そして世界は華ひらく   作:中嶋リョク

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[8]イルミ・ゾルディックの場合(2)

 ゴトーがミルキの自室に駆け込んだ時、ミルキは心肺停止状態で見付かった。すぐに蘇生措置がとられ事なきを得たが、一時期はかなり危険な状態だったらしい。

 ボクはククルーマウンテンに帰還して、すぐにミルキの自室を訪ねた。容態は安定していると報告は受けていたが未だミルキの意識は戻っていない。

 

「イルミ戻ったか」

 

 ミルキが眠るベッド際には父さんの姿があった。心電図の波形に乱れはなく、点滴台の点滅がミルキの顔を青白く照らした。最後に別れてから1日も経っていないにも関わらず、ミルキは随分やつれて見える。

 

「母さんは?」

 

 ボクの言葉に、父さんは苦笑で返した。責めてるように聞こえたのかもしれない。……他意はなかったのだが。

 

「さっきまで一緒だったが、アルカに乳をやりに行った」

 

「そう……」

 

 ボクは、先程まで母さんが座っていたであろう椅子に腰を降ろした。父さんは前を向いたまま話し出す。

 

「専属医の話では、急激な低血糖症状が起こっていたということだ。お前の話と総合すると、脳の活性化の為に体内の糖分が急激に消費されたからと考えられる。体重も随分減っている所をみると、血液中の糖分だけじゃ足りなかったんだろう。低血糖になると、発語困難、急激な眠気、昏睡が見られるらしい。――お前がミルキと通話中にはこの症状が始まっていたんだな。その後、心肺が停止した」

 

「そう……」

 

 無機質な医療機器の電子音をBGMに、暫く二人でただミルキの顔を眺めた。青白く血色の失われた頬に、長い睫毛が影を落とす。ふと、父と二人きりでいるのは随分と久方振りであることに気づく。いい機会かもしれない。

 

「父さん、話があるんだ」

 

「……ミルキの事か」

 

 左隣の父を見る。真っ直ぐミルキを見据えたまま、父さんは口を開いた。

 

「お前が言いたい事は分かっているつもりだ。いや……随分前から俺自身気づいていながら、先伸ばしにしていた事だ――ミルキは暗殺者には向かない。お前も気付いていたんだな」

 

 父さんは複雑そうな顔でボクに視線を合わせた。こんな表情の父さんは見たことがなくて、ボクは目を見開く。常に自信をみなぎらせ、即断即決の父である。意外過ぎて正直驚きを隠せない。

 

「お前達は、きょうだいの中でもとりわけ仲がいいからな――なんて、口当たりの良い綺麗な言葉で纏めて貰えるとでも思ったか」

 

 父の雰囲気が一変する。猛禽の目が射殺す強さでボクを見据えた。

 

「父さん、何言っ」「誤魔化すんじゃねぇよ」

 

 ボクの言葉を遮ると、父はじっとボクを見詰めてから長い溜め息を吐いた。

 

「まさか無自覚か……? 難儀な奴だ」

 

 父の意図は分からないが、先程から心臓は五月蝿いくらいに拍動している。自分らしくなく、肉体のコントロールが全く上手くいっていない。こんなことは初めてだ。――いや、この感覚には覚えがある。あのとき――そう、ゴトーにミルキの安否を確認させていた時と同じだ。

 

「中途半端に自覚させて、暴走されたら目も当てられんから――はっきり言うぞ」

 

 じわりと手に汗が滲む。この先は、聞かない方が良いような気がして落ち着かない。いや、聞いてはならないと本能が警鐘を鳴らしている。

 

「お前は、ミルキを『妹』だなんて思っちゃいない。『妹』じゃなく『女』だ。好きなんだよ、ミルキの事が」

 

――そんな。

 

「馬鹿な」

 

「馬鹿はお前だ。親に指摘されるまで無自覚とか阿呆だ。俺だって、こんなこと言いたくて言ってる訳じゃない。自慢の息子が自慢の娘に懸想してるなんて、親からしたら悪夢だ。親不孝もいいとこだ」

 

 父の表情は苦々しい。

 

「……あり得ない、ミルキはまだ子どもだ」

 

 ボクは呆然と呟いた。

 14歳の自分が、まだ9歳のミルキを? しかも、正真正銘血の繋がった妹だ。確かまだ初潮だって迎えてない筈。全くの子どもなのだ。

 

「そうだな、確かにまだまだガキだ。けどな、あと5年したらどうだ? お前は19、ミルキは14。10年も経てばお前は24、ミルキは19だ。寧ろ似合いの年齢だ。5年10年なんてあっという間に来るぞ」

 

 父さんの言い方が妙な方向性になってきて、ボクは目をぱちぱちと瞬かせた。

 

「父さんは、ボクとミルキをくっつけたいワケ?」

 

「そんなわけあるか! ボケ!!」

 

 頭を掻き毟らんばかりの勢いで否定される。

 

「きょうだいとはいえ、別個の人間だ。俺はお前らより長く生きてるから、これまで色んな人間に出会ってきた。そういうこともある、と単に知っているだけだ」

 

――そういうことも、ある。ある――のか?

 

「まだ良く分かってないって顔だな。――じゃあ聞くが、お前はミルキが別の男と結婚して家庭を作っても平気な訳だ。意味、分かるか? ミルキがそいつに抱かれてガキまでこさえるのを傍で見てられるのか、と聞いている」

 

 想像するまでもなく、ぞわりと襟足が逆立つ程の嫌悪感が生まれる。まだ見ぬその男への明確な殺意が沸き上がり膨らんで弾けた。ーーああ、そうかと納得する。唐突に、父の言っている意味が理解出来た。ミルキに対する気持ちに名前がついた瞬間だった。

 

「イルミ――殺気を仕舞え。ミルキの身体に障る」

 

 父は嘆息すると、ボクに向き合う。

 

「お前、ミルキが欲しいか?」

 

 ミルキが。

 

「欲しい」

 

 短く告げると、父さんは憐れむように笑った。

 

「思えば、お前が自ら何かを望むことはなかったな。玩具にしろ食い物にしろ――与えられたものに文句を付けないかわりに、求めることもなかった。……いいだろう。イルミ、お前にチャンスをくれてやる。ただし条件付きだ」

 

「条件……」

 

 父さんは、目の前で指を1本立てる。

 

「ひとつ、ミルキに無理強いしないこと。――これは絶対条件だ。ミルキにとってお前は兄だ。それ以上でも以下でもない。自分の気持ちとは温度差があることは肝に銘じろ」

 

 更に2本目の指が立てられた。

 

「ひとつ、もしミルキを手に入れられたとしてもガキは作るな。お前らのエゴを子どもに背負わせるのも、ゾルディックにその血を入れるのも赦さん」

 

 3本目。

 

「ひとつ、ゾルディック家の当主はお前にはやれない。後見人としてキルアを教育し、キルアを当主の座に据えろ」

 

 4本目。

 

「最後に――ミルキが他の男を選んだら、諦めろ」

 

 誓約できるか、という父さんの言葉に静かに頷く。それを見届けて、父は席を立った。

 

 

 

 ミルキの眠る部屋にひとり残されて、ボクは可笑しくなって笑いだす。声を出して笑うなんて、今までしたことがあっただろうか。

ひとしきり笑ってから、ああ、父さんでも間違うことがあるのかと、愉快な気持ちになる。いや、笑ったから愉快なのか。もう、どちらでもいい。

 父さんは期限を切らなかった。つまり4つ目の誓約は無効だ。他の3つの誓約と比べて、なんて曖昧なボーダーラインだろうか。

 ミルキが最期に吐く息の瞬間まで、ボクという細胞が死ぬその時まで、きっとボクはミルキを求め続けるだろう。ボクはゾルディック家に必要な部品(パーツ)のひとつであり、その役割(ロール)だって過不足なく果たそう。だけど、この心だけは譲れない。この気持ちは、ゾルディック家のものでも()してや父さんの命令に左右されるものでもない。この不毛さも全部引っくるめて――ボクのものだ。

 

 

 

――――――

 

 

 

 ミルキが意識を取り戻したのは、あれから更に半日を過ぎてからだった。意識を取り戻した時にボクが傍についていたーーなんて映画やドラマのような都合のいい事は起こらず、ボクは執事からの報せでそれを知った。

 

「話せる?」

 

「ほとんど快復されてますから問題ございません」

 

 執事の返答を最後まで待たず背中で聞く。逸る気持ちのまま廊下を急ぎ扉を開けると、ミルキはベッドに上半身を起こして待っていた。ひらひらと右手を振る。散々気を揉ませておきながら、ケロリとしたものだ。

 

「兄さま、お帰りなさい」

 

「……ただいま」

 

 ベッドサイドに腰を降ろして、ミルキの顔を覗き込むと、にこりとミルキが微笑んだ。病み上がりの疲れた顔だったが、血色は幾分改善しているようだ。少しほっとする。乱れた髪をすいて後ろに流してやってから両頬を手で挟む。やはり、全体的に肉が薄くなっていた。

 

「体調は? どこも何ともない?」

 

「うん。――ちょ~っとくらくらするけどね……わぷっ!」

 

 ミルキを引き寄せて胸に抱き締める。

 

「お陰で助かったけど、無茶し過ぎだ」

 

「……心配掛けて、ごめんなさい」

 

 申し訳なさそうに言いながらも、ミルキは何処か嬉しそうだ。

 

「なにニヤニヤしてんの?」

 

「えっ………顔に出てたかなあ。だって、兄さまの役に立てたでしょ? 私、家の仕事も手伝えてないし」

 

 嬉しいんだー、と無邪気に言うものだから呆れた。それで死にかけていては世話がない。

 

「ミルキは、いろんなガジェットの開発をしてるでしょ。充分貢献してると思うけど」

 

「ん――……。確かにみんな褒めてくれるけど、それって気を使ってくれてるのかも、って思っちゃって。あ! 兄さまは違うよ。駄目なものは駄目って言ってくれるし、良かったら褒めてくれるから…」

 

 あいつらが気を使う? まあ、なくはないと思うが、結局現場のサポート役は執事達だ。自分たちの生存率を上げる為にも、そんな所で追従(ついしょう)なんてしないと思うが。そう言ってやると、ミルキは微妙な顔をしてから表情を無くすと、ふっ……と口元だけを歪ませた。

 

「少し前、ゴトーにあれを見せたの。ちょっぴりからかってみようかな、っていう……魔が差したというか」

 

 ミルキが指を差した先――壁際のナイトテーブルには、小さな緑色の物体がいくつか転がっていた。腕の中のミルキを離してそのうちのひとつを取りに行く。緑色の物体がカエルの頭を模したものだと分かった。

 

「何、これは」

 

 手のひらに転がしてみる。

 突然カエルの目が白目を剥いたかと思うと「ゲロゲロゲロ!」と鳴きながらガタガタと震えだした。カエルがぐりんぐりんと眼球を回転させながら手の中でのたうちまわる。

 

「うわ、キモ……」

 

「それ、起動時の設定。用途はイヤホンなの……執事用のね」

 

 確かに、家族直属の執事達は、勤務中にイヤホンを装着している。家族からの指示を速やかに遂行するためだ。

 

「これをゴトーに見せたら『流石ミルキ様、デザインも洗練されていて大変可愛らしい。早速全ての直属の執事に着用を提案してみましょう』って満面の笑みで返されたわ」

 

 それは、単にゴトーのセンスの問題かもしれないし、あいつの眼が曇っているだけかもしれない。多分、気を使っているとかいうレベルの話じゃない。

 

「――ああ、そういえば、部屋で倒れてるミルキを見付けて蘇生措置したのはゴトーだから」

 

 ミルキならば、ゴトーに礼を言うはずだ。

 執事――使用人なんだからゾルディックの人間に尽くすのは当たり前だとイルミは思うが、ミルキはこういう所は妙に義理堅い。教えておかないと後で恨み節を聞く羽目になる。

 

「は? 蘇生措置?」

 

 きょとんとした顔で返された。

 

「え? 聞いてない?」

 

「低血糖で倒れたとしか……え?」

 

「いや、心肺停止だし」

 

「ええっ?! はっ! てことは、心臓マッサージと人工呼吸……」

 

「当たり前でしょ、心肺停止なんだから」

 

 ミルキは急にわたわたし出すと、真っ赤になって寝具に突っ伏した。何やらゴニョゴニョと呟いている。

 

「どうしたの?」

 

「ゴトーにどんな顔をして会えばいいのか。それより、私のファーストキスが……!」

 

 死にかけたことより、問題はそこなのか。

 

「いや、医療行為だし。ノーカンでしょ。それに、ファーストキスじゃない筈」

 

 ボクの言葉にミルキが食いついた。

 

「そんな筈ないでしょ! 誰? 記憶に無いんだけど!」

 

「ボク。いや、父さんかも。キルア……ではないし」

 

 ミルキの肩ががっくりと下がる。

 

「それこそ、ノーカンじゃない! 家族なんだから!」

 

 ミルキの言葉が突き刺さる。突き刺さった所からどろりとしたものが溢れ出して胸の中を満たしていくのが分かった。ただ、納得している部分もあるのだ。自分は兄だ。ミルキにとって家族だ。ノーカンだと言われていちいち傷ついていられない。

 多分、表面上は平静そのものでボクは口を開いた。

 

「家族がノーカンなら、医療行為をしたゴトーもノーカンでいいじゃない。それともゴトーに疚しい気持ちがあったとでも思ってる?」

 

 あったとしたら殺すけど。

 

「ゴトーがそんなこと思う訳ないじゃない。そうじゃなくて……はあ、もういいや」

 

 ミルキは説明を途中で投げた。ボクは人の心の機敏に疎い。どうせ説明しても無駄だと思ったのだろうが――ミルキが説明を放棄した理由くらいは推察できる。

 むっとして、ボクはミルキの肩を押す。簡単にミルキはシーツの上に仰向けに倒れた。顔の周りに大量のクエスチョンマークが飛んでいる。

体重を移動させて、上から覗き込むと、目だけで「何?」と問い掛けてきた。それを無視して、ボクはミルキの頬を撫でてから親指で唇を辿る。

 

「家族はノーカンだっけ?」

 

「はえ?」

 

 ちょっと間の抜けた返事を返すミルキにゆっくりと唇を重ねる。――柔らかくて感動する。ミルキの半開きの口に舌を入れたい衝動に駆られたが、流石に誤魔化しが効かなくなる。舌で唇を辿るだけに留めて、ちゅ、とリップ音を残して唇を離した。

 

「ね、ノーカン」

 

 髪を掻き上げながら言うと、ミルキの顔がかっと朱に染まる。ぱくぱくと口を開閉するが、言葉になっていない。

 

「…………」

 

「え?」

 

「……こ」

 

「こ?」

 

「……っ、この馬鹿!!」

 

 ミルキは真っ赤になって怒りながら、家族とはいえ基本は頬にするもんだとか、唇にするにしてもバード・キスが礼儀だとか捲し立てた。挙げ句、「私に何か言う事があるよね!」と言うもんだから「……ご馳走さま?」と返すと「ご免なさいでしょ!」と言って頭を抱えた。

 

 

 この日以降、ミルキから一般的な人との距離感についてご高説を頂戴する機会が増える。どうやらミルキの中で、ボクは対人面に不安のある人間だと認定されてしまったらしい。ちょっと予想外の事態だ。ミルキらしいと言えばらしいが、ボクを異性として意識させたいという思惑は見事にあてが外れた。今後、この手のアプローチの仕方は控えた方がよさそうだ。ミルキはまだ9歳。焦らないでいい。

 

 時間はあるのだからと、この頃のボクは――危機感も覚悟も足りなかった。自分の気持ちをストレートに告げられなかった只の意気地無しだ。

知られたらミルキに嫌われるかもしれない、拒絶されるかもしれないと二の足を踏んでいた自分を、今は殴り倒してやりたい。本当は時間などなかったのに。

 

 

 そう、あの事件が起きたのだ。ボクが15歳、ミルキが10歳の夏に起こった――「シャウエン事件」が。


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