり方はしない。毎年少額がコンスタントに続き、ある年ではどんと入って、翌年にはまた下がるって感じの動き方をする。出は3年前以前と今と総額に明らかな違いはないから、寄附金丸々が病院の儲けとなっていた。
まるで、新規事業が軌道に乗った時みたいな動きじゃないか。公に出来ない儲けを寄附金の項目に追い込んでる? 病院……寄附金……嫌なキーワードだ。
寄附者のリストを呼び出し、高額寄附者に限定して分析にかける。
「あー、やっぱり」
「何か分かった?」
私の呟きにイルミが反応する。
「蜘蛛がナタリアに――ブランチェスカ家に近づいた目的が分かったよ」
ミルキはくるりとPCの液晶画面を反転させる。
「ブランチェスカ家は非合法に人体売買をしてる。3年前から高額の寄附が増えてきてるけど、リピーターは人体収集っていうアングラな趣味をお持ちの資産家が多い。あそこは奇病といわれる難病患者から著名人まで通うから、きっと珍しい物が揃ってる。腎臓、心臓、肝臓といった内臓疾患の資産家もいるから移植用パーツの紹介もしてるだろうね。何せ、パーツは病院内に活きのいいのが沢山在る」
そこで、一旦言葉を切った。画面を切り替えて、病院の設計図と衛星から撮影した俯瞰図を照合する。
「地下に人体パーツの保管場所があると厄介だったけど……ほらここ。設計図には載ってないのに、俯瞰図では明らかに空間がある。多分、ここが保管場所」
「移植用は兎も角、人体収集家が欲しい人体パーツなんて残ってないんじゃない?」
イルミの指摘に、苦笑う。
「あるよ。絵画にしろ彫刻にしろそうだけど、作者が死んでから作品の価値が上がるでしょ。人体だって同じ。販売してるのは、初めから稀少な病理部分か、死んだ後の著名人の一部だよ。まだ販売されていない人体パーツ達は、主が死んで価値が上がるまで保管される。蜘蛛はここを襲うよ」
そこまで言って、矛盾に気付く。あちらにはシャルナークがいるのだ。こんなこと分からない筈がない。よしんば分からなかったとしても、ブランチェスカの当主――病院長を捕まえて尋問すればいい事だ。場所さえ分かればさっさと襲撃すればいい。クロロ・ルシルフルがわざわざナタリアに近づいた意図は――不意にミルキは顔を上げる。
「兄さま、ナタリアが危ない。ブランチェスカ家に連絡して」
――――――
翌日、病院の敷地内でナタリア・ブランチェスカの遺体の一部が見付かった。頭部と右手。あとは見つからなかった。がらんとした金庫室の前で、無造作に棄ててあったそうだ。どちらの遺体の一部にも、生活反応が出なかった――つまり、殺害した後に切り離された事が分かっている。病院側は、金庫室は初めから空だったと説明しており、盗まれたものはないと発表した。
捜査は難航し、犯人は未だ不明というのが巷のニュースで流れている全てだ。どのワイドショーでも、年若い美貌の令嬢の怪死をおもしろおかしく報じている。これもその内次々と別のセンセーショナルなニュースにとって変わられ、忘れられる。――そう、ナタリアは忘れられる。
葬儀は残された遺体の解剖を待って、3日後にしめやかにいとなまれた。
結果として私は間に合わなかった。全くの無駄だった。
ナタリアのことは好きじゃなかったが、だからと言って死んで欲しいとか、殺したいとかじゃない。会場を離脱してから、直ぐに調べた。忠告もした。出来るだけのことはやった筈だ。そう言い聞かせてみるが……本当は分かっている。積極的にナタリアを保護した訳じゃない。会場から連れ出してゾルディック家で保護することは出来た筈だ。でもしなかった。それが全てだ。
寝室のドアがノックされる。入って来たのは喪服姿のイル兄さまだった。ナタリアの葬儀に代表で参列してきたのだ。肩が少し濡れている。外は雨だったんだろう。
「母さんから、ミルキが食事を摂らないって聞いたけど」
電気も点けていない暗闇の中、イルミは迷いのない動きでベッド際まで移動する。私もイルミも夜目が効く。暗闇は障害にならない。こんなときにはそれが恨めしい。あんまり……寝てないから、きっと酷い顔をしているだろう。
「仕事は……してるよ」
自嘲気味に笑うと、ベッドに腰を下ろした兄さまから、ぺちりと頬を叩かれた。
「そんな事は聞いてない」
表情こそ変わらないが、怒っている。
「……ごめんね、兄さま」
ごめんなさい、弱くて。こんな妹でごめん。顔を見られたくなくて、寝台の上でイルミに背を向ける。
「……ナタリアの死が辛い訳じゃないの。死んで悲しいとかそんな感情なんてない」
「うん」
「何とも思えない……それが辛い。分かる?」
「全然分からない」
間髪入れない見事な返答だった。
「…………」
「…………」
「ぶぶっ……!」
思わず吹き出す。ぶれないなあ、イルミ兄さまは。相変わらずのゾルディッククオリティーだ。
「そこはさ、嘘でも同意しとこうよ」
流れ的にさ、空気読もうよ。
「同意するの?」
「うん」
「嘘ってミルキなら分かるでしょ」
「うん。でも、イルミ兄さまの成長に感動してたかも」
「相変わらず、よく分からない事をミルキは考えてるね」
自分の感情に疎く、他人への機微は更に疎い。でも――家族限定ではあるが――優しくない訳でもない。
「あー、元気出てきたかも。ありがとう、イルミ兄さま」
「同意しなかったのに?」
「うん、側には居てくれたから」
これが所謂、『君の辛さを僕は完全には分かってやれないけど、寄り添うことは出来るよ』ってヤツなのか。ただうちの場合、本当に理解出来ずに側に居てくれただけだけど。思えば、子どもの頃からそうだった。……まあ、それでも。
「笑ったらお腹空いちゃった」
「ご飯食べる?」
「食べる」
手を差し出すと、ぎゅっと握ってくれる。こういう所も小さい頃から変わらない。
「あ! ミル姉じゃん! ご飯食べれんの……げっ、なにその顔」
ダイニングルームで、パアッと顔を輝かせて駆け寄ってくるキルアを抱き止める。
「えー……、鏡見てないから分かんない……そんな酷い?」
「酷いっつーか、すげぇブサイク」
7つ下のキルアは、何故か私に懐いてくれる。ちょっと扱いとしては軽くじゃれて噛み付かれる感じではあるけれども。子どもの無邪気さで胸を抉られる科白を吐かれることも多々あるけれども。
原作では「ブタくん」と呼ばれ、基本スルースキル炸裂しまくりだったことを思うと雲泥の差だ。うん、可愛い、可愛い。
この可愛い弟が3年後には母さまと私を刺して出奔するんだよね。何だか信じられない。
私…やっぱり刺されるのかな、お腹。やだなー。
「まあ、座れ」
父さまからの声が掛かり、ゾルディック家の晩餐がスタートする。
「父さま、母さま……ご心配おかけしました」
「もういいのか?」
「はい」
そうか、と呟いたきり、父さまは食事を始めた。もう、この話はお仕舞いということだ。カチャカチャとカトラリーと食器の触れあう音が聞こえる穏やかな食卓に、爆弾を落としたのはキキョウだった。
「それでミルキちゃん、婚約者のクロロさんはいつお越しになるのかしら」
「はあっ?!……ぐっ、ごほごほっ……」
「えええーーっ! ミル姉結婚すんの?! 誰よ? クロロって」
キルアが叫ぶ。
「ごほっ……ちがっ……」
「ミルキお姉さま、おめでとうございます」
「カルト……ごほっ……だから、違うから!」
「そうなの……ですか?」
ミルキはイルミを睨み付ける。一体どういう報告をしたら、そうなるワケ? 当の本人は、安定のポーカーフェイスでラム肉を咀嚼していた。
「ミル姉、結婚……しないの?」
「しないよ」
不安そうに尋ねるキルアに、にこりと笑いかける。
「クロロってのは?」
「こないだのパーティーでちょっとしゃべっただけだから」
「へへ、なーんだ」
あからさまにほっとした様子のキルアに、イルミが待ったを掛けた。
「キル、ミルキがいつかは結婚してこの家を出ていくのは本当だよ。なにせミルキは女の子だからね」
「……そんな事、分かってるよ」
ぶう、とキルアは頬を膨らませた。
……ああ、これなんだよね。父さまが私に「独立」じゃなく「結婚」を選択させたい理由。全ては後継者であるキルアのため。
最近、『外への憧れ』からか、頻りにキルアは外出したがる。それを教育係でもあるイルミが押さえつけるという構図が出来上がっていた。暗殺業にも訓練にも身が入ってない――というより、同世代の子どもと自分との差に嫌気がさしているようだった。そもそもは、天空闘技場で外の空気感を知ってしまったことに端を発している。
そんな中、もしも私が独立したらどうだろう? 「独立」という、ゾルディックからのある種の解放の形を見せられたら? きっと飛び付く。俺も、となる。
だが、小さい頃から溢れる才能に期待し、後継者として大事に大事に育ててきたキルアと私を同列に扱っていい筈がなかった。
あの事件以来、私の「独立」は半ば既定路線であったけれども、ここに来て大きな修正が加えられたのはこれが理由だ――と、私は思っている。父さまの判断を寂しく思う気持ちはない。私もそれが最良なんだと理解してる。無理矢理婚約者をあてがわれないだけ、そこには私に対する気遣いが感じられた。
「キルア」
シルバが静かに口を開く。
「確かに、ミルキが嫁に行くのはまだ先の話だが、花嫁修業には近々出す予定だ」
「えっ……」
聞いてないよ、聞いてないから……聞いてないよね?
どうして、こう勝手に決めるかな。なんでいつも事後報告かな。どうして、当の本人が自分の事をその他大勢と同時に聞かせられねばならないのか。そこにはミルキに対する気遣いが一切感じられなかった。
「えっとー……、父さま、それっていつからかな?」
「うん? 今執事達に準備をさせているが……再来週だな」
「あ、そう……ですか」
ちらりとイルミを見遣る。やはり安定のポーカーフェイスでトマトコンフィを咀嚼していた。これは、知っていたのかどうなのか……あかん……分からん……。
「それまで甘えておけよ」
シルバのこの言葉で晩餐はお開きとなった。
――――――
シャワーのコックを捻ってお湯を止める。
ぽたぽたと水滴が落ちるのもそのままに、ミルキは複雑な気持ちで鏡の中の自分を見詰めた。髪は短い。原作のミルキ・ゾルディックと同じショートカットだ。前髪が少し長いくらいか。
切れ長の目に、通った鼻筋、ふっくらとした赤い唇。自分は、キキョウの若い頃によく似ているらしい。
まあ、美形なんだろう。ゾルディックの遺伝子だ。あの父と母から生まれたのだ。不細工になりようがない。
でも、内面はどうしようもない。ゾルディックでいることへの後ろめたさは、確実に外見への印象に影響を与えていた。ナタリアが言っていたように、自分には華やかさというものが欠けている。
バスローブを纏って、ミルキは浴室を後にした。仕事部屋のデスクの上――愛用のPCのスリープを解除して、液晶モニターを見詰める。
「結局、聞けなかったな……」
画面上には、あの日の監視カメラでの追尾結果が点滅していた。キーを操作して該当者を二人まで絞り混む。該当者は――イルミ兄さまと、クロロ・ルシルフル。
二つの点滅は、私がナタリアと出会った頃合いに遭遇し、5分程で再び別れた。ダウンロードしておいた監視カメラの映像を呼び出す。二人はバーカウンターに隣り合わせで座っていた。カメラからは背を向けているから会話の内容までは分からないけれど――二人は知己だ。少なくとも、あの日会場にクロロ・ルシルフルがいたことをイルミ兄さまは知っていたのだ。
原作の知識があるから、いずれ二人がビジネスライクな付き合いをするようになるのは知っているけれども……。
「嘘付きばっかりだ」
ミルキは、静かにPCを閉じた。