真・恋姫†無双〜李岳伝〜   作:ぽー

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第八十話 刹那の休息

 劉協と太史慈を迎えたあと、李岳はようやく全軍に向けて勝利を伝えた。陳留王を奪還するという表向きの戦の名目は完全な形で達成されたといえる。太史慈の処遇に関しては陳留王たっての頼みということもあり、李岳は上司である董卓預りということにして処罰についての保留を伝えた。

 その夜は全ての兵たちに肉と酒が渡された。匈奴が持ち込んだ不謹慎なほどの量の馬乳酒で夜っぴて飲み明かした戦勝の宴は、楊奉と廖化が盗賊流の猥談を披露し合い、張遼がはやし立てて脱いだり脱がせたりして、赫昭が高順と李岳に交互にしがみついて泣きだし、李確が董卓への愛を語り出し、郭祀がその李確を木に吊し上げ、逃げ出そうとした李儒を徐晃が羽交い締めにして離さず、華雄と太史慈が決闘を始め、呂布が匈奴の猛者を腕力と飲み比べの両方でなぎ倒し、前後不覚になった香留靼が陳留王に酒を飲ませ始め埋められた辺りで堕落の頂点を極めた。

 やがて無残な朝を迎え、戦で生き残ったこととは別の意味で命のありがたみを皆が思い知った。全ては命あってのモノダネである。

 

 ――その後数日の間、李岳は捕虜や負傷兵の処置などを指示するために滞在した。日々更新される戦果報告では、追撃戦での尋常ではない勝利の様が徐々に明らかになっていった。

 

 豫州刺史である孔宙や劉岱の死体も確認された。また曹操軍の中でも特に豪傑であるとして名高かった許緒の死も、である。隘路に陣取り単騎で半日もの間、騎馬隊の動きを食い止めたという。その奮戦がなければ今頃曹操の首もここに並んでいたかもしれない。

 李岳は自らその亡骸を確認したが、年端もいかぬ少女であったことが胸を突いた。無数に矢を受けながらも、微笑みを浮かべながら事切れているその姿に、李岳はこの少女一人にひょっとして自分は負けたのかもしれない、とさえ思った。敵味方関係なく、李岳は可能な限り死者たちの埋葬と、そして碑を立てるよう命じた。

 数日の滞在の後、二万の兵を張遼に預け洛陽への帰路についた。

 まだ兗州にさえ踏み込まないままであるが、戦線維持の限界はどうしようもない。半年以上の攻囲を受け兵糧物資に余剰はない。まともに兵を用意して東方制圧に臨めば最低二ヶ月は猶予をもって用意しなくてはならない。そして二ヶ月立てば冬である。雪が厳しければ次の遠征は春になるだろう。

 だが李岳はそこまで時間を置いて曹操に回復の余地を与えるつもりはなかった。正規兵二万は前線に置き、残りの二万を二箇所に分散してそれぞれ楊奉、赫昭に預けている。兵にも将にも緊張を強い続けて申し訳ないが、依然臨戦態勢の構えだ。

 というわけで、最低限の供回りだけを連れて陳留王を洛陽まで導くことになった。

 大戦と言ってもいい戦いをくぐり抜けた今、洛陽に出兵の余裕などどこにもないが、兵力のあてはある――并州だ。雁門関で対匈奴の常備兵として置かれている数万を東方制圧に回そうと思っている。匈奴は既に脅威ではない、同じ地に生きる仲間なのだ、今回も助力を受けたのだから、と述べれば拒むことは難しいだろう。その説得力を持たすために、李岳は匈奴兵を供回りとして洛陽へ向かっている。

 さすがに十万弱を連れて洛陽へ行くのは憚られたので、二万を連れて残りは虎牢関を抜けた所で北へ向かわせた。并州に腰を据えている張楊には既に知らせを飛ばしているので大きな問題は起こらないだろう。

 年内には兗州のいくつかの城郭は落としたい。まず最低でも陳留。曹操から太守の資格を剥奪し、兗州刺史も含めて代わりを立てる。南方戦線は一挙に方がついたようなものなので余剰は回せるだろう。とにかく曹操に回復する暇を与えてはいけないのだ。

 兗州の奪い合いになる、曹操が劉岱を始末したということは迅速に兗州を手に入れるためとしか考えられない。

 劉岱は泰山郡を中心とした兗州の東半分で主に影響力を及ぼしていたが、その治世があまり芳しくないということで西半分にかなり人口が流れたようだ。それに比べ曹操は名を馳せるほどの安定経営をしており領民の支持も高い。李岳が乗り込んでいけばかなりの反発に遭うことは予想できた。行ってすぐに徴兵して曹操を討つとなれば当然反乱が予想されるし、曹操も狙ってくるだろう。長く伸びた兵站線が途中で断ち切られることになれば遠征軍は全滅しかけないのだ。

 だからこそ年内に濮陽、欲を言えば定陶まで陥落させ兗州西半分を制圧したい。その結果如何によっては動員兵力は相当に変わってくるだろうし、本格出征までに地域を慰撫することによって兵站の安定にも繋がる。

 曹操は徐州まで逃げることになるかもしれないが、そうなれば袁術に圧力をかけさせることも一手だ。寿春から兵を北上させ二方向から討つ。曹操軍を裏切り奇襲をかけた身としては早く息の根を止めてしまうことに同意しないわけがない。

 皇帝に弓を引いた、ということがどれほど曹操や連合参加者に打撃を与える風聞となるか、李岳はあまり期待していなかった。情報戦となればあちらも積極的に行うだろうし、結局地元の太守や領主に積極的に逆らう民などいない。

 それに漢王朝が今まで地方政治に対する手当てを全くしてこなかったという評価はかなり根深いもので、一度や二度打ち破った所でそれを全て覆すことにはならない。李岳が攻め込めば地元名士や群雄同士が既得権益を守るために結託することもありうる。

 とはいえ皇帝の権威というのももちろん巨大である。それを利用し、軟攻、というものもこれからは積極的に取っていく必要がある。謀略戦である。寝返りや同士討ちを期待し働きかけるのだ、これから永家の役割はさらに重要になっていくだろう。

 兗州に戦線が拡大した時に袁紹が曹操と連携して北から圧力をかけてくることも当然ありえた。史実と違って皇帝擁立で政治対立が存在していないから、曹操と袁紹の亀裂はまだ決定的なものではない。兗州が、弱体化した曹操の土地である方がまだましだと袁紹が考えるのは当然だからだ。

 単独で兵力の動員をかけるなら袁紹が未だ最大である。冀州の豊かさは他に比べ群を抜いている。袁紹が限界まで兵を絞り出せば今すぐにでも五万以上の兵力は期待できる。春までに冀州全土を完全制圧すれば十万以上は間違いない。青州、幽州、并州に楽浪まで制圧することを許せば動員兵力は三十万を超えてくる。悠長に時間をかけることは出来ない。

 粗雑な連合ではなく袁紹一人で大兵を興したならば連携を崩す隙はなく、洛陽近辺の兵力だけではとても持ち堪えられない、というのが李岳の嘘偽りない戦力分析だった。敵を追い払ったが余裕などどこにもない、慌ただしい日々が終わることはないだろう。兗州の制圧は死活問題だった。

「また難しい顔をしているな。二日酔いか? あの程度の酒で情けないな。そのあたりも教えこまねばならんか」

 

 ――李岳の思考を断ち切ったのは母・丁原……ではなく高順であった。

 

「う」

「なんだ、まだ慣れないか。心配するな、幽鬼ではない」

 何度説明されても実感が沸かない。蹇碩と相討ちになり、重傷を負った後に記憶を失っていた。その時自分は死んだものだと思ったので、新しく名前を高順と定めた――口にすればそれだけだが、その間の葛藤や苦悩、悲しみや怒りがあまりに複雑すぎて、ストンと納得するまでは全然辿り着かなくて感情がこんがらがるのだ。

 こんがらがった結果、かなり涙もろくなってしまっているのが今の李岳である。

「おう、また泣くか? こんなにか弱く素直だったかな?」

「はぁ? 泣いてねえし! 泣いてないっすからね!」

「おお、よしよし……」

「やめ、ちょ、やめっ! なんか性格変わってない!?」

 頭を撫でて来ようとする丁原……ではなく高順をひっぺがして鼻をかんだ。

 李岳が勝ったことが本当に嬉しいようで、あまり見せない笑顔をよく見せるようになった。しかしその顔には斜めに凄まじい傷跡が残っており、話すときも口元の動きに違和感が残っている。本当に生きるか死ぬかの瀬戸際にいたのだ、と思った。

「それにしても高順、ですか」

「悪くなかろう」

「ええ」

 名前の由来など問う必要もない。父・李弁の言葉だ。

 しかし同時に、李岳は歴史の奇妙な流れに超常的なものさえ感じていた。

 史実では呂布に殺される丁原。そして生年も字さえも不明だがいつからか呂布に仕えることになる高順……この二人がこの世界では同一人物だという、歴史ではありえるはずがない事柄が起きている。

 しかし本当に不思議なことだが、李岳は歴史でもそれが本当ならとても救いがあるなと思った。

 呂布は養父である丁原を殺さなければならないところまで政治的に追い詰められていたが、死んだことにして名前を高順に変えさせた。配下にして従え、乱世を共に最後まで飛び回ったのだ。本当にそうなら、どれだけ救いのある話だろう、と李岳は思った。

 高順は言う。

「丁建陽は死んだ。これから私はお前に上司として接するつもりもない。お前は私をとうに軍略家として超えたのだ。これからは私がお前に仕える」

「まだまだ足元にも及びません」

「それが事実ならお前は死ぬし、やはり漢も滅びるだろう」

 こういう厳しいところはやはり変わっていなかった。このやり取りが、李岳は少し、嬉しかった。

「無責任な言い方かもしれないが、私は重責から解き放たれたという気がしている。刺史だの執金吾だの、不向きだ。やはり私は武人であり、一介の将に過ぎない。上手く使えよ、それなりには役に立つはずだからな」

「期待しております」

「がんばれ、冬至」

 真名で呼ばれたことが本当に久しぶりであったから、また李岳は鼻をすすって外套をずり上げなければならなかった。もう李岳と呼ばれることはなく真名で呼ばれ続けるのかなと思ったが、高順の頬が少し上気しているのを見ると、精一杯照れ隠ししながら勇気を出したのだろうと思った。昔気質(かたぎ)の高順にとって、人前で真名を呼び合う風潮はひどく若者流で恥ずかしいものなのだ。全く俺だって親に似たんだよ、と思ったが口にはできなかった。

「ところで、呂布だったか? あの者を紹介して欲しいのだが。昨夜はあまり話せなかったからな」

 高順が目を向けたのは、後ろから不満そうにジト目で付き従ってくる呂布だった。

 戦の後からあまり構ってない、それが不満だ――何も言わなくてもその目が雄弁に物語っていた。

 急に名を呼ばれた呂布は、むっ、と目を見開いた。武人同士特有の緊張した空気が流れた。

「只者ではないな、お主」

「……貴女も強い」

「今度手合わせ願おう。名を教えてもらってよいか」

「呂布……字は奉先。真名は恋」

「いいのか」

「うん。仲間だから。冬至のお母さんなら尚更」

「桂だ」

「よろしく――お母さん」

「おう、何だ嫁御か」

「ぶっふぅぅっ!」

 突拍子もなく、意外極まる話の流れに李岳は馬上で吹き出してしまった。二人の出会いが順調ですごく嬉しかったというのに順調の域を突破して全然知らない境地までぶっ飛んでいった。

「それすっごく誤解を受けるからちょっと待って!」

「おかしくない。冬至のお母さんなら私のお母さん」

「式はしたのか? 親に知らせもなく? あ、知らせようにも私は死んでたことになってたのか。はっはっは、まいったな」

「母さんも待ってくれるかなちょっと。あとその冗談全然笑えないし」

「なに、娘が一人増えたのが二人になっただけだ、変わらん」

「……なんのこと?」

「洛陽で詳しく教えてやる。泣き虫なところなどそっくりだぞ」

「本気で何の話!? ……ああもう、戦に勝ったら勝ったで途端に三枚目に成り下がるんだからもう、やってらんないよ、トホホ」

 すっかり意気投合した二人の武人を横目に、李岳はやけくそのように隊列を乱すなと声を上げた。みんなしてニヤニヤと俺のこと見てやがる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陳留王・劉協を載せた馬車を伴った帰路だったので、洛陽へはゆっくりとした旅になった。

 その分、洛陽の出迎えは盛大になったと言えるだろう。その到着を待ちきれず城門を飛び出した人々によって十里もの列を成し、大都市洛陽中の酒と食料が祭りとして供されたという。歌に演奏が辻辻の街路を埋め尽くし、軒先には吉報を祝った書が書き連ねられ、皆が皆この大戦を勝利で飾った李岳将軍と、不憫な運命に翻弄された陳留王をその目に見んと押し寄せ、無事に洛陽へ戻ってきた労をねぎらった。

 李岳は陳留王の身柄を帝に返上し、後日あらためて登庁するようにとの勅命を頂いた。戦装束のままでは宮殿に上ることなど出来はしないし、それに姉妹水入らずの時間も必要だろう。洛陽に戻ったことにより片付けなければならない庶務も溜まっていた。

 兵の統率は赫昭に任せ、李岳は呂布を伴って自宅に戻った。高順は所用があるため後で向かうと残して街路に消えていった。

 長らく帰っていない家は荒れ果てたとしてもおかしくはないが、家の中には人影があった。目にも留まらぬ速さで駆け抜けると、人影は李岳の胸に向かって飛び込んできた。

「冬至どのー!」

「うおっとー!」

 後方で不可欠な兵糧の確保と輸送を支え続けた陳宮であった。この年端も行かない少女が懸命に知恵を出し、役人と問答し、人を動かさなければ今回の大勝はなかった。最大の功労者の一人である。

「冬至どの……冬至どのっ! 本当によくお帰りになられたのです! ねねは、ねねはぁ……!」

 びえええん、と 涙と鼻水を李岳の服にこすりつけながら、陳宮は人目も憚らずに号泣した。

「ねねは、ねねはもう冬至どのとお会いできないのではないかと思ってぇ、送り届ける必要な兵糧の量もどんどん減っていってるし、つまり兵の数が減ってて、このまま冬至どのにもしものことがあるのではないかと!」

 陳宮の小さな体を抱き上げながら、李岳は苦笑した。

「ちゃんと食べてるか、ねね? しばらく会ってないのにあんまりおっきくなった気がしないな……自分の分の食事まで送ってたなんて言わないよな」

「ふぐうぅぅ……冬至どのはやっぱりそういう所の気配りが欠けているのですぅ……後で張々にガブっといってもらうのですぅ……うう、でも、ほんとに冬至どの……勝って戻って来られたのですね……!」

 またしても涙腺を決壊させた陳宮。しがみついて離れようとしないので、李岳は抱っこをしたまま前を見た。そこにまだ誰かいるのはわかっていた。賈駆は、らしくなく目に涙を溜めて微笑んでいた。

「ま、褒めてあげるわ」

「いやぁ、骨が折れたよ……本当に折れかけたけどね、矢も刺さったし」

「こんなところで死なれたら困るわ。あれだけ大言壮語を吐いたんだから」

「詠にそう言われるのが怖くて頑張ったよ」

 賈駆が拳をつきだしたので、李岳もそうした。二人のゲンコツが小気味よくぶつかった。

 海千山千の洛陽の政治家や官僚たちを相手に一歩も引かずに協力を引き出し続けた賈駆。暗殺の危機も何度もあったと聞いている。長安への遷都論は根強く残っていたはずで、それをよく抑え続けたと思う。洛陽西部で反乱が起きた時は自ら出陣して鎮圧も行い、謀反を企てた名家の者たちも張燕と協力して一網打尽にした。李岳よりも更に陰惨な戦いを繰り広げていたとも言える、相談できる仲間も少なかったろう。

「……おかえりなさい、冬至くん」

 そして董卓。

 皇帝を支え、もう一人の象徴として決して逃げ出さずに自分を待っていた少女である。

「母さんを送ってくれたのは月だな」

 董卓は俯き、コクンと小さく頷いた。

「ご自身でおっしゃったんです。私は……いくつか手続きをしただけです」

「驚いたろ?」

「……はい」

「俺は腰抜かした」

「私は、夢かと思いました」

「いい夢だったかい?」

「初め、辛かったです。裁かれるんだな、と思いました」

 けど、と董卓は続けた。

「本当に、生きておられたことがわかって、嬉しかったです」

「月、君を許すよ」

「あ……」

 そこで董卓の涙もこぼれ落ち、賈駆も釣られたために李岳もまた涙腺が緩みかけた。

 少女は泣きながら何度も繰り返した。本当にごめんなさい、と。

 李岳は何も言わず、ただ董卓の全てを許した。

 そして手持ち無沙汰になっていた呂布を紹介し――きっとすぐに打ち解けるだろうと確信していたから――李岳はようやく人心地つき、帰って来たのだなと思った。

 呂布と董卓、賈駆、陳宮はやはりすぐに打ち解けあった。

 特に陳宮と呂布の意気投合ぶりはものすごいもので、お互い犬好きであることも相まってすぐに親友のようになってしまった。酒を酌み交わしての四人での会話は、その大半が李岳がいかにひどい男かということに終始した。頼みの綱の董卓もニコニコしているばかりで誰もかばってはくれなかった。

「まーだあるのですよ、冬至どのの鬼畜な所業は! とにかく何でもかんでも仕事を思いついては押し付けてきて、後はなんとかしてくれってなもんですからね! ウーィ……」

「げっふ。わっかるわ、それ……わーかーるー。こいつ本気でボクのことね、なんだ、何でも出来ると思ってんだよね、いや、ほんと、ほんとに。まぁ確かに? 洛陽育ちの? ボンボンなんざ? なんぼのもんじゃーいだけどね!」

「いや、そこまでひどいことはしてないはず」

「お黙りなのです! 冬至どのは四の五の言わずにお酒のおかわり持ってくるのです!」

「冬至、恋のことも捨てていった」

「誤解を招く! もうちょっと細部を言え、細部を!」

「はぁ〜!? 何様のつもり!? お前ちょっとそこに座れや! 地べたじゃ地べた!」

「さ、酒のおかわり持ってくるから……」

「っさいわね! 冬至の分際で口答えたぁ、どういう了見よ!」

「そうなのです! 誰がンなもん頼んだのですか!」

「お前だ!」

「あ、じゃあ私が行ってきますね」

「月、それより助けてくれ……」

「へぅ〜楽しそうです〜」

 

 ――誰にも言えない話ばかり抱え込んで苦しい戦いを乗り越えた者だけが共有できる、ささやかな酒宴だった。しかしこれも立派な勝利の祝宴だった。

 

 やがて人の気配がしたので李岳はこっそり屋敷の庭に出た。賈駆も陳宮もへべれけになっており相変わらず李岳の文句で話に花を咲かせていたので気付かなかった。董卓だけがじっと見守るようにこちらを見ていた。

 庭で李岳を待っていたうちの一人は高順であった。道連れが一人おり、背格好から見ると幼い少女であった。李岳はそれが誰だかわかっていた。

「お久しぶりですね」

「……はい、まことに」

 薄々わかってはいた。丁原が死んでいなかったということは、誰かが嘘を吐いていたということである。

 その『誰か』の候補の選択肢はそれほど多くはない。

「単福どの、あるいは徐庶どのとお呼びした方がよろしいか」

「――徐庶、とお呼び下さい」

 いつかと違い、徐庶は端正な服を着込んでいた。あれほどみすぼらしかった服装に嘘はないだろうが、こうしてちゃんと服をまとった姿の方がよく似合っていた。堂々たる気品さえ感じるほどである。

「それがしは、人としてあるまじきことを行いました。罰は甘んじて受けます。まことに申し訳ありませんでした……」

 何も言わずにいた。最も先に我慢を切らせたのは意外にも高順であった。

「この者は、私の命を守ってくれた恩人に他ならない」

「それはわかります」

「先立って起こった洛陽近郊での反乱の際、楊彪一派の企てを暴露したのもこの娘だ。罪は(そそ)いでいる。そしてな、成り行きからとはいえもはやこの者は私の娘でもある。もしこのこの子をどうこうしようというのなら、私は戦うだろう」

 李岳は苦笑した。高順から放たれた剣気が本物だったからだ。

「怒ってなどいません。ただ少し……戸惑うんですよ。それはお分かりいただけるはずです」

 誰が、ということだけ高順は伏せていただけで、おおよその経緯は実は既に聞き及んでいた。

 丁原と蹇碩の決闘の場に出くわし、重傷を負った丁原に治療を行った。母がいない自らの不憫さに耐えかね、記憶を失った丁原に自らが子であると言った。

 言葉にすればそれだけである。

 本当なら感謝すべきなのだろう。実は李岳の中にはほとんど怒りもなかった。単福の振る舞いや行いをつぶさに振り返ってみてもさして気持ちを逆立てられることもない。

 ただ、ひたすら戸惑うだけだった。納得との戦いなんだろうな、と思った。それはお互いにだろう。

「今日からお前たちは兄と妹だ。仲良くやれ」

「あっさり言ってくれますね……」

「他に言いようがない。ほら、あれを言え。教えたとおりにな」

「ぐ、ぐぬ……」

 困ったように俯いたままの徐庶を高順が促した。羞恥と照れと他にも悲しみや喜びが合わさって感情のやり場が見つからないのは容易に想像がついた。

 やがて徐庶は意を決して面を上げると、蚊の鳴くような声で言った。

「よ、よろしくお願いします……お、お兄ちゃん?」

 

 ――結局、呼び名は兄上で決着がついた。李岳もそうだが、徐庶自身が耐えられなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日行われた謁見では、古式ゆかしい作法に則り行われたので、李岳にとって苦痛以外の何物でもなかった。宦官から介添人を選び逐一指図を受けねば失礼があったやもしれない――宦官の方こそ生きた心地がしなかった、というのは余人の知るところ。

 御簾の奥から投げかける帝の言葉に宦官を介してまず董卓が恭しく応答を返し、それを何度も繰り返した後に李岳が指し示され同じやり取りを繰り返した。陳留王から非常に私的な謝辞が述べられた時にはどよめきが起こった。これは再び陳留王を担ぎ出そうとする者が出ないようにという牽制でもあった。

 皇帝への謁見が終わると高官のみによる簡単な祝宴が開かれたが、皆が董卓と李岳の様子を窺うばかりで冷や汗を流す者も少なくなかった。楊彪はじめ名家の者が反乱を企て、たちまちの内に取り押さえられたことが皆記憶に新しいのだ。

 李岳は始終ニコニコしていただけだったが、直接酒を注ぎにくる胆力のある者は張温以外には現れなかった。

 

 ――夕方、李岳は後宮に呼ばれた。

 

「誰かに見られなかったかの? ……ま、見られたところで吹聴する者はいまい。そなたの機嫌を損なえばどうなるかわかったものではないからの」

 皇帝・劉弁の機嫌はすこぶる良いようだった。李岳は促され、面を上げると困ったように笑った。

「お元気そうで何よりでございます、陛下」

「朕はこれでもだいぶやつれた。そなたがさっさと蹴散らさんからじゃ」

「この命をもって償わねばなりませんね」

「うむ、広義の反逆罪じゃからな。許されぬ。もうそなたの命は朕のものじゃ。勝手に死ねぬな」

「無念でございます」

「おい、そこは光栄に思え」

 二人して笑った。李岳は立ち上がることを許された。帝の後ろに妹である陳留王・劉協がいることに気づいた。李岳は改めて膝をつき、少女の無事と勇気を湛えた。

「李岳将軍、余は本当に感謝している。そなたのお陰で余は再び陛下にお会いすることが出来た」

「臣ならば当然のことです。殿下の忍従の日々に比べれば何ほどのこともありません」

「大儀であった」

「殿下のご英断が事態を動かしたのです。聞いた所によると、毒を飲まれたとか」

「あ、それはダメ」

「えっ」

「むっ」

 帝の顔色がさっと変わった。陳留王も恨めしそうに李岳を見る。

「こりゃ、そのようなこと朕は聞いておらぬぞ! お前はいつもいつも無茶をしよる! 毒じゃと!? 何かあればどうするのじゃ!」

「ああ、李岳将軍ご無体な……余をそのような甘言でいたぶるなど」

「……事実を申し奉ったまでですが」

「……李岳将軍、あんなに優しくしてくれたではないですか」

「へ?」

「なんのことじゃ! 李岳は朕の部下じゃ、いらぬ粉をかけるでない!」

「陛下、そうおっしゃいましても不肖この陳留王、李岳将軍の熱い腕で抱きしめられましたから」

「は!?」

「あの熱い口づけ……」

「はあ!?」

「ぶっちゃけ、余の勝ちです」

「朕を怒らせるか!」

「お待ちくださいお待ちくださいお待ちください!」

 史上最恐の姉妹喧嘩に巻き込まれては死ぬしかない。李岳は大きく手を振って二人を止めた。が、その慌ててる様子を見て、うまくいった、うまくいったと二人は笑いを上げ始めた。

「冗談じゃ、慌てるな将軍」

「面白い」

「……なんてこった、背中をお見せしたいですよ。もうすごい汗でもうすごいんですから」

 きっと李岳がここに来る前に申し合わせていたのだろう、悪戯が成功したことを喜んで二人は手を取り合って黄色い声で喜んだ。李岳はもうそれ以上怒れずに頭をかくしかなかった。

 まだまだ幼い二人が、天下の頂点を争わされ、その間を引き裂かれた――今再びこの二人を笑顔で会わせることが出来て、李岳は胸に熱いものがこみ上げて来るのを感じた。

「李岳、本当に感謝している」

「ありがとう、将軍」

「いえ、何ほどのことはありません」

「それで……一つ頼みがある」

 劉協が小さく頭を下げたので、李岳は再び膝を着いた。

「太史慈のことじゃ」

「……はっ」

「良きに計らって欲しい」

 全ては語らなかったが、劉協が無罪放免にしろと言っているということはわかった。

 厳しい、と李岳は感じていた。情状酌量の余地はあるが陳留王を誘拐した実行犯なのだ。だがそれを知る者は李岳の側近にしかいない、隠蔽することは無論可能であろう。無碍にあしらい陳留王との関係を悪化させるのも百害である。

 しかし、こういう形で超法規的な要求を突きつけられ続けるのはお互いに不健康だった。もちろん勅命という形を取るのであれば拒否など出来ない。しかし皇帝やその妹としての野放図な権力の浸透は李岳には肯んじられなかった。

 李岳の意を察しているとばかりに、陳留王は重ねて言った。

「将軍が危惧するところも重々わかっているつもり。余が今後こういったことをお願いすることは決してない」

「朕もじゃ、李岳よ。軽々と勅命など出さぬ。臣ら皆に相談しその決定を尊重することを約束しよう。今回だけじゃ」

 李岳はホッと胸をなでおろした。やはり二人ともとても賢い。

「そのような……かしこまりました、此度の件で太史慈どのを処罰することは臣のところで留め置きます。ただ事情聴取をとり行いたく思いますので身柄はしばらく預かりますが。もちろん拷問などはいたしません」

「感謝する、将軍」

「……太史慈どの自身の資質と意志も伺ってのちになりますが。陛下と殿下がご所望されるのであれば彼女をお側付きとして置かれるというのもよろしいかもしれません」

 陳留王の目が、パァッ、と輝きを増した。

「いいの? いいの?」

「太史慈どのを調べました。正直申し上げまして、もう血なまぐさい戦場にお連れするのは不憫なのです」

 母を人質に取られ、殺しの仕事を散々に担わされてきた。本人の意志が殺されまるで木偶のように目を濁らすまでに。李岳は武人とはいえ、そのような人に再び戦場に出向き人を殺せ、とはとても言えなかった。

「ここでお二方をお守りするということになれば、太史慈どののためにもなるのではないかと」

 取り調べの後に太史慈の人格によからぬ気配があれば、本人に資格なしとして放逐すればいい。張燕に任せれば間違いはないだろう。李岳としても今回の誘拐事件は痛切に身にしみていた。今後こういうことは絶対にあってはならない。近衛の他に二人の身柄だけでも絶対に守り通す武人がいれば一層安心するのだ。

「劉協が良いと申すなら構わぬ」

「ありがとうございます、お姉さま……」

 初めてお姉さまと言ったな、李岳は驚いた。それほど陳留王にとって太史慈の存在が大きくなってたとは意外だった。太史慈にとって劉協が心の支えとなるのは理解出来た面もあるが相互にそうだとは。二人で苦境を乗り切ったからだろうか。

 仲睦まじく手を取り合う皇帝と陳留王だったが、やがて劉弁はニヤリと笑って李岳をねめつけた。

「フフフ、羨ましいか李岳よ?」

「え、あ、はい」

「うむ、うむ。そなたも仲良くするのじゃぞ? ……妹御とな」

 あっ、と李岳は声をつまらせた。

「お、お聞きだったのですか!」

「董卓は本当に何でもよく教えてくれる。良いではないか、お兄ちゃんで」

「お、おやめください!」

「どういうことでしょう、陛下?」

 首をかしげた陳留王に、そっと帝は囁いた。

「お兄ちゃん、と呼んでやればこの者は何でもいうことを聞くぞ。ほれ、あらためて太史慈のことを頼んでみよ」

「こうでしょうか――お願い、お兄ちゃん?」

「……頭がクラクラします」

「はっはっは。軍神李岳もかたなしよな」

 ひとしきり笑い声を響かせた後に、帝は戦に出立する前に李岳を誘った欄干へと出た。あの時はいなかった陳留王を伴い、今度は三人である。

「これからどうなる、李岳よ」

 それもまた連合戦前に問うた言葉と同じである。李岳の回答も半ばまでは同じであった。

「臣の不明のため、今回連合に参加した諸将の内、大半は取り逃しました。これからはその者たちが……群雄割拠という形で影響力を失うまいとするでしょう。それを各個に撃破します」

「戦乱か、お主の言うた通り」

「はい。兗州から東に平定をします。そして南下してくる袁紹どのを討ちます」

「勝てるか」

「勝ちます」

「うむ。李岳、そなたの答えが朕は好きじゃ。約束も守ってくれる」

 皇帝でありながら裏切られ続けてきた人生を歩んできた劉弁である。他愛無いやり取りのなかに悲哀が滲んだ。これからは決してそんな思いは味わわせない、と李岳は心に誓った。

「そうじゃ、約束といえば、李岳よ。戦に勝った暁にはそなた、覚えておろうな?」

 いたずらっ子そのままの仕草で皇帝はニヒヒ、と笑った。

「忘れたと申し上げたいところですが、約束を守るとご信頼頂いた後ですので……はぁ、例の朱儁どのとの約束ですね」

「そうじゃ! 楽しみじゃな。うん、盛大な宴を開こう! あ、もちろん財政を逼迫させるような真似はせぬぞ? しかし十分なねぎらいはさせてたも」

 はてな、と首をかしげた劉協に劉弁は身振り手振りを交えてあらましを伝えた。ドヤ顔がどう、約束がどう、李岳が殴られるがどうのと、である。

「連合本体は撃破しました。西から押し迫ってきた益州軍も既に兵站を千々に断ち切られていると聞いております。朱儁将軍の凱旋もそう遠くないでしょう」

「うむ、うむ! 李岳よ、お主のドヤ顔と例の余興が楽しみじゃのう」

「とほほ、でございます」

 さてこの事態をどうやって切り抜けよう、と李岳は頭をひねった。匈奴からの援軍を呼んだとしてもバチは当たるまい。この苦境を乗り切るには、さて……と、笑顔で思い悩んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――しかし、李岳の見込みは外れた。十日後、洛陽に届いたのは益州軍が要塞を突破し朱儁軍を撃破したという知らせであった。朱儁軍は無残にもその大半が討ち取られたという。さらに長安が陥落、敵は弘農を目指して一路進撃中という続報まで届いた。そして間もなく、朱儁の遺体が届けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――陳寿は云う。

 

 南陽太守袁術、冀州牧韓馥、予州刺史孔宙、兗州刺史劉岱、揚州牧劉遙、勃海太守袁紹、陳留太守曹操、三郡相公孫賛らは時を同じくして挙兵し、軍勢はおのおの数万人、陳留王劉協を皇帝に擁立すべく袁紹が軍の盟主となった。

 董卓は挙兵のことを聞き、天子の号令を戴き祀水関へ兵を向かわせた。董卓は洛陽に駐留し、動かなかった。このとき袁紹ら諸将は酸棗に屯した。董卓の軍勢は強力で、酸棗で一万人が討ち取られた。祀水関を包囲したが袁紹らのうちあえて率先して進む者はなかった。

 曹操は言った。

「義兵を挙げたのは乱暴者を誅するためであった。大軍がすでに集合したというのに、諸君らは何を逡巡するのか?」

 公孫賛は曹操に賛同せず自領へ引き返していった。

 こうして軍勢を引率して西進し、陽人を拠点にしようとした。袁術は部将孫策を派遣し、軍勢を分割して曹操に随行させた。尹梁の陽人に到達したとき、董卓の部将李岳と遭遇し、これと戦闘になって敗北し、士卒の死傷する者は非常に多かった。孫策は矢に射られ死に、兵は南へと逃走した。

 曹操が陣営に戻ると、諸軍の軍勢十万人余りは、連日、酒を伴う豪勢な宴会を催しており、進軍攻略のことなど計画さえしていなかった。曹操は彼らを難詰し、攻勢を訴えた。

 曹操の軍勢は少なくなったので、兗州刺史劉岱の兵を預かった。刺史は軍勢数万を与えた。劉岱は青州にて募兵を行い兵五万を呼び寄せた。また袁紹軍に参加していた呂布は董卓に与するために寝返った。曹操と劉岱は憎しみあい、曹操が劉岱を殺した。

 秋、董卓は匈奴の兵を呼び寄せその数十万で祀水関に派遣した。袁術はこれを機として董卓軍に寝返り反転攻勢に至った。諸将の兵は十万あまりが討ち取られ大敗した。陳留王は兵に導かれ洛陽へと戻り帝はこれを許した。

 同じ頃、益州牧劉焉が派遣した将・厳顔の指揮する軍勢が、要害大散関にて京兆尹朱儁の軍勢を打ち破り朱儁も殺害した。軍勢は長安に進軍し包囲したが、間もなく城門を打ち破り占拠した。劉焉は自ら皇帝を名乗った。

 冬、袁紹はついに劉虞を擁立して皇帝とした。劉虞は幽州から徐州まで多くの人の忠誠を得た。

 

 




こんな筋書きを選んですんません。歴史を変えるなんて簡単に出来ると思うな、という。
希望と絶望は色違いの同じ仮面。というわけで新たな章の終わりと始まりです。

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