真・恋姫†無双〜李岳伝〜   作:ぽー

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第七十四話 毒食らわば

 長い雨が降った。雨は敵に攻城を躊躇わせるのか、この二日攻勢がない。総攻撃を前にしての一拍か、既に余裕があるとでもいうのか。李岳は城壁の上でじっと息を潜めている連合軍陣地を見やりながら思った。

 劣勢であった。

 堀を攻略され、敵は何の躊躇もなく城壁に肉薄できるようになった。攻城兵器も相当まで接近を許している。一度岩石が降り始めれば城壁も人体も容易く砕け散ってしまう。突っ込んでくる衝車によって城門は見るも無残にひしゃげてしまっていた。陽人の戦いを経て敵の迂回作戦は完全に頓挫させた形であるが、つまるところこの祀水関の攻略に本腰を据える覚悟を決めたということだ――兵力の差が日を追う毎に効いてきている。

「冬至。雨」

 呂布が隣に立ち言った。彼女の全身も濡れそぼっていた。

「俺は大丈夫だよ。恋、馬や兵たちはどうかな」

「みんな疲れてる。でも元気」

 岳はおためごかしの報告を嫌った。少しでも実情と違う応答を嫌ったので、将たちも実直な報告に努めた。ただ呂布の報告に関してだけは実直すぎ、というより簡易すぎて把握が難しく、時に苦笑する他なかったが。

 無傷の兵などいない。誰もが傷を負い、病を抱えている。残存兵力は、十分な戦闘に耐えうる者だけを数えれば四万いるかどうかであろう。

 対して敵には新たに増援もあり、兵力は未だに十万を優に超える。

「……また悪いこと考えてる」

 呂布が困ったように眉根を寄せた。

「何をいうかね君は」

「ひどいこと考えてる時の顔」

「洛陽では、笑顔が素敵な飛将軍、と町娘に評判なんだよ」

「そ」

「……だけ?」

「馬鹿みたい」

「ひどい」

 一度風が吹き、雨が斜めに降った後に穏やかなになった。チラリチラリと陽光が数条、雲間から地に差し込んできた。厳かな光景であるが、その照らす先はこの雨でさえも流しきれない流血おびただしい戦場である。

「雨、やみそうだな」

「うん」

「晴れたら敵は攻め寄せてくるだろう」

「頑張るから」

「死ぬなよ」

「冬至も」

 もう少しこうしていようか、と思った時だった。少し慌てた様子でやってきたのは廖化である。

「大将」

「どうした」

「中へ、とりあえず」

 踵を返して、髪さえ拭わず李岳は下りた。呂布ががんばれー、と気のない応援を投げたことがなんだかおかしかった。廖化と李儒がいた。朗報か否か。李岳は何も期待しないように心を平静に保とうと苦心した。

 まず廖化が口を開いた。

「洛陽近郊で乱があった模様」

「詠が処理したろう」

「御意」

 問題ない。洛陽で多少の混乱が発生することは予測の範疇であるし、御前会議でも散々警告した。賈駆に陳宮、張燕もいる。無様な醜態にはなりようがない。

「これが一つ目の報告です」

「二つ目は」

「我が」

 李儒が前髪で目を隠したまま手を上げた。手には竹簡がある。いま届いたものか、雨滴で墨が滲んでいる。

「……敵が隠し持つ宝玉、それを守りたる闇の衣の正体が明らかになった模様」

「太史慈の身元か」

 李儒が差し出した竹簡を受け取り、李岳は文面に視線を走らせた。報告は分厚く読み応えがあり、読み切るのにかなり時間がかかった。

 

 ――青州東莱郡黄県。それが太史慈の生まれ育った地名であった。その武名は若くして名を馳せたものであったがどこにも仕官せず、慎ましく暮らしていたという。老いた母との二人暮らしだったようだ。

 

「直後、いきなり孔融に士官、か」

「金や名声が目的、というわけではなさそうでしょうな」

 廖化が不機嫌な様子で答えた。

「老いた母、か。なんとなく想像はつくな」

「病か怪我か、いずれにしろその治療を孔融が申し出た、といったところでしょうか。士官の後、戦場を行脚しいずれにおいてもおびただしい軍功を立てております」

 だがその武名も突如として途切れることになる。孔融が幽州に立ち寄った際である。何があったかは推測しかできないが、太史慈の身元はそのまま劉岱の元へと移った。

「買われたか」

「運命を司る天秤があるとして、その端に母の魂を載せられてしまったのでしょう。そしてそれはそのまま呪縛として太史慈どのの運命を縛る鉄鎖と成り果てた……」

 李儒が時系列で太史慈と、太史慈の母の居場所を書き連ねていった。どれほど身元を匿ったところで移動する際に足あとはつく。永家の者はその出入りの形跡を追ったのだ。

 おそらく太史慈は実際に母と面会することはなかったろう。時折届く竹簡を心の支えにして、劉岱に付き従い理不尽な命を受け続けた。その成れの果てがあの心を亡くしたただ人の形をした暴力なのだ。

「その母親の死亡が確認された、か……」

 無残な一文が竹簡には明記されていた。予想していた悲劇が当たる時ほど虚しいことはない。

「巧妙に隠していたようですが、金をもらい世話をしていた男が見つかりまして。ほぼ間違いなく」

 ずしりと重いものが李岳の心を覆った。太史慈は母の死を知っているのだろうか? いや、おそらく知るまい。二龍は母がまだ生きていると虚偽を並べその心を縛っているはずだ、その程度のことは平気でやる。

 母の死――その話は無条件に李岳を苛んだ。どうしても自らの母の思い出が蘇るからである。だからこそ、二龍に対しての怒りは蓄積の一途を辿る。

「……予想してたとはいえ、厄介なことになりやした。存命なら救出し、寝返りを期待できたのですが」

 いや、と李岳は首を振った。永家でなければここまでの調査は不可能だったろう。これが捏造ではない、という確たる証拠も、この書簡には記されてもいる。

「丁重に葬ったろうな」

「これ以上ないほどに」

「どう思う、雲母?」

「四分六」

 太史慈が寝返るかどうかは十のうち四……賭けるにはたじろぐ確率であるが良心的な読みだろう。自分ならどうするだろうか? 自暴自棄になり死ぬまでそこで暴れ続けるかもしれない。その場で二龍を叩き殺したところで、それ自体が混乱をもたらし不測の事態に発展する可能性もある。逆に陳留王劉協の安全さえ脅かしかねないのだ。

 しかしその賭けも、まず陳留王と太史慈に接触しなければ意味がない。

「陳留王が本当にこの洛陽に戻ってきたいと思っているのならば、この書簡を太史慈に見せて説得するだろう」

「その太史慈の防備を突破するのが困難、ときたもんだ……くそ」

 廖化の苦悩もわかる。今の時点での太史慈は頑なに二龍の命のみを聞く戦士にすぎない。その心を解きほぐすのなら陳留王に賭ける他ないのだ。直接渡したところで粉砕されてしまうだろう。

 しかしさすがに陣営中の『玉座』である。その防備は尋常ではなく、容易く近づけるものではなかった。もしも無理を押して接近し、ことが露見すればさらに望みは狭まる。

「……気休めかもしれませんが、袁術からは色よい返事が戻ってきているのでしょう」

 場を和ませるように廖化がおどけた調子で言ったが、それも十分な判断材料とはいえない。

「劉遙の首が欲しい、と明言してるね。そしてそのまま揚州を頂くのが条件だ、と」

「そこまで言うからには確実にこちらに付くと見てよいのでは」

「張勲という女、あれは信用したら負けだ。対等以上の条件でなければ組めない」

「……癖のあるやつばかりだな、全く! 盗賊稼業で食ってる連中の方がいくらも素直だぜ」

 参った参った、と廖化は笑った。李岳も笑いたい気分である。

 ひとしきり笑い続け、はぁ、と溜息を吐いた後、廖化はぐっと身を乗り出して李岳に迫った。

「例の第四の策ですが」

「待て」

「もう限界では?」

 

 ――反董卓連合軍を粉砕するための第四の策……『亜号作戦』の下準備はほとんど完了していた。発令を待っている状態なのである。

 

「陳留王の身柄を確実にするために、まだひと押しがいる」

「しかし、このままでは落ちますぜ」

「……ああ」

 先制攻撃を成功させ、兵糧を焼き、袁紹を討ち取りかけ、堀を前にもたつかせ、何度も攻城部隊を跳ね返し、陽人に出撃した別働隊を完膚なきまでに粉砕し、孫策を討ち取り馬超を敗走させた。

 それほどの積み重ねを持ってしても、たった一度の敵側の援軍で全てがひっくり返ってしまったのだ――青州からの援軍、その数五万。

 青州兵の動きは死をも恐れぬ勇猛さであり、何度も何度も城壁にしがみついては守備兵を道連れに自爆まで選択するほど。あと少しで敵軍は撤退する、とかすかな望みにすがっていた李岳軍の意気を削ぎ落とすには十分な迫力であった。

「たんまりと兵糧まで持ってきて、余裕の布陣だ。他の連中まで引っ張られて勢いづいてやがる。旦那、貴方が思っているより限界は手前にあるのかもしれやせんぜ」

「わかってる!」

 思わず声を荒らげてしまったが、それでも李岳は何かの知らせを待っていた。人事を尽くしたならば、天命があるはずだ。ややもすればそれは夢想にすがる愚かな発想かも知れないが、それでも李岳はきっと何か契機があるはずだと固く信じていた。

 その時である。

「失礼いたします……」

 見知った顔の兵卒が入室してきた。永家の者である。男は一度まず廖化に耳打ちした。その表情がみるみる変化し、形容しがたいものになった。

「……たった今、知らせが」

「なにか」

「陳留王殿下、危篤」

 

 ――李岳はそれを、千載一遇の好機だと判断した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はじめに気づいたのは太史慈であった。

 雨の中、傘をさしていつものように幕舎を出て散歩をしていた陳留王の足がふと止まったのだ。また何ぞ花でも見つけたか、と思うた時である。その小さな体に不似合いな強さで太史慈の二の腕を掴んだのだ。それは爪が食い込み血が滲む程のものであった。

 何を、と問いただそうとした刹那である。

「う、う……あ、ぐ……!」

 陳留王劉協はその場でうずくまると盛大に吐いた。その勢いは凄まじく、胃の中のものを一度に全て、さらに中身がなくなったというのに吐きつづけた。体内のあらゆるものが全て流れでてしまうのではないかと思えるほどで、そのまま体が裏返ってしまうのではないかと太史慈が驚愕するほど。

 医者を呼べ、太史慈の絶叫は陣内にしたたかに轟いた。何事かと多くの者が駆けつけてくる頃には、すでに陳留王の意識はなく、顔面は紫色で手足は痙攣をしていた。

「医者はおらぬのか!」

 腹の底から声をだすのはどれほどぶりか。しかし太史慈はそれまで静音を保ちつづけていた自分の心の中が嵐で大荒れになっていることすら自覚できない程に動揺していた。陳留王はこのまま死んでしまうのか? もうこの小さな手が己の手を握ることはないのか。

「どいてください、道をお開けください! はわわ! 一刻を争いますです! 医術の心得があります! どいてください!」

「どけと言っておろうが!」

 群れ集う人々を押しのけてやってきたのは長い黒髪の武人、関羽。そして諸葛亮と鳳統であった。

 太史慈は躊躇うことなく道を塞ぐ高官を投げ飛ばし道を押し開いた。

「こっちだ、急げ!」

「はわ、は、はい!」

 小さな乙女であったが、太史慈は頼ることを躊躇いはしなかった。誰でも良かったのかもしれないが、しかし予感があったのも確かだった。

「こちらだ、なぜだ……殿下は助かるのか」

「落ち着いてください……愛紗さん、手伝ってください」

「なんでも言え」

「綺麗なお水と、そしてお湯をたくさんなのです! まだ使ってない布と厚手の毛布も!」

 諸葛亮はすぐさま陳留王の服をはだけさせたので、その場に居合わせた官僚が慌てて他の者たちを退出させた。陳留王の全身は真っ青に血の気を失い、しかし異常な力強さで痙攣を繰り返している。

 関羽が持ってきた水を口に含ませ、そしてその腹を押して吐き出させるということを何度も繰り返した。胃を洗っているのだ、ということはわかったが、太史慈にできることは汚れた寝台の布と代えの衣服を用意することくらいしかなかった。慌ててやってきた二龍もさすがに動揺しているようだったが、太史慈は無視した。

 何度も何度も胃の洗浄を繰り返した頃、陳留王の痙攣は止まった。すると諸葛亮はゆっくりと白湯を含ませ始めた。何度か飲ませるとまた吐き出したが、諸葛亮は諦めずに繰り返した。その頃にはもう諸葛亮の体は目も当てられない有り様だったが、欠片も動揺は見受けられなかった。

 夜が更けても諸葛亮は諦めずに白湯を飲ませ始めた。その頃にはわずかな塩を混ぜだしており、陳留王から痙攣は止まり、蒼白だった肌の色もわずかに治まってきた。冷えてはいけないと焚き火を炊かせ、そしてやがて薬湯を煮出し始めた。

「なんだそれは」

「殿下は中毒を起こされました。これはその毒を中和するものです」

「毒だと……誰かが盛ったとでも」

「それは……わかりません」

 太史慈の言葉をはぐらかすと、諸葛亮は煮だした薬湯を少しずつ陳留王に含ませ始めた。さすがに疲労の色が濃いのか、手伝いにやってきた鳳統と交代しながらである。

 用意していた薬湯が半分ほどになった頃、陳留王の呼吸は、まだ荒かったがそれでも正常に戻ったように見受けられた。頬に赤みも刺し、汗もかき始めた。あれほど冷たかった手足にも血の気が通い始めたようである。

「……これで、後は体が冷めてしまわないように火を絶やさず、汗をかかれたら衣を取り替えてください」

「もう、大丈夫なのか」

「峠は越えたと思いますです……殿下の体の中にはまだ毒は残っていますが、幸い、それほどの量ではなかったようです。今、殿下の体ご自身が毒と戦っておられます。暖かくすることで、その戦いを応援するのです」

「わかった」

「ご心配なんですね、太史慈さん」

 諸葛亮の言葉に太史慈はハッとした。心配? ……心配をしているのだろうか。

「……任務だからだ」

「はわわー。そうですかー」

 あっけらかんと笑い、諸葛亮は関羽に抱き上げられて陣幕を出て行った。既に夜明けが近付き始めている。太史慈は一瞬にして過ぎ去ったが、長い長い一日を振り返り妙な疲れを覚え、同時にホッとした。

「心配……この私が、か」

 小さく胸を上下させる陳留王の隣に腰掛け、太史慈はその寝顔を見守った。手を握り、まるで娘を見守るような気分だな、と思った。そして長らく思い出すのをやめていた母のことを考え、それきりにしてやめた。

 

 ――いつの間にか眠ってしまい、目覚めた時には陳留王がいた。

 

「おはよう。よく眠っていて、起こすのが忍びなかった」

「えっ」

 束の間、一日の騒動が嘘なのではないかと思った。自分が見た夢なのではないかと。

 しかし陳留王の衣服は確かに見覚えのないものであり、周囲は昨夜の格闘の様子がそのままに残されていた。なぜか書簡を手に持ったまま、太史慈をおかしそうに眺めている。

「世話をかけた」

「で、殿下。ご無事ですか」

「まだちょっとお腹が痛いけど」

 かすかな笑顔を浮かべて言う。ドッ、と安堵の気だるさが太史慈を襲った。それがまたおかしいのだ、とばかりに陳留王は笑顔を浮かべ、そして再び書簡の続きを読み始めた。

「……何をご覧になって」

「李岳からの手紙」

「――は?」

 陳留王はもう笑ってはいなかった。厳かに目を伏せたまま、太史慈に告げた。

「太史慈、そなたのご母堂は既に身罷られていると、ここに書かれている」

 目を伏せ、陳留王は手紙を渡してきた。太史慈は半ば呆然とした気持ちでそれを受け取り目を通した。

 太史慈の生まれ、そしてなぜ二龍に付き従うのかを調べた。全ては陳留王を無事に奪還するために――そこに書かれているのはこれまで太史慈が生きてきた足跡そのもので、自身でさえすぐには思い浮かべられないことも含まれていた。そして劉岱に母親が幽閉されている、ということも。

 文末には、既に先年流行病でこの世を去っている、と記されていた。虚偽とは思えなかった。そこには母が残した遺言が記されていたからである。

『玲、すまない』

 と。

 母しか知らぬ真名であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 装いを改めた後、諸葛亮は劉備の待つ陣幕に戻った。

「朱里ちゃん! 殿下は大丈夫なの!?」

「はわわ、大丈夫なのですよ」

「でも、たくさん大変だったって……」

「軽い中毒なのです。もう今日にでも意識が戻られるかもです」

「だ、誰がどんな毒を……」

 朝食もまだだったので鳳統が差し出した握り飯を諸葛亮はありがたく頬張りながら、温かい湯を飲んだ。別に焦らすつもりでもなかったが、見れば劉備はむーっと頬を膨らませている。

「……き、気になるよう、朱里ちゃん!」

「はわ、ごめんなさい……えーと、あの中毒症状は植物由来のものなのです。みなさんも烏頭(うず)(※トリカブト)をご存知ですよね。それに近い症状なのです」

「あれって猛毒だよね!? それでよく命が助かったよね……朱里ちゃん大手柄だよ」

「いえいえ、元より命に関わる量ではなかったのです。もしそうなら、私の治療など遠く及ばずなのです。少しお手伝いしただけなのです」

「えっじゃあ」

 えーとえーと、としばらく劉備は考えたあと、もしかして、と前置きをして言った。

「毒を入れた人は、殿下が死なないように、ちょびっとだけ猛毒を何かに混ぜたってこと?」

「なのです」

「だ、誰が」

「ご自分で」

「へっ」

 ふーっ、と湯の最後までを飲み干すと、諸葛亮は静かに告げた。劉備はじめ、関羽も張飛もあんぐりと口を開けている。

「ご自分で含まれました……陳留王殿下を害することは、この防衛態勢では太史慈さん以外無理なのです。が、あの狼狽した様子ではきっと違う……なら答えはひとつ、ご自分で毒を飲まれたのです。お部屋に飾られてた金鳳花が姿を消しておりました。烏頭と金鳳花、見た目は違えどよく似た毒を持つ仲間なのです」

「え、ちょ、ちょっと待って、それは」

「……どうやら、陳留王殿下は洛陽にお戻りになりたいご様子。ご自身を取り巻く防備があまりに厚いために、逼塞した状況を打破するためにご自身の命を危険にさらされたのでしょう。今頃、殿下の元には混乱に乗じて李岳さんからのお手紙が届いているのかもしれません」

 なのです、と鳳統が続くが劉備は全く話についていけない。陳留王が李岳と通じた? ならこの連合の大義は? 内部から裏切り者? 李岳はどう動くのか?

 諸葛亮は凡人の苦悩など知らぬとばかり、穏やかな口調で言葉を続ける。

「総攻撃が来るのか、それとも秘密裏に連れだそうとするか……李岳さんがどう動くかは残念ながらまだわかりません。ですが我が劉備軍も何かしらの決断を迫られることは必定」

 連合軍は援軍も現れ意気軒昂だった。援軍が例え身元不確かな青州黄巾軍だとしても、である。しかし諸葛亮の物言いでは、この陣営を李岳が粉砕することは確実、という響きさえ読み取れた。

「ど、どうすればいいのかな……」

 パッ、と羽扇を広げて諸葛亮は言う。

「李岳さんが総攻撃を仕掛けてくるのなら、それに対抗すべきでしょう。けれどもし勝ち目がない場合逃げる用意も必要です……我ら劉備軍、残念ながら拠点もなくただ逃げ惑えば飢えてしまうこともありえます。ならばこの連合の中で培った人脈を活かすのが得策――袁紹さんの退路を確保し、その庇護を求められるのが最上かと思われますです」

 

 ――勝っても負けても劉備の身は安泰、と諸葛亮は言う。陳留王の命を救ったことでもある、もし囚われの身になっても命は助けてもらえるだろう。諸葛亮の話に鳳統は涼しい顔をしている。この二人の少女は、どこまで読み切りこの場にいるのか。

 

 劉備は初めて研ぎ澄まされすぎた知略の恐ろしさと、冷たさに身震いを覚えた。

 だがどうしても、一つだけ問いたださなければ気が済まなかった。

「朱里ちゃん、一つだけ聞かせて欲しいんだけど……」

「はい」

「この前、殿下のところにお邪魔したとき、金鳳花の花を見たよね……あの時、こうなるかもって、思った? だから……だからお薬も用意してたの……?」

 諸葛亮は羽扇で口元を隠し、はわわ、と笑みをこぼした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨が上がれば連合軍の猛攻が再び行われた。総攻撃は十日の間、間断なく続けられた。城壁に取り付かれ、かけられた梯子は一時四十本を超えた。一度などは城壁の上に敵兵が雪崩れ込み乱戦の様相も呈した。張遼、徐晃、華雄の活躍がなければ陥落した可能性もある。既に祀水関は限界を迎えつつあった。

 ようやく連合軍が引いていったその夜、李岳は将を集めた。

 皆、満身創痍である。張遼は未だ一騎討ちの傷は癒えず、徐晃も肩に矢を受けていた。華雄は投石の破片が腹に直撃し昏倒していたこともある。楊奉は頭に包帯を巻き血を滲ませている。李確と郭祀は体力の限界にごっそりと頬の肉を落としている。赫昭に至ってはただの一度も横になって眠りについておらず、隈がひどかった。李儒もまた眠ることなく策を練り続けている。情報戦を担った廖化の消耗もまた想像の埒外である。呂布でさえ疲労の色が濃い。

「決戦だ」

 それは追い詰められた者がせめて一刺し爪痕を、というような悲壮な決意に基づいたものではなかった。負け戦覚悟の勝負などこの李岳が行うはずがないのだ、という信頼が将の全てで分かち合われていた。

「砦から討って出る」

「準備が整うたんか?」

「ああ」

「勝てるんやな?」

「勝つ」

 張遼がにんまりと笑った。誰も何も言わなかった。質問もない。李岳が勝つと言った。ならば勝つのだ。

 

 ――永家の者はとうとう陳留王との接触を果たした。危篤に陥ったのは防備を崩すため、混乱に乗じれるように劉協自身が服毒したとのことだ。英邁な上に果断である。そしてその対価は計り知れなかった。太史慈が劉協に力を尽くすと約束したのである。

 

 数ヶ月、あらゆる資源を費やして張り巡らせてきた策謀の糸が、ひとつの巨大な戦絵巻の終焉を彩り始めていた。その絵は努力と、そして運と天命によって描かれた壮大なものであった。最後の仕上げは李岳の号令により、鉄剣によってなされる。

 李岳は淡々と作戦を説明した。李儒が壁面に筆でもって直接進撃経路を描く。その緻密さは李岳が一瞬たりともこの瞬間を忘れていなかったことを雄弁に物語った。誰も何も言わなかった。勝つのだ、とだけ思った。

 ひどく静かな軍議は半刻で終わり、それぞれがひどく自然な心持ちで持ち場についた。兵を慰撫し、落ち着かせ、副官に段取りを伝える。下士官たちも絶体絶命の窮地であるというのに、伝えられた作戦司令を至極平静に受け取り行動し始めた。

 祀水関は、静かに静かに、眠りから目覚めようとしていた。

 

 ――翌朝はよく晴れた。李の旗がよく映えた。もう秋の空だった。




別に、二日連続で投稿してしまっても構わんのだろう?

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