真・恋姫†無双〜李岳伝〜   作:ぽー

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第八十六話 包囲網と各個撃破

 ――曹操との会談を終えた後、李岳は洛陽に戻ると全員に招集をかけた。場所は宮殿丞相府内董卓の居室である。時間は正午から一刻としていたが、約束の時間の前には既に皆が揃っていた。

 

「入りましたよ〜」

「うーっす」

 董卓がお茶を運んできた。表ではもはや丞相として振る舞わなければならないので、もちろん身の回りの全ては下女が動くが、こうして身内だけの集まりの時は率先して働きたいようだ。

 丞相が直々に入れる茶はさぞや美味かろう、と李岳はありがたくすすった。冗談めかしていたが確かにいつも以上に美味い茶だった。こいつ、普段使いとは違って特別な茶葉を開陳したな、とうなってみる。

「やるなっ」

「えへへ」

 全員というわけではないが、久々にほとんどの仲間が揃っているので董卓も浮かれているのだろう。ここは宮殿の一角で丞相府として使用されることを認められた区画であるが、大層な儀礼を嫌がり結局大広間ではなく狭い部屋に集まっている。狭っ苦しくさもしい方がなんだか性に合った。

 曹操との会談後、東方の監督は楊奉に任じ張遼と赫昭を連れてきたので人員に分厚さを感じる。東の防備はある意味曹操に任せているようなものなので最低限だけ残した。楊奉には祀水関再建と白波賊の残党への対応を命じてある。楊奉の他には黒山へ戻っている廖化以外、全員が居並んでいる。

 

 ――李岳はあらためて皆の顔をながめた。

 

 張遼、赫昭はもう完全に攻守における二本柱だった。いうことは何もない。

 董卓は当初のおどおどするだけの少女でなく、胆力と冷静さを備えた国の重鎮としての迫力を備えつつあった。皇帝に近寄ろうとする不埒な輩は全て董卓の審査を突破できずに排除されていると聞いている。

 賈駆は董卓への過保護から脱し、司空として国家の頂点の一人になっている。彼女がいなければもうこの国は成り立たないと言ってもいい。李岳が好き放題に予算と方策を使えるのも、彼女が身を粉にしているおかげだった。

 華雄と徐晃は新兵の育成に存分に力を発揮し、騎馬隊を除けば自軍最強の部隊を作り上げた。『河北で最も恐れ知らずの歩兵隊』と呼ばれる日も遠くないだろう。

 楊奉はその豪放磊落な性格と賊上がりの経歴とは思えない程に慎重堅守の人間で、派手に動く騎馬隊や、兵科が偏ってる陣営の中で、縁の下の力持ちとして重要な責務を負っている。

 陳宮は河南はもちろん、河北全域の生産量を一から洗い出し、新たな流民の把握や開墾、将来の税収まで鑑みて農工商の全てに目を光らせる官僚集団を束ねている。

 高順は新たに騎馬隊を編成し直しており、その練度を急速に向上させていた。河南全域の賊への対応も担っているがその全てを一蹴で殲滅している。呂布と二人一組としているが、馬は合うようだ。

 徐庶はその高順の元で泥にまみれながら一兵士として修練を積んでおり、さらに陳宮の元で行政、賈駆の元で政治を学ぶことで時間の全てを費やしている。疲労は極限まで達しているだろうし生傷も絶えないが、目は生き生きとしていた。

 李儒は内部の人材に間諜がいないかその洗い出しと、永家との連携で他勢力の戦力分析を担っている。諜報部隊に関しては既に李岳の手を離れつつあった。性格は変わらずだ。

 張燕は、李岳でさえ最早どこまで間諜をねじこんでいるのか全くわからない。永家は既に大陸全土にその魔の手を伸ばし始めている。やはり劉虞の周りは厳しいようだが、袁紹方面から手を入れようと画策しているようだ。

 廖化は李岳と李儒の指示の元、永家の選りすぐりの中から特殊作戦に従事するための訓練を黒山で行っている。この陣営で最も動きは見えづらいが、今後最重要の部署でもある。

 その特殊部隊には李確と郭祀も含まれている。長安方面の攻略の鍵はこの二人が握っていると言っても良かった。董卓とはようやく落ち着いて接することができているようで、李確にもかなり自分の重責が自覚できてきている。

 司馬懿は李岳に付き従いながら考えの全てを吸収し、新たな知見を披露し、軍略を解き、教えを乞い、そして天地人の気脈を読み取り筋道を立て始めている。才気煥発とはまさにこれだと思わざるを得なかった。

 呂布は変わらず犬と猫はもちろん、騎馬隊の馬たちの世話に忙しい。寡黙なことと鬼神じみた武力から兵士たちは異常なほどの尊敬を集めつつあった。

 

 ――どこに出しても恥ずかしくない仲間だ、と李岳は声を大にして言いたくなった。

 

 衝動を抑えこみ、李岳は笑みを浮かべて口を開いた。

「よっしゃ。みんな久しぶり、会えて嬉しい。楊奉殿と廖化殿がいないのが残念だけどよく集まれた方だと思う。初対面もそれなりにいるだろうから後でそれぞれ自己紹介するとして、とりあえず始めよう。よろしく――さて、最初の議題は亡国の危機について」

 

 ――重すぎ! 最初はもっと軽めに!

 

 野次が飛ぶのも愛嬌だった。

「嘘。嘘じゃないけど冗談。えーとね、まずお詫びから。戦の直後から休みもないままに大忙しだったと思う。相談や連絡もなしに命令命令ばかりで疲れ気味の人もいるだろう。方針に不満のある人もいるかもしれない。けど、そこをぐっとこらえてよく頑張ってくれた。本当にありがとう」

 

 ――言葉だけやったら足りひんで! 給料上げてや! 誠意みせんか誠意!

 

「ヤクザかお前は! まぁいい、霞は後で昇進ね……いや、冗談なんかじゃない。ここにいる全員ちゃんとした官位が授けられる。論功行賞から丞相府設立まで間がなかったからな、新年を待ってからになるけど、みんな楽しみにするように。給料上がります。部下も増えます。もちろん仕事も増えます。やったね」

 喜びと抗議の声が入り混じるのを抑えつけて、李岳は続けた。

「それくらい凄まじい仕事をしたんだ、皆で。どれくらいすごいかまだ分かってないようだから、なんというか説明が難しいけど……歴史を変えた、と思ってもらっても構わない。それくらいすごい」

 この李岳の言葉を、本当の意味で理解できる人間はこの世に誰一人いないだろう。

「ただ、それでも今は変わらず苦境だ。益州軍の攻撃により、朱儁将軍は落命し長安は陥落した。朱儁将軍は敵の糧道を断つ効果的な動きをしていたが、荊州が間に介入していたらしく隙を突かれた。これは俺の落ち度だ、見抜けなかった」

 

 ――そんなことはない、一人のせいじゃない、運が悪かった、勝負は時の運、劉焉はクズ。

 

「わかったわかった、ありがとう……ええと、どこまで話したか。そう、今後のことを少しね」

 李岳は地図を前にして説明していたが、筆を取り出すと何箇所かを縁取りし始めた。まず涼州、益州と長安を中心とした京兆尹、漢中、荊州、揚州、兗州、冀州、幽州を二分割、そして洛陽を中心とした河南尹と北部の并州。

「一つずつ説明しよう。これはこの国の今の勢力図を表すと思ってくれていい。有力諸侯、あるいは帝位を僭称した者たちの国境だ。このちっぽけな所が洛陽で、北に広がるど田舎が并州。今んとこ俺たちが軍事的に維持できてる領域はこれだけ」

 見れば見るほど狭い。洛陽から北部は広がっていると言っても晋陽を除けば人口は大しておらず、匈奴はじめ異民族の領域とかなり重なっている。洛陽の大半も耕作地に向かない丘陵なのだ。しかも三方を敵に包囲されている。勢力図だけを見れば開戦前よりひどいだろう。

 李岳はひとつずつその他の領域を指さした――こいつ。こいつ。ここ。こいつ。こいつら。こいつとこいつ――そして握り拳を作って、派手な音を立てて地図を殴りつけた。

「こいつら全員ぶっ潰す」

 しん、と静まり返った部屋を見渡した。

 殴りつけたのは自分の躊躇だ、と李岳は思った。乗りかかった舟だ、やるしかない、怖気づくな――そのために皆の目を見渡した。一人とてぶれてはいないのだ、その目が李岳に勇気を与えた。もう既に自分の知る歴史を違えたこの世界で、李岳は目の前の仲間たちと戦い抜く決意を新たにした。

「この大陸を制覇する。あらゆる手段を使って、再び『漢』の旗の下にまとめ上げる」

 返答の必要はなかった。

「ねね、雪解けを待って出兵したい。三万の兵を動員するが」

 陳宮は既に答えを用意していたようで、即答だった。

「さしあたり三ヶ月もたせますです。その三ヶ月のうちに、さらに半年分を何とかします」

「だってさ、霞……三ヶ月で何とか出来っこない、と思われてるよ」

 李岳の言葉に、張遼はピクリと片眉を上げた。

「はっきり言うてもらわへんかったら困るな、冬至?」

「全軍三万。騎馬隊副将に高順殿と恋。歩兵に華雄殿と藍苺。我が軍の最精鋭部隊だ、その先鋒を任せる」

 ヒーッヒッヒッヒ。張遼はこれ以上ないほどに嬉しそうに笑った。

「きたきたきた! きたで!」

「これまでの戦とだいぶ違うところが一つあるけど大丈夫かな」

「言わせる気ぃか、それをうちに? ……攻め戦や! 雁門関とちゃう、祀水関ともちゃう! 防衛戦やなく、こちらが堂々と挑む、攻め戦や!」

 考えてみれば初めて純粋な意味での先制攻撃となる可能性が高い。騎馬隊がその力を最大限に生かすのは無論攻めに回った時である。思えば今まで窮屈な運用しかしてこなかったのだ。

「わかってれば良し。敵は荊州。最初の標的は劉表だ……こいつは劉焉と結託して長安失陥の遠因を作った男だ。その罪を償わせるのが新年一発目の仕事になる。世の中には泣いても許されないことがあるんだということを教育してやろう」

 李岳は洛陽から南に真っ直ぐ矢印を描いた。その経路は陽人から潁川を通り南陽へと至る道だった。

「年明けに洛陽を出発。孟津の河口に前線基地を作って渡河の訓練を兼ねて南進してくれ。陽人には楊奉殿に物資搬入を指示しておく。潁川を通過して南陽を掌握。この後の攻略はまだ未定だが、新野を落とし、襄陽に迫ることになるだろう。ここまでいかに早く到達できるかが荊州攻略の鍵となる。襄陽から南は長江の支流が無数にあって騎馬隊の運用に向かない。出来るなら長引かせたくないな」

「せやからこの神速の張遼にお願いしたいっちゅーこっちゃな」

「その通り。本隊には俺も入る」

「お。暴れる気か?」

「どうやら鬱憤がたまってるらしい。それに体が鈍るのも困る。いつ怖い先生による恐怖のしごきが始まるかわからないからな」

「普段の鍛錬が不足しているのを言い訳にしてはならんな、李岳将軍」

「高順殿とは言ってません別に」

 小さな笑いを取った後、李岳は再び地図に向きなおった。

「真面目な話、この荊州攻略は今後全ての展開を左右する最重要な戦になる。油断も見落としもあってはならない、俺が出るのは引き締めのためだな。そこを念頭に置いてくれ霞……さて、珠悠」

 まるで自分に指名が来るのを予期していたように、徐庶はすっと立ち上がった。

「はい、兄上」

「君は荊州の出身だな」

 空中で徐庶と視線がかち合う。徐庶は目をそらさなかった。

「……はい。生まれは潁川ですが育ちは荊州です」

「君を荊州攻略の参謀に任命したいけど。どうだろう」

 返事は即答であった。

「もちろん、私以外誰が担うというのですか。野に川、丘と谷。城郭の特徴、季節ごとの雨量まで全て熟知しております。この徐元直にお任せ頂く以外の選択肢はありません、兄上!」

「よろしい。『睡虎』の実力、とくと拝見したい」

「御意!」

 徐庶の着座を待って、李岳はさて、と切り出した。

「実は黙ってたんだが、先程荊州からの使者が到着した。陛下にではなく、まずこちらに詫びを入れたいらしい。何か勘付いたんだろうな劉表も。和睦を結ぶ時期としては絶妙と言える。流石に海千山千だ」

 董卓と賈駆だけが知っているが、使者は実は隣室に待たせてあった。今はやきもきして声がかかるのを待っているだろうが、残念ながら血の気を失せて帰ってもらうことになる。

「珠悠、こういう時はどうすべきだと思う?」

「もう方針は決めました、会う必要はありません。門前払いで結構です」

「如月は?」

「はっ。劉表の不義をなじり、此度の討伐やむなし堂々と主張されればよろしいかと思います」

 徐庶と司馬懿、二人ともに李岳は不十分、と告げた。

「二人ともそれじゃダメ。こういう時の作法は理屈じゃないんだな――使者どのにはすぐに会う、ここにお通ししろ――喧嘩の仕方を教えてあげるよ」

 李岳は張遼を呼ぶと耳打ちした。張遼は、おっ、と面白そうに笑った後に何とも言えない悪い顔を浮かべて席へと戻った。そして間もなく荊州からの使者が広間にやってきた。王威と名乗った女性は簡単に挨拶を述べた後、荊州と洛陽の間に深刻な誤解があることを嘆いた。荊州様は決して陛下への忠誠を失ってはいない、董卓と李岳がすべきことは双方の誤解を解くことであって間違っても兵を差し向けることではない、罪もない人がたくさん死ぬことをどう考えるか、というものであった。

 その言葉から察するに、劉表は李岳が南進するということにほとんど当たりを付けていたということになる。流石の洞察だが、交渉の余地があると見ているあたりが劉表の限界だった。

 王威は気付かなかったが、李岳はその演説の途中で張遼に目配せをした。やんちゃな笑みを浮かべて頷いた後、張遼は眉間に青筋を立てて――そして吠えた。

「やっかましいわカス!」

 王威はまさか自分に向けられてるとは思わず、初めはどこか違う場所で怒声が響いていると思いキョロキョロする有り様だった。張遼は顔を真っ赤にして続けた。

「こっち見んかいアホが! お前に言うとんのじゃ下っ端! ウチが李岳麾下第一の将軍、張遼や! お前さっきから聞いとったらいけしゃあしゃあと、よう抜かせたなコラ。誤解? 罪もない? なにアヤつけとんねんボケコラカス!」

「ぼ、ボケ……? こ、この粗暴な者は一体!」

 張遼は心底おかしいとばかりに笑い声を上げた。

「武将掴まえて粗暴やて? 上等やっちゅーねん。お前らみたいな上品な連中からしたらウチらは確かに筋モンや、斬った張ったで生きてきたゴロツキにすぎんわ。けどな、アンタらと違って根性腐ってへんで!」

「え、ええい! その汚い口を閉じませぬか! 荊州様は何とか戦乱なきようと心を痛めてらっしゃる! 誤解があったら解く、謝罪が必要ならばする! 袁紹殿を批判する必要があるなら躊躇わず、陛下への忠誠を表すためならば万難を排すとおっしゃっておられる! ここまで譲歩するというのに、こ、この平和的解決案を無碍にされるとおっしゃるか!」

「なにが平和やボケ! 頭か口か腐っとんちゃうけアホンダラ! あんたらが益州に兵糧渡して裏で糸引いとったんは筒抜けなんじゃいどアホが! ナマ抜かしてんちゃうぞボンクラ! 詫び言うんやったら今すぐここに劉表連れてきて指の一本でも詰めたったらんかい!」

「う……う」

 なんの証拠が、とようやく王威は告げたようだが、張遼の耳には全く届かなかったようである。絶頂の興奮もそのままに、方言の巻き舌でまくしたてた。

「訳知り顔でコソコソと、ハンパしながら美味しいとこだけ掠め取ろうとしよる、お前らみたいなクソに成り下がるくらいやったらな! ナマスに刻まれた方がなんぼもマシっちゅーもんや! ……まだピンと来えへんか? あんたらはもう『中立地帯』とちゃうねん、この洛陽の敵対勢力や! 泣いたかて許さへんからな、今さらイモ引くんちゃうで!」

「荊州までも敵に回すとおっしゃるか! 三方全てを向こうに回して」

「ハッ! しらんがな。ウチらはやるっつったらやるんや、のう? 大将」

 水を向けられた李岳ではなく、真っ先にすがったのは王威であった。

「こ、これは公式見解と受け取ってよろしいか! 張遼殿を叱責していただきたい!」

「私の名前をご存知ですか?」

 李岳の返答に、王威は再び目を丸くした。

「は? な、なにを」

「もう一度聞きます。私の名前をご存じですか?」

 荊州を出るときにこんなことは予想していなかったと、王威は今にも泣きだしそうな顔をした。この場で首を斬られることさえ考えているのかもしれないが、ともかく答えねばなるまいと、何とか絞りだすように答えた。

「り、李信達殿」

「ええ、私が李岳です。匈奴も、大連合も、全てに勝利してきました。荊州のひ弱な弱兵ごときが舐めた態度で出しゃばってきて、私はとても不愉快なんです……荊州はその私の逆鱗に触れた。抗えるのなら抗ってみたらいい。一人残らず全員グチャグチャに踏み潰してやるから覚悟しておけ」

 そこまで言い切ると、李岳はニコリと笑顔を浮かべて声色まで変えた。

「と、劉表どのにはお伝え下さい――さ、使者殿のお帰りだ。丁重にお見送りするように」

 脂汗にまみれ、呼吸さえいちじるしく乱した王威が退室していった。張遼はもちろん、李確と郭祀までもがこらえにこらえた笑いを爆発させた。李岳はクルリと司馬懿と徐庶の方に向き直り肩をすくめた。

「こうやる」

 今度早速やってみよう、という徐庶と、自分には向かないな、と呆れ顔の司馬懿が対照的だった。

「無茶するわね、冬至」

「後はわかってるだろ、詠」

「蔡瑁でいいわね」

「うん」

 賈駆が手下を一人呼び、言伝をした。それだけで彼女の意を汲んだ書面が出来上がるという寸法である。そのくらいの人員をかけなければ賈駆は到底仕事を回せない。

 二人が何のやり取りをしているのか、早速察したのは司馬懿であった。

「……表では脅しを入れ、別の窓口から交渉の余地を匂わせる。それで相手の対応策に分断を入れ、判断を遅らせるというわけでしょうか」

「ご名答。ついでにこちらが一枚岩ではない、と思わせられるからな。李岳は頭の悪い強硬派、董卓はそれを大目に見てるが重鎮の賈駆は苦々しく思ってる。劉表に伝えれば関係している諸侯にも伝えるだろう。こちらを侮ってくれる分には大いに結構だからね」

 細かい芝居だが、使者がいる間、賈駆は始終李岳を睨み続けていた。

「蔡瑁が裏切って劉表の首を取って帰順してくれば一番楽だけど、妹が嫁いでいるし、まだ寿命はしばらく残ってるだろうから難しいかな」

「じゅ、寿命とは……そこまで考えて?」

「……ま、誰が体調不良で誰が病床にあるかくらいは考えるさ。劉表にそんな情報はない、っていう程度だけど。さて如月、ここからどうなるかな。君が劉表ならどうする?」

 司馬懿は即答していた。

「私が劉表なら使者を派遣すると同時に南陽に向けて出兵しています」

 ハハハ、と李岳は笑った。

「お見事。けど劉表はそこまで豪胆じゃない……彼は知的だがそれをひけらかしたい所があり、大物ぶりたいと同時に決断力がなく慎重派だ。ついでに自信家で諫言を中々受け入れない。行くか戻るかの段階になると大抵その場で留まることを選ぶ。反董卓連合軍での動きもそうだったろ、結局は何もしなかった。が、裏ではどっちつかずの位置にいられるように立ちまわっていた」

「なるほど、それでは南陽はしばらく無事ですね……いや、袁術に使者を送っているかもしれません。前の城主である彼女にとりなしを頼むか、あるいは周辺の汝南での協力を願う。南陽から汝南一帯は袁家の総本山とも言える地です、荊州刺史とはいえ袁家に無視して手入れは出来ませんので」

「ありえる。そうなるとこちらとしては? 珠悠?」

「無視します。袁術がそこで下手を打って間に入るのなら奴らの失点が増えるまで。ですが袁術は恐らく何もしないでしょう。こちらは粛々と出兵の用意を整えるだけです、それも盛大に。それに陛下は論功行賞の場で袁術が袁家の頭領だと宣言されました、南陽の者たちはそれを悪く思うはずがありません。こちらは礼儀を尽くしています、これ以上下手に出る必要もありません」

「如月」

「よろしいかと存じます。ただ先程の詠様経由の使者ですが、今すぐ南陽に差し向けるというのはいかがでしょうか。王威殿と鉢合わせするという形でしばらく足止めするのです。そこで懇意になり、ここで諦めてはならない、何とか李岳をなだめて穏便に済むように手をつくしている、荊州も短気を起こしてはいけない……と云々」

「兄上の悪口も言わせましょう」

「いいね、どう言わせようか」

「李岳は長安を失って面目が潰れた、論功行賞の場でも官位を得られなかったので焦ってる、丞相府でも飼い殺しだ、荊州への進軍は李岳の暴走に近く幕僚の大半も乗り気ではない、李岳の手腕にも疑いの声も上がっており、その根拠は本来なら長安奪還を目指して西進すべきであるところを避けて荊州を目指しているところだ」

「手厳しいな珠悠。兄はいたく傷ついた。辞職する」

「う、嘘です! たてまえです! 策略です!」

 冗談さと手を振り、再び地図に向き直ると、今度は洛陽から西に筆を走らせた。

「あらためまして。さてこの国の西北の涼州には異民族を束ねた馬騰と韓遂がいる。反董卓連合軍に参加していた馬超の本拠地で、彼女は陽人の戦いの後に連合を離脱し、荊州北部から漢中を通って涼州へ戻ったのを確認している。こいつらは益州と近い、が、様子見をしているってところだな。見ての通り地理的にはかなり遠い。広い意味では敵対しているがそこを解消して間にある長安戦線に引き込み挟撃の形にしたい……はい沙羅、これをなんという?」

 赫昭が律儀に立ち上がって答えた。

「遠交近攻の理、でしょうか」

「正解。荊州を潰せば涼州も交渉の余地をこちらに見出すだろう。そこで揺さぶりをかけた後に長安を内部から崩す。蜀との連絡は永家が断つ。孤立させた頃合いを見て荊州攻略を済ませた本隊が合流する、というわけだ……益州には大散関を一撃で破壊した攻城用の新兵器があると聞く。潼関に駐留する西部戦線の部隊はこの対策を冬の間にとりかかる。それを怠れば潼関はもちろん、一転この洛陽の城門まで一挙に押し寄せられ吹っ飛びかねない。責任重大だが、この西部戦線は沙羅、君が担うことになる」

「……自分が、ですか」

「他にいない、からじゃない。わかるな」

 赫昭の顔色がみるみる赤らんでいった。恥や照れではなく、意気込みの色であった。

「西にはさらに李確、郭祀にも行ってもらう。二人とも長安出身だ、期待している」

「うっす、あれは俺の町っス。益州の野郎、ただじゃおかねえ……董卓様、がんばりまっす!」

「がんばってください」

 自分でせがんでおいて応援されると照れて俯いてしまうのだから李確も根は可愛い。郭祀はまんず、まんずと呆れ顔だが。

「益州の装備を考えるとかなり特殊な作戦になるかもしれない、廖化殿には対応策は伝えておいた、後でよく相談してくれ。参謀は雲母。そして朱儁軍に従軍していた鍾遙と張既という二人の官吏も加える――この二人は相当優秀だ、涼州との外交はこの二人が主軸になるだろう――束ねるのが沙羅、君だ。年が明けたら潼関に向かってもらう。長安はおそらく大混乱だ、住民は肩身が狭い思いをしているだろう。そしてこいつらは朱儁将軍を殺した上に、自分が皇帝だなどとのたまった劉焉の手勢だ、一人も生かして返さないつもりで」

「――かしこまりました。必ずやご期待にお応えします!」

「期待してる」

 李岳は潼関付近に『赫』と書き、そして西に矢印を伸ばした。

 続いて大陸で最も南西に位置する益州に筆を伸ばす。

「偽帝の劉焉について。はっきり言って益州は攻めるのに向かない。補給も厳しいだろう。今は保留。ただ手は考えている、とだけ伝えておく」

 益州の広大な空間に、李岳は『後回し』と書いた。ほうぼうで小さく笑みが漏れたが、その後に『しかし必ず始末する』と書かれるともう誰も笑わなかった。劉焉に対する李岳の怒りは本物であった。

 ここまで説明した上で、李岳はとうとう幽州の半分と兗州に丸を入れた。

「幽州のここは公孫賛殿だ。こことは同盟を組む。反董卓連合を途中で抜けたものだからかなり余力を蓄えてるはずだ。新年、陛下から彼女に幽州牧の地位が授けられる――なんせ劉虞殿は皇帝におなりあそばせたからな、幽州はちょうど空位なんだ、公孫賛殿も運がいい」

 李岳の冗談に誰も笑うことはなかった。

「公孫賛殿も厳しい状況だが北東部には彼女の血縁もたくさんいる。烏桓もいる。黒山賊もいる。上手くやれば袁紹相手に勝ち切ることも出来るかもしれない。張燕。ここの工作を強化したい」

「働かせるねぇ」

「頼む」

「まぁ任せな。ただ、ちょいと後で顔貸しておくれ」

「……わかった」

 ここで話さないのは余程のことか、あるいは聞かせたくない類のものだろう、と李岳は察した。頭を切り替えて再び地図に向かう。

「正直、公孫賛殿は全力で助けるが勝算は半ばを下回る。袁紹と劉虞の同盟はそれほど強烈だ……皇室の中でも最も声望の高い聖人・劉虞。そして名門袁家の頭領で、破れたとはいえ連合の盟主だった袁紹。さらに黄巾の者までここに付いているという話だ。北部の人間はほとんど雪崩れ込むように劉虞の国作りに賛同するだろう。仮に公孫賛殿が優勢になったとしても、それに押し流されるように南に戦場が移ってくるはずだ。その瞬間に洛陽は危機にさらされる」

 李岳は幽州から下り、袁紹の二大拠点である南皮と(ギョウ)城に丸をつけたあと、冀州と兗州の州境を、さらにこの司隷との境界を濃く上書きした。

「気づいた者もいるかもしれないが、洛陽から東部は楊奉殿に任せきりだ。しかもかなり手薄な兵力で。皇甫嵩将軍、張温様の兵力は予備として洛陽から動かせない。最大の敵がそちらにいるのに大丈夫かと思うかもしれないが……先日、曹操と同盟を組んできた」

 何人かが異論をはさもうと立ち上がりかけたが、李岳は許さなかった。

「俺が決めた。これ以外の策はないと思ったからだ。曹操には荊州と長安を制圧する間に、兗州と徐州、青州を抑えて袁紹の力を削げと伝えている。その後に連合して袁紹に当たる。上手くいけば公孫賛、黒山、烏桓、曹操、そして俺たちで大包囲網を築けるだろう」

 李岳がそれぞれの勢力に丸をつけ、冀州に向かって矢印を伸ばした。確かにこれが当たれば袁紹も劉虞もひとたまりもないだろう。逆に言えば、こうさせないために敵は全力を傾けてくるというわけだ。ここでもやはり荊州と長安の趨勢が問題になってくる。こちらの味方が各個撃破されずに包囲網を築くために、自らへの包囲網を各個撃破しなくてはならないのだ。複雑な情勢だがこの変化はさらに加速するだろう。

 李岳が話し終えるのを待っていたように、司馬懿が手を上げ言葉を継いだ。李岳は訝しげに眉をひそめた。

「曹操陣営との同盟は、私が冬至様に進言しました」

 瞬間、李岳は脳裏が真っ赤になった。

「申し訳ありません。新参者で何をと思われるかもしれませんが、ご不満やお叱りがあれば私に」

「――控えろ!」

 李岳の怒声は、司馬懿はもちろん、張遼や赫昭、果ては高順までが驚く始末であった。

 自らの怒りの伝播を、李岳は抑えようがなかった。

「聞こえなかったのか、如月。俺が決めたと言った。君はこの俺の上位か?」

「……あっ」

「答えろ」

「……いえ、違います」

「わきまえろ。異論も反対意見も辞任も自由に口に出して構わない。しかし責任能力を逸脱するのは絶対に許さない。全員で知恵を出し、全員で力を出すが、作戦立案の責任を負うのは俺であり、全員の命と国家への保障は月の職責だ。そこを間違えるな」

「……はい」

 司馬懿は顔面を蒼白にして、あらためて謝罪したが、その声を聞き取れた者は一人もいなかった。後味の悪さを解消する術を思い描けることが出来ず、李岳はままならない挨拶を残して場を辞した。

 




まるでホームルーム。
あと会話ばっかりになりました。
次回は幕間かもです。

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